これは報われない恋だ。

朝陽天満

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  番外『石の宴に獣は咆える』中編

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「獣人は黙って人族の言うことを聞けばいいんだ」



 ジャルにムチ打つ目の前の貴族という人族を見ながら、俺は我が耳を疑った。



 俺達が海を渡ってこのグランデ王国という国に移住してから、こうした嫌な驚きは引っ切り無しに続いた。

 この王国は、人族以外の物を疎む傾向にあるらしい、というのは、移住してすぐにわかった。いくつかある大きな街には住むことも出来ず、俺たちは街から離れたところを開拓し、自力で住処を作ることから始まった。

 初めからそんな感じなので、受け入れはいい顔をされることもなく、日々、エルフと獣人は人族に蔑む視線で見られ続けた。前からこの王国に住んでいた者たちとはなかなか馴染むこともできなかった。何より、ジャルを蔑むような人族と馴染みたいとも思えなかった。

 俺達が使っている通貨はこの地では全く価値がなく、俺達が慣れ親しんだ文字はこの地では蛮族の文字とされ、全く違う文字が使われていた。

 そんな状態なせいか、段々と村からの買い出しも必要最低限になり、人族のみが街に足を運ぶことになった。かといって俺達の住んでいた大陸から溢れだした魔物の出始めた道なき道を、年寄りや子供、女性に向かわせるわけにもいかず、俺やノイエさんなど青年と呼ばれる歳の男性が代表して買い出しをすることになり、ジャルが心配して付いてくると言ってきかなかった。

 この土地の文字も読め、計算も出来た俺は必然的に必ず買い出しメンバーに加えられていたから余計にだ。

 でも俺はジャルには絶対に付いてきて欲しくなかった。何度も、あの冷たい目でジャルを見る人族を見てきたから、もうあんなのは見たくないんだ。



 今日もごねるジャルを振り切って、残り少なくなった野菜の種を近くの街の農園からこっそり買うために村を出た俺は、運悪く大きな魔物に遭遇してしまった。

 俺達はそこまで剣を使えるわけじゃなく、弱い魔物を屠るのが精いっぱいの腕だ。目の前にいる魔物は、はっきり言って対処できない。それは一緒に行動していた村の男たちも同様だった。

 震える腕で剣を構えながらも、すっかり心は委縮して、先の未来を諦めかけていた。

 ごめんジャル、そう呟いて、迫りくる爪を必死で剣でいなす。しかし魔物の力が強くて、俺のなまくらな剣はその一撃で折れてしまった。

 隣ではノイエさんや他の村の人たちも顔を引きつらせ、震えながら戦意喪失していた。

 魔物の目はしっかりと俺を見ている。一番楽に屠れる獲物と思われたらしい。



「今のうちに逃げて! こいつ、俺を狙ってるから! だから、逃げられる時に!」



 俺の叫びに、村人たちが一斉に謝りながら走り去っていく。ここで全滅したら、村には働き手や買い付けの人がいなくなる。そうなると、村はおしまいだ。

 俺一人が犠牲になって村が助かるなら、と折れた剣を構えたまま、魔物とにらみ合った。



 次の瞬間、俺の身体の横を疾風が一陣駆け抜けていき、魔物の首が一撃で飛んだ。



「フォリス! 無事か!」 



 そこにいたのは、ジャルだった。

 そこまで速いスピードを出したのを見たのは初めてだった。

 そして、鋭い自身の爪で魔物をああも簡単に殺すのを見るのも、初めてだった。

 爪から魔物の血が滴ったと同時に光となって宙に消えていく。

 ジャルの目はいつもとは違う色に光っていた。

 これが、獣人をまとめる若長老の力。

 人族とは全く違う、比べ物にならないほどの力の差。



「ジャル……」



 未だ震えが止まらない俺の身体を、いつもの通り暖かくて柔らかくて大きな身体が掬って包み込む。

 ようやく心からの安堵が駆け上がっていく。

 心地よい胸に顔を埋めて、俺は湧き上がる安堵に泣き笑いのような表情を浮かべた。



 やはり俺達のような弱い者たちだけでは危ないと、ジャルが護衛に付いてきてくれた。

 ここの街は身分というものが存在し、移住した当初に綺麗な格好をした者は身分が高いから逆らうなと注意されていた。

 街を出て村を興してからは、獣人と貴族というものが顔を合わせることはなくなったし、俺達に同情的だった農園主さんがこっそりとものを売ってくれたのでどうにかなるかと思ったけれど、運の悪い時は重なる物で。

