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少しずつで良い。私と話をしよう?
しおりを挟む「……エメをこんなに苦しめている原因が何か、君はひょっとして私に話さなければ、なんて思い詰めていない?」
アシュレイ様がそう穏やかに言うのを聞いた私は、驚いた反動で閉じていた目を開き、ぽかんとした。
「…………え、どうして、」
アシュレイ様は苦笑すると、私の頭を撫でていた手をするりと滑らせ、頬を包んだ。
「過去の私の傷にまで寄り添おうとしてくれた君が、なぜ自身の傷には寄り添おうとしないの?」
「え……? なぜ、って……えっと……、」
困惑して頭が混乱する私に、アシュレイ様はやわらかく微笑んで、頬をゆっくり撫でてくれる。
それだけで、少し落ち着いてしまうから不思議だ。
「……ねえ、エメ? 人はなぜ大切な誰かの心には無理をするなって言えるのに、自分の心は大切にするのをおろそかにしてしまうんだろうね」
「おろそかに……?」
「うん。エメは出会ってすぐにもかかわらず、私の状況を察しては寄り添ってくれたね。私には大切な家族や幼馴染たちもいて決して独りぼっちではなかったけれど、でもそんな彼らの負担になりたくなくて、立ち直らなければ、とずっと思い詰めていたように思うんだ。こんなの大したことない、これくらいで傷つく私が弱くて駄目なんだ、立ち直れないのは甘えだ、世の中自分なんかよりずっと酷い目に遭っている人たちがいるのに、って。 ……でも、エメが寄り添ってくれてはじめて自分がそうやって自身の心を蔑ろにして手当てもせずに放置していた事に気づけた。 ――ひょっとして、エメも同じじゃないかな?」
そう言われて、思わずぽかんとしてしまう。
「考えたこともありませんでした……」
「うん。私もそうだった。 ……エメ、君が先程魘されていた悪夢は、過去に君に起きた辛いこと?」
「……はい」
アシュレイ様は、そうか、と自分の事のように痛ましげな顔で頷いた。
「話さなければと思うのに言葉が出て来ないということは、きっと今もエメの心がその過去の出来事に傷つき続けているという事かもしれないね。それでね、エメ。無理にとは言わない。専門医でもない私が話をしろと無理強いするのは暴力と変わらないと思うから。 ……でも、どうかこれだけは知っておいてほしい。 ――エメ、私は君が何者であっても、君に何があったとしても、絶対に君から離れたりしない。誓っても良い。いつでも君が手を伸ばす先には私がいる。 ……そばにいるから」
「――――っ」
瞠目して息を呑む。もう声にならなかった。
アシュレイ様の声はまるで春に降る慈雨のように、しとしとと降り注いでは私の心に染み込んで、静かに癒していく。息が吸える。
どうしてこんなにも、その腕の中は安心出来るのだろう。
この人は、どうしてこんなにもやさしいのだろう。
アシュレイ様という存在が私の中でどんどん膨らんで大きくなっていく。
ここに来た時はひとりだった。そしてここを去る時もまた、ひとりのはずだった。
なのに。
そばにいてくれる心地良さを、寄り添ってくれる温かさを知ってしまった。
例え上手く歩けなくても、躓いても、きっと彼なら。
おぼつかない足取りだろうと歩幅を合わせてくれるのだろう。
いつも先を行く背中を見送るしかなかった私の、その横に並んでくれると。
「急に話せなんて言わない。だから、少しずつで良い。私と話をしよう?」
「……話、ですか……?」
「そう。どんな話でも良い、どんな君でも良い。エメのことが知りたいんだ。エメは何が好き? 何が嫌い? 得意なことは? 苦手なことは? 本当に、なんでも良いんだ。これから少しずつ君の事を教えてくれる?」
考えるよりも先に頷いていた。
膝の腕で小刻みに震える拳を握る。
あなたが歩み寄ってくれたから。だから私も。
「私も、 ……私も、アシュレイ様のことが知りたいです。たくさん教えてください、あなたのことを」
決然と前を向けば、もちろんだよ、と顔をくしゃりとさせて笑うアシュレイ様がそこにいた。
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