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アルファなBL作家が炎上しています
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中砥さんは、たしかにそう名前を呼んだ。沼井と。見たくもないのに視界がその姿を捉えた。
吐き気がするほど綺麗に染められた金髪。細いのに引き締まっていて、2.5次元というか、本当に二次元のように矛盾した体つき。なのに背は高くて、口元はいつもニヤついていて、薄い唇が誘うみたいで。
沼井礼央。
男はまっすぐこちらに近づいてきた。後ろから、マネージャーらしき人や数人の関係者が、礼央のことを慌てて追いかけてくるのが見える。だが、圧倒的なオーラの前ではそんな光景は瑣末なものだった。
礼央が中砥さんの前に立つ。
「中砥くん、あの小説の担当じゃん? なんでイベントに顔出してくれないの?」
「小説の担当は変更になりまして。本日のイベントで顔を出すのは、コミカライズ作品の担当──」
中砥さんの言葉を無視し、礼央は強引に、彼の腰をグイと引き寄せた。公衆の面前で。
礼央のオーラに隠れた周りの人たちが、息を飲む音が聞こえた気がした。
「そうじゃないって。会いたかったって言ってんの、わかんない?」
礼央は中砥さんに、そう囁いた。息がかかるくらいの距離で。
これ……セクハラだ。止めなきゃ。
止める? オレが、沼井礼央を?
「ちょ、沼井くん! 沼井くん!」
マネージャーらしき人が礼央の肩を持とうとする。だがその瞬間、やつはアルファ特有の睨みでマネージャーに凄んだ。
「……あ?」
その場にいたほとんどの人間が、竦んで動けなくなる。その中で唯一、中砥さんが口を開く。
「ありがとうございます。そうおっしゃっていただけると、編集者冥利につきます」
「わっかんないかあ。そうだよね、中砥くんだもんな」
「あいにく別の打ち合わせが被ってしまったものですから、それがなければこちらから顔を出していました」
ほんの少しでも礼央が力を入れたらキスできてしまう距離にも関わらず、中砥さんは離れろとも何も言わずに、そのままの距離で話し始めた。礼央の眉毛が不満げに曲がる。
中砥さんと一緒にいたはずのオレは、一度も見向きもされないまま、心も体もポツンと取り残されている。
「中砥くんていつもそうだよね。この距離感、どういう意味かわかんない?」
「パーソナルスペースが大変独特なかただな、と」
「それだけ?」
中砥さんの腰に回った礼央の指が、さらに奥に動く。
「僕だけにこの態度ではないのは存じていますし……沼井さんがこの距離で話しやすいのであれば、僕がそれに合わせるまでですが」
「中砥くんて、ほんとおもしろいなあ。おれにこうされて失神しないコ、いないんだけど」
「失神ですか、勉強になります」
「中砥くん、ベータだったよね」
礼央は一気に声を落とす。
「……あんたがオメガなら、今すぐ孕ませてあげるのに」
そうだった。
オレは、知っている。中砥さんがもしここで拒絶でもしたら、礼央は喜んで本当にキスしただろう。セクハラだろうが、なんだろうが。
嫌がれば嫌がるほど、さらに相手を締めつける。
それが許されるのが、沼井礼央だ。
この男の魔性を前にすると、黒も白と言えば白になる。相手が嫌がるセクハラも、追っかけが黄色く叫べばファンサになる。誰も礼央の扇動には逆らえない。
「どうやらご期待に沿えず……」
「はあ」
礼央はため息をつきながら、やっと密着していた中砥さんから肩一つ分離れた。
「中砥くんはさあ、おれことスキなの、キライなの? あ、どっちでもないっていうのはナシね」
「そうですね……」
中砥さんが首をカクンと傾ける。
「あなたの歯の浮くような台詞は、下手なアマチュアBL同人誌の、寒い当て馬の台詞でよく聞きます」
大真面目な顔で絶対零度のブリザードを吹かせた中砥さんに、全員が──礼央すらも、凍りついた。
「…………ふうん」
美貌にヒビが入る。ひきつった笑み。歪んだ唇。そんな醜悪なパーツがそのままオレに向く。こんなやつにきゃあきゃあ言う女の神経が知れない。
「それで、彼が中砥くんの打ち合わせ相手?」
「はい。イラストレーターのひさひさ先生です」
「ふうん」
オレは全身がすくんで、指の先が痺れて、震えて、動けなかった。だから礼央が次のターゲットをオレにして近づいてきた時には、逃げられなくなっていた。
「あ……」
もしかして礼央は、オレのことを憶えていない、のか?
