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 第一章 僕とぼく


「いつかあの空の下に行きたいな」

 見上げたのは、はるか頭上に見える小さな窓。
 ぼくは石壁に囲まれたこの部屋で、わずかに差し込む窓からの光を見つめていた。
 には何があるんだろう? 
 ぼくが生きる、ここにあるのは冷たい石の床と壁。そして壁一面に生えた植物と仲間たち。
 頑丈がんじょうそうな黒い扉と、十字の格子こうしまった高い高い場所にある小窓。
 そこからのぞく青色が『空』だと知ったのはいつだっただろう? 
 たまに格子からこちらを覗き込み、さえずるものが『鳥』だと知ったのは、『鳥』が『空』を飛ぶと知ったのはいつだったろう。
 ――ぼくが、ここから出られないと知ったのはいつだった?

「いつか……」

 ぼくは身をふるりと震わせ、遥か高い小窓を見上げてそうつぶやいた。


      ◆ ◆ ◆


「またあの夢かぁ」

 僕はハァと溜息ためいきを一つこぼして起き上がった。
 小さな頃から何度も繰り返し見る夢だ。
 初めは窓がぼんやり見えていただけだったけど、そのうち緑しげる壁が、大きくて黒い扉が、手にした植物が。
 視野が広がるように、年々鮮明に見えるようになってきている。

「あの部屋、どこなんだろうなぁ……」

 覚えはないけど、もしかしたら僕が生まれた場所だったりして?

「でも、それにしては変な場所だよね」

 首から下げた小さなまもぶくろを握りしめ、呟いた。


 ――僕は、十二年前に森で拾われた子だ。
 この守り袋は、赤ん坊の僕が唯一ゆいいつ持っていたもの。
 袋の中には、僕の瞳と同じ色をした翠色みどりいろの結晶が入っている。
 見た目は半透明で水晶や魔石ませきに似てるけど、魔石ではないそうだ。

「一体なんの結晶なんだろうなぁ」

 魔石は魔力の塊だ。
 大きさや含まれている魔力量、帯びている属性も様々。魔素が濃い場所や魔物から採取できる。
 魔石は便利な魔道具の動力源として使われたり、魔法を付与して武器に仕込んだりもする。
 ふと、僕は守り袋から結晶を取り出し、窓から差し込む光にかざしてみる。
 久しぶりに見るけど、やっぱり綺麗だ。
 魔石ではないこれが、仮に無価値なものだったとしても、捨て子だった僕の唯一の持ち物だ。
 僕のルーツに関わっているかもしれないし、それに本当にお守りの効力があるかもしれない。
 いい人に拾われ、今日まで生きてこられたんだもん。
 これからもお守りとして肌身離さず身に着けておこうと思う。

「んんー……!」

 僕は翠色の結晶を袋にしまい、伸びをしてベッドから下りる。
 昨夜は急ぎだとかで、深夜まで薬草の下拵したごしらえをしていたのでまだ眠い。
 若旦那わかだんなさんの気まぐれか意地悪か、なぜか僕一人でやらされたので、酷使こくしした腕がだるい。
 本当なら食事当番がある今日は、もっと早起きして朝の仕事に行かなきゃいけなかったけど、見かねた仲間が代わってくれた。
 おかげで少しゆっくり寝られたけど、たぶんそろそろ――

「おい! ロイ! いつまで寝てんだ! ひとっぱしり使いに行ってこい!」
「うゎっ、やっぱり! はいっ! すぐに行きます、若旦那さん!」

 僕はあわてて大声で返事をすると、急いで寝巻ねまきを脱ぎ捨て、くたびれたシャツにそでを通す。
 水差しから小さなたらいに水をそそぎ、バシャバシャッと顔を洗ってうがいもする。
 れたままの手で寝癖ねぐせのついた髪をけたら、そろそろ千切ちぎれそうな靴紐をキュッと結んだ。
 住み込みで働いている魔法薬店まほうやくてんは、地下一階、地上四階の建物で、店舗兼てんぽけん、工房兼、弟子や奉公人の住居になっている。旦那様たちの家は敷地内の別棟だ。 
 下働きの奉公人である僕の部屋は、せまくて天井の低い屋根裏部屋。
 拾われた時、僕は一歳くらいで、その日が誕生日と決められた。
 そして今日は十三歳の誕生日。

