愛さないで

みつき怜

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外出

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 十の月になり、朝は水で顔を洗うのをためらうくらい冷え込むようになった。
 もしかしたら今年は、冬の訪れがいつもよりずっと早いのかもしれない。そんなことを思いながらクローゼットを開けて、仕舞い込んだままになっていたローブを羽織った。

「本当にかまわないんですか?」

 尋ねてきたユーリに私は頷いた。約束の時間より早く待ち合わせ場所に向かうと、ユーリも早めに来ていて、ちょうど馬車に乗り込んだところだ。

「今日は市が並ぶ日だから。行ったことがないなら、貴方も愉しめると思います」
「俺はピアニーがいるならどこでも愉しいです」
「私も愉しいですよ」

「それなら俺とずっといてくれますか?」
「ええ、もちろんです」

 向かいの席で腕を組んでいたユーリが前屈みになり、上目遣いで私をのぞき込んだ。

「俺を好きになった……?」

 反射的に頷きそうになり、寸前で留まった。返事に窮した私はにっこりと微笑んで返す。

 ユーリはほんの一瞬だけ傷ついたような顔をして、膝に置いた私の手に自分の手を重ねた。まっすぐな視線を受け止められなくて、私は窓の外を眺めるふりをする。
 目的地である中央広場に馬車が着くまで、ユーリは私の手を握ったままだった。

 テントが張られ店が並ぶ中央広場は買い物を愉しむ人々でにぎわっていた。馬車の中では微妙な空気になってしまったけれど、せっかく来たのだからユーリに愉しんでもらいたい。

 私はユーリを見上げた。

「……なんです?」
「いいえ、なにも」
「なにもって顔じゃない」
「ふふ、行きましょう」

 普段着で、と事前に打ち合わせしていたので、今日のユーリは近衛の騎士服を脱いで、シャツとトラウザーズにウエストコート、腰に剣といった出立ちだ。とてもシンプルだけど、良家の子息という感が抜けていない。

「ユーリ、お腹空いてませんか。サンドイッチはお好きですか?」
「大好きです、ピアニー」

 つないだ手にぎゅっと力が込められた。馬車を降りた時から混雑する広場ではぐれないようにと、手はつないだままだ。

 私は静かに混乱しながら「こちらです」と案内して、行列の最後尾に並ぶ。

「好き嫌いはありませんか?」
「好きしかないです」
「そ、そうですか……」

(サンドイッチのことよね……?)

 他のお店も回りたいので一人分だけ注文することにして、支払いを終えたユーリがサンドイッチを受け取る。ちょうど空いたベンチに並んで座った。

 ものめずらしそうにサンドイッチの包みを見ているユーリに、摘んだ一切れを差し出す。
 お皿に整然と並べられ、取り分けられたものしか知らないのかもと思ったら、急にかわいく見えてきた。

「ユーリ、あーんしてください」

 沈黙がやってきた。
 その後には、強烈な後悔が波のように押し寄せてくる。

(や、やってしまったわ……)

 そろりと視線を上げて、目が合ったユーリの喉仏が上下した。彼の白皙の顔は紅潮している。きっと私も同じようなものだ。だって頬が熱い。

「……すみません。調子に乗りました」

 引っ込めようとした手首をユーリが捕まえた。形の整った薄い唇がゆっくり開かれてサンドイッチが入っていく。何度か咀嚼していたユーリが唇を指で拭った。ただそれだけのことなのに、色気を纏うしぐさに目が奪われる。

「美味いです」
「……お口に合ってよかったです。もっと召し上がってください」

 すり、とユーリが掴んだままでいる手の甲を指でなぞった。

(食べさせろってこと……?)

 なんてこと。これだからよいところのお坊ちゃんは困る。食べている姿も綺麗だったけど。
 心の中で思いついた悪口を言いながら、サンドイッチを一切れ手に取る。

「はい、どうぞ」
「雑ですね」
「……」

 今だけ私は自分を捨てて、開き直ることにした。

「……ユ、ユーリ。あーんしてください」

 なんとか無事に使命を終えた私の目の前に、サンドイッチが差し出される。訝しむ私に向かって、ユーリが「お返しです」と言った。

「あーんして、ピアニー」
「あ、あーん……?ん、む……」

 半ば呆然としている私の唇にサンドイッチが押し当てられた。わけがわからないまま、少しずつ含んで口を動かす。草を食むうさぎにでもなった心地がする。唇をユーリにじっと見つめられて、味がよくわからない。

 ようやく食べ終えた私の唇をユーリの親指がなぞり、「小さい口ですね」と言って、拭った指をペロッと舐めた。

 惚けていた私は我に返り、立ちあがって包みを捨てユーリの腕を引いた。

「い、行きますよ……!貴方が興味を持ちそうなお店を探しましょう」

 果物、革の小物、ハーブ、魔法薬……。立ち並ぶ店を案内していく。ユーリの視線は私に固定されている気がして落ち着かない。

「ここが気になるんですか……?」

 不意にユーリが足を止めたのは、色とりどりのリボンや髪飾りを置いた店だ。意外なものに関心があるのだなと瞬いていると、店主に試していいか尋ねたユーリが銀細工の髪飾りを手に取った。

「遅くなりましたが、誕生日の贈り物をしたいと思っていました。これ、似合いそうです」
「え、覚えていたんですか?」

 目を丸くした私に、ユーリはクスッと笑った。

「お願いを聞けと命じられましたから」
「ユ、ユユユーリっ!あのことは忘れる約束ですよ」

 言わないでと詰め寄った私の髪に、ユーリが髪飾りを当てる。

「あの日は聞けませんでしたが、これからなんでも聞いて差しあげます」

 そう言って、ユーリは持っていた髪飾りを台に置いて、別のものを手に取った。

「これも似合う。俺の婚約者はかわいくてなにを選んでも似合うから困るな」
「な、なにを……」

 臆面もなく恥ずかしいことを口にするユーリは真面目な顔をしていて、私のほうが恥ずかしくなってしまう。似合うとか、かわいいから迷うとか次々に言われて、まるで着せ替え人形になったみたいだ。くすぐったくて、ふわふわして落ち着かない。

「店ごと買うか」

 ユーリの発言に私はぎょっとした。私だけでなく、店主や他の客も仰天している。

「ユーリ、一つでいいです。貴方が選んでください。それがいいんです」
「遠慮しないでください」
「してません。手で持ちきれないものは必要ないんです。私は一つのものを大切にしたいから」

 私の必死の説得が届いて、結局ユーリは最初に手にした銀細工のものを選んだ。
 値引きするという店主の申し出を丁重に断って、支払いを終わらせたユーリが髪飾りを私に差し出した。

「ありがとうございます、ユーリ」

 大切にしますと言うと、ユーリは照れたように微笑んだ。飾らない表情になんともいえない気持ちになって、私まで照れてしまう。

 どちらともなく手をつないで、なにか飲もうかとふたりで話している最中、後ろから呼び止められた。


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