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キューピッドは男を拾う

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 男は泥酔しているのか首の根元まで真っ赤になり、嗚咽もなく両目から涙をぽろぽろと流していた。
 いかにもワケアリな様子に、僕以外の人たちは男を見て見ぬ振りして、早足に駅へ歩き去っていってしまう。

 まあ確かに、リアルでやられるととたんに世知辛い。
 ことさら魅力の欠片もなく孤独死まっしぐらな僕ならともかく、このような美形までもが道端に捨て置かれるとは。

 男の方へ一歩踏み出そうとして、はたと脳内に佳乃の言葉が再生される。

『真也は男にしては細かいっていうか……あ! 甲斐甲斐しいのよ』

 この男を助けたら、また僕は甲斐甲斐しいと言われて佳乃に笑われるに違いない。
 よそう。
 僕じゃない誰か……それこそBLの主人公みたいな人が、彼を救助してくれるはずだ。

 駅の方角に足を戻す。
 一度、そのまま裏路地を通り過ぎようとして──勝手に足が止まった。

 もし、あのまま彼がどこかへふらりと歩き出して、車に轢かれたりしたら?
 もし、吐いたものでそのまま窒息したら?
 もし、どこか大怪我をして一刻を争う事態だったら?

 これはBLの世界じゃなくて、現実だ。
 人を助けるのは甲斐甲斐しいでも何でもなく、人としての義務なのだ。
 いやむしろ、この経験は編集者として肥やしになる。
 それに、佳乃にいちいち道端の男を助けたなんて、言わなければいい。

 来た道を戻った。
 男の脇にしゃがんで、肩を揺さぶってみる。

「大丈夫ですか」

 「うう」だか「ああ」だかわからぬ相手の唸り声が聞こえてくる。これでストンと気を失っていれば楽だったのだろうが、男はいかにも苦しげだ。

「あ」

 見れば、男の額がぱっくり割れていて、そこから血が垂れていた。
 たぶん、酔って倒れた時に壁かどこかに額を打ちつけてしまったんだろう。

 ハンカチを取り出し、男の額の傷を強く押さえた。

 どうにかこうにか肩を貸して男を立ち上がらせることに成功した時、相手は再び覚醒し、呻いた。
 まぶたがうっすらと開き、涙で濡れた瞳がこちらを向く。

「うわ……」

 瞳孔やまなざしですら、とても美しい。僕と同じ器官を持っているとは思えないほど──。

 まともな思考を持てたのはその時までだった。男が思い切り体重をかけて、僕の背中に腕を回してきた。

「ひっ」

 呼吸が裏返る。全体重でのしかかられたせいでよろけて、裏路地の壁に叩きつけられた。
 ……背中が痛い。
 しまいには男が肩に額を押し付けてくる。

「……うん」

 どうして、こんなことになっているんだろう。
 僕までBLの登場人物にはなる気はないのに。
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