 農園に来ていた貴族というものに、ジャルが見つかってしまった。そして、あの言葉。

 なぜ獣人が頭を上げたまま立っているのだ、と憤慨し始めたことから始まり、そっと逃げようとした俺達を無礼だとその場にとどめ、ジャルを蔑む言葉を口にし、腰に付けた鞭を外し、立ったままのジャルをひとつ鞭打った。

 信じられなかった。

 獣人のまとめ役を鞭打つなど、俺達にとっては命を捨てるような物だと教わってきたから。それに、俺達は何一つ悪いことはしていなかった。ただ、そのおかしなやつに向かって立っていただけ。

 農園主が貴族を止めようとしたが、貴族は更に激高して、二発、三発とジャルに鞭を振り下ろした。

 ジャルは表情を消したまま、何も言わずに鞭を受け入れていた。



「やめてください……! ジャルが、あなたに何をしたって言うんですか!」

「フォリス! ダメだ、後ろにいろ」



 食って掛かる俺をなだめるようにジャルが俺を制止する。

 でも、でも!

 ジャルが目の前でこんな扱いを受けるのを見るのなんて、耐えられない……!



 その瞬間、俺の中の未来への希望は、少しだけ崩れ落ちていった。



 農園主さんが何とか貴族を帰し、俺達に「すまなかった」と頭を下げてくれた。ジャルはこんなのどうってことないと笑顔で返していたけれど、俺は笑うことが出来なかった。





 しばらくというか、ずっと、そういう状態は続いた。この大陸の常識は、人族が一番権威があり、獣人は人族のために存在し、エルフのその華美な外見は人族のためにある、という馬鹿げたものだった。

 そんな状態だから、ジャルが人族の目に留まると途端に蔑んだ視線で見られる。

 それがとても嫌だからジャルに来るなと言ってもジャルはついてくる。

 かといって街に行かない選択肢はない。

 村で作った畑は、土がよくないのか育て方がここの気候に合わないのか、自給自足には程遠い収穫しか見込まれなかったから。

 鬱屈した日々は同じように繰り返されていく。



 ある日、ジャルに獣人の集合命令が出た。

 ジャルは後ろ髪を引かれるように何度も「一人では買い出しに行くな」と言い置いて、村に残った獣人に俺たちのことをお願いして、長老の集まりに向かって行った。

 ジャル不在のその間は、護衛をジャルの親友兼幼馴染兼相談役である鳥獣人のグリーンに託していったらしく、俺がどれだけ断っても、グリーンもジャル同様何があっても必ず俺たちを守ってくれていた。

 グリーン曰く、人族の振るう鞭なんか、獣人にとっては撫でられるのと同じだと、ジャル同様豪快に笑いとばしていた。



 何日も帰ってこないジャルを心配しながらも、不安な日々はただ続いた。

 一月ほどたって、ようやくジャルは村に帰ってきた。

 とても気落ちした顔で。



 ジャルは村人たちを集めると、口を開いた。



「俺達獣人は、人族と、袂を分かつことに決まった。エルフも、人族の住処を離れて、旅立ちの用意をするとのことだ……」



 話を聞いていたすべての種族の者が、そろって息を呑んだ。

 お互い番が他種族というのは、俺達にとっては普通の事だったから。だから、皆この国の人族の態度には心を痛めていた。

 袂を分かつ。それが一番いいことだというのは心ではわかっていた。

 しかしそれは、俺達人族と、獣人族、そしてエルフ族それぞれがバラバラになることを意味していて。

 獣人が人族と袂を分かつということは、人族である俺は、獣人のジャルの番だとしてもついていくことは出来ないということに相違なかった。

 そのことを知らしめるかのように、ジャルの目からが少しずつ、涙があふれていた。

 いつもの朗らかな表情は、今まで見たこともない苦渋の表情の裏に隠れてしまっていた。



「すまない、これだけは覆ることがない。……こうしないと、北の若長老オランが発狂しそうなんだ。彼が発狂したら、その地は二度と緑に戻ることのない砂地に変わる」



 零れる涙を拭くこともせず、ジャルは何一つ隠すことなく袂を分かつ訳を村人たちに話した。



 ここから北の方で村を興していた者の中にいた、獅子の獣人の若長老オランの番の獣人が、人族に連れていかれてとてもむごい扱いを受け、果てに命を落としたと。もうその獅子の若長老の怒りを抑えるのは難しい。人族と袂を分かつ以外にはもう被害を最小に収める方法がない、と。





