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火の精霊ウェスタと素敵な社員食堂〜封印を解かれた幻狼グレイとシャルロットの暗殺計画?
家出令嬢とユハの心解ける温かポトフ
しおりを挟む少女は鏡の前に立ち勝気に笑った。
亜麻色のクセのある長い髪をひと束手に取ると、手に持っていた大きなハサミで躊躇なく断ち切った。
腰まであった長い髪は襟足辺りまでバッサリとカットされ、少女は満足げに笑った。
「なかなか良いじゃない、似合ってるわ」
自分で自分を褒めた。
それからピンク色の可愛らしいドレスを脱ぐと、内緒で仕立ててあった真っ赤な膝丈のタイトなワンピースに着替え、白色の手袋を両手にはめて紺色の外套を羽織った。
それからベッドの上に用意してあった大きいカバンを手に取った。
「お嬢様!?」
「リリース!?あなた、その髪……」
部屋を出ると少女リリースの姿を見た母や屋敷に仕える執事や侍女たちが血相を変えて駆け寄ってきた。
「今までお世話になりました。あたし、もうこの家には帰らないわ!お父様にもそうお伝えください!」
「何を言ってるの!頭を冷やしなさい!あなた、これからどうする気!?」
「もうこんな人生ごめんよっ、あたしは自由に恋をして結婚するの!お仕事だってしたい!あたしはあたしの人生を自立して勝手に生きるわ!お気になさらず!」
リリース・ミシェウは侯爵家の三女。
父はクライシア大国の宰相をしており、幼少期より二つ年下のクライシア大国のグレース皇子の婚約者、未来の王妃として厳しい教育を受けて育てられた。
何も疑うことなく不満に思うこともなくそのつもりで生きていた。
成人を迎えて王宮入りしたのだが、皇子の自覚もなく婚約者を放置して騎士ごっこに現を抜かすお子様婚約者に自由奔放な幻狼にストレスが爆発。
グレース皇子とは大喧嘩になり紆余曲折あって婚約破棄。
実家へ帰ればひと息つく間も無く親が皇子に婚約を破棄された娘を心配して次々に国内外の縁談の話を持ってくる。
そんな折、親友ビオラの突然の妊娠・結婚報告を受けた。
過去に負った怪我で決まっていた婚約も破談になり、社交界にも出ず屋敷に引きこもりがちになっていた内気なビオラがまさかの恋愛結婚。
そして見たこともないような幸せそうな顔をしていた。
まるで遠い昔読んだ恋愛小説のヒロインのよう。
心から羨ましいと思った、長年抑圧していた自我が暴走した。
女性の幸せは立派な家柄の男性の元に嫁いで家に繁栄をもたらすこと、子供をこさえて家庭を守ること、決して出しゃばらず夫をそばで支えること、何だかんだとリリースの意志を蔑ろにするような説教に腹が立った。
だから勢い任せに家を出ることにした。
*
第一騎士団の詰め所は騒然としていた。
「メリーお姉様は!?さっさと呼びなさいよ!」
詰め所の入り口ではツリ目にショートボブ頭の少女が仁王立ちしていた。
傍らには大きなカバン。
「リリース!?一体どうしたの?」
騎士に呼び出され奥から第一騎士団女団長のメリーが出てきた。
リリースはメリーの胸に泣きついた。
リリースとメリーは親戚同士で、年の離れた実の姉妹のように仲が良かった。
「家出!?」
「そうよ。だから、ねえ、騎士団の寮舎で泊めてちょうだい。雑用とかするから!」
「あのねえ、嫁入り前のお嬢さんを野郎共の巣に泊められるわけないじゃない」
「お姉様のお部屋に泊めて!じゃなかったら野宿するわよ!」
「もう、あなたは一度言い出したら聞かないのよね……。良いわ、今日は私の部屋に泊まりなさい」
野次馬となり騒めく詰め所の騎士たち。
そこに厨房で夕食の支度をしていたユハがエプロン姿で登場した。
「何?どうしたの?」
「あ!ユハ!何で あんたがここにいるのよ?」
「リリース!家出してきたってマジ?お前も?」
「ああ、そういえばユハとリリースは幼馴染だったわね。ユハ、しばらくこの子の面倒見てあげて」
「うん、良いよ~!家出仲間同士仲良くしよー!」
明るくはしゃぐユハをリリースは横目で疎ましそうに睨んだ。
「あんた、何その格好?男のくせにまた料理してるの?」
「ああ!男女差別だ!いっけないんだ~。そうだ、ちょうど今ポトフが出来上がったところなんだ。リリースも食べていきなよ」
「ちょうどお腹空いたし、食べてあげるわ!早く持ってきなさい」
リリースは不遜な態度で椅子に腰を掛けた。
ユハはあっけらかんと笑って厨房に引き返し、料理を卓に運んだ。
「どうぞ、お嬢様」
「ふんっ、まあまあな出来ね」
「どう?あったまるでしょ~」
スープを口に入れたリリースの唇がほころぶ。
ホッとする味、腹を立てて興奮して凝り固まっていた全身の筋肉が緩んでいくようだ。
「スープにクローブが入っているわね、心が落ち着くのはきっとそのせいね」
「え?うん香り付けにクローブを入れたよ?わかるの?」
「勉強中に飲む紅茶によく入れてたの。東の国の薬草の本に書いてあったわ。鎮静作用があるのよね」
異国の本を読むのがリリースの趣味だった。