十一年をぶち壊した張本人が……オレのことを?
オレが今までどんな思いで──。
ガッと、長い指を持った手に顎を掴まれた。思考が遮断されて、礼央の視線に射すくめられる。全身が金縛りにあったみたいに硬直する。
これが、アルファの威圧。アルファの本性。
「あんた、オメガ?」
「……っ」
「んー? この香り、どっかで──」
オレと礼央との間に、人影が割り込んできた。顎を掴まれた手がふっと離れて、誰かが礼央の手を捻り上げる。
「痛っ」
オレを庇ってくれる大きな背中。炎天下の中でだって呼吸を乱したことがない男の、上がった息。
「セイジさん……?」
「すまない。電車が遅れて」
「はっ……いきなりなんだよ?」
セイジさんは、ひねり上げた礼央の手を離した。
「あんた誰?」
「自己紹介をしない相手には、名乗らない主義でね」
オレは肩を掴まれて、そのままエレベーターのほうへグイと体を押される。
中砥さんが戸を押さえていてくれた。そのままオレはセイジさんと一緒に箱に乗り込んだ。
「あー、この匂い……久斗?」
閉まる扉の間から、声がした。
礼央が手首を押さえつつこちらを向いて、アルファ特有の威圧感を垂れ流しながら、嗤う。
「まだ絵なんか描いてんの?」
扉が閉まった。
吐き気がするほど綺麗に染められた金髪。細いのに引き締まっていて、2.5次元というか、本当に二次元のように矛盾した体つき。なのに背は高くて、口元はいつもニヤついていて、薄い唇が誘うみたいで。
沼井礼央。
男はまっすぐこちらに近づいてきた。後ろから、マネージャーらしき人や数人の関係者が、礼央のことを慌てて追いかけてくるのが見える。だが、圧倒的なオーラの前ではそんな光景は瑣末なものだった。
礼央が中砥さんの前に立つ。
「中砥くん、あの小説の担当じゃん? なんでイベントに顔出してくれないの?」
「小説の担当は変更になりまして。本日のイベントで顔を出すのは、コミカライズ作品の担当──」
中砥さんの言葉を無視し、礼央は強引に、彼の腰をグイと引き寄せた。公衆の面前で。
礼央のオーラに隠れた周りの人たちが、息を飲む音が聞こえた気がした。
「そうじゃないって。会いたかったって言ってんの、わかんない?」
礼央は中砥さんに、そう囁いた。息がかかるくらいの距離で。
これ……セクハラだ。止めなきゃ。
止める? オレが、沼井礼央を?
