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【14】カフェ
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やがてディアナが解放されたのは、とあるカフェの店先だ。王都では女性に人気なカフェとして有名で、ケーキや紅茶を提供している店だ。ディアナも学生時代には何度か来店したことがある。
「入ろうか」
ユアンはするりと手を解き、なんの説明もなく入店してしまう。
「え、あ……え!?」
置き去りにされた現実。そしてユアンと手を繋いでいた事実が同時に襲いかかり、ディアナは困惑していた。ユアンは当たり前のように繋いでいたし、ついていくことに必死で考えが及んでいなかったのだ。
「……て、あ……ユアン様!? ああもう!」
我に返ったディアナは急いで後を追う。わけがわからないディアナの気も知らず、ユアンは店員に二名でとのんきに答えている。
「先ほどから、どういうつもりなのですか!?」
「たくさん歩いて疲れただろう? 甘い物でもご馳走するよ」
「そういうことは入店する前に言うものです!」
「あれ、言わなかった?」
「言ってません!」
「慣れないことはするものじゃないね。僕も緊張していたのかな」
目を覆いたくなる自由さだ。しかし店内で騒いでは店の迷惑になる。店員もどうしていいか困り顔でいるため、ディアナは大人しく席に誘導されることにする。
二人が案内された席は奥まった場所にあり、ディアナとしても安心だ。この疲労には、間違いなくユアンに危害が加えられないかという心労も含まれている。
そして状況から脱出するためにはケーキを完食することが最善だ。ディアナは素早くメニューに目を通すが、ここでもユアンはのんびりと構えていた。
「ユアン様は何になさいますか?」
そもそも甘いものは好きなのだろうか。
「僕はよくわからないから、きみが決めてよ」
「はい?」
このところ、こればかり言っている気がするのだが。
「きみのおすすめが知りたいな」
可愛らしく強請ってはいるが、これは明らかに自分で選ぶのが面倒な類だ。しかたなくディアナは無難に二種類選んで注文しておいた。
「いつも思うけど、きみはこうと決めたら決断力があるよね」
「そうでしょうか?」
「そうだよ。いつだってきみの決断は思い切りがよくて、行動は迅速だ。僕はいつも驚かされてばかりいる」
「自分では分かりかねます。ユアン様こそ、行動派でいらっしゃると思うのですが」
自らの意思で皇帝よりも院長になる事を選んだ人だ。
「うーん……でも、僕の行動はきみと違って迷惑ばかりかけているからね」
ユアンもディアナと同じことを考えていたのだろう。
確かにユアンの決断には反対も多かったと聞く。ディアナの父でさえ、ユアンが院長になることを最後まで渋っていた。誰だって、優秀な皇帝候補が突然いなくなれば不安にもなる。
しかし最近ではレナードに期待を寄せる声が多く上がっている。彼もまた、兄に劣る事のない政を行うはずだ。同じ学院で一年過ごした自分はよく知っている。
「他者の意見はともかく、わたくしはユアン様の行動は間違っていなかったと思います」
「ディアナ?」
「ユアン様があの時すぐに決断して下さらなければ、いまも学院が存続していたかわかりません。誰かの決定に否定があるのは当然のことです。それでも自らの意思を曲げず、立派に学院を立て直してみせたユアン様は凄いのだと、わたくしは思います」
誰がなんと言おうと学院に在籍している職員たちはユアンを評価している。生徒たちの笑顔が変わらずにいるのもユアンが力を尽くしてくれたおかげだと思う。
皇子であるユアンが院長になれば、弱体化していても簡単に手出しは出来ないだろう。彼が率先して守ろうとしたからこそ、学院は存続出来ているのだ。
ユアンは珍しく言葉に詰まり、ディアナの視線から逃げようとしている。照れているのだろうか? だとしたら今日一日振り回されたディアナは胸がすく思いだ。ユアンには皮肉よりも素直な言葉の方が効くのかもしれない。
「きみに褒められるのは悪い気がしないよ」
「光栄です」
