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顔合わせ
しおりを挟む眠れない夜を過ごした翌日。
仕事を終えた私は顔合わせの場所に向かっていた。廊下を曲がったところで、同僚のクロエがこちらだと手招きする。彼女の実家は、先日私が訪れたオルタンス商会を営む裕福な男爵家だ。
「ハーツイーズ卿はいらしてる?」
ここへ向かう途中、急いだため跳ねた私の前髪を整えていたクロエの手が止まった。
「クロエ……?」
「……え、ええ。これでいいわ。ピアニー、とっても綺麗よ」
どこかはっきりしないクロエの態度に引っかかりを覚えながら、背中を押されて扉の前へと急かされる。
がんばるもなにも。私は無事終わることを祈っているだけだ。顔見知りのクロエが付き添ってくれるなら心強い。
ドレスはいつも仕事で着ているシンプルなものだ。ただ一括りに結い上げていた髪は解いて、普段しない口紅を引いている。ふわふわと落ち着かない髪を耳にかけて、深く息をついた。ぎゅっと握り締めた手で扉を叩き、ゆっくりと開く。
室内に足を踏み入れた私は、窓辺に立つ男に大きく目を瞠った。
「……どうして、貴方が」
窓から差し込む赤に縁どられた彫像めいた輪郭。夕映の色さえ弾いてしまう銀色の髪。左右で歪みのない端正な顔。その冷たく近寄りがたい雰囲気をやわらげている、瞳を彩る緑。
私は混乱していた。
目の前に立ったのは、思い描いていた男とはまったく別人だったから。
「ピアニー殿」
「……どうして、貴方が。ハーツイーズ卿は?」
呆然と尋ねると、一瞬ユーリの双眸が険しいものになった。
「ちょっとした手違いがあった。それだけです」
「手違い……」
「私が相手では不足でしょうか?」
「そういうわけではありません。でもどうして」
ユーリが首を傾げる。
「貴女と過ごした、あの一夜が忘れられないと言ったら?」
「アークレヒト公子様。あれは」
ガチャっと音がして、私とユーリは同時に顔を向けた。
紅茶の用意をしていたクロエが「なにも聞いていません」と、気まずそうに私たちから目線を逸らす。
あのことは忘れると約束したはずだ。私はユーリを睨んだ。私を長椅子に座らせ、クロエからトレーを受け取ったユーリはいつもどおり飄々としている。
たとえ冗談でも、彼のような人が口にすれば破壊力がある。あとでクロエの誤解を解かないと。
私の心配をよそに、当のユーリは手際よく茶器から二人分の紅茶をカップに注ぎ、私へと差し出した。
「熱いのでお気をつけてください」
「……いただきます」
カップを受け取って、向かいの席にいるユーリに目を向けた。紅茶を飲む佇まいから育ちのよさがうかがえる。
「なんでしょう、ピアニー殿」
「いえ」
見入っていたことをユーリに気づかれていた。視線を上げた彼から逃れるように、私は慌てて紅茶を口に含む。
「お訊きしたいことが。ハーツイーズとの件は、ピアニー殿が望んだことですか?」
「いいえ。ルルーシュ様が気を回してくださったことです。今日この場で私はお断りするつもりでしたから」
ユーリが静かにカップをソーサーに置いた。私は紅茶をこくっと飲み下す。
「それならば、これほどかわいく装う必要性を感じません」
「う、ごほっごほっごほっ……」
思いきり咽た私の手からカップを取って、ユーリがハンカチを差し出してきた。
「お使いください」
「っう、どうも……」
借してもらったハンカチを口元に当て、ふぅと呼吸を落ち着かせる私の背中を、隣に腰かけたユーリが宥めるように優しく叩く。
「ご親切に、ありがとうございます」
「どういたしまして。誰にでもというわけではありませんよ」
謎めいたことを言って、背中に添えてあったユーリの手が離れていく。ただし彼は隣に腰かけたまま、元いた場所に戻る気配がない。
訝しんでユーリをうかがうと、彼は手を伸ばして私の目尻に溜まった涙を指先で拭った。
「話を続けても?」
私は唖然としながら、こくっと頷いた。
「貴女に提案があります」
「なんでしょうか?」
冴え冴えとした面持ちで私を見つめているユーリを、私も見つめ返す。
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