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第二章
20、地球人になる
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黒の皇帝ケインリヒから、『素敵なお嫁さんを見つけてこい』、という勅命を受けた数日後の朝。
セルジュは、世間から教室と呼ばれている部屋の、黒板という板の前に立っていた。身体は縮んだまま、素顔を晒し、しかもズボンにブレザーまで着用して。
教室の中には、セルジュと同じような服を着た十五、六歳の少年少女たちがいた。ざっと数えて、三十名ほどだろうか。皆、歓談したり、読書したり、音楽鑑賞したりと、好き好きに過ごしている。そんな中、ひとりの少女が黒板の前で立ち尽くすセルジュに気づいて、目を輝かせた。
「えーっ!? すっごいイケメンー!!」
黄色い声が教室を劈く。
その声に釣られるようにして、他の少女たちも一斉にセルジュの方を向いた。
「王子さまみたい……」
と呟いて顔をうっとりさせる者もいれば。
「彼女! 彼女いますか!? いなければ立候補します!」
と席から立ち上がって主張する者もいる。
それらが呼び水となったのか、少年らもセルジュを盗み見しながらざわつき始めた。あからさまな敵意を示す者、羨望の眼差しを向けてくる者、興奮気味になにか喋っている者。実に多種多様である。
セルジュの隣では、教壇に立つ存在感の薄い男性が、涙目になりながら必死に声を張り上げていた。
「ちょっと、みんな静かにして! 先生に転校生の紹介させて!?」
しかし、男性の悲痛な叫びは少年少女たちには届かず、教室はお祭り騒ぎを通り越して、無法地帯の坩堝と化していった。
渦中の人となっているセルジュは、教室で繰り広げられている滑稽な光景を冷めた目で睥睨しながら、自分の置かれている状況を嘆く。
(なぜ誇り高きジェバイデッド人の俺が、地球人の真似事なんぞしなければならないんだ……)
まこと信じがたいことに、現在セルジュは、ひとりの地球人として──季節外れの転校生として、この教室に立っていた。
セルジュが高校生となった経緯は、数日前まで遡る。
※
「地球人になる、だと?」
麗らかな昼下がり。セルジュはダイニングでジェノベーゼパスタを頬張りながら、今しがたシリウスから告げられた言葉をそのまま返した。
真向かいに座るシリウスが、静かに頷く。
「ものの例えだよ。ケイからの勅命を突き詰めると、最終的には、ジェバイデッド人が地球の暮らし方に則る形になるだろ? だけど、俺たちには地球で暮らすための基盤がない。戸籍とか地位とか、どこで生まれてどうやって育ったとか。そういうパーソナリティをいまのうちに作っておこうって話だ」
黒の帝国ジェバイデッド皇帝、ケインリヒの勅命、宿願。それは、地球の先住民たちと相争うことなく地球に移住し、ジェバイデッドの血を残すこと。
もしも、シリウスが言うように勅命を果たせたとしたら、“地球へ移住”してから“ジェバイデッドの血を残す”までの間に、“地球で暮らす”という工程が入る。
言うなれば、地球人との共存、迎合だ。そこに、黒の帝国ジェバイデッドの文化や文明が反映されることは、ないのだろう。地球の主導権は、先住民である地球人が握ったままになるはずだ。
種存続の危機に晒され、故郷を失おうとしている難民の運命とはいえ、セルジュにはそれが我慢ならなかった。
そもそも、だ。
「シリウス。お前は、生き残ったジェバイデッドのすべての民が、何事もなく地球に移住できると思うか?」
地球人になるというのは、あくまでも地球への平和的な移住が達成できたら必要になってくるだけの話であって、ジェバイデッドが地球を侵略してしまえばく無用の産物になる。地球を支配すれば、そこに母国ジェバイデッドを再興させられるのだから。
「思わないし、俺だって地球を侵略した方が手っ取り早いって思ってるよ。だけど、ケイがあんな調子だし」
シリウスは半ば諦めたように遠い目をしている。セルジュと同じく地球侵略を推奨しながらも、シリウスはケインリヒの命令に服従する道を選んでいた。
「勅命に従うなら、地球に馴染むのも立派な任務だよ。現状、地球侵略は保留、地球の代表者からの返答待ちで、他にやれることもないわけだし」
「……百歩譲って、地球人の真似事をするのは受け入れるとする」
