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5話
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なんということだ……
カイル殿下に好きだと言ってもらえるなど……
サディアスはエラと二人で乗り込んだ馬車で、窓の外を見ながら昨夜の出来事を反芻していた。
なんたる僥倖。身に余るお言葉……
しかし、私がカイル殿下を誘惑している場合などではない。
私が殿下のそばにいても、殿下の死を回避することはできない。
目に浮かぶのは、どんどんと広がる黒く壊死した手足の影を、絶望の眼差しで見つめるカイル皇子の悲しい瞳だ。
……大丈夫だ。
カイル殿下のちょっとした気の迷いだ。
……殿下はその、あの、いわゆる、ヤリチ◯と言われる部類の方だ……
情事の際の呟きなど……
大丈夫。
きっとすぐに、お忘れになる。
そう思いたいのに、朝、話をしたカイル皇子の表情は硬く、こちらに向ける視線も若干逃げるようだった。
そう、まるで傷ついた少年のように……
確かに、昨夜の私の態度は酷い。
断るなら、初めから毅然とした態度を取るべきだった。
殿下には大変不快な思いをさせてしまった。
今後このようなことは無いように、気をつけねば……
馬車は砂ぼこりをあげながら進み、サディアスとカイル皇子の一行はその日の昼過ぎ、視察地に到着した。
サディアスとカイルは領主に案内された、風で土の舞う白っぽく乾燥した広大な畑に眉をひそめた。
「ひどいな……」
カイルの呟きに、領主の男が大きな体を縮こませて答えた。
「もう二ヶ月、まともな雨は降っておりません」
カイルとサディアスの後についてきたエラは、少し離れた場所で乾燥しきった土に触れ、悲しい顔をした。
うずくまったままのエラに気付いたサディアスは、そばに寄り、ハンカチでその手を拭った。
エラがサディアスに促され立ち上がり、雲ひとつない空を見上げると、急に強い風が吹いてエラの白いスカートをはためかせた。
なんだ? と思って空を見上げたサディアスは、西の山脈の方に黒い雲が現れたのに気付いた。
「雨雲?」
空を見上げるサディアスにつられて、カイルと領主も空を仰ぎ見た。
どんどんと広がっていく黒い雲に、皇太子一行は領主の館に避難した。
館の窓から外を眺めると、空をどんよりとした厚い雲が覆っている。
ぽつり、ぽつりと雨が降り出したかと思うと、一気に煙るような雨が降り注いだ。
カイル皇子と領主がほっとした表情で窓の外を眺めているなか、サディアスは部屋の隅で両手を握り、青ざめているエラに目をやった。
「どうした?」
「痣が……」
エラが見せた左手の甲には、今までなかった紫色の複雑な幾何文様の痣が浮かび上がっていた。
サディアスも文献で何度か見たことのある、聖女の聖痕だった。
「エラ……」
サディアスは不安げな表情を見せるエラを、大丈夫だと抱きしめた。
その様子を目で追っていたカイルは、苦痛に耐えるように眉を寄せた。
サディアスがエラの前に跪き、その左手をとって、恭しく口付けている。
誘うようにエラの腰に手を当てて、カイルの前にやってきたサディアスは、晴れやかな表情で報告をした。
「聖女が現れました」
どれだけお喜びになるだろうか、というサディアスの期待に反し、カイルは「そうか……
」と、冷たい瞳で聖女を見つめた。
※
サディアスは、聖女の力が発現したエラに付き添い、乾燥に喘ぐ地を訪問して回った。
聖女の力は強力で、彼女が訪れた土地は自然との調和力を取り戻したかのように、植物が繁茂した。
「色々連れ回してしまって、すまないな」
王都の屋敷に戻ったサディアスは、少し疲れた様子のエラを気遣った。
「いえ。お義父様こそ、お疲れですね」
サディアスを見上げたエラは、その眉を少し顰めた。
「お義父様、こめかみの痣はどうされたのですか?」
エラがポシェットから取り出した手鏡を貸してもらったサディアスは、頭を殴られたような衝撃を受けた。
