役立たずと蔑まれ、食糧難の辺境へ追放された引きこもり令嬢、前世の経営シミュレーション知識で極寒の地を美食の都に変えてしまう

旅する書斎(☆ほしい)

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ゲルトさんがひどく息を切らし、私の前に慌てて駆け寄ってきました。
彼が乗ってきた立派な馬は、白い息を吐きながら肩で息をしています。
その彼の手には、見慣れたヴェルフォール公爵家のしるしが入った手紙が、固く握られていました。
「アニエス様、ヴェルフォール公爵家から、至急の手紙が届きました!」
彼のただならぬ様子に、一緒に土をいじっていた農夫たちも、不安そうにこちらを見ています。

周囲の空気が、一瞬で張り詰めたものに変わりました。
農夫の一人が、心配そうに私に声をかけます。
「お嬢様、何か悪い知らせでなければ良いのですが。」
私はその声に大丈夫だと頷き、汚れた自分の手を腰の仕事着で丁寧に拭います。
そしてその手紙を、落ち着いて動じずに受け取りました。

上質な紙の独特な触り心地が、指先に嫌な感じを伝えます。
この手紙が、私の家族からだとすぐに分かりました。
封を切って中の紙に目を通した瞬間、私の体からすっと血の気が引くのを、はっきりと感じたのです。
「どうかなさいましたか、アニエス様!」
ゲルトさんが私の顔を、とても心配そうに覗き込んでいます。

私の顔は、きっと鏡が無くとも分かるほど、真っ青になっていることでしょう。
私は震えそうになる手で、その手紙を強く握りしめました。
そこに書かれていたのは、あまりにも自分勝手で、ひどすぎる命令だったのです。
それは、私の姉であるセレスティーナの、意地の悪い笑顔を思い出させました。
王都が食糧不足に陥ったから、このヴァインベルクの食料を全て差し出せと、そう命令が書かれていました。

これは偉大な王太子殿下のご命令である、とも丁寧に付け加えられています。
私の胸の奥で、今まで必死に抑えていた怒りの炎が、めらりと大きな音を立てて燃え上がりました。
ふざけないでほしい、と心の中で強く思います。
この食料は、この厳しい土地で、歯を食いしばって生きる領民たちの命そのものなのです。
厳しい飢えと凍える寒さに耐えながら、皆で必死に蓄えた宝なのです。

あなたたちのような、贅沢に慣れきった人たちのためにあるものでは、決してありません。
麦の一粒たりとも、渡すつもりはありませんでした。
私はすうっと一度息を吸い込んで、ゆっくりと顔を上げます。
そして隣に立っているゲルトさんに、できるだけ冷静な声で伝えました。
「ゲルトさん、一つお願いがあります。」

「すぐにレオニール様を、ここへお呼びください。」
「緊急の会議を開きます、とそうお伝えください。」
私の声には、自分でも驚くほどの、氷のような冷たさが含まれていました。
その普通ではない雰囲気に、ゲルトさんはごくりと息を飲みます。
そして何も聞き返すことなく、力強く一度だけ頷きました。
「はっ、承知いたしました、ただちに!」

彼は近くにいた馬にさっと飛び乗ると、乾いた土煙を上げてお城へと駆けていきました。
私はそのたくましい背中を見送りながら、ぎゅっと拳を固く握りしめます。
どうやら、とても面倒な問題が起きてしまったようです。
でも、むしろ望むところでした。
私はもう、ただ言いなりになるだけだった、弱いお嬢様ではないのですから。

城の小さな会議室には、重くて苦しい空気が漂っていました。
窓の外は、ヴァインベルクの雄大な自然が広がっています。
レオニール様が、私が受け取った手紙を、とても厳しい顔つきで読んでいました。
彼の隣には私が座っていて、テーブルの向かい側にはゲルトさんと会計官のボードワンさんが座っています。
ボードワンさんは、血の気の引いた顔をして、硬い表情で指を震わせています。

「これは、むちゃくちゃなのです。」
レオニール様は、吐き捨てるようにそう言って、丈夫な紙をテーブルの上に叩きつけました。
その声には、抑えることのできないほどの、強い怒りがにじみ出ています。
「王都の食糧不足だと、ふざけるなという話です。我々に全ての食料を差し出せなどと、正気とは思えません!」
「本当です、そんなことをすれば、我々が冬を越せなくなるではありませんか!」
ゲルトさんも、テーブルを拳で叩いて声を大きくしました。

普段はとても落ち着いている彼も、この命令だけはどうしても我慢がならないようです。
ボードワンさんも、青くなった顔でわなわなと震えています。
「お、恐れながら申し上げます。この命令に従ってしまえば、この領地の蓄えは完全に空っぽになってしまいます。」
「民は飢えることになり、多くの死者が出てもおかしくはありません。」
三人の言うことは、すべて正しいことでした。