「フォリス……人族であるお前も、連れて行くことが出来ないんだ」

「うん、わかってる」



 そう応えた俺も、引き裂かれそうな胸の痛みに耐えかねて、涙が零れ落ちた。

 皆もそれぞれ、他種族の者たちと抱き合って別れを惜しんだ。



 エルフはすぐに土地を見つけ、別れを惜しみながら消えていった。

 そして獣人たちは、その知恵と力を駆使して、人族が決して足を踏み入れない地を山々の合間の狭間に作り上げた。

 山を越えれば行ける、なんて生易しい地ではなかった。

 そこに行くのには、特別な力で、特別な方法で行く以外出来ないと、ジャルは語った。



「フォリスは、人族の地で、どうか、幸せになって欲しい。絶対に」



 真摯な顔をして俺にそう懇願するジャルを見ながら、俺はどうやったらジャルがいないのに俺一人で幸せになれるんだ、と心の中で毒づく。でも、それは決して口に出してはいけない物で。

 ジャルはそういう感情の動きに敏いから、きっと気付かれてはいるけれど、でも、俺は必死に笑顔を作ってジャルを見上げた。



「うん。大丈夫。すごく幸せになるよ。ジャルが、やっぱり一緒にいればよかったって悔やむくらい、幸せになる」



 一度目を伏せたジャルは、俺の身体をその気持ちのいい体毛で包み、そして離れていった。そっと俺の頬を舐め、その大きな口で、キスを降らせる。



「俺も、幸せになるから。だから」

「うん」



 そうして獣人も、人族の村を旅立って行った。



 しばらくの間は、まるで胸にぽっかりと穴が開いたような空虚な状態で日々を過ごしていた。

 あれだけ幸せになると言ったのに、心が何も感じなかった。何をしていても感動することがなくなった。

 ただただ、日々を生きているだけだった。

 そのうち俺達もようやく自給自足が出来るまで畑を広げることが出来るようになり、人族だけの生活も落ち着いてきたころ、俺は村長の家の前に落ちていた一通の手紙を拾った。

 それは、ここから旅立って行ったエルフの一人から届いた手紙らしく、拾った瞬間に中身が地面に落ちてしまった。

 はらりと開いた文面に「獣人」の文字が見え、咄嗟に俺は近くの茂みに隠れて文字を追ってしまった。





 手紙の内容は、獣人の若長老たちがこの地に残って村に人族が移動するのを防いでいることと、獣人が管理する言語と書物を人族の地から引き上げることが決まったということが書かれていた。もし獣人の管理する魔道語の書物があれば、各地で入り口を守ることになった獣人の長老に伝えるようにと。

 文字を読み進めて、俺は目を見開いた。

 この地に残った長老たちは、寿命に縛られることがなくなる秘術を使い、自らの身体を盾として、入り口を塞ぐと、そこには書かれていた。

 その中にはジャルの名もしっかりと入っていて、ジャルもその秘術を用いて、自らを盾としていることが分かった。



 その秘術とは。

 自身の身体を石とすることで寿命に縛られることがなくなる、というもの。

 人族をとどめるための秘術なので、人族がその身体に触れたら呪いに掛かると。だから決して長老たちには近づくなと。

 手紙にははっきりと書かれていた。



 最近になって大陸中央の緑が失われてきたのは、番を人族に殺されたオランが北の入り口を守護しているからだと、その手紙には書いてあった。そこの地に実りは望めないから住むのはやめた方がいいという助言と共に。

 南の入り口には、南の獣人の若長老の虎獣人が守護として着いたらしい。西は、西の若長老である熊獣人が。そして、東の入り口には、東の若長老である、ジャルが……。

 いても立ってもいられず、俺は身支度を始めた。

 ジャルが獣人の地じゃなくてこの地で守護を務めるその場所を探すために。

 そろそろ一人が寂しいと軋む心が悲鳴を上げていた。ジャルを求めて叫び続けていたんだ。



 必死で手紙の文字を追い、その地を記したところを頭に叩き込み、俺はその手紙をもとのように封に入れて、村長の家にそっと返した。





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