自身の顔に浮かび上がった黒い痣は、あの悪夢で何度も見た流行病の患者と同じものだった。
カイル殿下に好きだと言ってもらえるなど……
サディアスはエラと二人で乗り込んだ馬車で、窓の外を見ながら昨夜の出来事を反芻していた。
なんたる僥倖。身に余るお言葉……
しかし、私がカイル殿下を誘惑している場合などではない。
私が殿下のそばにいても、殿下の死を回避することはできない。
目に浮かぶのは、どんどんと広がる黒く壊死した手足の影を、絶望の眼差しで見つめるカイル皇子の悲しい瞳だ。
……大丈夫だ。
カイル殿下のちょっとした気の迷いだ。
……殿下はその、あの、いわゆる、ヤリチ◯と言われる部類の方だ……
情事の際の呟きなど……
大丈夫。
きっとすぐに、お忘れになる。
そう思いたいのに、朝、話をしたカイル皇子の表情は硬く、こちらに向ける視線も若干逃げるようだった。
そう、まるで傷ついた少年のように……
確かに、昨夜の私の態度は酷い。
断るなら、初めから毅然とした態度を取るべきだった。
殿下には大変不快な思いをさせてしまった。
今後このようなことは無いように、気をつけねば……
馬車は砂ぼこりをあげながら進み、サディアスとカイル皇子の一行はその日の昼過ぎ、視察地に到着した。
サディアスとカイルは領主に案内された、風で土の舞う白っぽく乾燥した広大な畑に眉をひそめた。
「ひどいな……」
カイルの呟きに、領主の男が大きな体を縮こませて答えた。
「もう二ヶ月、まともな雨は降っておりません」
カイルとサディアスの後についてきたエラは、少し離れた場所で乾燥しきった土に触れ、悲しい顔をした。
うずくまったままのエラに気付いたサディアスは、そばに寄り、ハンカチでその手を拭った。
エラがサディアスに促され立ち上がり、雲ひとつない空を見上げると、急に強い風が吹いてエラの白いスカートをはためかせた。
なんだ? と思って空を見上げたサディアスは、西の山脈の方に黒い雲が現れたのに気付いた。
「雨雲?」
空を見上げるサディアスにつられて、カイルと領主も空を仰ぎ見た。
どんどんと広がっていく黒い雲に、皇太子一行は領主の館に避難した。
館の窓から外を眺めると、空をどんよりとした厚い雲が覆っている。
ぽつり、ぽつりと雨が降り出したかと思うと、一気に煙るような雨が降り注いだ。
カイル皇子と領主がほっとした表情で窓の外を眺めているなか、サディアスは部屋の隅で両手を握り、青ざめているエラに目をやった。
「どうした?」
「痣が……」
エラが見せた左手の甲には、今までなかった紫色の複雑な幾何文様の痣が浮かび上がっていた。
サディアスも文献で何度か見たことのある、聖女の聖痕だった。
「エラ……」
サディアスは不安げな表情を見せるエラを、大丈夫だと抱きしめた。
その様子を目で追っていたカイルは、苦痛に耐えるように眉を寄せた。
サディアスがエラの前に跪き、その左手をとって、恭しく口付けている。
誘うようにエラの腰に手を当てて、カイルの前にやってきたサディアスは、晴れやかな表情で報告をした。
「聖女が現れました」
どれだけお喜びになるだろうか、というサディアスの期待に反し、カイルは「そうか……
」と、冷たい瞳で聖女を見つめた。
※
サディアスは、聖女の力が発現したエラに付き添い、乾燥に喘ぐ地を訪問して回った。
聖女の力は強力で、彼女が訪れた土地は自然との調和力を取り戻したかのように、植物が繁茂した。
「色々連れ回してしまって、すまないな」
王都の屋敷に戻ったサディアスは、少し疲れた様子のエラを気遣った。
「いえ。お義父様こそ、お疲れですね」
サディアスを見上げたエラは、その眉を少し顰めた。
「お義父様、こめかみの痣はどうされたのですか?」
エラがポシェットから取り出した手鏡を貸してもらったサディアスは、頭を殴られたような衝撃を受けた。
自身の顔に浮かび上がった黒い痣は、あの悪夢で何度も見た流行病の患者と同じものだった。
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