「本当に一歳だったのかなぁ?」

 僕は歳のわりに小柄こがらだ。そんな僕なら平気だろうと、この部屋を与えられている。
 だいぶボロくて、窓も扉もガタついてるけど、贅沢ぜいたくは言えない。奉公人の給料は少ないからね。
 外に部屋なんか借りられない。
 僕は勢いよく扉を開け、部屋を飛び出す。
 ガタガタのこの扉は力いっぱい押し込まないと閉まらない。
 もちろん開けるのにもコツがいる。
 ある意味いい防犯だ。

「ま、られるものも何もないけどね」

 ドン! と肩で扉を押し込むと、階下からまた怒鳴どなごえが飛んできた。

「おい! 扉は静かに閉めろと何度も言ってるだろうが!」
「すみません!」
「ロイ! お前は午後から半休なんだ、早く下りてきて働け!!」
「はい!! すぐ行きます!」

 返事をしてダダダッと階段をりる。
 僕の休日は月に数回しかない。
 そんな中、今日はめずらしく午後から半休で、明日も休みという夢のような連休だ。
 若旦那さんの機嫌きげんそこねて、連休取り消しなんかになったらたまらない! 
 ここは素直にしたがっておいたほうが利口りこうだ。

「ロイ!!」
「はぁーい!」

 転ぶんじゃないかという勢いで階段を下っていくと、ぐぅとお腹が鳴った。
 僕ら下働きの朝ごはんは、若旦那さんとお弟子さんが食べ終わったあと。
 大体がかたくなったパンと、具が少ないスープだ。チーズもあったら、その日はかなりツイている。

「朝ごはん、僕の分もちゃんと残しておいてもらえるかなあ」

 この時間の用事といえば、いつもの使いっ走りだ。
 行って帰ってくる間に朝食の時間が過ぎてしまったり、全部食べられてしまったりしないように、いのるしかない。

「ハァ」

 溜息しか出ないけど、これが僕の毎日。
 階段を下りきった僕は、シャツの下にある守り袋をギュッと握って、深呼吸して扉を開けた。

「おはようございます!」

 こうして今日も『バスチア魔法薬店』での一日が始まった。


      ◆ ◆ ◆


「ロイ、この依頼書を冒険者ギルドに出してこい。急ぎだ。それから市場いちば品物しなものを引き取って、この注文書を渡せ」
「はい」

 呼びつけられたのは二階の食堂。
 せきいているのは、店主であり『魔法薬師まほうくすし』の旦那様だんなさまと、住み込みのお弟子さんたち、そして僕を呼びつけた若旦那さんだ。
 魔法薬師とは、魔法を使って調薬する薬師のこと。
 魔力が全くない人っていうのはまれだから、薬師は大体が皆、魔法薬師になるんだけど、わざわざそう呼ぶのには理由がある。ずっと昔の時代には、『錬金薬師れんきんくすし』という職業があったからだ。
 錬金薬師は、錬金術師の中でも薬作りを得意とし、生業にしていた人のこと。 
 魔法薬師とやっていることはほぼ同じだけど、魔法と錬金術は別物だ。
錬金術れんきんじゅつ』とは、様々な素材を調合・配合し、物質や属性を変化させ、あらゆる道具や薬を錬成するいにしえの術。
 今では錬金術を使える人は世界で数人しかいなくて、錬金薬師という職業も伝説のようなもの。 

