愛さないで

みつき怜

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◇思うようにいかない

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 ユーリ視点になります。






 隣にいるピアニーが微睡み始めた。本気で寝入ってしまうとは想定外だ。
 ……いや。彼女のことになると、なにひとつ思うようにいかない。

 幼い頃から優秀なほうだった。だが所詮二番目。自分の立ち位置を割と早い時期に理解すると、すべてが色褪せた。元々感情とかいうものが欠落していたのかもしれない。唯一の理解者だった叔母が亡くなった時でさえ上手く泣けなかった。

 毎日がどうでもよかったのに、兄やオーブリーは事あるごとに俺を王城へ連れ出そうとする。彼らを避けてルルーシュの宮で過ごしたのは、そこなら人が寄りつかないからだ。

 新しく侍女が来たことはオーブリーから聞いていた。

 ああ、これがそうかと。

 最初はそれだけ。何度目かに、変わった女の子だと認識を変えた。隣に座っても、なにか話しかけてくるわけでもない。そしてしばらくすると、なにも言わないで行ってしまう。それが続くと気になってきた。

 今日会ったら声をかけてみるか。
 変だな。こんなこと、俺らしくない。そう感じながら王城に向かった。だがそれから一週間、彼女の姿はどこにもなかった。

 もしかして辞めたんじゃないか。俺はまだ彼女の声を知らない。いや、顔すらまともに見ていないのに。

 日を追うごとに落ち着かなくなっていた。

『オーブリー、あの女の子は?』
『誰のことだい?』
『ミルクティーみたいな色の髪をした子』
『ピアニーか』

 どうやらルルーシュが投げたカップが彼女の顔を直撃してしまい、腫れが引くまで休むらしい。オーブリーから話を聞いた俺はルルーシュにキレた。

『わたくしが悪いってわかってるわ……!でもユーリに関係ないじゃない』

 反省していると言ってルルーシュが泣きじゃくり、騒ぎを聞いて駆けつけた兄は、初めて俺が感情を露わにしたことに感極まって泣いた。

 兄なりに心配してくれていたのは理解できる。悪いが俺の気がかりはピアニーだけだった。

 それから三日ほどが過ぎて、ピアニーが復帰した。声をかけると、大きな目を見開いて驚いていた。真正面から向き合った彼女の淡い紫の瞳に自分が映っている。ただそれだけのことに緊張した。

 ぼんやり立っていた自分が悪いのだと、ピアニーはルルーシュを庇った。
 だがルルーシュには使用人の安全を守る義務があり、魔力が不安定だからなんて言い訳にはならない。

 ピアニーはきっと天使だ。純粋で人がよすぎて、あの兄妹にいい様にされてしまう。
 王城に行くのは億劫だったのに、時間があれば訪れるようになっていた。

 避けられ始めたのはいつからだ……?
 叔母を亡くしたと話した俺の傍にいると約束してくれたのに。

 嫌われたのか。
 おそらくそうではないと思う。だが一線を引かれたのだと気づくのに時間はかからなかった。

 わけがわからず悩んでいる間に、ピアニーは俺が知らない男と婚約してしまった。
 あれがピアニーの婚約者かと、殺意にも似た思いが湧いた。令嬢たちの間では、繊細な顔をしているなどと騒がれているが、俺には軟弱にしか見えない。彼女はああいうのが好みなのかと、伸び続ける身長は仕方ないとして、無駄な筋肉がつかないよう注意した。怖がらせたりしないよう、物腰のやわらかい男を徹底してきたつもりだ。

 だがピアニーはよそよそしいまま距離が縮まらない。
 俺を見つめる時、瞳に怯えの色を宿していることを彼女は知っているだろうか。理由がわからない。不安そうに宝石めいた瞳を揺らすたび、なぜだと問い詰めたくなる。それをしてしまったら、彼女は俺の手が届かない場所に行ってしまうのではないか。もどかしさばかりが募っていく。

 おそらく俺だけではなくオーブリーもピアニーが苦手とする部類だろう。同列に扱われるのが非常に不本意だ。

「今殺気を感じた」
「考えすぎです」
「いや、間違いないよ」
「お疲れなんですね」

 オーブリーをかわして、うとうと微睡んでいるピアニーの細い肩を自分のほうへ抱き寄せた。全神経が、俺の肩に頭を預けて眠っている彼女に集中する。伏せられた長い睫毛。綻んだふっくらした唇からこぼれる穏やかな寝息。

 なんとも言えない気持ちになって頭を撫でていると、ルルーシュが顔をしかめた。

「ユーリ。ベタベタ触るのはどうかと思うわ。猫じゃないんだから、ピアニーを撫で回さないでちょうだい」
「発言が下品だぞ、ルルーシュ」
「なんですって……?ピアニーの前でだけ、いかにも優しい騎士ぶっているとばらすわよ。なぜこれにピアニーは気づかないのかしら」
「静かに。ピアニーが起きてしまうだろう」

「ん……」

 身じろぎしたピアニーに視線が集まり、馬車内がしんとする。

 このままでは身体が痛いのではないか。ゆっくり座席に横たえて、彼女の頭を膝上に乗せた。白い頬に付いたすすが目に留まり、そっと指で拭う。

 気丈に振る舞いながらピアニーは震えていた。火傷の治癒が最優先だったからあの場を離れたが、大司教を一発くらい殴っておくんだった。これから償ってもらうことにして、先ずは目の前の問題を解決しなければ。

