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【レティシア12歳】
048.犯した罪の大きさは
しおりを挟む「ご無事でようございました、お嬢様」
「は…………はい…………」
「それにしてもお早いお帰りでしたわね、お嬢様」
「は…………はい…………」
「探検は、楽しゅうございましたか?」
「は…………い、いいえ…………」
ニコニコと穏やかな表情と口調で語りかけるジョアンナ。
なのに返答するレティシアは顔面蒼白で、今にも死にそうである。
そんなレティシアは、まだアンドレの腕に抱きかかえられたままである。ついさっきまでこの世で一番安全で安心できて心から寛げるレティシア専用の揺りかごだったそこは、今のレティシアにはどこよりも堅牢で逃げ場も希望もない、絶望の牢獄に様変わりしている。
「あ、アンドレさま……お願いです、下ろして……」
「ああ、そのままで結構ですよお嬢様。なんならお父上の御元までそのままでもよろしゅうございましてよ?」
「ひっ…………!」
もう絶対に公爵の元まで連れて行かれる。それが確定してしまったと理解してレティシアは涙目である。だが自分のしでかした結果なのだから、誰に文句を言えるものではない。
というかむしろ。
「あ、アンドレさま、下ろしてくださいませ!一生のお願いですから!」
どうにかその太い腕から逃れようと、レティシアがもがく。そうして暴れられると力加減にも気を使わねばならないアンドレは途端に神経を使わされるハメになる。
「ブザンソン卿、下ろしてくださって構いませんわよ」
ジョアンナからそう言われて、アンドレはそっとレティシアを地上に下ろした。
ようやく自由になったレティシアはといえば、なんとジョアンナの足元に駆け寄りドゲザしたではないか。
「本当にっ!申し訳ありませんでした!」
もはやその姿は麗しき公女のそれではなかった。
ドゲザ。誰が広めたかは定かではないが、このガリオン王国から西方世界全体に広まった、最上級の謝罪方法である。
脛を地または床につけ、膝を揃えて折り、尻を足に乗せ、膝の前に両手をついて両肘を折り、頭を地につけるほど下げて誠心誠意の謝罪と反省の言葉を述べる。それが“ドゲザ”だ。
どこの地方の作法かも分からず、何故そうしなければならないのかも伝わらないが、それがおよそ貴顕の者のして良い仕草ではないことは誰にでも分かる。というかまるで罪人のようにも見えて、それが余計に反省を示す仕草だと受け入れられたのだから、何とも皮肉と言えば皮肉である。
「あら。罪を犯したことは理解なさっておられるのですね」
そして、そんな無様なレティシアを押し止めるでもなく、咎めるでもなく、ジョアンナが当然のように受け入れたのだから驚きだ。
「それで?お嬢様は一体なにをそこまで反省なさっておられるのでしょう?」
「は、はい、まず第一にアンドレさまの言いつけを守らず、ひとりで森へ入ったこと」
「そうですね。それで?」
「アンドレさまや護衛たちから逃げるように、森の奥深くまで入ってしまいました」
「それから?」
「も、森で……ほ、炎の魔術を使ってしまいました」
「それだけですか?」
「えっ……」
途端にレティシアが言葉に詰まる。頭の中で必死に何がいけなかったのか、何が咎められる行動だったのか思い返そうとするが、上手く頭が働かない。そもそも慣れない森の中を必死で逃げ回って、魔術まで使って疲労困憊のままなので、思考能力も回復していないのだ。
「え……ええと…………」
考えても浮かばない。浮かぶのは冷や汗だけだ。
「分かりませんか」
ジョアンナが小さくため息を吐いた。それだけでもうレティシアは死刑宣告を受けた気分である。
「それですよ」
ややあって、ジョアンナが短く呟いた。具体的に示されなかったことで思わず顔を上げたレティシアが見たのは、自分を指差すジョアンナの手と落胆の表情だった。
「ノルマンド公女でありながら森を駆け、枝葉や下草で手足を傷つけ、美しかった御髪やお召し物をそのように無残な有り様にして。⸺尊き御身を危険に晒したことこそが一番の“罪”でしょう?なぜそこに思い至らないのですか」
そんなの分かるわけないわ、とレティシアは思った。
だが分からなければならなかったのだ。だって彼女はノルマンド公爵家の公女であるだけでなく、ガリオン王国のロベール王家の姫でありリュクサンブール大公家の姫であり、そこらの国の王などよりもずっと高貴な、この世界に“それ以上”を探すほうが難しい、文字通り至尊の存在なのだから。
その身に擦り傷ひとつ付いただけで、数え切れないほどの人間の首が物理的に飛ぶのだ。それほどの価値がその身に、その命にはあるのだ。そんなものを彼女は自ら傷付けたのだ。
それがどれほどに罪深いか、どれほど多くの人に影響を与えるか、彼女は知っていなければならなかった。なのにそれを、ジョアンナに指摘されるまで答えられなかったのだ。
「あ…………ああ…………」
そのことにようやく気付いて、レティシアはもはや息もできない。アンドレや護衛たちはもちろん、専属侍女であるジョアンナや専属馭者のセルジュでさえ、たった今自分でその首を飛ばしたのだ。
それはもう、紛うことなき“罪”であった。
自分の言動ひとつで、多くの人々に影響を与えることになる。公爵や執事長、ジョアンナたちから聞き飽きるほど言われてきた事だった。なのにそれを彼女は、本当の意味で理解していなかったのだ。
そのことに、自分の過失で大好きな人たちを失うかも知れないという事実に指摘されてようやく思い至って、レティシアの目にみるみる涙が浮かぶ。だがもうやってしまったのだ。
ジョアンナはレティシアを立たせ、簡単に身なりを整えさせつつ随従の侍女たちに撤収を指示した。侍女たちは顔色ひとつ変えずにテキパキと作業を進め、ほどなくレティシアたちは帰路についた。
帰りの脚竜車の中で、誰も口を開かなかった。車内にはレティシアとジョアンナ、それにアンドレの三人だけだ。ジョアンナはいつも通り平静そのもので、アンドレも強面の真顔のまま黙っている。
レティシアは絶望に打ちひしがれていたが、それでも最後の矜持で取り乱したりはしなかった。今この場でどれだけ泣き叫んでも無駄だと理解しているからだ。
膝の上で固く握りしめていた右拳が不意に大きく温かなものに包まれる。一瞬ビクリと反応してしまい、ついで顔を上げたレティシアの目に、わずかに目を細めたアンドレの顔が飛び込んできた。
それが自分に微笑みかけてくれているのだと解って、その優しさに、その掌の温かさにレティシアは泣きたくなった。
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