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世界救済編

幾千の煌めきが我を流れ

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 登山が趣味の人は、地上を<下界>と呼ぶと聞いたことがある。当時はその独特な表現にユーモアと少しのロマンを感じたものだけど……今なら分かる気がする。
 冷たく、味のない、けれど澄んだ空気。眩い白が一面に敷かれた地と、視界を遮る物が何もない大空。俗世からあまりにもかけ離れた景色は、この世ではないどこかーー別世界にいる錯覚が起きた。
 でも、その感覚はやがて見えてきた物に失せる。

「なに、これ……」
 
 何もない山道を歩き続けた先。視界を、ソレが覆う。
 無骨な岩肌は所々が欠け、よく見ると融けて再び固まったような跡もあった。残存部分には謎の記号、あるいは文字が形に沿って細かく彫られている。その中で<人>のようなものが目に留まり、目を細める。

(岩も、造形も類似物を見たことがない。なのにあの記号? 文字? だけは既視感があるような……)

 雄大な自然、銀世界に突如として現れた異物。鉛色の物体。
 ーー物々しい巨大な円環が内へと重なり、一つの球となっていた。
 どういう原理か、宙へと浮いてソレは……重く動いている。

「古代文字だな」

 一歩前へ出たウラヌスが言う。
 似て非なるもの。既視感の正体はそういうことか。

「我が国に、このような物が……?」

 ウラヌスへ並んだローダーが驚愕の表情で物体を仰ぎ見る。彼さえ知らないなら、本当にこの地へは誰も寄らないんだ……。

「動いている。何故だ? 何をしている…!?」

 もっと近くで観察したくても高過ぎる。
 円環の動きは、それぞれが少しずつズレて一方向へ、と規則的だった。球の中心には何もない。読めない文字を下へ下へと辿っていくと、奥の方に別の何かがあるのに気付いた。

「ねぇ、向こう……何があるよ」
「待て、エイコ。先に行くな」

 足を進めたわたしの前にウラヌスとローダーが出て来る。みんなも後に続いて球を通り過ぎたら、もっともっと驚きの物がそこには在った。

「さ、里があるーー!?」
「コラ声が大きい!」

 ルジーを諫めたのはオージェ。その後ろでノーヴが肩をすくめて見せた。

「しかし、見つけましたな。ここがエイコ嬢の詠った地でしょう。どうですか?」
「うん。……ここだ。この建物たちを、見た。えっと、わたしが詠ったのは……」
「<我が愛し子の、落とせし珠が眠る地には真が在る。戻されし汝は真を訪ねるだろう。識るは救い。識らぬは救い……>だ」

 そらんじるのはウラヌス。わたしが詠うのは一度きり。なのに彼はしっかり細部まで覚えてくれるから本当にありがたい。わたしじゃ到底覚えられない。

「謎だね~」

 オージェが苦笑いを浮かべた。

「我が愛し子は異界の星詠み。落とせし珠は子供、あるいは命。ここまでは予想したけど……<戻されし汝>って誰だろうねぇ。識る識らないの件もよく分かんないし。こ~んな所に人が入っていたなんて」
「ここ……未踏の地って言うけど、禁足地なんだよね」

 わたしの問い掛けに答えてくれたのはローダーだった。

「そうだ。エステレアの聖地に対し、ここは忌み地とされている。通常、入山を試みれば必ず天災に見舞われるために。星の怒りに触れたとでもいうように、だ。だが……すんなり入れたな。いっそ不気味な程に。そなたがいるからだろうか」
「……歓迎、されてるかな」
「行けば分かるさ。ーーほら、人がいる」

 ウラヌスの示す先、里の入り口。本当に人が立っていた。
 思春期というにはまだ少しばかり早い、そんな年頃の少年。清廉な白と青のローブは修道着に似ている。
 彼は幾人かの人々を引き連れ、わたしと目が合うとこうべを垂れた。後ろに控える全ての人々が続く。

「お待ちしておりました。異界の星詠みさま」

 声変わりを迎えていない可愛らしい声に反して、言葉遣いは達者だ。だけどまだ、呂律がたどたどしかった。

「どうぞお入りください。このエウティミオがご案内を務めさせていただきます」

 人が割れ、開けられた道を通る。みんなフードを深めに被っていて容貌が見えにくい。わたし達の前を行く少年もだ。
 前方から寒風が吹きつけた。少年のフードが煽られて外れる。
 ーーウラヌスみたいな、白銀の髪と。

(耳が……長い)
 
 長くとんがった耳が現れた。
 自らの姿があらわになったと悟った彼は振り向く。
 一瞬、身をすくめた。虹彩の大きな眼球がこちらを捉えたから。
 深いーー青紫色の。

「……そう警戒なさらないでください。確かにわたし達はあなた方と異なる進化を遂げた。ですが、元を同じくする者です」

 <城に着いたらご説明させていただきます>。
 傷付いた様子はない。淡々と、といっていいくらいだ。ここで初めて、彼の物言いにあまり感情が乗っていないことに気付いた。
 向き直った少年に案内されたのは周囲より少しだけ立派な家屋。最低限の物以外、何もない……物寂しい室内だった。



「星のお導きによれば、アザー崇拝教なるものに困っておられると」

 開口一番に出てきたのはこちらの事情を知っている発言だった。

「あなたも、星詠みなのですか?」
「はい。みな様がいらっしゃることは知っていました。結論から言いますと、申し訳ありません。人の世から離れて久しい我々は、増え過ぎたアザーの対処法を知らないのです。ましてアザー崇拝教など、初めて知りました」

 そんな……。
 下界でも前回の<危機>からあまりに長い時が経ち、かつての星詠みがどうやって世界を救ったか、詳細は既に膨大な歴史の情報に呑まれている。あるのは異界の星詠みが世界を救ったという伝承のみ。
 ここまで来てその言葉……。絶望しかけた時、エウティミオは言葉を続けた。

「その件についてわたしがして差し上げられるのは、後押しただ一つのみ。星が要であることだけは正しい」

 これを聞くために、わたし達はここへ導かれたのだろうか。疑問が頭をもたげる。

「……ですが、アザー誕生の話はお伝え出来ます」
「……え……!?」

 ここにきて突然とんでもない発言が飛び出し、思わず声を上げてしまった。エウティミオはつとめて平静に話を続ける。

「あれは人の繁栄と共に生まれました。ある時を境に底なしに、爆発的に膨れ上がった怒りや悲しみ、恨みなど負の感情が星の力と結び付き、結晶となってしまったのです。あれは人のいる所を好む。そこに餌があるから」
「……ある時?」
「はい。文明の発展は新たな国を興し、大戦を起こしました。大戦は殺戮兵器を生み、殺戮はアザーを生んだ。そうーーこの地こそ、アザー誕生の地なのです」

 ここでーーアザーが生まれた?

「まさか……外の円環は」

 微かに震える声で、ローダーが問う。これにもエウティミオは感慨のない様子で答えた。
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