「先ほどのハーツイーズの話はなかったことに」
「なにを言っているのかしら。貴方に関係ないでしょう」
「ピアニーが嫌がっていたのがわからないのか?無理強いはよせ」
「軽薄な元婚約者を早く忘れてもらうためだもの。ともかく口を出さないで」

 ツンと顎を上げ、ルルーシュがそっぽを向いた。

 だが予想していた拒絶に頭が冷たく冴えた。それなら別の方法を探すまでだ。

「他の侍女に病気のふりをさせて、ふたりが会う邪魔をしたのはどうかと思うが」
「スプルース伯爵令息はミュリス子爵家の事業に投資しているからと、いつもピアニーに上から目線な態度だったわ。婚姻しても大切にしないことは目に見えていたもの。そうおっしゃるお兄様も、わざわざ隊を指定して用事を申しつけていたでしょう?」
「それが彼らの仕事だよ、ルルーシュ」
「ええ、そうね。そういうことにしておくわ」

 元婚約者に対してよい印象がないのは三人の総意だ。ピアニーを捨て、よりによって義妹と婚約を結ぶとは。あの男は頭も弱かったらしい。俺が手を下すまでもなく消えてくれて助かったが、忌々しいことに変わりない。婚約していたことさえピアニーの記憶から消してしまいたいくらいだ。

「それにしても眠ってしまうとは……。繊細なのか大胆なのか。不思議な娘だね、ピアニーは」
「慣れないことをして疲れたのだわ」
「そうだね。本人にまったく自覚がないところがなんとも好ましいよ」

 ルルーシュと話しているオーブリーが、じっとピアニーを見つめる。ミルクティー色の髪に伸ばされたオーブリーの手を、触れる寸前で押し退けた。

「触らないでください」

 口の端を持ち上げて「つい」と、冗談めかすオーブリーを見据えた。

「必死でかわいいな、ユーリ。宝物を取られまいと守る子どもみたいだ」
「うるさいですよ」
「だがお前にそういった権利はなかったはずだが、僕の思い違いか?」
「そうでしょうね」

 意味深な笑みを浮かべているオーブリーから眠るピアニーに視線を移す。彼女も触られたくないはずだ。

「まあいい。ユーリ、書庫の件だが」
「なんですか?」
「最初に駆けつけたのはピアニーで間違いない?」
「そう報告しました」

 髪を撫でながら俺は慎重に返事をした。

「ふむ。ピアニーの魔術の形跡がまったくなかったんだが、僕の見落としだろうね」
「ええ」
「そうか。そうだね」

 顔や髪の色が異なるように、魔力もひとりひとり異なる。やり方は複雑だが、魔術を組んだ痕跡をたどり術者を突き止めることも可能だ。

 やはり気づいたか……。

 確かに彼女の言動に思うところはある。が、オーブリーに引っかきまわされたら少々厄介だ。

「なぜピアニーは書庫に?そこからが疑問なんだ」
「貴方は物事を難しく考えすぎです」
「隠そうとして要らぬ関心を引くことだってあるんだよ、ユーリ」
「なんのことだか」

「う、ん……」

 うるさくするからピアニーが起きてしまったじゃないか。

 長い睫毛を震わせて、淡い紫色の瞳がゆっくり見開かれていく。二度、三度……、瞬きしていたピアニーと俺の視線が重なった。

「……え。どうして」

 慌てて上体を起こし、後ろに倒れそうになったピアニーを抱きしめた。いつも警戒心が強いピアニーがきょとんと俺を見つめる。今この瞬間、彼女の瞳に映るのは俺だけ。もうこのまま時間が止まってしまえばいいのに。

 急にはっとしたピアニーが、ドレスのポケットからハンカチを取り出して、先ほどまで彼女が頭を乗せていた俺の腿を熱心に拭き始めた。

 今度は俺がきょとんとして、彼女を見つめる番だ。

「ピアニー殿。いきなり、なにを……」
「汚してしまいましたから。すぐに、綺麗にいたします」

 話している間も、ピアニーの手は休まることがない。

「そうですか」

 いやいやいや待ってくれ……!
 そんなに擦られると、大変なことになってしまう。

「……っう。そんなこと、しなくていいです」
「ですが」

 至近距離で上目遣いはやめてくれ。ぽっかりと開いた唇から小さな舌が見えてるじゃないか。やめてくれ……!

 ピアニーの手が俺の膝に置かれた。俺の……。

 このままでは本気で不味い。
 ふと向かいの席を見ると、ルルーシュは非難の眼差しを向け、オーブリーは苦笑いしている。

「ピアニー、それくらいにしてあげて。ユーリが情けないことになっちゃう」
「……え?」

 顔を上げたピアニーが、オーブリーと俺を交互に見る。おそらく彼女はオーブリーが示唆していることをわかっていない。わからなくていい。

 ぐっと息を詰めて、ピアニーの指の先をぎゅと包み込んだ。

「ありがとう。もう、いいですよ」
「私、とんでもないことを……。ベタベタ触ったりして不快でしたね」

 いや、全然。

 眉尻を下げ、じっと俺を見つめる濡れた瞳はどんな宝石よりずっと美しくて目が離せない。俺はピアニーの指先に口づけたい衝動を理性でなんとか止めた。




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