「リリースは薬草に詳しかったよね☆そーだ、リリースも俺の食堂で働かない?」
「ハァ?」
「これから家を出てどうする気だったの?女性だと紹介状もなければろくな仕事も探せないでしょ?それに宿もない」
お城で侍女として働く道もあるが紹介状がいる。修道院や貴族の屋敷で働くこともできるが侯爵令嬢という高い身分が邪魔をする。
「目の届く城内だったら、宰相も一先ず安心するでしょ。俺っちが説得に協力してあげるからさ」
「そうね、どうせこのまま一人で家出したってあたしが先に根を上げるだけよ。あたしみたいなワガママ娘に家出なんて無理に決まってる、一時の思春期特有の遅れた反抗期って思ってるでしょうね」
追っ手が来ないのもそれだ。
見くびっているのだ。
あたしが泣きつく先は知れているし。
「そんなん、実績を残してギャフンと言わせて黙らせれば良いんだよ!俺はそうするつもりだよ?一度きりの人生だし、自分の人生に親も家も関係ないよ。今度こそは夢を叶えたい!やりたいことやらなくちゃ、死ぬ時になって後悔しても遅いんだから!」
ユハは熱く語った。
「あたし、まだ具体的にあたしが何がしたいとか思い浮かばないんだけど……。あたしにはまず夢?よりも目先の生活よね、良いわ、ユハに協力する。だから、泊めてちょうだい」
「オッケー!良いよね?メリーさん」
「……分かったわ。一応、お父様にはお話させてもらって許可はいただくわよ?」
リリースの目がキラキラと輝いた。
そしてリリースは大きな声で返事をして頭を下げた。
「よっ、よろしくお願いします!」
*
「私の部屋は騎士団の寮舎ではなく居城にあるの。でも私はこれから会議があるから……悪いけど荷物は自分で運んでもらえる?居城の侍女に話せば案内してくれるわよ」
メリーや騎士たちは詰め所を後にした。
1人残されたリリースはさほど重くない荷物の入ったカバンを手に持ち居城に移ることにした。
「確か……、庭園の中を通ると近いのよね」
冬真っ只中、誰もいない寂れた庭園の中をリリースは進んだ。
「痛たたた……」
歩くたびにズキズキする。
新調したばかりの慣れない革靴で実家から長い距離を歩いて城までやって来たせいで足に靴擦れが出来ていた。
リリースは庭園内のガゼボに立ち寄って、椅子に座った。
靴を脱ぎ、履いていたタイツを脱いで靴擦れを確認していた。
皮はめくれて赤く腫れあがり血は滲んでいた。
「どうしたんすか?」
ガゼボの前にいつの間にか騎士がいた。
こちらを心配そうな顔でじっと見ている。
黒い騎士服、第二騎士団の騎士だろう。リリースには彼に見覚えがあった。よくグレース皇子の隣にいた青年だ。
確か、ユーシンという名だと、リリースは思い出していた。
スカートを上に上げ生足を腰掛けに乗せて、何とも令嬢らしからぬはしたない格好をしていた。
その真ん前に青年は立っていた。
「きゃっ……」
リリースは顔を真っ赤にして足を下ろした。
「足、怪我したんすか?」
「えっ!?ええ!靴擦れしたので休んでいたの!」
「大変だ。足を貸してください」
騎士はリリースの座っている椅子の前で跪いた。
そして靴擦れのある右足に手を添えた。
「あっ、あの?」
リリースは顔を真っ赤にして彼を見下ろしていた。
彼は手慣れた様子で傷の応急処置をした。
そしてポケットから白いハンカチを取り出すと持っていた水で軽く湿らせてリリースの足を来るんだ。
「あの、ハンカチが……」
「このハンカチ、洗いたてで清潔っすから!」
曇りない爽やかな笑顔だ。
なんてことない顔なのに、心臓が早鐘を打つ。
「そうじゃなくて」
「立ってみてください」
ユーシンはリリースの手を取り、椅子から立たせた。
「あ、歩けるわ」
「よかった。あとでちゃんと消毒して手当てしてくださいね」
「ええ、ありがとう」
ユーシンは笑うと、リリースに背を向けた。
彼の前にいると心が落ち着かなくなるのに、別れ難い気持ちになる。
リリースは思わずガゼボを立ち去ろうとしたユーシンを呼び止めていた。
「あの!あたしリリースって言うの。今度この城の社員食堂で働くのよ。あんたも是非食べに来てよね」
「え?ああ、ユハさんたちがやる食堂の……、ええ、絶対食べに行きます!」
笑顔を向けられてリリースの頭は真っ白になっていた。
「勘違いしないでよね、これは宣伝なんだから!あんたとまた会いたいってわけではないんだから」
「うっす!他の騎士にも俺が伝えておくっすよ!口コミってやつですね!任せてください!あ、そうだ、これあげます」
ユーシンは一欠片の天然石をリリースに差し出した。
「なに?これ」
「タイガーアイっていう石っす。仕事運アップと商売繁盛のお守りになるっすよ」
「あたしに?」
「はい!頑張ってくださいね」
ユーシンは笑って手を振って去って行った。
彼の体温がこもった手のひらのキャラメル色の不思議な石を握りしめて、リリースは彼の立ち去った後を見つめていた。
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