役立たずと蔑まれ、食糧難の辺境へ追放された引きこもり令嬢、前世の経営シミュレーション知識で極寒の地を美食の都に変えてしまう

旅する書斎(☆ほしい)

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レオニール様は、まるで氷になったように動きを止めました。
その青い瞳が、信じられないものを見るように私を見ています。
彼の時間が、ぴたりと止まってしまったかのようでした。
私は息をのんで、彼の反応を見守ります。
この味がもしも、彼の口に合わなかったらどうしましょう。
そんな不安が、私の胸を横切りました。
とても長い時間が、ゆっくりと過ぎていきます。

やがて彼は、ゆっくりと自分を取り戻しました。
そしてもう一度、フォークに残っていた肉を口へと運びます。
よく味わうように、何度も何度も噛んでいました。
そしてごくりと喉を鳴らし、それを飲み込みます。

「これは」
やっと彼の唇から、言葉がこぼれました。
その声は、少しだけかすれていたのです。
「これは、一体なんだ。今まで食べたどんな肉とも、全く違う」

「霜降りトロールのお肉です。シンプルに焼いて、岩塩を振っただけですよ」
私がそう答えると、彼はお皿の上にある肉と私の顔を交互に見ました。
その表情には、まだ戸惑いの色が浮かんでいます。
しかし瞳の奥には、確かな感動の光が宿っていました。

彼はそれ以上、何も言いませんでした。
ただ黙々と、ステーキを食べ進めていきます。
その姿はまるで、神聖な儀式のようでした。
あっという間に、お皿の上にあったお肉は彼の胃の中へと消えていきます。
彼は名残惜しそうに、空になったお皿を見つめていました。
そしてぽつりと、子供のような声でつぶやきます。

「もう、ないのか」
その言葉が、最高の褒め言葉に聞こえました。
私はとても嬉しくなって、満面の笑みを浮かべます。
「はい、厨房にまだたくさんありますよ」

「そうか。それなら、すぐに用意してくれ」
彼は短く答えると、少しだけ照れたように視線をそらしました。
その日の夕食は、お城の食堂で大きなステーキパーティーになりました。
レオニール様の許可をもらって、騎士団の全員に霜降りトロールの肉が振る舞われたのです。

最初は魔物の肉だと聞いて、怖がる騎士たちもいました。
「おい、本当にこれを食べても大丈夫なのか。トロールの肉なんて」
「お腹を壊したりしないだろうな」
しかし一度その味を知ると、誰もが夢中になって肉にかじりつきます。

「うおおお、なんだこの肉は。口の中でとろけるぞ」
「美味い、美味すぎる。俺は今、天国にいるみたいだ」
「こんなものが食べられるなら、明日から毎日トロールを狩りに行くぜ」
食堂は男たちの興奮した叫び声で、割れそうなほどの騒ぎになりました。
ゲルトさんも普段の冷静さはどこかへ消え、目を輝かせながらステーキを食べています。

「アニエス様、これはすごいです。我が騎士団のやる気は、今が最高潮ですよ」
マルタや厨房の料理人たちも、自分たちが作った料理が皆を喜ばせているのを見ていました。
その顔は、本当に嬉しそうでした。
私はその光景を眺めながら、温かいスープを飲んでいます。
人々の笑顔の中心に、美味しい食事があるのです。
これこそが、私の目指していたものでした。

パーティーが終わった後、私はレオニール様の仕事部屋を訪ねました。
彼はまだ興奮が冷めない様子で、窓の外にある月を眺めています。
「レオニール様、お邪魔してもよろしいでしょうか」

「ああ、構わない。中に入れ」
彼は私を部屋に入れると、机の上の羊皮紙を片付けました。
「それで話とはなんだ。また何か、面白いことでも思いついたのか」
彼の声は、少しだけ楽しそうに聞こえます。
私に対する態度が、明らかに変わってきているのを感じました。

「はい。この霜降りトロールの肉について、ご提案があります」
「ほう、ぜひ聞こう」
私は昼間のうちに考えておいた計画を、彼に話し始めました。
「このお肉はただ焼くだけでなく、色々な料理に使えます。煮込み料理や燻製、塩漬けにすれば長く保存することも可能です」

「ふむ、保存食か。冬の食料にもなるな。それは良い考えだ」
「はい。そしていつでも食べられるように、捕まえたトロールを飼って繁殖させるのです」
「繁殖、だと。あの凶暴なトロールをか」
レオニール様は、驚いたように目を見開きました。

「はい。うまくいけば、このヴァインベルクは食料に困ることがなくなります。それどころか、もっとすごいことができます」
私は一度、言葉を切りました。
そして彼の目を、まっすぐに見つめて言います。
「この霜降りトロールの肉を、ヴァインベルクの特産品として王都や他の領地へ売るのです」

