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第16章:黒幕は堺!

キク、恐ろしい子!

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 1555年12月上旬
 美濃国大垣城
 永田生菊
(大胡出身の医術命の変人)


「どうやら峠を越えたようです。脈も安定してきました。
 少しの間、熱が下がらないかと思いますが、酷いときはこの薬をお使いください」

 徳本先生の言葉を真似て患者に言う。
 患者の様態が落ち着いてきた。徳本先生は私の今の様な気持ちで、いつも緊急の患者と接しているのだろうか。

 今回の出張巡回医療は、初めて私だけで独立して行われている。同行者は長持ちを持ってくれる中間ちゅうげんの人2名。
 それからわざわざ甲斐まで来てくれた華蔵寺公園の後輩で剣の腕が立つ野崎君。

 大胡を出てから既に9年。
 私も21になった。

 徳本先生の下で本草学を学ぶと共に、或粉保琉の使い方を日々研究している。最初は傷口にそのままつけていたが返って容体が悪化することが多く、丁寧な水洗いと酷いときは石鹸を使うだけの方がよいことが分かった。
 問題はそのあと、何度も清潔な布に替えていくことだったのだ。

 或粉保琉の作り方も工夫を凝らし、今では9年前に比べて20倍以上の生産効率となった。脱脂綿と「があぜ」も作られ、包帯も工夫されて使い易くなった。
 けれど、手が付けられない患者さんが物凄くたくさんいるのは変わりがない。

 一番多いのは傷を負った人の熱が引かず、そのまま亡くなってしまう場合だ。

 偶に大胡の殿から手紙が届く。
 そこには近況を書かれた砕けた内容のものもあるが、毎回ハッとさせられることがいつも書かれている。

 現在十八番おはこと呼ばれるようになった
 抗生剤ぺにしりん。

 青黴あおかびの中から不純物を取り除く作業で行き詰っていたが、殿から「油で取っちゃえばいいんじゃない~?」
 との示唆があり、成分の選り分けができるようになってきた。

 まだまだ先は長い。

 それと並行して、死人の腑分ふわけ(死体解剖) を幾つも行い、 五臓六腑や血管の位置などを本として書き留めている。

 尤も有難く、そして驚いたことは、大胡より顕微鏡なるものが届いたことだ!
 これにより生き物は小さな袋や部屋からできていることが分かったのだ!

 私はそれを「細胞」と名付けた。
 それを殿に報告すると
「それは大発見! そ~すると人間以外の小さな動物も居そうだぬ。もっともっと見つけてお願い~♪」
 と大はしゃぎの文字で返事が返ってきた。

 最近では殿への感謝の気持ちも忘れないが、この小さな世界と体の構造の神秘に毎日埋もれて、作業と研究に明け暮れるのが何よりも楽しい。

 これが少しでも殿が言っていた
「皆が幸せになる世界」
 に続くのならば死んでもいい。

 しかし殿からは
「早死にしたら許さないからね~。だからこれ使うこと! 絶対命令だよん」
 と、
「手袋」と「ますく」という物を送っていただいた。

 杜仲茶という飲み物を作る際に出てきた伸びる繊維で作られた手袋。ゴワゴワするが、或粉保琉で手を洗うだけよりも病がうつりにくいと言う。
 息の中にも病の素があるかもしれないと、口と鼻を覆う「ますく」なるものを使う。

 付けていると苦しいが、一瞬でも長く研究をして医術を前へ進ませる。
 そしてより多くの人の命を救おう。


 今、目の前に横たわっている患者。
 大胡の殿の義兄であり、そしていつも影のように侍り身体を張って殿をお守りしている長野様。敵の甲賀者が使う吹き矢に塗ってあった毒に冒されていた。
 1刻程度遅く効果が出てくる猛毒で、運ばれてくるときが既にぎりぎり治療ができる限界だった。

 つい最近作ることができ、実際に使用できるか試している最中の注射器で太い血管へ、ある物を慎重に量を測って入れていく。

 まだ12回しか行ったことがなく、1度しか成功していない。

 でも、この毒矢に使ってあった猛毒に冒されれば絶対に死ぬ。

 ままよ!
 とばかりに家臣の皆様に進言して、まずは「殿へ」施術した。
 古代「神農」の伝説ともいえる不確かな施術、「毒を以って毒を制す」。

 唐国ではさそりの毒を使い、この猛毒を中和させることを行っていた。本邦には蠍はいないので、ヤマトアサガオの成分を使った。
 なぜこのような猛毒を持っていたかというと、今回の旅は伊賀と甲賀を巡り、珍しい薬草を入手することも目的の一つだったからだ。

 その帰り道、奇しくも大垣の町にて施術を施しているところに、殿と政影様が運ばれてきた。それを聞きつけ、是非にと強引に診察を行って今に至る。

 お二方とも危険な状態だった。
 胃の腑からの吸収ではないので、毒はもう取り出せない。
 そこでこの危ない施術となった。

 先に回復したのは殿であった。明らかに体力のない殿の回復が早いのは、なぜなのかはわからない。
 だが、それを見て家臣一同ほっとして脱力した。

 それが1日前。
 今、ふらふらになりつつも辛うじて上半身を上げて、政影様にお声を掛けている。

「政影くんは死なないよ。僕も死ななかった。
 最後の「わいるどかあど」を使ったから。
 もう大丈夫。菊蔵くんが助けてくれたよ」

 「わいるどかあど」が何なのかはわからないが、とにかく奇跡的に間に合った。
 
「ああ、今はもう永田生菊くんだったね。ありがとう。政影くんを助けてくれて本当にありがとう」

 あくまでも、家臣が先なのだ。

 ご自身の命も大変危険だったけれど、家臣が死ぬことが嫌い。
 人が死ぬのが嫌い。
 苦しみを見るのが嫌い。

 ……殿は優しすぎて、

 この世が苦しみに満ち溢れている様に見えるのだろうか?
 だからこれだけ明るく振舞われている?
 苦しさを忘れて楽しまないとやっていられないと?

 少なくとも、上に立つものが悲しそうな顔をしていたら下がついてこない。だから明るい殿として振舞われているのであろう。
 本当の顔を隠して……

「ところで生菊くんさ。
 顕微鏡は役に立ってる?」

「はい、勿論です!
 実はこの様なところでいうのは如何なものかと思いますが、大発見を致しました。
 この至る所に小さな生き物がいるのですっ! 動くもの、動かないもの。様々な生き物を「細菌」と名付けました。
 そして傷の膿にはその細菌が沢山いて、もしかしたらこれが傷から来る熱を引き起こしているのでは、と思っております。
 もしや殿はこの十八番が、この細菌を殺すと思い開発を心がけようとなさったのでは!?」

 私は、最近思うようになった推測を一気に述べた。

 殿は、ただ一言

「……うふふ」

 と、頭を掻いて、いつものように韜晦とうかいしただけだったが、正しく殿は「何か」をご存じなのであろう。
 これから医療がどうなっていくかを、どのようにかは知らぬが知って居られるのでは?

 更に追求しようとしたが、周りの女官たちに止められた。まだ体力的に長い話は無理に決まっている。医者としてあるまじき行為だった。

 だが、いつかはきっと未来の医療がどうなっていくのか、もしご存じならば少しでもよいから教えて頂こう。

 そう心に留め置いた。

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