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【レティシア12歳】
049.二度と忘れるな
しおりを挟む「…………まあ、だいたいの経緯は分かったよ」
首都公邸の応接室で、眉間を揉みながらそう言ったのはノルマンド公爵オリヴィエである。
テーブルを挟んだ向かいのソファにはアンドレとレティシアが並んで座っていて、レティシアの後ろにジョアンナと護衛隊長が立っている。アンドレは仏頂面だが顔色は緊張一色で、レティシアは青ざめてはいるもののしっかりと目線を父に向けていた。
「それで、レティシア」
静かに、あくまで静かにオリヴィエは口を開く。
その顔は普段の娘溺愛のパパの顔ではなく、公爵の顔をしていた。
「どう責任を取るつもりかな?」
そう言われて、レティシアの肩が僅かに跳ねる。
「わたくしは⸺」
「こたびのことは、全てこの私めに責任がございます」
だが口を開いたレティシアの言葉は、被せるように発したアンドレの言葉にかき消された。
「アンドレさま⸺」
「あのような場にお連れして、お嬢様が突発的な行動をなさると予測できなかった私の責任です。お嬢様を危険な目に遭わせ、あまつさえ怪我を負わせるなどあるまじきこと。いかような罰も進んで受ける覚悟です」
アンドレは最初から、全ての責任を被るつもりでいたのだ。そのことにようやく気付いて、レティシアが泣きそうな顔になる。
「いいえ」
だが背後から声が上がって、思わずレティシアは振り返ってしまう。
声を上げたのが使用人であり、許可なく発言をできないはずのジョアンナだったからだ。
「お嬢様がああした行動に出られると、予測できていながらお止めしなかったのはわたくしでございます。責があるというのでしたら、わたくしにこそ」
胸に手を当て、ジョアンナはそうハッキリと断言した。
「お嬢様を護るのは騎士である我が務め。それを果たせなかったのは⸺」
「いいえ。お嬢様の御心を慮りその動作の端々にまで気を配るべきは侍女の務めでございます。それを果たせなかったわたくしにこそ、どうか罰を」
「うん、埒が明かないねえ」
口々に自分に責任があると主張するアンドレとジョアンナに、ノルマンド公がため息をつく。
「僕が訊ねたのはレティシアだけなんだけどね」
そしてその顔のままそう言われてしまうと、アンドレもジョアンナも口を噤むしかなくなる。
「……申し訳ございません」
「差し出がましいことを申し上げました」
ふたりとも恐縮して頭を下げる他はない。
「……わ、わたくしは」
ノルマンド公にじっと見据えられて口を開き、震える声でそこまで言ったものの、それ以上レティシアは言葉を続けることができない。
どうしたらふたりが罰せられずに済むのか、どうしたら責任を取れるのか、自分にできる責任のとり方はなんなのか。彼女には何も分からない。だって彼女はまだ12歳で、今まで起こったトラブルに対処した経験も、その責任を取ったことも、一度もなかったのだ。それらは全て、父であるノルマンド公が代わって処理してくれていたから。
自分はただ守られているだけの子供で、なんの責任も取れやしない。そのことに改めて気付かされて、レティシアは打ちのめされるばかりだ。自分の行動の責任でさえ、彼女は取れないのだ。
「おとうさ、……いえ、ノルマンド公閣下の仰せのままに致します」
そうして彼女は、自分で責任を取ることを放棄せざるを得なかった。
ノルマンド公の采配に委ねること、それはアンドレやジョアンナたちが死を賜ったとしても受け入れるということだ。自分で発言しておきながら、その未来が間違いないことのように思えてレティシアは絶望するしかない。
するしかないが、それこそが自分の地位と立場を弁えずに勝手なことを仕出かして、周囲みんなに迷惑をかけた挙げ句に責任問題を生じさせてしまった自分への罰なのだ。
公爵の顔をしたままの父の視線を受け止めきれずに、レティシアは深く頭を下げた。
「⸺そうか。分かった」
そのレティシアの頭上に、公爵の冷えた声が降り注ぐ。キイ、という微かな音がして、分厚い絨毯に吸い込まれる足音と、近付く気配。
レティシアは頭を上げなかった。上げられなかった。公爵の仰せのままにと自分で言ったのだ。だから公爵が頭を上げていいと命じてもいないのに、頭を上げることが出来なかった。
気配が目の前までやって来て、下げたままの頭上に影が落ちた。
「レティシア。頭を上げなさい」
ようやく命じられて、レティシアは頭を上げた。
その上向いた目線の先にあったのは、右手を振り上げた公爵の姿だった。
パアン。
乾いた音とともに痛みが走り、身体がぐらついてレティシアはその場に倒れ込んだ。
一瞬、何が起こったか分からなかった。だが数瞬遅れて頬をはたかれたのだと理解が追いついた。
父に初めて叩かれた。
いや違う。これは公爵閣下からの叱責だ。
そう理解が及んだら、思考するより早く身体が動いていた。
そう。父はずっと公爵の顔をしているのだ。だったらこの場は公の場であり、自分は公女であらねばならない。
だとするならば、公女として相応しい振る舞いが求められる。
そう思考が追い付いた時には、レティシアは立ち上がって姿勢を正し、深く頭を下げていた。
「誠に、申し訳ございませんでした」
咄嗟にそう声が出た。
心の中か、頭の中か、『違う』と声がする。
『もう一声』と。
「閣下の大事な配下を、国家の騎士を、無為に危険に晒したこと、伏してお詫び致します」
沈黙が流れた。
レティシアはそれきり口を噤み、公爵も、公爵の使用人も、国家の騎士も、誰ひとり口を開かない。
それが当然だ。この場でもっとも上位者である公爵が、発言を許可しないのだから。
「レティ、顔を上げなさい」
ややあって、柔らかな父の声がした。
レティシアが命令に従うと、そこには父の顔があった。
「そう。それでいいんだよ」
父にそう言われて微笑まれ、ようやくレティシアの全身から力が抜けた。
思わず崩れ落ちそうになったが、気合で踏ん張った。例えこの場に公爵がいなくとも、レティシアが公女でなくなったわけではないのだ。
「今、そなたが自分で気付いたことを、二度と忘れるんじゃない」
父の顔が、再び公爵の顔と声に戻った。
「そなたは我がノルマンド公爵家の公女で、栄えあるガリオン王国の王女で、偉大なるリュクサンブール大公国の公女なのだ。それを、二度と忘れるな」
「はい」
「よいか、二度はないぞ」
「骨の髄まで銘じます」
「分かればよろしい」
それだけのやり取りのあと、公爵は再び上座の席に戻り腰を下ろした。
「話は終わりだ。全員下がってよろしい」
そう命じられて、その場の全員が公爵に礼法に則った挨拶をして退出していった。
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