118 / 161
第4章 RONDO-FINALE
op.14 春への憧れ(3)
しおりを挟む
リチェルが去っていった扉を見送って、ヴィオは詰めていた息を吐き出した。
昨晩はよく眠れたから、疲れは取れている。馬車の手配をしに行かなくてはいけないから、ここでじっとしている訳にはいかないのだが、一旦気持ちを落ち着かせるためにベッドに腰掛けた。
侯爵家のフォルトナーから来た連絡のこと。
ハーゼンクレーヴァーからの手紙のこと。
考えることは山積みなのに思考はスッキリとしていた。多分それは、ヴィオの中で迷っていた気持ちにある程度整理がついたからだろう。
(ソルヴェーグに、感謝しないとな……)
カステルシルヴァで別れてきた老執事の事を思い出す。幼い頃からずっと父のそばにいたソルヴェーグは、ヴィオの事もずっと気にかけてくれていた。今回のことも──。
◇
「ヴィクトル様、もう少しだけお時間をよろしいですかな」
ソルヴェーグが宿でそう話を切り出したのは、ヴィオが教会から戻ったその夜、今後のことを話し終えた後の事だった。
ソルヴェーグはヴィクトル、と名を呼んだ。周りに聞かれる恐れがある時は、基本ソルヴェーグはヴィオをその名で呼ばない。それでも口にしたのはきっとそれなりに理由がある時だ。
「寝なくて大丈夫なのか? もう遅いぞ?」
ゆらゆらと揺れる蝋燭は新品だったはずなのに、随分と短くなっていた。ソルヴェーグが『大丈夫です』と笑う。
「心配して頂いてありがとうございます。ですが自身の身体の状態はよく心得ております故」
「確かにそうだな。それで何を? 重要なことは粗方話し終えたと思うが」
少なくともヴィオの方には、もう急ぎで話さなければいけない事柄は残っていない。だがソルヴェーグは『いいえ』と口にする。
「とても大事なことが残っているのです」
「そうなのか?」
何か見落としていただろうか、と思考を巡らせるヴィクトルにソルヴェーグは柔らかく笑う。
「貴方はいつもそうですな。周りの事を、家のことを常に自分ごととして一番に優先なさる。幼い頃からずっと」
「? それは当然だろう」
そう言う風に育てられたし、ヴィオも受け入れている。今更のことだ。
「いいえ。当然ではありません。もちろんそう在れと貴方は言われ続けてきましたが、理想と現実はいつだって別物です。そう在れと望まれて、そういられることは貴方の強さですよ。ディートリヒ様が亡くなられた今、今後私達が忠を尽くすのは貴方を置いて他にありません」
「……どうしたんだ急に」
苦笑をこぼす。
「だが、お前が言うには大事なことを取りこぼしているんだろう?」
「えぇ。貴方は大変優秀な方ですが、だからこそ一つ、とても大事なことを蔑ろにしています」
「何を忘れてた?」
「貴方自身のことです。ヴィクトル様」
思いもよらない言葉だった。目を瞬かせてソルヴェーグに目をやる。
「俺のこと?」
「えぇ。どんなに家が整っても、貴方が心身ともに健やかでなければ、侯爵家は立ち行きません」
その言葉の意味に考えを巡らせる。
確かに父の訃報を聞いた後は動揺していた。
その動揺を自覚すら出来ていなかった。だけどリチェルのおかげで、今はもう冷静に自身の状態を把握できているし、物事を考えられていると思う。
「それなら特に問題はないと思っているんだが……」
ソルヴェーグが言うのであれば、まだ気付いていない何かがあるのだろうか。考え込むと、ソルヴェーグが『えぇ』と頷いた。
「もちろん家督を継ぐことについては心配しておりませんよ。貴方は大層頭の良い方で、また自身の不足を認めることが出来る方です。このように早くディートリヒ様が亡くなられたのであれば、私も僭越ながらこの身が動く限りお仕えしたい所存です。しかし貴方様は強い方であらせられる故に、己の弱さには無自覚であられる」
会話の脈絡が読めない。
だがソルヴェーグの眼差しは真剣だ。だからヴィオも向き合って『つまり?』と続きを促すと、ソルヴェーグが穏やかに笑った。
「だからきっと、貴方にはその心を支える方が必要なのです。ヴィクトル様」
そう言われてようやく、ソルヴェーグの言わんとしていることが繋がった。もしかして、と呟く。
「リチェルの事を言ってるのか?」
「もちろん。それ以外に誰のことがありましょうか」
ここまでのソルヴェーグの口調は終始落ち着き払ったものだった。