「おい。聞いているのか! ロイ!」
「はいっ! 聞いてます!」

 聞いてるけど……ああー、いい匂い!
 本当にいつも思うけど、わざわざ食事中に呼ばなくてもいいのにな!
 嫌でも目に入るテーブルの上の料理と、ただよう匂いに、僕のお腹がぐぅとまた鳴った。
 がなければいいと分かってはいるけど、誘惑にはあらがえず、つい鼻をかせて、目も向けてしまう。
 ああ。食欲をそそる濃い匂いは、飴色玉葱あめいろたまねぎのトロトロスープだ! 
 それとバターたっぷりのふんわりオムレツ、あぶらきらめく厚切りのハムも美味おいしそう……
 えられているのはアスパラと甘い『彩人参あやにんじん』かぁ。
 それからなんと言ってもあの焼き立てのパン! 
 ほのかに甘くて香ばしい匂いが……
 うわっ……あぶったチーズをトロッて……!
 トロッてさせてのっけてる!! 
 なんて凶暴きょうぼうな匂いと見た目なんだろう!?
 空腹を我慢してる僕には拷問ごうもんでしかない……けど、釘付くぎづけになって目が離せない。

「いいな、三十分で戻ってこい! そのあとも仕事はあるんだからな」
「は、はい!」

 若旦那さんの声でわれに返る。
 え? でも三十分って、行って帰ってギリギリだよね? 
 依頼書の受け付けと品物の受け渡しがスムーズに済んで、注文書も問題なく受け取ってもらえて、荷物は背負せおって走れば……なんとかなるかなぁ。
 きゅるる。僕のお腹がまた鳴って、若旦那さんがフンッと鼻で笑った。

「ま、ゆっくりでも構わないぞ? お前が食いっぱぐれるだけだからな、あはは!」
「……いってきます」

 くぅ……っ! 
 若旦那さんって本当にさあ……!
 まあ、意地悪言われて笑われるだけならまだいいけど。
 虫の居所が悪いと「見てるんじゃねぇ!」って手や足が出るもんね……
 僕はチラと旦那様を見た。やっぱり今日も無関心で食事を続けている。
 もう諦めたけど、先代の旦那様とこの人は全然違う。
 この旦那様は僕に目を向けたとしても、嫌そうに目をすがめるか、鼻で笑うかするだけ。
 先代の旦那様とは全然似てないのに、若旦那さんとは似た者親子なんだろうな。
 僕はさっそく依頼書と注文書を握りしめて、下働き仲間が洗濯せんたくをする中庭を抜け、うまやの横の近道へ入る。そして裏口の木戸から通りへ出ると、全速力で走り出した。

「あ~、帰ってきた時、パンだけでも残ってたらいいなぁ~!」


      ◆ ◆ ◆


「よお、ロイ! また使いっ走りか?」
「おはよう、おじさん! そうなんだ~」
「ったく、あの薬師親子は朝からロイばかりこき使って!」
「あはは。仕事だから仕方ないよ」
「ロイちゃん、これ持ってきな!」

 通りの向かい側から、ポーン! と投げられたのは、まだ熱いふかしいもだ。
 僕が満足に食事をしていないのを知っているから、いつも街の誰かがこんな差し入れをくれる。

「わっ! ありがとう、おばさん!」

 僕はズボンのポケットに芋を入れると、ご近所さんたちに手を振って、石畳いしだたみの道を駆けていった。
 ここは王国一の迷宮都市めいきゅうとし『ラブリュス』――その名の通り、迷宮ダンジョンさかえる街だ。
 迷宮は大小あちこちにあるけど、特に大きな迷宮が世界に七つある。
 この街には、そのうちの一つ『地下迷宮城ちかめいきゅうじょうラブリュス』があり、王都にも負けないにぎやかさをほこっている。
 地上よりも遥かに濃い魔素まそに満たされた迷宮は、かつて栄えていた『伝説でんせつ古王国こおうこく』の遺跡いせきが地下に沈んだものだと言われている。ちなみに魔素は、空気中に漂う、魔力のもととなる物質のこと。
 そして古王国とは遥か昔、錬金術が発達していた時代にあった幻の王国だ。
錬金王れんきんおう』が治めていた広く強大な古王国は、天変地異により一夜にして滅びた。
 突然の滅亡だったので、錬金術、魔道具、魔術まじゅつ、様々なものがそのまま。
 そのせいで、古王国の主要な施設だった場所が、長い時が流れる間に迷宮となった……と、絵本にも書かれている。地下迷宮城、地下迷宮街ちかめいきゅうがい地下庭園ちかていえん地底湖ちていこ……等々。様々な迷宮があって、どれもワクワクするものばかり! 
 古王国の伝説がどこまで真実かは分からない。だけど、たまに迷宮の中で発見される規格外な魔道具や武器などを見れば、迷宮が偉大なる錬金王がおさめた古王国の成れの果て……と、言われても不思議はない。

