Harmonia ー或る孤独な少女と侯国のヴァイオリン弾きー

雪葉あをい

文字の大きさ
46 / 161
第2章 ADAGIO

op.06 小さな旦那様、小さな奥様(4)

しおりを挟む
 元気だという自己申告はあったものの、倒れたばかりであるアルの体調を考慮して、こまめに休憩を挟みながら行くことになった。

 アルは温和な人柄だったが、元々話をするのは好きな性分なのかよく話した。イタリアから来たらしく、リチェル達とは逆にオーストリアへ向かう途中だったらしい。地図はあったが迷ってしまって倒れたところを、ヴィオ達に助けられたのだ。

「え⁉︎ ヴィオさんって僕より年下なの⁉︎ 大人びてるからてっきり年上だと……」

 道中自分のことを話してくれたアルが、ヴィオの年齢に驚きの声を上げたのはちょうど半時間ほど歩いて休憩を挟んだ時だった。

「じゃあ呼び方はヴィオ君でいいかな? 僕は次の冬で二十歳なんだ」

 言葉少ないヴィオの事を特に気にするでもなく、リチェルの隣に腰を下ろすヴィオに楽しそうに話しかける。

「ということはソルヴェーグさんは二人の保護者みたいなもの?」

 ヴィオがチラリと少し離れて座るソルヴェーグと目を合わせて、軽く頷く。

「……まぁ、そんなものだ」
「で、リチェルさんとヴィオ君は──兄妹、って訳でもないよね? えっとまさか……」

 アルの眉間に皺がよる。キョトンとするリチェルをちらりと見て、アルは微かに頬を赤らめた。

「……えっと、恋人、とか?」
「!」

 それこそまさかの言葉にリチェルがパッと頬を染めた。違います! と慌てて首を振る。それは流石にヴィオに失礼だ。ソルヴェーグにも申し訳ない。

「リチェルは事情があって知人から預かっているだけだ」

 落ち着いてはいるが、珍しく呆れた様子でヴィオが返す。アルはアルで『そ、そっか。そうだよね!』と何故か安心したように胸を撫で下ろしている。

「リチェルさんは、歌を歌うんだよね」
「はい。どうしてそれを?」
「起きた時に歌っていたのが聞こえたんだ」

 アルがどこか照れたように続ける。

「とても美しい歌声だったし、起きた時に目の前にいたのがとても綺麗な人だったから、僕てっきり天使様がいるのかと思っちゃって」

 聞き慣れない直球の褒め言葉に、リチェルは慌てた。ルーデンドルフ夫妻の屋敷にいた時も使用人の方達に歌を褒められたことはあった。だけどアルの褒め言葉はそれとはまた別種のもののようで大いに戸惑ってしまう。

「あ、ありがとうございます……」

 あたふたとうろたえながら、何とかリチェルはお礼を口にする。頬が熱い。

「でもわたしには勿体無い言葉です……」
「そんな事ないよ! え? まさか言われた事ないの⁉︎」

 アルが反射的にヴィオの顔を見たのが分かって、リチェルはますますいたたまれなくなる。そんな事を言われたらヴィオもきっと困ってしまう。

「ヴィオ様も私もリチェル殿の事はとても可愛らしい方だと思っていますよ」

 と、助け舟を出すように三人の様子を見守っていたソルヴェーグが穏やかに口にした。恐縮してリチェルが頭を下げると、ソルヴェーグは問題ないと言うように笑みを返してくれる。

 ただあまり容姿のことを口にするのも不作法ですからな、と続けられた言葉にアルがキョトンとする。

「あ、そっか。こっちの国の人たちはあまり大っぴらに女性を褒めたりしないんだって聞いたことがあるような気が……。リチェルさんも戸惑わせたならごめん」
「いえ、こちらこそごめんなさい! でもそんな風に言ってくださってとても嬉しいです」

 すっかりしょげてしまったアルの様子に、ようやく肩の力が抜けてリチェルは笑う。きっと根が素直な人なのだろうと分かる。悪い印象は抱けない。

「あとリチェルさん。別に僕には敬語使わなくても良いよ。僕も使わないし、普通に話してくれた方が嬉しいな」
「え? それじゃあ……うん」

 リチェルが戸惑いながら頷くと、アルは嬉しそうに笑う。不思議とヴィオに敬語は使わなくていいと言われた時ほどの緊張はなかった。アル自身が人好きのする印象だからだろうか。

 リチェルの様子に満足したのか、ところで、とアルがヴィオの方を見る。

「ずっと気になってたんだけど、ヴィオ君が背負っているのってヴァイオリン?」
「ああ」

 短くヴィオが答えるとパッとアルが顔を輝かせた。

「やっぱり! じゃあヴィオ君は音楽家を目指しているのかな? それとももうプロだったりとか……」
「いや。音楽院には通っているが、今は休学中なんだ。アルフォンソは年齢からするともう卒業しているのか? 君も奏者だろう?」

 当たり前のようにヴィオが口にした『奏者』と言う言葉に、リチェルは目を丸くした。確かにアルは元々荷物を二つ持っていて、その一つは鞄だというには不思議な形をしていると思っていた。