以前までリチェルの事を話す時に含まれていた躊躇のようなものが見えない。それが余計にヴィオを戸惑わせた。
「だがリチェルは……」
「分かっています。リチェル殿は我々のいる環境とは無縁で、後ろ盾などありません。だけどヴィクトル様、そんな物は何とでもなります」
「以前も話したが、俺が気にしているのはそう言うことじゃない」
リチェルがどこの誰かだなんてヴィオにとってもどうでもいい話だ。
だが周りにとってはそうではない。悪意の矛先は少なからずリチェルに向かうだろう。父であっても防ぎきれなかったそれらの全てからリチェルを守れると言うのは、ただの過信だ。
『何かあったの……?』
震える声が、脳裏に蘇る。
いきなり抱きすくめられて、きっと怯えただろうに、リチェルは一番最初にヴィオのことを心配してくれた。
『ヴィオのことは、怖くないの。だから大丈夫』
そう言ってくれたリチェルは、心の優しい一人の女の子で。
だけどヴィオにとっては何にも代え難い、たった一人で。
だから傷つけたくないのだと、改めてそう思った。幸せであるように、ともう一度ちゃんと思い直したところだった。
「……ヴィクトル様は、リチェル殿がそんなに弱い方に見えますか?」
不意に、ソルヴェーグが声を落とした。その言葉に、息を呑む。
「あの方は心の強い女性です。ラクアツィアでも我々に頼ることなく、迷いなくあの晩孤児院に留まる事を選ばれた。彼女はきちんと自身の問題と向き合える方ですよ」
とつとつと、ソルヴェーグが言葉を紡いでいく。
分かっている。リチェルが弱くないことは。あの境遇で、あの環境で、あの優しさを捨てずに生きてこれたことが、何より彼女の強さを証明している。
「貴方が今まで侯爵家に捧げてきた時間を、努力を、私達はみな知っています。
ライヒェンバッハに仕える人間で、貴方の為に動かぬ人間などおりません。いたとしても、私とフォルトナーがさせませんよ。それが貴方が今まで積み上げてきた物です。だから一つくらい、ご自身のために望んでも良いのではないのでしょうか」
少なくとも、私は貴方に望んでほしい。とソルヴェーグは静かに続ける。
「リチェル殿を守るのは貴方一人ではありません。
ヴィクトル様がそばにいられない時は誰かが必ず助けます。私にそう言う覚悟がある事を、貴方に知って欲しかった。家を継ぐと言うことは、貴方自身の望みを全て捨てろと言うことではありません。貴方の望みを叶えたいと思う人間が、周りには沢山いることを分かってほしい。……本当はもっと早く言いたかったのです。貴方が自身の望みこそ切り離して考える方だと分かっていたのに、覚悟が決まらなかった私の弱さをどうかお許しください」
「……頭を上げてくれ。お前に謝られるようなことは何もない」
ソルヴェーグに謝罪されるといつも落ち着かなくなる。ソルヴェーグはヴィオにとって育ての親のようなものだ。父から習う以上のことを、この元執事から教わった。
その、と歯切れ悪くヴィオは続ける。
「少し、頭を冷やしたい……」
望んだことを通す。
それが家のためならば、幾らでも考えただろう。
だけど自分一人の為に何かを強く望んだことは、ヴィオの人生においてそんなに多くはない。そもそもそこまで強く何かを望んだこと自体がないのだ。返事のしようもなく、そう伝えるとソルヴェーグは『もちろんです』と笑う。
「それに大前提になるのですが、リチェル殿が頷いてくれるかどうかは私共にも何とも言えませんので、そこはヴィクトル様の腕の見せ所かと思いますよ」
「……お前な」
場の空気を和ませるようにそう言われて、ヴィオは息をついた。それで話は全てのようだったから、いくら何でもそろそろ寝ないと明日に差し支えるだろうとソルヴェーグを下がらせた。
だが──。
ほとんど溶け落ちた蝋燭の火がゆらゆらと揺れている。椅子の背に体重を預けたまま、その火をじっと見ていた。
リチェルをそばに置くという選択肢は、ヴィオの中では一度完全にナシになった事だった。
実現するための可能性を考えた時にネックとなる要素はすぐに並んだし、大体潰せることも知っていた。だが一度考えた時に母の事がすぐに思い当たって、それ以上考えるのをやめてしまった。
(幸せになって欲しいから……)
その気持ちは、教会での出来事で一層強くなった。だけど同じくらい本当は──。
まとまらない考えの中で一つだけ確かなことがあった。今までの人生で、ここまで誰かを強く望んだことはない。
(君を、幸せに出来るのだろうか?)