「わ、嘘でしょ!?」

 角を曲がったところが急に人でごった返していた。
 背伸びで見ると、どうやら荷車が荷崩れを起こしたらしい。狭い道が散らばった荷物でいっぱいになっている。

「仕方ない。抜け道を使おう!」

 街は地下迷宮城ラブリュスを中心に栄え、そこを始点にいくつもの通りが広がっている。
 中心部は放射状ほうしゃじょうに、そのうちうずを巻くように、新たな通りが増えていって、今や街全体が迷宮のようになってしまっている。
 だから旅行者や、迷宮城目当てで来たばかりの冒険者には、案内人や地図が不可欠だ。
 でも小さな頃からここで育った僕は、隠し通路みたいな路地も全部知っている。
 僕にとって、ここは楽しい迷路の街だ。
 抜け道を走り、僕が辿り着いたのは通称『冒険者通ぼうけんしゃどおり』。この街のメインストリートだ。
 住み込み先のバスチア魔法薬店があるのは『薬師通くすしどおり』で、その隣は『素材屋通そざいやどおり』、そのまた隣は『鍛冶屋通かじやどおり』と呼ばれ、ドワーフが多く住んでいる。ちなみに、すぐ側には酒場が多い。
 街は迷宮城に近ければ近いほど古く、迷宮探索に欠かせない、武器や防具、薬、魔道具なんかを扱う店がのきつらねている。
 そして、この時間はまだあまり見かけないけど、迷宮都市ラブリュスの主役は迷宮城にもぐる冒険者たちだ。冒険者は魔物まもの討伐とうばつや素材の採取さいしゅ、迷宮の探索など、冒険者ギルドに集まってくる様々な依頼をこなし、生計せいけいを立てている。

「ハァッ……ハァッ、間に合った……かな?」

 まだ開かれていない扉を見上げ、僕は汗をぬぐって呟いた。
 この華美かびではないが大きく立派な建物が、迷宮城に一番近く、ラブリュスで一番古い建築物である冒険者ギルドだ。

「おはようございます……」

 様子をうかがいながら、そーっと扉を開けると、クリッとした茶色の瞳と目が合った。
 クルリと丸まった角を持つ、羊獣人ひつじじゅうじんでギルド職員のエリサさんだ。

「あれっ、ロイくん!?」

 薄茶色をしたエリサさんのフワフワボブヘアは、今日もあちこちはねている。朝が早いシフトの日は寝癖を直す時間がないらしく、僕よりお姉さんのくせに、エリサさんはいつもこうだ。

「えっ。もしかして……また?」
「ごめんなさいエリサさん……またです。採取依頼なんですけど、急ぎでお願いします!」

 僕は若旦那さんから預かった依頼書を、カウンターに座るエリサさんに差し出した。
 冒険者の依頼受付が始まる直前の今は、ギルドが一番忙しい時間帯だ。
 制服を着た職員さんたちは皆、書類や魔道具を片手に広いフロアをせわしなく動き回っている。

「も~、ロイくんとこの旦那さんたちって、いっつも依頼受付の時間ギリギリにすべませるよねぇ」
「すみません……」
「ううん、ロイくんはいいの。悪くない! むしろ朝からご苦労様だよ~。悪いのはバスチアの薬師親子!」

