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3章.嘘つきたちの思惑。

10.ストックホルム症候群ブレイカー

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 お腹は空いてないけれど、晩ご飯を食べさせてもらったあと。わたしは魚市場の冷凍マグロのようにセキのベッドに転がっていた。
 そのうちに、プログラミングだかなんだかを長時間していたセキも、わたしの後ろに寝そべった。

「セキ。聞きたいことがあるんだけど」
「ん? なに?」
「わたしを好きになった理由? きっかけとかあるの? それとも天啓的なものがあったの? どこが好きなの?」

 セキはわたしのお腹を撫でつつも、しばらく無言だった。

「お兄ちゃんと同じ血が流れてるから?」
「譲は関係ないよ。前にも言ったけど、きゆがきゆだから好きになったんだよ」
「説得力がない」
「人が人を好きになるのに理由はいらないよ。理由なんか後でいくらでもつけられる」
「そんなもの?」

 ならば、こけし顔のオカルトオタクのわたし、稲代季結にどんな魅力があるというのか。
 高校生の時に何人かと付き合ったけれど、明確な好意を向けられた記憶は薄い。ノリだったり好奇心だったり、手軽だったり。わたしは誠意がないノータリン女子高生だったので、告白されたら付き合った。サセコの噂でもあったのだろうか?
 男なら別に誰でもよかった。お兄ちゃんじゃないのだから。

 律人くんからの好意は、ゼミやカフェテリアで一緒になった時の態度でうすうす気がついていた。飲み会の帰りで告白未遂をされたのは想定外だった。律人くんはオカルトトークができる希少種だから気が合うのだと勘違いしているだけだ。

「……実の兄に愛を向けていた姿が健気だったな。俺にもその愛を向けてほしくなったんだよ」

 腹を撫でていた手は、太ももをいやらしくまさぐっている。
 そしてわかる。これは嘘……本心じゃないって。

「セキ。嘘つかないで」

 ぴたりと太ももをまさぐっていた手がぴたり止まった。わたしはえいやっと、腹筋を総動員させて起き上がる。

「わたしには嘘をつかなくていいんだよ」
「……嘘?」
「押し付けられて、時々性欲を処理する。それだけでしょ。特別好きじゃないの、わかってる」

 セキもむくりと起き上がる。明らかに顔をムッとさせて。わたしもそんなセキを睨めつける。

「どうしてそんなにきゆはおバカさんなの?」
「……ばかじゃない。個人の意思と自由を無視・軽視するようなことをされて、好意を持たれてるって思うほうが、よっぽどどうかしてる」
「俺だけのことを考えるようになったら外してあげる」
「うそ。わたしがセキだけのことを考えるのはありえないの、知ってるくせに」

 静かに言うと、セキは優しげな目を困ったように下げる。

「わたしの頭の中は、フリーメイソンと都市伝説、その他オカルトのことでいっぱいなんだよ」
「……きゆ?」
「迷信や信仰。信じるもの、信じたくないもの。人が畏怖するそれ。伝わるうちに尾ひれがついて、分割され、もしくは習合され、口伝やインターネットの定番になっていく。その定番は、時代が変わるにつれて生き物のように姿を変える暗がりそのもの。実のところの姿は、古代から普遍にして不変。形を変えて存在する隠匿されたもの。あるいは永遠の神秘。人が追い続ける闇」

 ぐっと拳を握りしめる。脳みそはひとつだけだから、セキのことばっかり考える余裕はないのだよ。

「……ふ。あははは」
「なんだよ、急に」
「きゆだなって思ったんだ。……そうだね」

 ひとしきり大笑いしたセキは、わたしの拘束を外して、フリフリプレイスーツの南京錠も外した。
 やれやれだぜ。
 わたしは3日ぶりに自由になった足首と手首を回して──セキのほっぺたをぎゅうっとつねってやった。

「無駄に留年したらどうしてくれるつもりだったんだ」
「騙したな?」
「わたしだって長年嘘をついて生きてきたんだよ。セキに通用するとは思わなかったけどね」

 にっと笑うと、セキは降参だと言うように手を挙げた。ほっぺたを解放してあげたわたしは、ぴょんっとベッドから立ち上がった。……全裸で。

「わたしは都市伝説とフリーメイソンを結びつけた卒論で学士さま修士さま……ゆくゆく博士になるんだよ! いつかの夏にはグラストンベリー修道院にセキと行くの。まだまだ卒業しないから、ちょっと未来に予定がのびたけど」
「どうして卒論のフィールドワークに俺を巻き込むかな?」
「言葉……。セキはだったら、わたしの言葉そのままを通訳してくれるでしょ? それに初めての海外は旅慣れしたセキがいい」

 キメ顔でキメると、くすくす笑っていたセキは、ポカンとした。それから手で顔をおおってくつくつ笑う。語学力が貧相だとか、友達が少ないとか思ってるのだろう。失礼なやつめ。

「きゆはグラストンベリーに行きたいからバイトしてるんだ?」
「それは小学生の頃からの積み立て貯金で行くからへーき。満期になった学資保険も手付かずで銀行に預けてるから、セキの旅費くらい出してしんぜよう。バイトは……ちょいとほしいものがあるのだ」

 セキはおおっていた手をそのまま上にあげて、前髪をあげる。お風呂でしかお目にかかれないオールバック。そうすると、年相応に見えるから不思議だ。

「譲の結婚式になにかプレゼントするんだ?」
「……そっか。お兄ちゃんのお祝い、なにもプレゼントしてなかった……。すっかり抜けてた」
「きゆが? 珍しい」

 珍しかろうがなんだろうが、わたしがお兄ちゃんにお祝いを贈ってなかったのは事実だ。ショックがあったり、引っ越ししたりで、すっかり抜け落ちていた。御祝儀は弾まなきゃって、考えていた。

「うーん。バイトのシフト増やさなきゃ」
「単位が足りなくなるって騒いでたのは誰かな?」
「…………!?」
「なんで驚くかな? しょうがない。学校まで送り迎えしてあげる」
「それはおかしくない? わたしの自由は? 古書店を巡ることで新しい古書に出会える楽しみが!」
「新しい古書ってすごい日本語だね」
「本との出会いは一期一会。常に本気の真剣勝負」
「なるほど。お目当ての古書があるんだ? 買ってあげるよ」

 ……すごく高価な古書や新品の書籍がほしいわけではない。が、セキに打ち明けたくない。

「本と推しグッズは自分で買うものだから、セキの手は借りない。セキこそ自分の稼ぎは自分で使いなよ」
「男の甲斐性を見せないと、譲が許してくれないよ」
「なんでそこでお兄ちゃんが出てくるの?」

 やっぱりセキはまだお兄ちゃんが好きなんじゃないか?




<続>

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