その夜は、そんな答えの出ない事をずっと考えていた。
翌朝リチェルと顔を合わせると、リチェルは変わらない笑顔で『おはよう』とふわりと笑った。その声も、姿も。彼女の事がどうしようもない程愛おしいことはもう知っていて──。
(望んでいいのだろうか)
そんな欲が顔を出す。
(君にずっと、そばにいてほしいと)
一日ずっとそんな事を考え続けて、コトリと心が傾いたのは多分ドナートの工房へリチェルを迎えに行った時だ。職人と話していたリチェルは、ヴィオの姿に気付くとぱっと顔をほころばせた。
「ヴィオ」
それはまるで花が開く瞬間のようだった。その姿を見た時、急に悩んでいることが全て馬鹿馬鹿しくなった。
顔を出した職人達に丁寧に挨拶をするリチェルは随分可愛がられていたようで、何度も頭を下げて、別れを惜しんでいた。だけどもリチェルはヴィオの所へ戻ることを少しも躊躇いはしないのだ。
(多分もう──)
手放せと言われても、手放したくない。
「ソルヴェーグ」
翌朝、カスタニェーレに出発するヴィオとリチェルを見送りにきたソルヴェーグに声をかけた。
「多分また、負担をかける事になるが構わないだろうか?」
リチェルに気付かれないようにチラリと彼女に視線をやって告げると、ソルヴェーグは嬉しそうに笑った。えぇ、もちろん。とソルヴェーグが応じる。
「私達はその為にいるのですから」
昨晩はよく眠れたから、疲れは取れている。馬車の手配をしに行かなくてはいけないから、ここでじっとしている訳にはいかないのだが、一旦気持ちを落ち着かせるためにベッドに腰掛けた。
侯爵家のフォルトナーから来た連絡のこと。
ハーゼンクレーヴァーからの手紙のこと。
考えることは山積みなのに思考はスッキリとしていた。多分それは、ヴィオの中で迷っていた気持ちにある程度整理がついたからだろう。
(ソルヴェーグに、感謝しないとな……)
カステルシルヴァで別れてきた老執事の事を思い出す。幼い頃からずっと父のそばにいたソルヴェーグは、ヴィオの事もずっと気にかけてくれていた。今回のことも──。
◇
「ヴィクトル様、もう少しだけお時間をよろしいですかな」
ソルヴェーグが宿でそう話を切り出したのは、ヴィオが教会から戻ったその夜、今後のことを話し終えた後の事だった。
ソルヴェーグはヴィクトル、と名を呼んだ。周りに聞かれる恐れがある時は、基本ソルヴェーグはヴィオをその名で呼ばない。それでも口にしたのはきっとそれなりに理由がある時だ。
「寝なくて大丈夫なのか? もう遅いぞ?」
ゆらゆらと揺れる蝋燭は新品だったはずなのに、随分と短くなっていた。ソルヴェーグが『大丈夫です』と笑う。
「心配して頂いてありがとうございます。ですが自身の身体の状態はよく心得ております故」
「確かにそうだな。それで何を? 重要なことは粗方話し終えたと思うが」
少なくともヴィオの方には、もう急ぎで話さなければいけない事柄は残っていない。だがソルヴェーグは『いいえ』と口にする。
「とても大事なことが残っているのです」
「そうなのか?」
何か見落としていただろうか、と思考を巡らせるヴィクトルにソルヴェーグは柔らかく笑う。
「貴方はいつもそうですな。周りの事を、家のことを常に自分ごととして一番に優先なさる。幼い頃からずっと」
「? それは当然だろう」
そう言う風に育てられたし、ヴィオも受け入れている。今更のことだ。