 エリサさんは口をむぅ、とすぼめて依頼書に目を落とす。
 通常、店で使う薬草は決まった卸問屋おろしどんやさんから仕入れている。
 だけど、たまに予定外で急ぎの注文が入った時には、冒険者ギルドを使うことが多い。
 冒険者ギルドは、『なんでも仕事をい、手っ取り早く済ませる』が売りの組織だ。
 ここに集まるのは様々な技能スキルを持つ冒険者たち。
 十三歳以上であれば、誰でもギルドに登録し、冒険者として仕事を始めることができる。
 出自や学歴、職歴は不問。犯罪歴は検討の対象だ。
 ひと昔前には荒くれ者も多かったけど、そんなんじゃいい仕事は来ないので、今はわりとキッチリ仕事をする『個人事業主』が集まる組織になっているらしい。
 僕もお世話になってる冒険者ギルド長がそう言っていた。
 このギルドに集まる仕事で多いのは、迷宮素材や魔物素材の採取だ。他には隊商の護衛依頼、魔物の討伐依頼、変わりどころだと料理の依頼や、街と迷宮城のガイドなんてものもある。

「う~ん……」

 カウンター越しのエリサさんは難しい顔だ。はねた毛先を揺らし、首をひねっている。

「『こけ乙女おとめ台座だいざ』かぁ。え~……『在庫対応は不可、採取から一日以内のものを小納品箱一つ分』……って」

 苔の乙女の台座とは、素材同士を繋いだり、それぞれの素材が持つ効果を高めたり、補助の役割をする素材だ。あと苔素材の多くにある、【毒素どくそ吸着きゅうちゃく】効果も持っている。
 この苔の乙女の台座は、高価な魔法薬によく使われる素材なんだけど……そんなに簡単に見つかるものではない。
 苔の乙女の台座の生育場所は『迷宮の森林層の中でも魔素が濃く、風が通り、適度な湿り気がある』という、少々面倒な環境に限られている。
 長い年月をかけて、魔素によって遺跡が変化した迷宮は、いまだ解明されていないことが多い。
 階層ごとに環境が変わることも、解明されていないなぞの一つだ。
 城の階段を下りるとなぜか森が広がっている森林層があったり、城の建築部分とそうでない土地がまだらになっていたりする。
 そして迷宮城で苔の乙女の台座が採れるのは、中層部にある森林層だ。
 だというのに若旦那さんが出した条件は、採取から一日以内のものを小納品箱一つ分。
 これは、大人の両手に山盛りくらいの分量だ。
 苔の乙女の台座はそんなにたっぷり採取できる素材じゃないのに、非常識な依頼だと思う。

「……うん! ロイくん!」
「はい! あ、ギルドへの依頼登録料はこちらに――」
「無理! これはお受けできません!」
「えっ」
「えっ、じゃないよ~! こんな無茶な依頼、ギルドが受け付けても、受注する冒険者なんかいないよ~。ロイくんだって分かるでしょ? 素材自体は見つけられても、これだけの分量をこの期日じゃ、リスクが高い! 報酬も通常よりほんのちょっと色付けてある程度だし……ていうか、こんなに苔の乙女の台座を使う魔法薬なんてあった?」
「あー……たぶん、本当はそんなに分量はいらないけど、『納品量が依頼より少ないから、報酬は減額』……ってやりたいんだと思います」

 僕の言葉を聞き、エリサさんがあきれと嫌悪けんおで分かりやすく顔をゆがめた。
 うん。分かる。僕も何を考えてるんだって思っています。

「はぁ。とにかく、この依頼は無理だよ~。ロイくんの立場も分かるから心苦しいけど……」
「そうですよね……どうしよう」

 このまま帰ったら僕の朝ごはんは確実にナシで、たぶん午後からの休みは取り消し。もしかしたら、明日の休みまで取り消されてしまうかもしれない。

「おい、ロイ。それならお前が行ってくりゃいいんじゃねぇか?」
「ギュスターヴさん!」

 階段から下りてきた、ちょっと荒っぽい言葉遣ことばづかいだけど低くて安心感のある声の持ち主は、ラブリュス冒険者ギルド長のギュスターヴさんだ。
 長身で、眼帯がんたいをしている右目を隠すように銀の髪を伸ばしている。
 僕は眼帯も格好いいと思うんだけど、昔、現役の冒険者だった頃に負った傷だから、あまり格好よくないんだとギュスターヴさんは言っていた。
 すごく強い高位冒険者だったそうで、今もその迫力を感じることはある。
 だけど優しくてふところが深い、頼りになるギルド長だ。
 あと、憧れてるお姉さんが多いくらい、容姿も本当に格好いい。