大変なこともあったが、一日の締め括りとしては悪くない思い出だ。タイミングよく運ばれてきたケーキも相まって、ディアナは穏やかな心を取り戻していた。
「きみは甘いものは好き?」
「好きですが、そういうことは入る前に訊くものです」
「次はそうさせてもらうよ」
ディアナが頼んだのは白いクリームでコーティングさた苺のケーキと、シンプルだが上品な光沢を放つチョコレートケーキだ。
「随分と対照的な品にしたんだね」
「ケーキといえば白いクリームに苺の乗ったものが定番ですし、こちらのチョコレートケーキでしたら甘すぎずに食べやすいかと思います。オレンジの風味もきいているので気に入っています。わたくしはどちらでも構いませんので、あとはユアン様の判断にお任せしますわ」
「どちらも僕には未知の世界だな」
「甘いものは苦手なのですか?」
「あまり自分からは食べないかもしれないね。せっかくだし、きみのおすすめを食べてみようかな」
「ぜひ召し上がってください」
必然的にディアナの前には苺のケーキがやってくる。苺のケーキはリゼリカが好んで食べていたものだ。相席する人物はまるで違うが、学生時代に戻ったような心地がする。
「美味しいですね」
美味しい物を食べれば感想は自然に飛び出す。自分からは食べないと話していたユアンだが、たまたまた選んでくれたにしては良い店だ。そのユアンは興味深そうにケーキを食べている。
「本当だ。初めて食べたけれど、確かに甘すぎなくていいね」
「そのケーキは一緒に提供されている紅茶との相性も良いのですよ」
「本当だ。けど、僕はきみが入れてくれた紅茶の方が好きだな」
ディアナがユアンに紅茶を入れたのは一度きり。ユアンにとっては都合の良い一杯で、とっくに忘れていると思っていた。それが突然褒められては驚きもする。ディアナとて、今の今まで忘れていたくらいだ。
「本職の方が入れたものには劣ります」
「でも僕はあれが好きだよ。またきみの紅茶が飲みたいな」
「え、あ……考えて、おきます……」
自分の作ったものを褒められるのは嬉しいことだ。しかし素直にまたご馳走するとも言えず、居心地悪くなったディアナは紅茶を飲むことで誤魔化した。
「そういえば、紅茶のお礼をしていなかったね」
「あれは対価をいただくようなものではありません」
押し切るように自分が勝手にやったことだ。むしろ無理やり飲ませたとも言える。
断ろうとしたディアナだが、それよりも早く目の前にフォークが差し出されていた。
「これはなんの真似です」
「口を開けて?」
フォークにはベルベットのケーキが一口乗せられている。どうしてそうなったのかは疑問だが、食べさせてやると言いたいのだろう。
「お断りしますわ」
見目の良い男性に迫られたのであれば頬を染める場面なのかもしれない。だがディアナは毅然とした態度で断った。何より呆れの感情しか湧かない。
「どうして? きみ、このケーキが好きなんだよね」
「それはユアン様のものです」
「僕が選んでしまったからね。でも、きみもこれが食べたかったんだよね? 遠慮はいらないよ。紅茶のお礼さ」
「わたくしはこちらのケーキで満足しています。本当に食べたければ同じものを二つ頼んでいました」
「でも好きなんだよね? だからはい、あーん……良い子だから」
「悪い子で構いませんわ!」
「残念」
何が残念なものか。ディアナは問い詰めてやりたかった。
「そういえばきみ、ワルツは踊れるの?」
「わたくしは魔法大臣の娘です」
誰に向かって聞いているとディアナは言った。
幼い頃からパーティーに顔を出すことは多い。それにかつては第二皇子の婚約者だったのだ。ワルツが踊れないでは話にならない。
堂々たるディアナの返答にユアンは満足そうだ。
「頼もしいパートナーで心強いな」
そうだろうとディアナは胸を張る。
しかし続く言葉はまたしても予想外だ。
「僕はもうずいぶんと長い間、踊っていなくてね。当日までに練習させてもらえるかな」
皇子殿下からの、まさかの告白である。てっきりエスコート同様にお手の物だと思っていたのだが。
「当日きみの足を踏んでしまっては申し訳ないからね」
「そのような醜態を晒すのはごめんです! 明日から早速、練習の予定を組ませてもらいますわ!」
「よろしく頼むよ。ああ、その時にはまたあの紅茶を淹れてくれると嬉しいな」