「ちょ、沼井くん! 沼井くん!」
マネージャーらしき人が礼央の肩を持とうとする。だがその瞬間、やつはアルファ特有の睨みでマネージャーに凄んだ。
「……あ?」
その場にいたほとんどの人間が、竦んで動けなくなる。その中で唯一、中砥さんが口を開く。
「ありがとうございます。そうおっしゃっていただけると、編集者冥利につきます」
「わっかんないかあ。そうだよね、中砥くんだもんな」
「あいにく別の打ち合わせが被ってしまったものですから、それがなければこちらから顔を出していました」
ほんの少しでも礼央が力を入れたらキスできてしまう距離にも関わらず、中砥さんは離れろとも何も言わずに、そのままの距離で話し始めた。礼央の眉毛が不満げに曲がる。
中砥さんと一緒にいたはずのオレは、一度も見向きもされないまま、心も体もポツンと取り残されている。
「中砥くんていつもそうだよね。この距離感、どういう意味かわかんない?」
「パーソナルスペースが大変独特なかただな、と」
「それだけ?」
中砥さんの腰に回った礼央の指が、さらに奥に動く。
「僕だけにこの態度ではないのは存じていますし……沼井さんがこの距離で話しやすいのであれば、僕がそれに合わせるまでですが」
「中砥くんて、ほんとおもしろいなあ。おれにこうされて失神しないコ、いないんだけど」
「失神ですか、勉強になります」
「中砥くん、ベータだったよね」
礼央は一気に声を落とす。
「……あんたがオメガなら、今すぐ孕ませてあげるのに」
そうだった。
オレは、知っている。中砥さんがもしここで拒絶でもしたら、礼央は喜んで本当にキスしただろう。セクハラだろうが、なんだろうが。
嫌がれば嫌がるほど、さらに相手を締めつける。
それが許されるのが、沼井礼央だ。
この男の魔性を前にすると、黒も白と言えば白になる。相手が嫌がるセクハラも、追っかけが黄色く叫べばファンサになる。誰も礼央の扇動には逆らえない。
「どうやらご期待に沿えず……」
「はあ」
礼央はため息をつきながら、やっと密着していた中砥さんから肩一つ分離れた。
「中砥くんはさあ、おれことスキなの、キライなの? あ、どっちでもないっていうのはナシね」
「そうですね……」
中砥さんが首をカクンと傾ける。
「あなたの歯の浮くような台詞は、下手なアマチュアBL同人誌の、寒い当て馬の台詞でよく聞きます」
大真面目な顔で絶対零度のブリザードを吹かせた中砥さんに、全員が──礼央すらも、凍りついた。
「…………ふうん」
美貌にヒビが入る。ひきつった笑み。歪んだ唇。そんな醜悪なパーツがそのままオレに向く。こんなやつにきゃあきゃあ言う女の神経が知れない。
「それで、彼が中砥くんの打ち合わせ相手?」
「はい。イラストレーターのひさひさ先生です」
「ふうん」
オレは全身がすくんで、指の先が痺れて、震えて、動けなかった。だから礼央が次のターゲットをオレにして近づいてきた時には、逃げられなくなっていた。
「あ……」
もしかして礼央は、オレのことを憶えていない、のか?
十一年をぶち壊した張本人が……オレのことを?
オレが今までどんな思いで──。
ガッと、長い指を持った手に顎を掴まれた。思考が遮断されて、礼央の視線に射すくめられる。全身が金縛りにあったみたいに硬直する。
これが、アルファの威圧。アルファの本性。
「あんた、オメガ?」
「……っ」
「んー? この香り、どっかで──」
オレと礼央との間に、人影が割り込んできた。顎を掴まれた手がふっと離れて、誰かが礼央の手を捻り上げる。
「痛っ」
オレを庇ってくれる大きな背中。炎天下の中でだって呼吸を乱したことがない男の、上がった息。
「セイジさん……?」
「すまない。電車が遅れて」
「はっ……いきなりなんだよ?」
セイジさんは、ひねり上げた礼央の手を離した。
「あんた誰?」
「自己紹介をしない相手には、名乗らない主義でね」
オレは肩を掴まれて、そのままエレベーターのほうへグイと体を押される。
中砥さんが戸を押さえていてくれた。そのままオレはセイジさんと一緒に箱に乗り込んだ。
「あー、この匂い……久斗?」
閉まる扉の間から、声がした。
礼央が手首を押さえつつこちらを向いて、アルファ特有の威圧感を垂れ流しながら、嗤う。
「まだ絵なんか描いてんの?」
扉が閉まった。
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