彼誰時のささやき

北上オト

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2.酒は飲むとも飲まれるな

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 最初に気がついたのは滑らかな手触り。
 次に強烈な頭の痛み。
 それから女史に散々飲まされたことを思い出す。

 そして。

 ──なんじゃいこりゃ?

 正直に言おう。

 覚えがない。

 トイレで吐いて。そのあと、……そのあと?

 不覚だ。吐くことはあっても、記憶をなくすことなんてほとんどなかったのに。
 こんなふうに記憶が吹っ飛ぶほど酒を飲んだのは学生時代以来だぞ。

 ──って、そんな場合じゃない!

 そのまま飛び起きたい衝動にかられたが、何かを抱えた俺の手は痺れていて、自由がきかない。
 視線の先には柔らかそうな髪と、ほのかな洗剤のにおいが漂う。

 目の前に、人の頭。
 痺れる腕。
 この状況は。

 この時になってようやく、自分が人ひとり抱え込んで横になっている事実に気が付いた。

 なんで俺の前に人が寝ている?
 だいたいここはどこなんだ?
 俺が連れ込んだのか?

 背後から腰に手を回し、抱きしめるように寝ているってことはそう言われても仕方ない状況と思っておいたほうがいいのだろうか?

 大体俺はいつ脱いだんだ?

 いいやそれより。

 この手触り。
 どう考えても男だろ。

 俺の動揺がダイレクトに伝わったのか、背を向けて寝ていたそいつはわずかに身じろいだ。

 反射的に手を離したところで、ようやくそいつは首を斜めうしろ45度に傾けてきた。

「ようやく目が覚めたか」

 その声。その顔。その表情に俺は反応らしい反応も忘れ、ただ凝視するしかなかった。

 言葉なんて出やしない。だって俺の腕の中にいたのはよりにもよって樋口だったんだから。

 相変わらずの無表情で俺を見つめる瞳には当然感情はない。苛立ちさえない。

「お、お前、俺に何をした!?」

 そんでもってとっさに出た俺の言葉がコレ。
 コレってどうだよおい。本当、自分でも情けない。

 が。焦った俺にとってはコレが率直な感想だったわけだ。

 そんな俺に対し、樋口は身体をゆっくりと起こしてけだるそうに髪をかきあげた。

 ええいくそ。こんなしぐさ一つピシッと決まってしまうなんて、本当神様は不公平だ。

「それは俺が云う台詞だろう?」

 樋口の口調はいつもと変わらず、正直むっときたが、樋口の発言のほうが重苦しくてそれどころではなかった。

「俺、お前になんかしたのかっ!?」

 飛び起きて、樋口と同じ視線になる。

 それと同時にシーツがめくりあがり、肌を完全に露出する結果となった。

 ……下はきちんとはいている。
 その事実に俺は心底ほっとしていた。
 ほんっとに。ほっとしていた。

 いくらなんでも男同士、完全素っ裸でダブルベッドに2人でスプーン型で眠っていたなんてことになったら俺だって卒倒する。

 樋口はどうか知らんが、俺はヤダぞ。

「覚えてないのか」

 覚えていない。

 俺は無言でそう主張した。

 そんな俺を非難するように樋口は見つめる。

 樋口の視線はひどく強烈だ。なんというか落ち着かない気分にさせる。普段が感情の色をまったく見せないだけにこの視線は辛い。まるで獲物を狙うネコ科の獣を思い起こさせる。

 うん。ネコ科の獣っていう表現に間違いはないよな。

「ふぅん。覚えていないのかよ」

 意味深な口調でそういわれて俺は心底あせっていた。

 俺はやっぱり何かしたのかよ。おーい。

「覚えてない」

 おそるおそる口にする俺に樋口はにんまりと笑った。
 常ならば無表情という樋口が、こんな場面でにんまりと笑ったりなんてするもんだから余計に怖い。

 頭に浮かぶのは、先日の深夜作業時の一件。

 そのまま樋口はぐっと俺に身体を寄せて囁く。

「いろいろやってくれたけどな」

 やってくれた!? やってくれたって。やった? 何をだ、何を。

 そこで俺はまじまじと樋口を見つめることとなる。

 うわ。
 すげー。

 スーツの上からでもわかるくらい、鍛えられて、均整の取れた体をしているとは思ったが、この姿を見たら、社内の女性たちがよだれをたらすこと間違いなし。
 肌は白いがきれいに筋肉がついており、これまたしっかり腹筋割れているし。
 その上この顔だよ。これだけ整った顔の男が、けだるそうに髪をかき上げて見つめてくれば、どうにでもしてください状態になるよ。間違いない。

 ……あくまでも女性が、だ。俺が、じゃない。
 俺は、関係ない。
 俺が何とか思うはずが、ないってば!

「やったって、……なにを」

「いろいろ」

 そこで俺は再度、自分の体を確認し、それから樋口を見つめる。

 特に、何かした、という感じでは、ない。

 俺の視線の意味をくみ取ったのか、樋口はからかい気味に言い放つ。

「下着をつけているからといって安堵するあたり、甘いよ海藤」

「じゃ、俺は何かやましいことをしたのか、よ──おい!」

 あろうことか樋口は俺との距離をますます縮めて俺に触れてきた。胸元へ手を当てられ、そのまま強く押される。

「やましい、という定義がどんなものかにもよるな」

 樋口の手は冷たく、幾分火照っていた俺の肌には心地よかった。

「お前の今の行動はどう考えてもやましいだろうが」

 この至近距離は誰が見ても単なる同性の同僚との距離ではないし、樋口の手の置き場も十分やましい位置にあると思う。

 なんか、やばいって。こいつの手の動き。なんか……。
 ぜぇぇぇぇっったい、やばい!!

 俺は思い切り樋口を突き飛ばした。

 そのままベッドから飛び降り、樋口から一番遠い位置に離れる。

 俺の様子を見た樋口は再び無表情のままで俺を見つめていた。

 乱れたシーツに乗っかっている樋口は、その、なんだかやたらと扇情的だった。
 扇情的って思うこと自体が問題だとは思うが、だってこいつ絶対変!男にそんなことするかよ!?

「お、お前、もしかして、お、お、男、いけるの?」

 勢いと、ある程度の勇気を持って聞いた俺に、樋口は一瞬の間をおいて大笑いした。
 実に樋口らしくない大笑いに俺は一気に気が抜ける。

「悪いけど、俺は抱くなら女性のほうがいい。ついでに言うと抱かれたいとも思わない」

 んなあからさまな。
 でもだったらなんで。

「じゃあなんでこんなこと」

 そういう俺に樋口はしっかりとした口調で答えた。

「俺のスーツを台無しにした罰」
「罰ぅ!?」
「そ。罰」

 罰ってお前……。
 俺は呆気にとられたまま樋口を見つめていた。
 そんな俺の様子なんて全く頓着せず続けざまに責め立てる。

「で? どうする? ごく普通のホテルだから2時間で出て行く必要はないけどとまってく? 海藤、まだ酒残っているだろ。雪もだいぶ落ち着いてきたからタクシー拾うのも今ならなんとかいけるかもしれない」

 どう返答すべきか。
 俺は突っ立ったまま次になんと答えるべきか、懸命に答えを探していた。
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