渋々、地球人として過ごすことを承諾したセルジュだったが、それでもひとつ納得できないことがあった。
「だが、それと俺の身体を弱体化させることに、なんの関係がある」
シリウスが勅命のために──地球人になるために準備したと豪語する、セルジュの肉体。背は縮み、筋肉量も低下したこの貧相な身体だけはいただけない。
「お前さ、地球人として過ごすとなったら、とりあえずなにする?」
シリウスに質問を質問で返されて少々苛立ちつつも、セルジュは真顔で応答する。
「女を犯す」
言い澱みもしないセルジュを前に、シリウスは呆れたように溜め息を零した。
「それだよ、それ。あのな、一般的な地球人は、常日頃から誰かを無理やり犯したいとか考えないの。わかる?」
「女の同意があれば構わんのだろう?」
ジェバイデッドの血を残すことも勅命の内なのだから、そのために行動を起こしてなにが悪いのかと、セルジュは態度を改めない。
「物事には順序と秩序ってもんがあってだな……ああもう、めんどくさい! お前には口で言ってもダメだってことが、よぉぉぉくわかった! 細かい説明はもう省く!」
半ば自棄になったシリウスは、セルジュに向かってなにか放った。
それは、五ミリ四方の黒い粒だった。注視しなければ見失ってしまいそうなほど小さい謎の物質が、ダイニングテーブルの上をころころと転がる。
「それは“エニグマチップ”。地球各国の地形やら、文化、歴史、雑学、一般常識、モラル、マナー、その他もろもろ。地球に関するおおまかな情報がインプットされた集積回路だ。装着すれば、それらの情報が自然と身に着くようになってる。地球人として暮らすための道具だ」
この小さなチップに、ジェバイデッドの科学力の一端と、地球の情報が詰め込まれているらしい。エニグマチップを人差し指で掬い上げてまじまじと見ているうちに、セルジュはひとつの仮説に行き着いた。
「……俺の身体がおかしくなったのは、このチップのせいか?」
「ホント、こういうことだけは察しがいいよな、お前。お前に取り付けたチップは、力をセーブする特殊機能つきだ。肉体を退行させるっていう強引な方法になっちまったけど。お前には今後、その身体で生活してもらうからな」
シリウスから若返った真相を聞かされて、セルジュはついに怒りをあらわにする。
「だから、なぜそうなる! しかも俺に断りもなくチップを取り付けるなど、どういう了見だ!!」
「お前が! すぐ暴力に訴えて、強姦するようなケダモノだからだよ! これからしばらくは地球で暮らすっていうのに、セルジュがそんな危険人物じゃ俺も困るの! それに力を制限するなんて知ったら、お前絶対にチップ付けないだろ!? だから寝てる隙に付けたんだッ! 文句言うな、野生児!!」
シリウスはスパゲティの絡まったフォークを、セルジュに差し向けた。
「いいか、お前はケイの勅命である“素敵なお嫁さんを見つける”前に、獣から人間に進化する必要があるんだよ!!」
「わけのわからんことを! どこだ、俺の身体のどこにチップを付けた。いますぐチップを外して、俺の身体を元に戻せ!!」
いよいよ我慢の限界を迎えたセルジュは、勢いよくソファから立ち上がった。フォークを苦無に見立てて構え、シリウスの頬を目掛けて腕を振るう。
「大人しく俺の指示に従えないなら、これまでの命令違反をケイに報告するぞ」
シリウスの脅しで、セルジュの動きがぴたりと止まる。フォークの切っ先も、シリウスの頬を刺すことなく、ゆるゆると下がっていく。
「ケイはどう思うだろうな。セルジュが地球人の女性を誘拐したり、女の子を強姦したなんて知ったら」
平和主義者で、地球への平和的移住を心から望んでいるケインリヒ。そんな彼がセルジュの暴挙を知れば、穏やかな面持ちはたちまち悲しみに染まってしまうだろう。ケインリヒを悲しませるのは、セルジュの本意ではない。それでもし、見放されるような事態になったら。想像しただけで、生きた心地がしなかった。
瞬く間に反発心が萎えたセルジュは、力なくソファに腰を下ろした。しかし、セルジュにも言い分はある。
「……俺は、ジェバイデッドや陛下のことを思って」
「わかってるよ。でも、現段階で地球人を襲ったのは立派な命令違反だろ」
シリウスの正論が、セルジュに止めを刺した。いまやセルジュは、指先すら動かせないほどの重圧に押し潰されている。
そんなセルジュに、シリウスの容赦ない追い打ちが飛んできた。
