僕の知らない彼女の素肌と貌

繁村錦

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 約束の土曜日の朝――。
 裕翔から電話が入った。

《ごめん、香織ちゃん。実はさぁ、昨日事故って怪我しちゃったんだ》

 裕翔の声がどことなく沈んでいた。

「事故って……車で」

《うん。前を走ってる車にぶつかっちゃって》

「怪我したっていったけど、酷いの」

《いや、それほど酷くはない。ただ、顔面打っちゃって前歯が二本欠けちゃった》

「えっ前歯が二本もッ!?」

《だからさ、取り敢えず今日の映画はキャンセルってことで。また今度、今日の穴埋めするから》

「そう。わかった。お大事に」

《じゃあ、バイバイ》

 電話を切ると、香織は嘆息を吐いた。それほど乗り気ではなかったのだが、いざドタキャンされると気分は好くない。理由が理由だけに納得しない訳にはいかない。

「ああ、今日の予定が完全に狂っちゃった」

 素っ気なくいい、香織は気分を切り替え、一人で映画を観に行くことにした。
 花柄のワンピースに着替えると、大人びた赤いハイヒールを履き、マンションを出た。公共交通機関を乗り継いで、新宿の映画館へ向かった。
 午前十時十五分から映画ははじまる。上映時間は、約二時間だ。
 現在時刻は、午前九時過ぎだった。
 映画がはじまるまで、まだ少し時間があった。香織は新宿の街を散策することにした。
 暫くウインドショッピングを楽しんでいると、背後から声を掛けられた。新手のナンパだと思い無視した。しかし、しつこく声を掛けて来る。鬱陶しいなと思いつつ振り返ると、声を掛けて来たのはあの聖也だった。

「橋爪さん……」

 K大生主催の飲み会以来だった。

「無視するなんて酷いよっ、香織ちゃん。そんなに俺のこと嫌いなの」

「……ごめんなさい、無視して。まさか橋爪さんだったなんて思っていなかったから」

 香織は取り敢えず謝った。

「今、一人?」

 聖也が訊ねると、香織は正直に答え、裕翔の映画デートがドタキャンになったことも説明した。

「そうだったんだ。でも裕翔の奴、抜け駆けなんかするからバチが当たって事故るんだよ。アイツ、香織ちゃんには怪我は大したことないなんていってたけど、本当は重症だったんだぜ。鼻の骨なんか折れちゃったりしたし」

「えっ、鼻の骨が……!?」

「うん、マジ。この辺が」

 聖也は、裕翔が鼻を骨折したという部分を摩りながら説明する。

「何だか、可哀そう……」

 このあと、暫く立ち話をした。

「ねえ、だったら俺と映画デートしない」

「えっ聖也君と……」

 香織は少し戸惑い上擦った声を出した。

「ただのデートごっこだよ。深く考えることないよ」

「デートごっこ」

 香織は確認する。

「そうデートごっこ。ねっ、俺と一緒に映画観に行こうよ。付き合うよ香織ちゃんに」

 女の扱いに慣れた聖也は、晩熟で押しに弱い香織を強引にデートに誘った。
 そして否応なしに、なし崩しに二人はデートを楽しむことになった。
 ハリウッド映画自体は大して面白くなかった。
 午後十二時三十分。
 映画館の外へ出ると、何かいいたげな表情で、聖也が香織を見やった。

「ねえ、このあとどうするメシ行かない」

「昼食か」

 香織は少し考え込んだ。

「代官山に美味いイタ飯屋があるんだけど、行かない」

「イタリア料理か……」

「何だったら奢ろうか」

「悪いですよ、映画代も出していただいたのに」

「いいからいいから。ねっ香織ちゃん、行こう」

 結局、聖也に押し切られ、香織は代官山にあるという彼の馴染みのイタリア料理店へ向かうことになった。
 二人は、パスタランチセットを頼んだ。それと、のどごしがすっきりしたスパークリングワインと。
 これが聖也の仕掛けた甘い罠だとは気づくことなく、アルコールに弱い香織は、グラスで三杯ほど飲んでしまった。
 一時間三十分後、ほろ酔い気分の香織は聖也とともにイタリア料理店を後にした。

「大丈夫っスか香織ちゃん。顔真っ赤ですけど」

「うん、大丈夫。ちょっと酔っただけ……」

 千鳥足で歩く香織は、段差の部分で蹴躓きよろけてしまい、咄嗟に手を出した聖也に身体を支えてもらった。

「大丈夫じゃないじゃん香織さん。もうフラフラじゃない」

「ごめんなさい。橋爪さん」

「ほらッしっかりして。ちゃんと前向いて歩かなきゃ」

 そういいながら、聖也は香織の背中から手を回し、彼女の胸元で身体を支えた。

「大丈夫、大丈夫……」

「意外と香織ちゃんっておっぱいデカいんっスね。着痩せするタイプですか」

 香織の身体を支えている聖也の手が、彼女の胸元に触れた。

「もうッエッチ」

 香織はにっこりと笑いながらいった。

「ねえ、この先のホテルで休憩して行きましょう。酔いが醒めるまで」

「休憩……本当に休憩するだけですよ」

 香織は呂律の回らない口調で確認する。

「はい。休憩するだけです」

 聖也は、その酷薄な黒い眸の奥に、悪魔めいた欲望を隠しつつ真顔で頷いた。
 香織は、この男の餌食となることに気付かず、彼に身体を支えられながらホテルへ爪先を向けた。
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