このふざけた要求は、ヴァイン-ベルクの民に死ねと言っているのと、まったく同じことなのです。
会議室は、皆の怒りと絶望の気持ちで、重く満たされていました。
そんな重苦しい空気の中、私だけが、ただ一人冷静でした。
「皆様、お気持ちは、痛いほどよく分かります。」
私は落ち着いて、ゆっくりと口を開きました。
三人の鋭い視線が、一斉に私の方へと集まります。

「ですが、感情的になってしまっては、相手の思う通りになってしまうだけですわ。」
私の落ち着いた声を聞いて、三人は少しだけ冷静さを取り戻したようでした。
レオニール様が、不思議そうな顔で私を見ています。
「アニエス、お前は、この状況をどう考えているのですか。」
「はい、まずこの手紙なのですが、いくつかおかしな点があることに気づきました。」
私はテーブルの上に置かれた手紙を、人差し指でそっと指差しました。

「これは、王太子殿下からのご命令、という形になっています。もし、私たちがこの命令を正面から断れば、王家への反逆と判断される可能性があります。」
「それは、絶対に避けなければならない事態です。」
私の言葉に、ゲルトさんたちが、ごくりと喉を鳴らす音が聞こえました。
「しかし、本当に王都全体が、それほど深刻な食糧不足なのでしょうか。」
「もしそれが本当なら、もっと公式な命令として、他の貴族にも食料を出すようにという要請がいくはずです。」

「この手紙は、私の父であるヴェルフォール公爵の名前で出されています。これは、あまりにも個人的すぎるとは思いませんか。」
「それは、一体どういうことなのですか。」
レオニール様が、眉をひそめて尋ねました。
「おそらくですが、これは、王都全体の危機というわけではありません。私の家族、特に姉のセレスティーナが、王太子殿下をたきつけたのだと思います。」
「そして、私たち、特にこの私を困らせるために仕組んだ、個人的な嫌がらせの可能性が非常に高いと考えられます。」

「なんと、信じられません。嫌がらせのためだけに、このようなひどいことをするのですか!」
ゲルトさんが、信じられないというように、大きな声を上げました。
「はい、王都の貴族とは、そういう方たちなのです。特に姉は、私がこの地でささやかながらも幸せに暮らしているのが、きっと面白くないのでしょう。」
「自分の思い通りにならない駒は、ためらわずに潰してしまいたいのです。」
私の言葉に、会議室は物音一つしなくなりました。

レオニール様は、黙って私の顔をじっと見ています。
その青い瞳の奥で、抑えた怒りの炎が静かに燃えているのが、私には分かりました。
「ですから、私たちは、この子供じみた嫌がらせに、正面から付き合う必要はないのです。」
「この手紙には、公式な命令書として、いくつかの『穴』がありますから。」
私は、人差し指を一本、すっと立てました。

「まず、『全ての食料』という表現です。これは、あまりにもはっきりしません。」
「何を、どれだけの量を、いつまでに差し出せばいいのか、という具体的な指示が一切書かれていないのです。」
会計官であるボードワンさんが、はっとした顔で頷きました。
「確かに、その通りです。これでは、正式な命令書としては、あまりにも不備が多すぎますな。」
「ただの脅し文句と、何も変わりませんぞ。」

「ええ、その通りです。ですから、私たちは、この『穴』を、最大限に利用させてもらうのです。」
私は、皆に安心してもらうために、にっこりと微笑みました。
「正面から断ることはしません。かといって、言われた通りにするつもりもありません。」
「私たちの命綱である食料を、みすみす差し出すことなど、絶対にあってはならないのです。」
私の言葉に、三人は、戸惑ったような顔をしています。

それでいて、何かに期待するような目で、私をじっと見つめていました。
「では、一体どうするつもりなのですか。」
レオニール様が、落ち着いた声で尋ねました。
私は、そのまっすぐな問いに、はっきりと答えます。
「私たちは、王都へ、私たちの誠意を見せれば良いのです。」
「誠意、だと?」

レオニール様が、私の言葉を、不思議そうに繰り返しました。
会議室にいる全員が、私の次の言葉を、息をのんで待っています。
私は、少しだけいたずらっぽく笑いながら、こう続けました。
「はい、誰も文句のつけようがないくらいの、心のこもった誠意をたっぷりと見せてあげるのです。」
その言葉に、どんな恐ろしい意味が込められているのか。
まだ、この場にいる誰も、本当の意味を理解していませんでした。
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