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【レティシア12歳】

035.分かってくれない人ばかり

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「ていうかお前!」

 ジャックはアンドレに駆け寄ってその両肩を両手で掴んだ。ちなみにアンドレは彼が駆け込んできた時からの石造りの椅子に座ったままなので、今ならジャックでも肩に手が届く。

「あんな美少女からの釣書断ったのかよ!!」

 ジャックの目が怒りに満ちている。いやなんでお前が怒ってるんだよ。

「お前それとかいうレベルじゃねぇぞ!男としてこれ以上の幸せなんてないのに、何てことしてくれてんだ!」
「いやだから無理だって散々言ったじゃねえか。俺らみたいな平民に毛が生えたような木っ端騎士が、公爵家のご令嬢なんかと付き合えねえって」

 ましてや婚約の申し込み、それはつまり将来婚姻して事になるという約束なのだ。そんなのどう考えたってこの先の人生が茨の道になるとしか思えない。
 身分差に苦しむことはもちろんのこと、どこへ行っても嫉妬と羨望の眼差しを向けられるし、それだけでなく実害を被ることになる未来が待っている。

「そんなの分かんねえじゃねえか!」

 平民出身のジャックにはきっと分からない。社交界が、高位貴族の社会がどれほどの陰謀と政略でドロドロした醜い場所なのかが。
 騎士が姫様と結ばれて幸せになるだなんて、所詮は物語の中の話でしかない。歴史上で実例がないとまでは言わないが、幸せになるまでに乗り越えなくてはならない道のりは相当に長く険しく辛いものなのだ。
 そのことを子爵家に生まれて、曲がりなりにも社交界を経験しているアンドレは垣間見ている。下位貴族に属する自分が分かる範囲でもドン引きするほどなのだ。絶対にでのえげつなさは想像を絶するに違いないのだ。

 そしてきっと、分かっていないのはレティシアも同じだとアンドレは正確に見抜いていた。彼女は家門と血筋と配下に守られていて、逆にそういった害意からは引き離されて育ってきているのだから。
 だから自分と関わることで、アンドレがのか、彼女はきっと想像できていない。もしもできていたなら、とっくに諦めているはずだとアンドレは考えている。

「そもそもノルマンド公の寵を得て男爵位を賜ったこと自体に相当なやっかみが来たんだぞ。この上あの方と婚約なんかしてみろ、闇討ちされてこの世から消えてなくなるのがオチだ」
「いやいやそんなお前大袈裟…」
「男爵を受けた直後、お茶会や夜会のお誘いがどれだけあったと思う?46家だぞ?」

「よっ………!?」
「ちなみにブザンソン子爵家じっかの方には23家から来た」
「実家にも!?」
「当たり前だが全部断らせてもらった。到底断れないような伯爵家とか侯爵家とかはノルマンド公に口添えしてもらった。実家の方はブルグント侯爵家やルワール侯爵家にも力を借りてなんとか穏便に済ませたって聞いている」

 アンドレを招待する魂胆なんて分かりきったことだ。分不相応にも公爵家に取り入ったことへの批判か、阿って仲良くして自分たちも公爵家へ口添えしてもらうためか、それともアンドレ本人もしくは実家の弱みでも調べ上げて、アンドレを意のままにして公爵家の秘密でも調べさせようとするのか。

「な、なんでそんな………」
「決まってんじゃねえか。誰も彼もノルマンド家とからだよ」

 使えるものは何でも使う。使えないものでも使えるように画策し、そしてお家の利益に繋げてゆく。それが高位貴族というものだ。
 そんな高位貴族家門にとって、力もなく処世術にも長けないのアンドレなどていのいいカモでしかない。

「で、でもそれならそれでノルマンド家に守ってもらえば──」
「守られてるだけで何の役にも立たない穀潰しになれ、と?」

 とうとうジャックは黙ってしまった。ここに来てようやく、彼もアンドレが何を言っているのか理解できてきたのだ。
 ノルマンド公爵家は王家の血も引くガリオン屈指の高貴な家柄だ。そんな家門に縁を繋いで取り入りたいと誰しもが考えるのは当然のことで、いつだってそのを求めているのだ。
 そんな狩り場のような社交界に、下位貴族としての処世しかできないアンドレがノコノコ出ていっても、骨の髄までしゃぶられるだけならまだマシな方だ。陰謀や犯罪に巻き込まれでもして、ノルマンド家や王家に瑕疵をつけるような事になっては目も当てられないのだ。そうなればアンドレ本人のみならず、実家や親類縁者の破滅までも引き起こすことになるだろう。

「俺と婚約することで得られる利点アヴァンテージはレティシア様にもノルマンド公爵家にも一切ない。むしろ不利益ディザヴァンテージにしかならん」
「………………。」
「だというのに、まだお若いからレティシア様ご自身がそのことを解っておられないんだ。あの方はただ、5歳の頃の初恋を追ってらしてるだけだから」

「え、5歳の頃の初恋ってなんの話だよ?」

「ああ、言ってなかったか?7年前に俺がレティシア様をお救いしてノルマンド公爵家に召喚されたことがあっただろう?あの時に仰られたんだ。自分を救ってくれた騎士様と是非婚約したい、と」

「………………はぁ!?」
「そこから7年だぞ。諦めるどころかこのセーの街に引っ越して来てまで俺なんかの傍にいたいと仰って下さるんだ。そりゃあ有り難いが、それで起こるトラブルフレイカスを考えると頭が痛いよ」

「お、おま………」

「ん?」

「お前、そんな前から婚約申し込まれてたのか!?」

 信じられないものを見るように顔を歪め、ジャックは絶叫した。
 この変態、ロリコン、そんな奴だと思わなかったと、口を極めて罵られてさすがにアンドレもキレた。

「だから断ったって言ってんじゃねえか!5歳の時も、こないだの12歳になってからも!あの方が引っ越してきたその日に見つかって邸に招待されたのだってその場で断って逃げたんだぞ!」

 そう。あの時レティシアに捕まったアンドレは、そのまま邸へ連れて行こうとするレティシアに「今から夜番だから」と嘘までついて逃げたのだ。
 そしてそれ以来、なるべく目立たぬよう見つからぬよう、おおきな身体をなるべく縮こまらせて、職場と部屋の往復だけに留めている。あれから10日ほど経つが、その間飲みにも出られていないのだ。

「そ、そこまでかよ………」
「そこまでなんだよ」
「そんなにあの美少女が嫌いなのか………」
「だからそうじゃねえって!」

 このあと、他ならぬジャックの口から『アンドレはロリコンでしかも女嫌いだった』とあられもない噂を流されて、アンドレは躍起になって火消しに奔走させられるハメになるのだが、その話は残念ながら割愛させて頂こう。





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