「そういうわけで、お前には学校に通ってもらうから」
※
シリウス曰く、学校で地球人の暮らしというものを体験しつつ、社会性や倫理を学べとのことだった。
言うまでもなく、セルジュは未だにこの状況を許容できていない。
(俺は暗殺者だぞ。俺に必要なのは戦術理論と殺しの技術、それだけだ。他になにを学ぶことがある)
しかし悲しいかな、セルジュはこうして教室まで来てしまっている。身体のどこかに取り付けられたエニグマチップによって、“学生は学校に通うもの”という通念が、無意識レベルで与えられているせいだろう。こんなところには一分一秒でも居たくないと心底思うのに、抗いきれない。
「えー、みんなが静かになるまで十五分かかりました」
どことなく頼りない担任教諭は、転校生を前に沸いていた生徒たちを宥めると、わざとらしく咳をした。
「それじゃ、改めて転校生を紹介するぞー。美影清十郎くんだ」
そういうことに、なっているようだった。
ここに立っているのは、黒の帝国ジェバイデッドの幹部セルジュではなく、地球のどこにでもいる高校生のひとり、美影清十郎、ということらしい。
なりたくもない地球人に扮しているという嫌悪感はあるが、やはり逃げ出そうという気が一向に起きない。それどころか、紹介に応じて会釈までしてしまう始末。腹立たしいことに、エニグマチップは正常に動いているようだ。
ならば致し方なしと開き直って、セルジュは女子生徒を物色し始めた。ジェバイデッドの血脈を守るため、子を後世に残すために。
シリウスの思惑からは外れるが、知ったことではない。強姦ではなく、合意の元であれば文句はなかろう。
そう思って、クラスメイトとなる少女たちを品定めしているのだが。
(どいつもこいつも、取るに足らん)
どの女子生徒を見ても──女子生徒に限らず、学校に来るまでの道すがらすれ違った妙齢の女性たちを見ても、種を植え付けたいという欲求がまるで湧いてこなかった。
あの廃ゲームセンターでアクアマリンメダリオンを抱いて以来、ずっとこんな調子である。
アクアを手放したことを、セルジュはいまになって深く後悔していた。
なぜアクアにだけ身体が反応するのか。それは未だに判然としなかったが、セルジュはアクアのことが嫌いではなかった。
まず、顔は悪くない。むしろ美しい部類といえるだろう。身体も女性らしく柔らかだが、まるで精巧な人形のように整っていた。
なにより、アクアの肌に触れていると不思議と精気が、もとい性欲がとめどなく湧き上がってくる。そして実際に抱くと、骨や臓腑といった自分を象るものが、快感を伴いながらドロドロに溶けて、アクアの膣にすべて吸い取られていくという、得も言われぬ絶頂に見舞われた。
母星の女たちが死滅する以前、幾人か抱いてきはしたが、それらとは比べるまでもない。アクアの抱き心地は、天を突き抜けるほど極上のものだった。
同時に、どうあっても自分の子を孕ませなければ気が済まないという、支配欲のようなものも沸々と沸いてきた。他の男に渡すなど言語道断。地球人は以ての外だが、同郷のジェバイデッド人にすら渡したくないという強い独占欲が、セルジュの胸中で渦巻いていた。
勅命を抜きにしても抱きたい、永遠に交わっていたい。いまやアクアは、たとえケインリヒの心情に背くことになろうとも手に入れたいと、そう渇望するほどの存在になっていた。
アクア本人がすぐに見つかればそれでいいが、正義の味方などという身の上、おいそれと世間に姿を現してはくれないだろう。ならばせめて、肉棒を奮い立たせてくれるような女が他に見つかればと願うのだが、教室を見渡すにそんな淡い期待は抱くだけ無駄だと、セルジュは肩を落とした。
だが、一縷の希望は、拍子抜けするほど近くに潜んでいた。
「美影、一番後ろの空いてる席に着いてくれな」
担任教諭に促されたセルジュは、ぶっきらぼうに返事をして教室の真ん中を突っ切っていく。
指定された席まで辿り着くと、背後から呼びかけられた。
「お前の隣は、うちの学級委員長だからなんでも聞くといいぞー。保刈、美影の面倒を看てやってくれー」
担任教諭の言う通り、セルジュの隣の席には女子生徒が座っていた。セルジュはこのとき初めて、隣の席に人がいると知った。黒板に立っていた時は、他の生徒の影に隠れて見えなかったらしい。
女子生徒が、セルジュに向かってぺこりと頭を下げる。
「はじめまして、保刈ミラです」