上手く誘導されている気もするが、当日足を踏まれる危険性は排除しておきたいと、ディアナは練習の計画を立てることにした。
「入ろうか」
ユアンはするりと手を解き、なんの説明もなく入店してしまう。
「え、あ……え!?」
置き去りにされた現実。そしてユアンと手を繋いでいた事実が同時に襲いかかり、ディアナは困惑していた。ユアンは当たり前のように繋いでいたし、ついていくことに必死で考えが及んでいなかったのだ。
「……て、あ……ユアン様!? ああもう!」
我に返ったディアナは急いで後を追う。わけがわからないディアナの気も知らず、ユアンは店員に二名でとのんきに答えている。
「先ほどから、どういうつもりなのですか!?」
「たくさん歩いて疲れただろう? 甘い物でもご馳走するよ」
「そういうことは入店する前に言うものです!」
「あれ、言わなかった?」
「言ってません!」
「慣れないことはするものじゃないね。僕も緊張していたのかな」
目を覆いたくなる自由さだ。しかし店内で騒いでは店の迷惑になる。店員もどうしていいか困り顔でいるため、ディアナは大人しく席に誘導されることにする。
二人が案内された席は奥まった場所にあり、ディアナとしても安心だ。この疲労には、間違いなくユアンに危害が加えられないかという心労も含まれている。
そして状況から脱出するためにはケーキを完食することが最善だ。ディアナは素早くメニューに目を通すが、ここでもユアンはのんびりと構えていた。
「ユアン様は何になさいますか?」
そもそも甘いものは好きなのだろうか。
「僕はよくわからないから、きみが決めてよ」
「はい?」
このところ、こればかり言っている気がするのだが。
「きみのおすすめが知りたいな」
可愛らしく強請ってはいるが、これは明らかに自分で選ぶのが面倒な類だ。しかたなくディアナは無難に二種類選んで注文しておいた。
「いつも思うけど、きみはこうと決めたら決断力があるよね」
「そうでしょうか?」
「そうだよ。いつだってきみの決断は思い切りがよくて、行動は迅速だ。僕はいつも驚かされてばかりいる」
「自分では分かりかねます。ユアン様こそ、行動派でいらっしゃると思うのですが」
自らの意思で皇帝よりも院長になる事を選んだ人だ。
「うーん……でも、僕の行動はきみと違って迷惑ばかりかけているからね」
ユアンもディアナと同じことを考えていたのだろう。
確かにユアンの決断には反対も多かったと聞く。ディアナの父でさえ、ユアンが院長になることを最後まで渋っていた。誰だって、優秀な皇帝候補が突然いなくなれば不安にもなる。
しかし最近ではレナードに期待を寄せる声が多く上がっている。彼もまた、兄に劣る事のない政を行うはずだ。同じ学院で一年過ごした自分はよく知っている。
「他者の意見はともかく、わたくしはユアン様の行動は間違っていなかったと思います」
「ディアナ?」
「ユアン様があの時すぐに決断して下さらなければ、いまも学院が存続していたかわかりません。誰かの決定に否定があるのは当然のことです。それでも自らの意思を曲げず、立派に学院を立て直してみせたユアン様は凄いのだと、わたくしは思います」
誰がなんと言おうと学院に在籍している職員たちはユアンを評価している。生徒たちの笑顔が変わらずにいるのもユアンが力を尽くしてくれたおかげだと思う。
皇子であるユアンが院長になれば、弱体化していても簡単に手出しは出来ないだろう。彼が率先して守ろうとしたからこそ、学院は存続出来ているのだ。
ユアンは珍しく言葉に詰まり、ディアナの視線から逃げようとしている。照れているのだろうか? だとしたら今日一日振り回されたディアナは胸がすく思いだ。ユアンには皮肉よりも素直な言葉の方が効くのかもしれない。
「きみに褒められるのは悪い気がしないよ」
「光栄です」
大変なこともあったが、一日の締め括りとしては悪くない思い出だ。タイミングよく運ばれてきたケーキも相まって、ディアナは穏やかな心を取り戻していた。
「きみは甘いものは好き?」
「好きですが、そういうことは入る前に訊くものです」
「次はそうさせてもらうよ」
