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第一章
16、長い旅路の静かな始まり
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初めての夫婦二人での夕食は静かだった。
宿の最上階に部屋を取り、その広い居間に置かれたテーブルにはメインもデザートも並んでいて、使用人達は扉の向こうの廊下で待機している。
「ルートヴィッヒ様、今朝はお見苦しいものをお見せしてすみませんでした……」
結局城からの帰宅途中の馬車の中で、号泣とまでは行かないまでも、ルートヴィッヒの胸をしばらく借りてしまった。
「なんの事だ?」
ルートヴィッヒは真面目な顔でエレオノーラに聞き返す。馬車を降りたら全て忘れると言ったのを守ってくれているらしい。
ルートヴィッヒは何事もなかったかのようにワインを飲み、食事を続けた。
以前はこの表情が澄まして冷たく見えたけれど、それはルートヴィッヒの整いすぎた顔立ちのせいなのだと今は分かる。
「今日は出発を急かしてしまってすまなかった」
「いえ、大丈夫です。ルートヴィッヒ様の生まれ育った所へ行けるのが楽しみです」
「クルゼは王都ほどの華やかさはないが、それほど暮らしにくい所でもないはずだ。落ち着いたら少し遠出しよう」
「はい、是非」
エレオノーラはクルゼに行ったことがない。
本などで得た情報によれば、春は短く夏はもっと短くて、秋は紅葉が綺麗で、長い冬は厳しくて、曇天が続く土地柄らしい。
夕食が終わり、湯浴みを済ませたエレオノーラはメイドが初めに用意した夜着を丁重に断って、もう少し心許なくない物を纏った。
(今夜こそ、よね……)
エレオノーラは覚悟を決めて寝室に入る。
ルートヴィッヒは居なかったが、居間の方から物音がしたのでそちらを覗いてみる。
ソファーに座って小さなグラスで何か蒸留酒を飲んでいるようだった。
「少しは疲れが取れたか?」
すぐにエレオノーラの気配に気付いたルートヴィッヒが振り向いて尋ねる。
エレオノーラはソファーの方へ歩み寄り、どの位の距離に座るのが適切かしらと思いながら、ルートヴィッヒの隣に少し間を空けて座った。
「はい、温かいお湯で身体がほぐれました」
「それは良かった。エルも飲むか?」
半日丸々馬車に乗って疲れ果てたエレオノーラと対照的に、ルートヴィッヒはこれからまた再出発出来そうな程、疲れが見えない。
「いえ、強いお酒はあまり飲み慣れていなくて……」
「そうか、ではこれを」
ルートヴィッヒは立ち上がると部屋の隅に置かれているガラス扉のキャビネットから細長いワインの瓶の様な物を取り出し、少しだけクリスタルのグラスに注いでくれた。
「洋梨から作った酒だ。多分、気に入る」
「ありがとうございます」
エレオノーラはなめる程度に飲んでみた。
「美味しいです。洋梨の香りが心地よいですね」
「ここら辺の地酒らしい」
エレオノーラはお風呂上がりに髪を乾かす間に落ち着いていた身体の熱がまた少し戻って来るのを感じた。
頭の中もフワフワしている気がする。
「あの、今さらうかがう事じゃないのかもしれないのですが……」
エレオノーラはルートヴィッヒに一度は聞いてみたいと思っていた事を、切り出した。
「ルートヴィッヒ様はどうして私に会う前から、私と結婚しようと思ったのですか? 最初にお目にかかった時に、『結婚する気でなければ、ここに来ていない』とおっしゃっていましたよね?」
「正直に言うとエルが怒りそうだが、オズワルドの推薦だ。オズワルドの人格はまぁ色々あれな所もあるが、人を見る目はある」
率直なもの言いをするルートヴィッヒにすら『色々あれな所もある』なんて曖昧な表現を使われる程にオズワルドはあれな人なんだわ、と改めて思うエレオノーラ。
「シーモア公爵の推薦ですか?」
「そうだ。ウチのお節介な宰相が勝手に色んな所へ俺が花嫁を探していると手紙を送ってしまったんだ。俺自身もそろそろ身を固めなければとも思っていたんだが。それでちょうど王都に行く事があったから、宰相が手紙を送ったご令嬢達のリストを持ってオズワルドに尋ねたら、エルが良いって即答したんだ。しかもその数日後にエルのお父上から打診があったから、これも何かの縁だと思った」