その女子生徒──ミラの顔を目の当たりにした瞬間。
セルジュは、肉体の中心に、血液がドッと流れ込むのを感じた。
セルジュは、世間から教室と呼ばれている部屋の、黒板という板の前に立っていた。身体は縮んだまま、素顔を晒し、しかもズボンにブレザーまで着用して。
教室の中には、セルジュと同じような服を着た十五、六歳の少年少女たちがいた。ざっと数えて、三十名ほどだろうか。皆、歓談したり、読書したり、音楽鑑賞したりと、好き好きに過ごしている。そんな中、ひとりの少女が黒板の前で立ち尽くすセルジュに気づいて、目を輝かせた。
「えーっ!? すっごいイケメンー!!」
黄色い声が教室を劈く。
その声に釣られるようにして、他の少女たちも一斉にセルジュの方を向いた。
「王子さまみたい……」
と呟いて顔をうっとりさせる者もいれば。
「彼女! 彼女いますか!? いなければ立候補します!」
と席から立ち上がって主張する者もいる。
それらが呼び水となったのか、少年らもセルジュを盗み見しながらざわつき始めた。あからさまな敵意を示す者、羨望の眼差しを向けてくる者、興奮気味になにか喋っている者。実に多種多様である。
セルジュの隣では、教壇に立つ存在感の薄い男性が、涙目になりながら必死に声を張り上げていた。
「ちょっと、みんな静かにして! 先生に転校生の紹介させて!?」
しかし、男性の悲痛な叫びは少年少女たちには届かず、教室はお祭り騒ぎを通り越して、無法地帯の坩堝と化していった。
渦中の人となっているセルジュは、教室で繰り広げられている滑稽な光景を冷めた目で睥睨しながら、自分の置かれている状況を嘆く。
(なぜ誇り高きジェバイデッド人の俺が、地球人の真似事なんぞしなければならないんだ……)
まこと信じがたいことに、現在セルジュは、ひとりの地球人として──季節外れの転校生として、この教室に立っていた。
セルジュが高校生となった経緯は、数日前まで遡る。
※
「地球人になる、だと?」
麗らかな昼下がり。セルジュはダイニングでジェノベーゼパスタを頬張りながら、今しがたシリウスから告げられた言葉をそのまま返した。
真向かいに座るシリウスが、静かに頷く。
「ものの例えだよ。ケイからの勅命を突き詰めると、最終的には、ジェバイデッド人が地球の暮らし方に則る形になるだろ? だけど、俺たちには地球で暮らすための基盤がない。戸籍とか地位とか、どこで生まれてどうやって育ったとか。そういうパーソナリティをいまのうちに作っておこうって話だ」
黒の帝国ジェバイデッド皇帝、ケインリヒの勅命、宿願。それは、地球の先住民たちと相争うことなく地球に移住し、ジェバイデッドの血を残すこと。
もしも、シリウスが言うように勅命を果たせたとしたら、“地球へ移住”してから“ジェバイデッドの血を残す”までの間に、“地球で暮らす”という工程が入る。
言うなれば、地球人との共存、迎合だ。そこに、黒の帝国ジェバイデッドの文化や文明が反映されることは、ないのだろう。地球の主導権は、先住民である地球人が握ったままになるはずだ。
種存続の危機に晒され、故郷を失おうとしている難民の運命とはいえ、セルジュにはそれが我慢ならなかった。
そもそも、だ。
「シリウス。お前は、生き残ったジェバイデッドのすべての民が、何事もなく地球に移住できると思うか?」
地球人になるというのは、あくまでも地球への平和的な移住が達成できたら必要になってくるだけの話であって、ジェバイデッドが地球を侵略してしまえばく無用の産物になる。地球を支配すれば、そこに母国ジェバイデッドを再興させられるのだから。
「思わないし、俺だって地球を侵略した方が手っ取り早いって思ってるよ。だけど、ケイがあんな調子だし」
シリウスは半ば諦めたように遠い目をしている。セルジュと同じく地球侵略を推奨しながらも、シリウスはケインリヒの命令に服従する道を選んでいた。
「勅命に従うなら、地球に馴染むのも立派な任務だよ。現状、地球侵略は保留、地球の代表者からの返答待ちで、他にやれることもないわけだし」
「……百歩譲って、地球人の真似事をするのは受け入れるとする」
渋々、地球人として過ごすことを承諾したセルジュだったが、それでもひとつ納得できないことがあった。
「だが、それと俺の身体を弱体化させることに、なんの関係がある」