「アルさんの持っているのは楽器なの?」

 リチェルが尋ねるとアルはうん、と頷いた。

「と言っても、僕は音楽院には通っていないんだけど。稼業は別にあって通わせてもらえなかったというか何というか。師事していた先生はいたんだけど、ほとんど独学なんだ」

 ちょっと待ってね、と言うとアルは隣に置いている荷物の片方に手をかけると蓋を開けてくれる。

「わぁ……!」

 中から出てきた楽器を見て、思わずリチェルは感嘆の声を上げた。

 それはリチェルにとって初めて見る楽器だった。オルガンのような鍵盤とふいごのような部品が一体化している。

「アコーディオンって言うんだよ」

 そう言って、アルがアコーディオンと呼ばれた楽器を持ち上げる。

「実際弾いてる楽器はピアノなんだけど持ち歩けないからね。でも何だか弾けるものがそばにないと落ち着かなくてさ」

 はにかむように笑って、アルはふっくらとした指を鍵盤に走らせた。

 途端に軽やかに弾むメロディーが流れ出す。

 魔法みたいに鍵盤の上を走る指が軽快な音を奏でて、細かな粒が跳ねて踊る。
 コロコロと転がる可愛らしいメロディー。

 鍵盤楽器というのは、多数の音を同時に奏でることで音に重さや深みを出すことが出来る。一つ一つの音は軽く、よく言えばシンプルだけど悪く言えば片手だけの演奏では物足りない。

 だけどアルの奏でる音は片手だけでも十分に音に厚みがあって、その軽やかな音は羽が生えているみたいだった。

 隣で聴いていたヴィオも目を丸くして、アルの演奏を聴いている。
 少し弾いて見せてくれるだけのつもりだったのだろう。アルの演奏はメロディーの一部だけを弾いて終わった。

 思わずリチェルが拍手をすると、アルが照れ臭そうに笑う。

「とっても素敵でした。それにとても可愛らしい曲」
「ショパンだよ。ワルツの第六番。『子犬のワルツ』とも呼ばれてるんだ。子犬が自分の尻尾を追いかけてくるくる回っている様子を見て作られた曲らしいよ」
「まぁ」

 先ほどの音を思い出すと情景が目に浮かぶようで、リチェルがクスクスと笑う。

 どうかな? とアルがヴィオに目を向けると、黙っていたヴィオが『あぁ、上手いな』と素直に感心の声を上げる。

「独学と言っていたから正直驚いた。アコーディオンで弾くように編曲してるのか?」
「あはは、即興だけどね。これだとどうしても片手になっちゃうし、メロディーをただなぞるだけじゃ音が心細いでしょ? あ、もしかしてヴィオ君ってその辺厳しい人だったりする?」
「いや、編曲に関しては俺も良くするから」

 ヴィオの言葉に、良かった、とアルが安堵の息をこぼした。

「その辺り気を遣うんだ。ほら、決まりを大事にする人に当たると怒られるから。ヴィオ君はそっちじゃなくて安心したよ」
「あぁ。だけど技法を駆使した構成はその良さがあるし、どちらかに寄っているというわけではないな」
「え? そうなんだ? ヴィオ君って自由なんだね。ウィーンの人なんかは割とキッパリ白黒分かれているもんだと思っていたよ」
「言いたいことは分かるが、お前のそれは大分偏見が入ってるぞ」
「そうなの? 実際はそんな事ないの?」

 食い下がるアルに、ヴィオがそうだな……と音楽院での話をし始める。
 アルと音楽の話をしているヴィオは普段よりも饒舌で、笑いはしないもののどこか楽しそうだった。その様子に知らず知らずのうちにリチェルの口元が緩んだ。

 ふと後ろを振り返ると、ソルヴェーグもどこか微笑ましい物を見るように主人の姿を見ていた。もしかしたらリチェルと同じように感じたのかもしれない。

 何だかそれも嬉しくて、リチェルは二人の話の邪魔にならないようにと少し後ろに下がった。
 ヴィオとアルの話は途中から半分くらい分からなくなってしまったけれども、いつか同じように話せるようになったら楽しいだろうな、とリチェルはふんわりと思った。


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

拾われ子のスイ

蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】 記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。 幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。 老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。 ――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。 スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。 出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。 清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。 これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。 ※週2回(木・日)更新。 ※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。 ※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載) ※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。 ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

転生『悪役』公爵令嬢はやり直し人生で楽隠居を目指す

RINFAM
ファンタジー
 なんの罰ゲームだ、これ!!!!  あああああ!!! 本当ならあと数年で年金ライフが送れたはずなのに!!  そのために国民年金の他に利率のいい個人年金も掛け、さらに少ない給料の中からちまちまと老後の生活費を貯めてきたと言うのに!!!!  一銭も貰えないまま人生終わるだなんて、あんまりです神様仏様あああ!!  かくなる上はこのやり直し転生人生で、前世以上に楽して暮らせる隠居生活を手に入れなければ。 年金受給前に死んでしまった『心は常に18歳』な享年62歳の初老女『成瀬裕子』はある日突然死しファンタジー世界で公爵令嬢に転生!!しかし、数年後に待っていた年金生活を夢見ていた彼女は、やり直し人生で再び若いままでの楽隠居生活を目指すことに。 4コマ漫画版もあります。

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

公爵家の秘密の愛娘 

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。 過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。 そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。 「パパ……私はあなたの娘です」 名乗り出るアンジェラ。 ◇ アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。 この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。 初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。 母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞  🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞 🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇‍♀️

処理中です...