私の大きな提案に、レオニール様は息をのみました。
彼の仕事部屋が、しいんと静かになります。
やがて彼は、ふっと息をもらしました。
それは呆れたような、それでいて感心したような不思議な響きを持っています。

「お前は本当に、面白いことを考えるな。トロールを家畜にして、その肉を売るなど誰も考えつかなかった」
「だめ、でしょうか」
「いや」
彼は力強く、首を横に振りました。
そして立ち上がると、私の目の前にやってきます。

「お前の好きにしろ」
「え」
「必要なものは、全て俺が用意する。人でも、物でも、金でも、なんでも言え。このヴァインベルクの全てを使って、お前の計画を助けよう」
彼の言葉は、私を完全に信じている証でした。
私は、胸が熱くなるのを感じます。
この人ならきっと、私の夢を一緒に見てくれるでしょう。

「ありがとうございます、レオニール様」
私は、深々と頭を下げました。
彼はそんな私の肩に、そっと手を置きます。
「礼を言うのは俺の方だ、アニエス。お前が来てからこの城も、領地も、変わり始めた。心から感謝している」
その優しい声に、私は顔を上げられませんでした。
なんだか、泣いてしまいそうだったからです。

次の日から、私の新しい計画が本格的に始まりました。
まずは、トロールの生態を詳しく知る必要があります。
私は、お城の書庫にこもりました。
古い本を、片っ端から読みあさっていきます。
ゲームの知識だけでは、足りない部分もあるかもしれないからです。
幸いヴァインベルク城の書庫には、この土地に関する貴重な資料がたくさん残されていました。

数日後、私はトロールの飼育に関する基本的な計画をまとめ上げます。
彼らは雑食ですが、特に発酵した植物を好むことが分かりました。
縄張り意識が強く、一匹で行動することも分かりました。
そして意外なことに、清潔な環境を好むことなども分かったのです。

「なるほど、餌はやはりあのお酒が良さそうですね」
私はカブ酒をたくさん作れるように、マルタにお願いしました。
厨房の片隅に、大きな樽がいくつも並び始めます。
そしてレオニール様には、トロールを飼育するための広くて頑丈な施設の建設を頼みました。
彼はすぐに、城で一番腕の良い職人たちを集めてくれます。

私はゲームの知識と本で得た知識を元に、飼育場の設計図を書きました。
日当たりと風通しを考えた、動物たちのスペース。
水浴びができる、大きな池。
そして脱走を防ぐための、深くて頑丈な堀。
職人たちは私の専門的な設計図を見て、とても驚いていました。

「奥様は、まるで伝説の大工様のようですな。こんなに細かい図面は見たことがない」
棟梁が、感心したように声を上げます。
私は「趣味ですよ」とだけ答えて、にっこり笑っておきました。
飼育場の建設が進む一方で、私は厨房で新しいトロール料理の開発にも挑戦していました。
ステーキだけでは、すぐに飽きられてしまいます。
色々なレシピを開発することが、特産品にするための第一歩です。

今回私が挑戦するのは、煮込み料理でした。
トロールのすね肉を、大きな塊のまま使います。
これをたっぷりの香味野菜と一緒に、ことことと時間をかけて煮込んでいくのです。
味付けの決め手は、ルビーベリーでした。
この世界には、まだワインというものがありません。
でもルビーベリーを少し発酵させれば、ワインに似た良い香りと酸味が出せるはずです。

私は雪ウサギを捕まえた崖で、大量のルビーベリーを収穫させてもらいました。
それを丁寧に潰して、鍋に加えます。
厨房中に、甘酸っぱくて食欲をそそる香りが満ちていきました。
数時間後、煮込み料理は完成します。
肉はフォークを刺しただけで、ほろりと崩れるほど柔らかくなっていました。
ソースは、ルビーベリーの美しい赤色に染まっています。

味見をしてみると、ステーキとはまた違う深い味わいでした。
肉の濃厚な旨味とベリーの爽やかな酸味が、口の中で完璧に混ざり合っています。
これは、傑作ができてしまいました。
私は完成した料理を、レオニール様とゲルトさんの元へ運びました。
二人はちょうど、騎士たちの訓練を終えたところだったようです。

「これは、また新しい料理か」
レオニール様が、興味深そうにお皿をのぞき込みました。
「はい、『霜降りトロールのルビーベリー煮込み』です」
「ルビーベリーか、あの酸っぱいだけの実が料理になるとはな」
ゲルトさんが、不思議そうな顔をしました。

「ええ。でもお肉と一緒に煮込むと、最高のソースになるんですよ」
二人はまだ信じられない様子で、肉を口に運びました。
その瞬間、彼らの顔が驚きと感動で輝きます。
「なっ、なんだこれは。肉が、口の中でとろけたぞ」
ゲルトさんが、大きな声を上げました。

レオニール様は、何も言いませんでした。
しかしその青い瞳が、これまで以上に熱心に私を見つめています。
彼はもう一口、またもう一口と夢中で煮込み料理を食べ進めていました。
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