シリウスが勅命のために──地球人になるために準備したと豪語する、セルジュの肉体。背は縮み、筋肉量も低下したこの貧相な身体だけはいただけない。
「お前さ、地球人として過ごすとなったら、とりあえずなにする?」
シリウスに質問を質問で返されて少々苛立ちつつも、セルジュは真顔で応答する。
「女を犯す」
言い澱みもしないセルジュを前に、シリウスは呆れたように溜め息を零した。
「それだよ、それ。あのな、一般的な地球人は、常日頃から誰かを無理やり犯したいとか考えないの。わかる?」
「女の同意があれば構わんのだろう?」
ジェバイデッドの血を残すことも勅命の内なのだから、そのために行動を起こしてなにが悪いのかと、セルジュは態度を改めない。
「物事には順序と秩序ってもんがあってだな……ああもう、めんどくさい! お前には口で言ってもダメだってことが、よぉぉぉくわかった! 細かい説明はもう省く!」
半ば自棄になったシリウスは、セルジュに向かってなにか放った。
それは、五ミリ四方の黒い粒だった。注視しなければ見失ってしまいそうなほど小さい謎の物質が、ダイニングテーブルの上をころころと転がる。
「それは“エニグマチップ”。地球各国の地形やら、文化、歴史、雑学、一般常識、モラル、マナー、その他もろもろ。地球に関するおおまかな情報がインプットされた集積回路だ。装着すれば、それらの情報が自然と身に着くようになってる。地球人として暮らすための道具だ」
この小さなチップに、ジェバイデッドの科学力の一端と、地球の情報が詰め込まれているらしい。エニグマチップを人差し指で掬い上げてまじまじと見ているうちに、セルジュはひとつの仮説に行き着いた。
「……俺の身体がおかしくなったのは、このチップのせいか?」
「ホント、こういうことだけは察しがいいよな、お前。お前に取り付けたチップは、力をセーブする特殊機能つきだ。肉体を退行させるっていう強引な方法になっちまったけど。お前には今後、その身体で生活してもらうからな」
シリウスから若返った真相を聞かされて、セルジュはついに怒りをあらわにする。
「だから、なぜそうなる! しかも俺に断りもなくチップを取り付けるなど、どういう了見だ!!」
「お前が! すぐ暴力に訴えて、強姦するようなケダモノだからだよ! これからしばらくは地球で暮らすっていうのに、セルジュがそんな危険人物じゃ俺も困るの! それに力を制限するなんて知ったら、お前絶対にチップ付けないだろ!? だから寝てる隙に付けたんだッ! 文句言うな、野生児!!」
シリウスはスパゲティの絡まったフォークを、セルジュに差し向けた。
「いいか、お前はケイの勅命である“素敵なお嫁さんを見つける”前に、獣から人間に進化する必要があるんだよ!!」
「わけのわからんことを! どこだ、俺の身体のどこにチップを付けた。いますぐチップを外して、俺の身体を元に戻せ!!」
いよいよ我慢の限界を迎えたセルジュは、勢いよくソファから立ち上がった。フォークを苦無に見立てて構え、シリウスの頬を目掛けて腕を振るう。
「大人しく俺の指示に従えないなら、これまでの命令違反をケイに報告するぞ」
シリウスの脅しで、セルジュの動きがぴたりと止まる。フォークの切っ先も、シリウスの頬を刺すことなく、ゆるゆると下がっていく。
「ケイはどう思うだろうな。セルジュが地球人の女性を誘拐したり、女の子を強姦したなんて知ったら」
平和主義者で、地球への平和的移住を心から望んでいるケインリヒ。そんな彼がセルジュの暴挙を知れば、穏やかな面持ちはたちまち悲しみに染まってしまうだろう。ケインリヒを悲しませるのは、セルジュの本意ではない。それでもし、見放されるような事態になったら。想像しただけで、生きた心地がしなかった。
瞬く間に反発心が萎えたセルジュは、力なくソファに腰を下ろした。しかし、セルジュにも言い分はある。
「……俺は、ジェバイデッドや陛下のことを思って」
「わかってるよ。でも、現段階で地球人を襲ったのは立派な命令違反だろ」
シリウスの正論が、セルジュに止めを刺した。いまやセルジュは、指先すら動かせないほどの重圧に押し潰されている。
そんなセルジュに、シリウスの容赦ない追い打ちが飛んできた。
「そういうわけで、お前には学校に通ってもらうから」
※
シリウス曰く、学校で地球人の暮らしというものを体験しつつ、社会性や倫理を学べとのことだった。
言うまでもなく、セルジュは未だにこの状況を許容できていない。