「そうだったのですね……」
(オズワルドはフランツに失恋して傷心の私が哀れで薦めてくれたのかしら……)
「エルは何故俺を?」
考えてみれば自然な流れだが、まさか自分の結婚の動機を聞かれると思っていなかったので、ドギマギしてしまう。
「えっと、ルートヴィッヒ様がとても素敵な方だとうかがったからです」
「誰に?」
「皆さん、ルートヴィッヒ様がとても素晴らしい方だっておっしゃってますわ、そう、ほら、お茶会の時等、若い女性が集まると、大抵そう言ったお話になりますから」
「女嫌いで頑固者の間違いじゃないのか?」
ルートヴィッヒはそのアメジストの瞳でのぞき込んで、エレオノーラがどんどん挙動不審になるのを楽しんでいる。
「ち、違います!」
「エルは嘘を付けないな。大方ノイマイヤー大佐の結婚を知って焼けくそになって誰でもいいから結婚しようと思ったのだろう?」
ルートヴィッヒは全然怒る素振りも無く、さくっと真理を突いてくる。
「すみません……でもこれだけは信じて下さい、私、結婚したのがルートヴィッヒ様で良かったと心から思っています」
「それは光栄だな。俺もそう思っているよ」
ルートヴィッヒはお酒で少し赤く染まったエレオノーラの頬にキスをした。
「明日も長い旅になる。あまり夜が更けない内に寝た方が良い」
「ルートヴィッヒ様はお休みにならないのですか……?」
「俺はまだ仕事が残っている。気にせずにゆっくり休め」
「分かりました。すみません、それではお先に失礼致します」
エレオノーラは立ち上がって身体に酔いが回るのを感じながら寝室に戻った。
何か大事な事を忘れているような気がするけれど、頭がぼーっとして思い出せない。
宿のベッドは自分の慣れ親しんだベッドとはマットの固さや枕の高さ、洗濯石鹸の香りも何もかもが違ったけれど、一日中馬車に揺られて疲弊し切った上にほろ酔いの身体には大した問題では無かったのか、エレオノーラはあっという間に夢の世界に誘われた。
宿の最上階に部屋を取り、その広い居間に置かれたテーブルにはメインもデザートも並んでいて、使用人達は扉の向こうの廊下で待機している。
「ルートヴィッヒ様、今朝はお見苦しいものをお見せしてすみませんでした……」
結局城からの帰宅途中の馬車の中で、号泣とまでは行かないまでも、ルートヴィッヒの胸をしばらく借りてしまった。
「なんの事だ?」
ルートヴィッヒは真面目な顔でエレオノーラに聞き返す。馬車を降りたら全て忘れると言ったのを守ってくれているらしい。
ルートヴィッヒは何事もなかったかのようにワインを飲み、食事を続けた。
以前はこの表情が澄まして冷たく見えたけれど、それはルートヴィッヒの整いすぎた顔立ちのせいなのだと今は分かる。
「今日は出発を急かしてしまってすまなかった」
「いえ、大丈夫です。ルートヴィッヒ様の生まれ育った所へ行けるのが楽しみです」
「クルゼは王都ほどの華やかさはないが、それほど暮らしにくい所でもないはずだ。落ち着いたら少し遠出しよう」
「はい、是非」
エレオノーラはクルゼに行ったことがない。
本などで得た情報によれば、春は短く夏はもっと短くて、秋は紅葉が綺麗で、長い冬は厳しくて、曇天が続く土地柄らしい。
夕食が終わり、湯浴みを済ませたエレオノーラはメイドが初めに用意した夜着を丁重に断って、もう少し心許なくない物を纏った。
(今夜こそ、よね……)
エレオノーラは覚悟を決めて寝室に入る。
ルートヴィッヒは居なかったが、居間の方から物音がしたのでそちらを覗いてみる。
ソファーに座って小さなグラスで何か蒸留酒を飲んでいるようだった。
「少しは疲れが取れたか?」
すぐにエレオノーラの気配に気付いたルートヴィッヒが振り向いて尋ねる。
エレオノーラはソファーの方へ歩み寄り、どの位の距離に座るのが適切かしらと思いながら、ルートヴィッヒの隣に少し間を空けて座った。
「はい、温かいお湯で身体がほぐれました」