「ロイ。お前、今日は午後から休みの予定だっただろ? このまま帰ったら、あの意地の悪い守銭奴しゅせんどたちのことだ。休みを取り消して、食事抜きまでやりかねん」

 さすがギュスターヴさん。よく分かっている。

「それから――手を出せ、ロイ。誕生日おめでとう」
「えっ、うわぁ……!」

 手渡されたのは一振りのナイフだ。
 ズシリと重みがあって、黒いさやはザラリとした手触りの革。つかには僕の瞳と同じ、翠色の小さな魔石が輝いている。
 これ、きっと何かの魔法が付与されてる、ちょっといいナイフだ……!

「すごい……こんな格好いいナイフ!」
「本当は今日の夕飯の時にと思ってたんだが、十三歳になった記念だ。お前、今日の夜に冒険者登録するんだろう?」
「する! もちろん!! あの、これ、ありがとう! ギュスターヴさん!」
「護身用だけどな。この魔石に【風魔法かぜまほう】が付与ふよされてるから、魔力をこめれば、より強力な攻撃ができる。あとで練習しよう。ああ、切れ味も申し分ない代物しろものだから、採取にも使えるぞ?」
「はい! これ、大切にします……!」

 僕はちょっと大振りなナイフを胸に抱き、憧れであり、でもあるその人を見上げて言った。


 ――十二年前。ギュスターヴさんが僕を拾ってくれた。
 僕に『ロイ』という名前を付けてくれたのもギュスターヴさんだ。
 当時、現役の冒険者だったギュスターヴさんが、森の入り口に置き去りにされていた僕を見つけてくれたらしい。でも実は、ギュスターヴさんが最初に見つけたのは僕じゃなくて、集まっていたスライムたちだったそう。
 通常なら木陰こかげや水場など、湿り気のある静かな場所を好むスライムが、日が差し、人通りがある森の入り口にいるのは珍しい。それも数十匹が固まって、ただじっとしている。
 これは魔物の亡骸なきがらがあるか、行き倒れの人間でもいるんじゃないか? 
 ギュスターヴさんはそう思って、スライムたちをけ覗き込んでみたら――僕がスヤスヤ眠っていたのだという。
 ギュスターヴさんには、まるでスライムたちが僕を守っているように見えたらしい。
 たしかにスライムが小さな僕を囲ってくれていなかったら、けものや悪い人に連れていかれてしまっていたかもしれない。ありがとう、スライム!

「ロイも大きくなったよなぁ。あっという間だ」
「ね~! 大きくなりましたよね! ロイくん、お誕生日おめでとう! 私もプレゼント用意してあるの。あとで渡すから楽しみにしててね!」

 ギュスターヴさんの言葉にしみじみうなずいたエリサさんが、僕にそう言い微笑ほほえむ。

「えへへ、楽しみにしてます! あの、それで僕、本当にこの採取依頼を受けてもいいの? もしかしてギュスターヴさん……一緒に行ってくれるの!?」

 ギュスターヴさんと一緒に迷宮に行けたら、そんなのうれしすぎる誕生日プレゼントだ!
 だって僕はまだ、正式な冒険者登録をしていないから、一人で入れる迷宮の場所は限られている。
 今の僕が入れるのは、迷宮浅層部の比較的安全な一部の場所と、通称『ハズレ』と呼ばれる迷宮だけ。だけど冒険者の付き添いがあれば、冒険者ではない者も、迷宮の浅層部の全てと中層部の一部に入ることができる。
 若旦那さんの依頼素材、苔の乙女の台座は、迷宮城の中層部にある森林層まで行かないと採取できない素材だ。
 ということは、誰かが僕と一緒に行ってくれるってことだよね!?


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