(俺は暗殺者だぞ。俺に必要なのは戦術理論と殺しの技術、それだけだ。他になにを学ぶことがある)
しかし悲しいかな、セルジュはこうして教室まで来てしまっている。身体のどこかに取り付けられたエニグマチップによって、“学生は学校に通うもの”という通念が、無意識レベルで与えられているせいだろう。こんなところには一分一秒でも居たくないと心底思うのに、抗いきれない。
「えー、みんなが静かになるまで十五分かかりました」
どことなく頼りない担任教諭は、転校生を前に沸いていた生徒たちを宥めると、わざとらしく咳をした。
「それじゃ、改めて転校生を紹介するぞー。美影清十郎くんだ」
そういうことに、なっているようだった。
ここに立っているのは、黒の帝国ジェバイデッドの幹部セルジュではなく、地球のどこにでもいる高校生のひとり、美影清十郎、ということらしい。
なりたくもない地球人に扮しているという嫌悪感はあるが、やはり逃げ出そうという気が一向に起きない。それどころか、紹介に応じて会釈までしてしまう始末。腹立たしいことに、エニグマチップは正常に動いているようだ。
ならば致し方なしと開き直って、セルジュは女子生徒を物色し始めた。ジェバイデッドの血脈を守るため、子を後世に残すために。
シリウスの思惑からは外れるが、知ったことではない。強姦ではなく、合意の元であれば文句はなかろう。
そう思って、クラスメイトとなる少女たちを品定めしているのだが。
(どいつもこいつも、取るに足らん)
どの女子生徒を見ても──女子生徒に限らず、学校に来るまでの道すがらすれ違った妙齢の女性たちを見ても、種を植え付けたいという欲求がまるで湧いてこなかった。
あの廃ゲームセンターでアクアマリンメダリオンを抱いて以来、ずっとこんな調子である。
アクアを手放したことを、セルジュはいまになって深く後悔していた。
なぜアクアにだけ身体が反応するのか。それは未だに判然としなかったが、セルジュはアクアのことが嫌いではなかった。
まず、顔は悪くない。むしろ美しい部類といえるだろう。身体も女性らしく柔らかだが、まるで精巧な人形のように整っていた。
なにより、アクアの肌に触れていると不思議と精気が、もとい性欲がとめどなく湧き上がってくる。そして実際に抱くと、骨や臓腑といった自分を象るものが、快感を伴いながらドロドロに溶けて、アクアの膣にすべて吸い取られていくという、得も言われぬ絶頂に見舞われた。
母星の女たちが死滅する以前、幾人か抱いてきはしたが、それらとは比べるまでもない。アクアの抱き心地は、天を突き抜けるほど極上のものだった。
同時に、どうあっても自分の子を孕ませなければ気が済まないという、支配欲のようなものも沸々と沸いてきた。他の男に渡すなど言語道断。地球人は以ての外だが、同郷のジェバイデッド人にすら渡したくないという強い独占欲が、セルジュの胸中で渦巻いていた。
勅命を抜きにしても抱きたい、永遠に交わっていたい。いまやアクアは、たとえケインリヒの心情に背くことになろうとも手に入れたいと、そう渇望するほどの存在になっていた。
アクア本人がすぐに見つかればそれでいいが、正義の味方などという身の上、おいそれと世間に姿を現してはくれないだろう。ならばせめて、肉棒を奮い立たせてくれるような女が他に見つかればと願うのだが、教室を見渡すにそんな淡い期待は抱くだけ無駄だと、セルジュは肩を落とした。
だが、一縷の希望は、拍子抜けするほど近くに潜んでいた。
「美影、一番後ろの空いてる席に着いてくれな」
担任教諭に促されたセルジュは、ぶっきらぼうに返事をして教室の真ん中を突っ切っていく。
指定された席まで辿り着くと、背後から呼びかけられた。
「お前の隣は、うちの学級委員長だからなんでも聞くといいぞー。保刈、美影の面倒を看てやってくれー」
担任教諭の言う通り、セルジュの隣の席には女子生徒が座っていた。セルジュはこのとき初めて、隣の席に人がいると知った。黒板に立っていた時は、他の生徒の影に隠れて見えなかったらしい。
女子生徒が、セルジュに向かってぺこりと頭を下げる。
「はじめまして、保刈ミラです」
その女子生徒──ミラの顔を目の当たりにした瞬間。
セルジュは、肉体の中心に、血液がドッと流れ込むのを感じた。
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