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キューピッドは諭される
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◇
しつこく鳴る電話のバイブ音で目を覚ました。
まぶたを開けると、寝室ではなく見慣れぬリビングの天井が見える。
そういえば、部屋に入ってからの記憶がない。きっとスーツ姿のままソファで寝てしまったんだろう。
寝ぼけたままスマートフォンを耳に当てる。発信元は、昨夜男が救急車で運ばれていった病院からだった。
「もしもし。……はい。中砥真也は僕ですが……え、保証人?」
一気に目が覚めた。
「退院? カノウマサキさん? 誰ですかそれは? はい……あ、はあ。……入院費?」
そうだ。男を救急車に乗せて病院に運んだはいいものの、身寄りがいないというので、僕が保証人の名前を書いたのだっけ。
彼の保証人になってしまったのは、親切でもなんでもない。予想もしなかった出来事の数々に動転して、保証人欄にサインした記憶すら今まで忘れていたくらいだ。
電話口で話があれよあれよと進み、いつの間にか救急車代と入院費を僕が払う手筈になった。
「はい、わかりました。向かいます」
電話を切って、しばらくぼんやりと天井をながめた。朝日に白く照らされた広い部屋の中は、しんと静まり返っている。
昨日の出来事全部が、夢だったんじゃないかと思われるほど──。
「……いや夢じゃないどころか、現実がおかしい」
なんで僕が、赤の他人の入院費を立て替えることになっているんだ?
とにかく朝の支度をしなければと身体を起こすと、腰や肩がバキバキと鳴った。
しかも大の男を担いだせいでところどころ筋肉痛だ。
スーツの中身を探ると、しわになったハンカチも一緒に出てきた。
他人の血がついたハンカチ。
それを見て、あの夜に聞いた彼の声と眼差しが蘇る。
──優しいな。
そう言われて、事故みたいに抱きしめられた感触も。
耳の先が、じんと温んだ。
自分でもよくわからない感情に、ハンカチを握りしめる。
「……僕自身をナマモノみたいに仕立てるなんて、相当痛いな。痛すぎる」
そういえば、昨日の彼は家もなく電話をする家族もいない、と言っていた。
財布を持っていた様子もなかったし、救急車を呼んで病院に連れて行ったはいいけど、入院費や諸経費を払えなかったんだろう。だから保証人である僕のところへ電話がかかってきたんだ。
「……救急車呼んだの、僕だしな」
立て替えたお金はあとで払ってもらうとして、僕は病院へ向かうために身支度を整えた。
◇
昨夜来たばかりの総合病院に、もう一度訪れた。
男は待合室のベンチで待っていた。背が高く体格もよいほうなので、すぐにその人だと見分けがついた。
「あの」
声をかけると、僕に向いた男の顔は虚を突かれた表情をしていた。たぶん、本当に僕が来てくれると思っていなかったんだろう。
夜の暗がりの中でミステリアスさを放っていた男の美貌は、朝日のもとに照らされても、やはり変わらずミステリアスだ。
額に当てられたガーゼですら、美貌を引き立てる道具のように見える。
年はおそらく、三十代くらいか。
「起きたらいきなり病院のベッドで、相当驚かれたんじゃないですか」
「きみは……昨日の優しい人か」
素性をはっきりさせるため、名刺を相手に見せた。
「中砥真也と申します」
「……真也」
いきなり下の名前を鸚鵡返しされて、一瞬ぎょっとした。
だがたぶん、相手は状況をイマイチ理解しきれていないだけだろう。
しつこく鳴る電話のバイブ音で目を覚ました。
まぶたを開けると、寝室ではなく見慣れぬリビングの天井が見える。
そういえば、部屋に入ってからの記憶がない。きっとスーツ姿のままソファで寝てしまったんだろう。
寝ぼけたままスマートフォンを耳に当てる。発信元は、昨夜男が救急車で運ばれていった病院からだった。
「もしもし。……はい。中砥真也は僕ですが……え、保証人?」
一気に目が覚めた。
「退院? カノウマサキさん? 誰ですかそれは? はい……あ、はあ。……入院費?」
そうだ。男を救急車に乗せて病院に運んだはいいものの、身寄りがいないというので、僕が保証人の名前を書いたのだっけ。
彼の保証人になってしまったのは、親切でもなんでもない。予想もしなかった出来事の数々に動転して、保証人欄にサインした記憶すら今まで忘れていたくらいだ。
電話口で話があれよあれよと進み、いつの間にか救急車代と入院費を僕が払う手筈になった。
「はい、わかりました。向かいます」
電話を切って、しばらくぼんやりと天井をながめた。朝日に白く照らされた広い部屋の中は、しんと静まり返っている。
昨日の出来事全部が、夢だったんじゃないかと思われるほど──。
「……いや夢じゃないどころか、現実がおかしい」
なんで僕が、赤の他人の入院費を立て替えることになっているんだ?
とにかく朝の支度をしなければと身体を起こすと、腰や肩がバキバキと鳴った。
しかも大の男を担いだせいでところどころ筋肉痛だ。
スーツの中身を探ると、しわになったハンカチも一緒に出てきた。
他人の血がついたハンカチ。
それを見て、あの夜に聞いた彼の声と眼差しが蘇る。
──優しいな。
そう言われて、事故みたいに抱きしめられた感触も。
耳の先が、じんと温んだ。
自分でもよくわからない感情に、ハンカチを握りしめる。
「……僕自身をナマモノみたいに仕立てるなんて、相当痛いな。痛すぎる」
そういえば、昨日の彼は家もなく電話をする家族もいない、と言っていた。
財布を持っていた様子もなかったし、救急車を呼んで病院に連れて行ったはいいけど、入院費や諸経費を払えなかったんだろう。だから保証人である僕のところへ電話がかかってきたんだ。
「……救急車呼んだの、僕だしな」
立て替えたお金はあとで払ってもらうとして、僕は病院へ向かうために身支度を整えた。
◇
昨夜来たばかりの総合病院に、もう一度訪れた。
男は待合室のベンチで待っていた。背が高く体格もよいほうなので、すぐにその人だと見分けがついた。
「あの」
声をかけると、僕に向いた男の顔は虚を突かれた表情をしていた。たぶん、本当に僕が来てくれると思っていなかったんだろう。
夜の暗がりの中でミステリアスさを放っていた男の美貌は、朝日のもとに照らされても、やはり変わらずミステリアスだ。
額に当てられたガーゼですら、美貌を引き立てる道具のように見える。
年はおそらく、三十代くらいか。
「起きたらいきなり病院のベッドで、相当驚かれたんじゃないですか」
「きみは……昨日の優しい人か」
素性をはっきりさせるため、名刺を相手に見せた。
「中砥真也と申します」
「……真也」
いきなり下の名前を鸚鵡返しされて、一瞬ぎょっとした。
だがたぶん、相手は状況をイマイチ理解しきれていないだけだろう。
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