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霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第1章 一夜の過ちの相手と再会!?

5.デブじゃない

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「おわっ、たー」

時計はいつの間にか八時を過ぎていた。
まだ残っていた下畑さんに声をかけて帰る。
今日の晩ごはんはコンビニでサラダを買って済ませよう。

「おっせーぞ」

私が出てきたことに気づき、男が壁に寄りかかって見ていた携帯から顔を上げる。
そのままつかつかと勢いよくその長い足を動かし、あっという間に距離を詰めてきた。

「……ハイ?」

なんで、あなたがここに?
他の方たちと飲んでいるはずでは?
あたまの中がクエスチョンマークで埋め尽くされていく。
そんな私にかまわず男――ミツミさんは私の腕を掴んだ。

「冷えたし腹減ってんだ。
待たせるな」

なんだか自分勝手なことを言いながら、私の腕を掴んだまま強引に歩いていく。
状況が掴めないまま彼に連れられて歩いた。

「ここでいいか」

いいともなんとも言っていないのに、適当に見えてきたビアバーに連れ込まれた。

「ヴァイツェンと……お前は?」

「えっと……。
ビール、詳しくなくて」

メニューを一目見ただけで注文している彼とは違い、いくら見たところで呪文が並んでいるようにしか見えない。

「ビールは得意な方?」

「そんなに……」

はっきり言ってしまえばあまり好きじゃない。
ただ、苦いだけで。

「ふーん。
じゃ、アップルエールで」

「かしこまりました」

店員が下がってふたりきりになってしまう。
どうしよう、なんて戸惑う間もなく。

「お前さー、LINEブロックすることねーだろ」

ミツミさんが口を開いた。

「うっ」

手を拭いたおしぼりを、彼がテーブルの上に投げ捨てる。

「連絡できねーからクソ寒い中、あんなとこで待つ羽目になったし」

「うっ」

いや、これは私が責められることなのか?
ミツミさんが私を待っていたのは彼の勝手だ。

「で、でも、DM……」

「馬鹿か、お前は。
週末、ヤリ逃げされた件でお話ししたいんですが、とか会社のアカウント使ってDMしていいのか?」

「ううっ」

それは、マズい。
定期的に上司がDMもチェックしているのに。

「だって……」

「お待たせしましたー」

口を開きかけたら、店員が頼んだビールを運んできた。

「ま、とりあえず乾杯しようや」

「え、えっと……」

「素晴らしき再会に。
乾杯」

「……乾杯」

少しだけグラスを掲げたミツミさんにあわせて、私も渋々グラスを少しだけ持ち上げる。
ごくごく一気に飲み干す彼をぼーっと見ていた。

「飲まないの?」

「の、飲みます!」

私がグラスに口を付けている間に、彼は店員を呼び止めて新しいビールを頼んだ。

「おいしい……!」

どうせビールなんて、と思って飲んだアップルエールは、口の中で林檎の香りと甘酸っぱさが広がって飲みやすい。

「そりゃよかった」

届いたビールを一口のみ、ミツミさんがメニューを開く。

「なんか食うだろ。
俺、腹が減ってさー」

「って、皆さんと飲んでたんじゃないんですか」

それに参加できなくて、私は悔しい思いをしたのだ。
なのにそこにいるはずのミツミさんがなんでここに?

「一杯だけ付き合って小泉さんに押し付けてきた。
橋川、子供が熱出したから帰るとか言うしさ。
俺ひとりで丹沢姐サンの相手なんかできねーし」

忌々しげにミツミさんがグラスを煽る。

「ひとりって三阪屋さんは……?」

「あの人はおろおろするばっかりでなんもなんないの!」

それは……なんとなく想像できる。

「どうせお前も来るだろうし、そのあと捕まえて週末の話をしようと思ったのに来ないとか言うし」

再びメニューに目を落としたまま、さらっとミツミさんは嫌みを言ってくる。

「だ、だって、仕事だから仕方ないですよね!」

「うん、知ってる。
だから大変でストレス溜まってるっていうのも。
んで、なに食うよ?」

顔を上げたミツミさんが、眼鏡の奥でにぱっと笑う。
その顔はとても優しそうに見えた。

「えっと……シーザーサラダ、で」

「そんだけ?」

「はい」

正直言えば、お腹は激しく空腹を訴えている。
お昼はプロテインバー一本、そのあとは十キロも歩いた。
お腹は空いて当たり前。

「もしかしてやっぱ、太ってるとか気にしてる?」

びくん、とメニューを閉じようとしていた手が大きく震えた。

「合コンもほとんど食ってなかった。
少し痩せたいっていうならかまわないと思う。
でも、無理なダイエットは身体を壊すだけだ」

視線はメニューに向いたまま、さらっと言うミツミさんの言葉がドスッ、と胸に刺さってくる。

「とりあえず今日は食え。
おっ、ラムステーキがあるじゃねーか。
ラムは低カロリーでダイエット向きなんだぞー」

店員を呼んで彼はサラダにラムステーキ、あとは自家製ソーセージとたこのアヒージョにバケットを頼んだ。

「……あなたになにがわかるっていうんですか」

仕事が忙しいからクリスマスは一緒に過ごせない、そう言われたあたりからつい先日まで付き合っていた彼、英人の態度が変わった。

茉理乃まりのはデブだな』

それまでは冗談めかしてそう言うときに愛を感じていたのに、同じ言葉でも悪意しかなくなった。
痩せなきゃと焦る一方でそれが仕事とのストレスと相まってドカ食い。
年が明けたら二キロも太っていた。

『お前みたいなデブ、誰が好きなるかよっ!』

吐き捨てるように言って去っていった英人の言葉はいまでも耳にこびりついて離れない。

痩せなきゃ。
痩せなきゃ、痩せなきゃ、痩せなきゃ。

強迫観念のように追い詰められ、次第に食べなくなっていった。

それでも今回の会に参加するために頑張っている間は、なにも考えずに済んだ。
やっと許可が下りた週末、張り詰めていたものが切れた私は、急激に襲ってくるなにかが怖くて、逃げるのに必死だった。
友人に片っ端から会えないか連絡する。
急だったのでほとんど断られたがひとり、合コンに空きがあるからこないかと誘ってくれ、それに乗った。
その結果が……あれだ。

「……うん。
俺にはわからない」

ミツミさんの静かな声が、すーっと心に染みた。

「好きな奴からデブって振られたお前の気持ちはわからない。
でもひとつ言えるのは、俺がその場にいたらそいつをぶん殴ってたってことだな。
お前、デブじゃないし」

にかっと笑い、ミツミさんがグラスのビールを口に運ぶ。

「……うっ」

出てきそうになった涙を慌てて拭う。
こんなに優しい言葉をかけてもらったのはひさしぶりだ。

「とりあえず今日は食え。
腹が減ってたらどんどん悲しくなるだけだ」

「……はい」

ずびっと鼻を啜ってフォークを掴む。
ラムステーキを刺して口に頬張った。

「旨いか」

「……はい」

眼鏡の向こうで目尻を下げて笑う彼に笑い返す。
どうしてか妙にしょっぱいこのラムステーキの味を、忘れないような気がした。
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