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3章.嘘つきたちの思惑。

03.心はダンボール箱の中に

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 ☽・:*



 こうしてセキが賃貸契約をしたマンションで暮らすことになったのだ。が、ドラマか映画のセットみたいなデザイナーズマンションとらやで、根っからの庶民のわたしはビビってしまった。
 そのマンションの一室は、我が稲代家の敷地が入っても余りある平米。ようするに、だだっ広い。4LDKだが、わたしの知りうる広さの4LDKではない。

 奥様憧れのアイランド型のシステムキッチンと現代的な広々としたダイニング。広い風呂もトイレも最先端でスタイリッシュであった。特筆すべきは、ガラス張りの風呂。大理石なのか人工大理石かわからないが、さながらショールームかホテルのようであった。
 リビングには座るのもためらうブランド家具のソファがあり、超大型テレビとプロジェクター、ナンチャラというスピーカーがあった。
 日当たりがよい窓側には、人をダメにしそうなゆったりとしたソファクッション。それとインテリアとしてもかっこいいロッキングチェアが置いてある。

 統一感あるオシャンティーなインテリアや家具は、デザイナーの提案とセキが実際に試して決めたこだわりの逸品ぞろい。
 ……かえって住み心地が悪い。汚さないかどうか気にしながら住むのは、変な気を使いそうだ。

 小洒落た照明や大きなテレビなどは、AIアシストスピーカー・ソレクサでつながっており、声をかけるだけで照明の調節から朝のニュース、天気、運勢まで教えてくれる。
 小さなロボ執事がここにいるが、わたしはセバスチャン(初老紳士・ロマンスグレー)のほうがいい。
 なにもない空間に向かって『ソレクサ、電気を消して』と命令をするのは、陰キャにはハードルが高い。

 引っ越しを機に、セキはタバコをすっぱりとやめた。ベランダがないので吸う場所がないのである。これはいい。タバコは臭いし、煙には百害あって一利なし。
 わたしはタバコを全否定しているのではない。大きなパイプを仲間で吸うインディオのシャーマニズムな儀礼には、タバコは欠かせない。それに葉巻タバコをくゆらせるのは、アル〇カポネやゴッドファーザーだから似合うのだ。
 シャーマンでもなく、裏社会のドンでもない優男のセキは、伊達をきどって肺を悪くするタバコなんて吸わなくていい。


 わたしが借りた部屋は、壁一面が書架という夢の空間だった。うっかり目が輝き、ヨダレが出てしまったではないか。
 わたしがこれまでに溜めた書籍(マンガ・小説・ラノベを含む)は、引っ越し業者さんの努力できれいに並べられていた。
 して、備え付けのウォークインクローゼットには、申し訳ない程度のファストブランドの服と小物が整頓されていた。
 そこには、あの深緑色のワンピースもあった。

 この部屋に今まで使ってきた家具とリネンはない。単身者引っ越しパックで運ばれてきたのは、服と本だけじゃない。これまで集めた大切な文房具と低スペックノートパソコン。コツコツと集めたフリーメイソングッズとお土産の民芸品。それらは、広い部屋のすみっこに積まれたダンボールの中にある。
 環境の変化に追いつかないわたしの心は、このダンボールの箱の中にあるように感じた。


 ☽・:*



 引っ越した利点。大学が近くなった。とはいえ、わたしが通う大学は都会の田舎にある。稲代家と大学の中間地点だったバイト先も近くなった。
 しかし、愛する古書店街が遠くなってしまった。それでも通うのだが。古書店街に妻問婚をしていると思えば楽しみが増えるではないか。



 引っ越し後しばらくしてのある朝。朝日でまばゆいダイニングで、わたしはコーヒーをセキに入れてやりながら言った。

「明後日、飲み会だから、ご飯作れないし、いらない」
「そう。……うん。そう」

 昨日まで10日間も、種子島のホテルに監禁されていたセキは、とても眠たそうでフラフラしている。普段、家で引きこもって在宅ワークをしているからよけいに、気温差と寝不足で死にていだ。プログラマだかシステムエンジニアだかは、缶詰作業で何をしているのかわからないが、恐ろしい職業だとよくわかる。
 現況についても、拉致監禁先が国内でよかったね。としか感想が出てこない。

「……寝てきたら?」
「きゆに行ってらっしゃいしたら寝るよ」
「今日は午後からだから、寝なよ。死んじゃうよ?」

 あらゆる生き物は寝なければ死ぬ。睡眠時間が短ければ短いほど早死し、長すぎても早死するというレポートをちらりと読んだ。要するに、人生の三分の一以上は睡眠なのだ。
 高校生と厨二病患者お馴染みの漢文、〈邯鄲の枕〉では、夢は粟だか黍だかが煮えるまでの短い時間だったが、うたた寝とも漢文の意味合いとも別で、人生は夢の中と言っても過言ではない。シェイクスピアは舞台の上と言っていたが。
 睡眠と寝具についてのうんちくを巡らせようかと思ったが、セキがぼけらっとしてコーヒーをこぼしそうだったので、慌ててコーヒーカップを取り上げた。ヤケドしたら大変だ。

 わたしはその手を引いて部屋まで送ってあげた。わたしの隣の部屋がセキの部屋なので、出かける前のちょっとした介護だ。
 いい年こいたおっさんをベッドに寝かせて、カーテンを閉め、加湿器を微弱でつけた。ややオカン的であるが、わたしの元来はオカン的なのだ。

「……ん。きゆ。ごめん」
「病気になる前に寝る。今シーズンの風邪はしつこいらしいよ」

 いつもは隙がなく腹の底が見えないセキの、たまにあるこれ。これになんと名をつければいいかわからないが……。令和の若者の言葉でエモい、である。



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