ディアナが頼んだのは白いクリームでコーティングさた苺のケーキと、シンプルだが上品な光沢を放つチョコレートケーキだ。
「随分と対照的な品にしたんだね」
「ケーキといえば白いクリームに苺の乗ったものが定番ですし、こちらのチョコレートケーキでしたら甘すぎずに食べやすいかと思います。オレンジの風味もきいているので気に入っています。わたくしはどちらでも構いませんので、あとはユアン様の判断にお任せしますわ」
「どちらも僕には未知の世界だな」
「甘いものは苦手なのですか?」
「あまり自分からは食べないかもしれないね。せっかくだし、きみのおすすめを食べてみようかな」
「ぜひ召し上がってください」
必然的にディアナの前には苺のケーキがやってくる。苺のケーキはリゼリカが好んで食べていたものだ。相席する人物はまるで違うが、学生時代に戻ったような心地がする。
「美味しいですね」
美味しい物を食べれば感想は自然に飛び出す。自分からは食べないと話していたユアンだが、たまたまた選んでくれたにしては良い店だ。そのユアンは興味深そうにケーキを食べている。
「本当だ。初めて食べたけれど、確かに甘すぎなくていいね」
「そのケーキは一緒に提供されている紅茶との相性も良いのですよ」
「本当だ。けど、僕はきみが入れてくれた紅茶の方が好きだな」
ディアナがユアンに紅茶を入れたのは一度きり。ユアンにとっては都合の良い一杯で、とっくに忘れていると思っていた。それが突然褒められては驚きもする。ディアナとて、今の今まで忘れていたくらいだ。
「本職の方が入れたものには劣ります」
「でも僕はあれが好きだよ。またきみの紅茶が飲みたいな」
「え、あ……考えて、おきます……」
自分の作ったものを褒められるのは嬉しいことだ。しかし素直にまたご馳走するとも言えず、居心地悪くなったディアナは紅茶を飲むことで誤魔化した。
「そういえば、紅茶のお礼をしていなかったね」
「あれは対価をいただくようなものではありません」
押し切るように自分が勝手にやったことだ。むしろ無理やり飲ませたとも言える。
断ろうとしたディアナだが、それよりも早く目の前にフォークが差し出されていた。
「これはなんの真似です」
「口を開けて?」
フォークにはベルベットのケーキが一口乗せられている。どうしてそうなったのかは疑問だが、食べさせてやると言いたいのだろう。
「お断りしますわ」
見目の良い男性に迫られたのであれば頬を染める場面なのかもしれない。だがディアナは毅然とした態度で断った。何より呆れの感情しか湧かない。
「どうして? きみ、このケーキが好きなんだよね」
「それはユアン様のものです」
「僕が選んでしまったからね。でも、きみもこれが食べたかったんだよね? 遠慮はいらないよ。紅茶のお礼さ」
「わたくしはこちらのケーキで満足しています。本当に食べたければ同じものを二つ頼んでいました」
「でも好きなんだよね? だからはい、あーん……良い子だから」
「悪い子で構いませんわ!」
「残念」
何が残念なものか。ディアナは問い詰めてやりたかった。
「そういえばきみ、ワルツは踊れるの?」
「わたくしは魔法大臣の娘です」
誰に向かって聞いているとディアナは言った。
幼い頃からパーティーに顔を出すことは多い。それにかつては第二皇子の婚約者だったのだ。ワルツが踊れないでは話にならない。
堂々たるディアナの返答にユアンは満足そうだ。
「頼もしいパートナーで心強いな」
そうだろうとディアナは胸を張る。
しかし続く言葉はまたしても予想外だ。
「僕はもうずいぶんと長い間、踊っていなくてね。当日までに練習させてもらえるかな」
皇子殿下からの、まさかの告白である。てっきりエスコート同様にお手の物だと思っていたのだが。
「当日きみの足を踏んでしまっては申し訳ないからね」
「そのような醜態を晒すのはごめんです! 明日から早速、練習の予定を組ませてもらいますわ!」
「よろしく頼むよ。ああ、その時にはまたあの紅茶を淹れてくれると嬉しいな」
上手く誘導されている気もするが、当日足を踏まれる危険性は排除しておきたいと、ディアナは練習の計画を立てることにした。
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