「それは良かった。エルも飲むか?」
半日丸々馬車に乗って疲れ果てたエレオノーラと対照的に、ルートヴィッヒはこれからまた再出発出来そうな程、疲れが見えない。
「いえ、強いお酒はあまり飲み慣れていなくて……」
「そうか、ではこれを」
ルートヴィッヒは立ち上がると部屋の隅に置かれているガラス扉のキャビネットから細長いワインの瓶の様な物を取り出し、少しだけクリスタルのグラスに注いでくれた。
「洋梨から作った酒だ。多分、気に入る」
「ありがとうございます」
エレオノーラはなめる程度に飲んでみた。
「美味しいです。洋梨の香りが心地よいですね」
「ここら辺の地酒らしい」
エレオノーラはお風呂上がりに髪を乾かす間に落ち着いていた身体の熱がまた少し戻って来るのを感じた。
頭の中もフワフワしている気がする。
「あの、今さらうかがう事じゃないのかもしれないのですが……」
エレオノーラはルートヴィッヒに一度は聞いてみたいと思っていた事を、切り出した。
「ルートヴィッヒ様はどうして私に会う前から、私と結婚しようと思ったのですか? 最初にお目にかかった時に、『結婚する気でなければ、ここに来ていない』とおっしゃっていましたよね?」
「正直に言うとエルが怒りそうだが、オズワルドの推薦だ。オズワルドの人格はまぁ色々あれな所もあるが、人を見る目はある」
率直なもの言いをするルートヴィッヒにすら『色々あれな所もある』なんて曖昧な表現を使われる程にオズワルドはあれな人なんだわ、と改めて思うエレオノーラ。
「シーモア公爵の推薦ですか?」
「そうだ。ウチのお節介な宰相が勝手に色んな所へ俺が花嫁を探していると手紙を送ってしまったんだ。俺自身もそろそろ身を固めなければとも思っていたんだが。それでちょうど王都に行く事があったから、宰相が手紙を送ったご令嬢達のリストを持ってオズワルドに尋ねたら、エルが良いって即答したんだ。しかもその数日後にエルのお父上から打診があったから、これも何かの縁だと思った」
「そうだったのですね……」
(オズワルドはフランツに失恋して傷心の私が哀れで薦めてくれたのかしら……)
「エルは何故俺を?」
考えてみれば自然な流れだが、まさか自分の結婚の動機を聞かれると思っていなかったので、ドギマギしてしまう。
「えっと、ルートヴィッヒ様がとても素敵な方だとうかがったからです」
「誰に?」
「皆さん、ルートヴィッヒ様がとても素晴らしい方だっておっしゃってますわ、そう、ほら、お茶会の時等、若い女性が集まると、大抵そう言ったお話になりますから」
「女嫌いで頑固者の間違いじゃないのか?」
ルートヴィッヒはそのアメジストの瞳でのぞき込んで、エレオノーラがどんどん挙動不審になるのを楽しんでいる。
「ち、違います!」
「エルは嘘を付けないな。大方ノイマイヤー大佐の結婚を知って焼けくそになって誰でもいいから結婚しようと思ったのだろう?」
ルートヴィッヒは全然怒る素振りも無く、さくっと真理を突いてくる。
「すみません……でもこれだけは信じて下さい、私、結婚したのがルートヴィッヒ様で良かったと心から思っています」
「それは光栄だな。俺もそう思っているよ」
ルートヴィッヒはお酒で少し赤く染まったエレオノーラの頬にキスをした。
「明日も長い旅になる。あまり夜が更けない内に寝た方が良い」
「ルートヴィッヒ様はお休みにならないのですか……?」
「俺はまだ仕事が残っている。気にせずにゆっくり休め」
「分かりました。すみません、それではお先に失礼致します」
エレオノーラは立ち上がって身体に酔いが回るのを感じながら寝室に戻った。
何か大事な事を忘れているような気がするけれど、頭がぼーっとして思い出せない。
宿のベッドは自分の慣れ親しんだベッドとはマットの固さや枕の高さ、洗濯石鹸の香りも何もかもが違ったけれど、一日中馬車に揺られて疲弊し切った上にほろ酔いの身体には大した問題では無かったのか、エレオノーラはあっという間に夢の世界に誘われた。
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