「いいえ。当然ではありません。もちろんそう在れと貴方は言われ続けてきましたが、理想と現実はいつだって別物です。そう在れと望まれて、そういられることは貴方の強さですよ。ディートリヒ様が亡くなられた今、今後私達が忠を尽くすのは貴方を置いて他にありません」
「……どうしたんだ急に」
苦笑をこぼす。
「だが、お前が言うには大事なことを取りこぼしているんだろう?」
「えぇ。貴方は大変優秀な方ですが、だからこそ一つ、とても大事なことを蔑ろにしています」
「何を忘れてた?」
「貴方自身のことです。ヴィクトル様」
思いもよらない言葉だった。目を瞬かせてソルヴェーグに目をやる。
「俺のこと?」
「えぇ。どんなに家が整っても、貴方が心身ともに健やかでなければ、侯爵家は立ち行きません」
その言葉の意味に考えを巡らせる。
確かに父の訃報を聞いた後は動揺していた。
その動揺を自覚すら出来ていなかった。だけどリチェルのおかげで、今はもう冷静に自身の状態を把握できているし、物事を考えられていると思う。
「それなら特に問題はないと思っているんだが……」
ソルヴェーグが言うのであれば、まだ気付いていない何かがあるのだろうか。考え込むと、ソルヴェーグが『えぇ』と頷いた。
「もちろん家督を継ぐことについては心配しておりませんよ。貴方は大層頭の良い方で、また自身の不足を認めることが出来る方です。このように早くディートリヒ様が亡くなられたのであれば、私も僭越ながらこの身が動く限りお仕えしたい所存です。しかし貴方様は強い方であらせられる故に、己の弱さには無自覚であられる」
会話の脈絡が読めない。
だがソルヴェーグの眼差しは真剣だ。だからヴィオも向き合って『つまり?』と続きを促すと、ソルヴェーグが穏やかに笑った。
「だからきっと、貴方にはその心を支える方が必要なのです。ヴィクトル様」
そう言われてようやく、ソルヴェーグの言わんとしていることが繋がった。もしかして、と呟く。
「リチェルの事を言ってるのか?」
「もちろん。それ以外に誰のことがありましょうか」
ここまでのソルヴェーグの口調は終始落ち着き払ったものだった。
以前までリチェルの事を話す時に含まれていた躊躇のようなものが見えない。それが余計にヴィオを戸惑わせた。
「だがリチェルは……」
「分かっています。リチェル殿は我々のいる環境とは無縁で、後ろ盾などありません。だけどヴィクトル様、そんな物は何とでもなります」
「以前も話したが、俺が気にしているのはそう言うことじゃない」
リチェルがどこの誰かだなんてヴィオにとってもどうでもいい話だ。
だが周りにとってはそうではない。悪意の矛先は少なからずリチェルに向かうだろう。父であっても防ぎきれなかったそれらの全てからリチェルを守れると言うのは、ただの過信だ。
『何かあったの……?』
震える声が、脳裏に蘇る。
いきなり抱きすくめられて、きっと怯えただろうに、リチェルは一番最初にヴィオのことを心配してくれた。
『ヴィオのことは、怖くないの。だから大丈夫』
そう言ってくれたリチェルは、心の優しい一人の女の子で。
だけどヴィオにとっては何にも代え難い、たった一人で。
だから傷つけたくないのだと、改めてそう思った。幸せであるように、ともう一度ちゃんと思い直したところだった。
「……ヴィクトル様は、リチェル殿がそんなに弱い方に見えますか?」
不意に、ソルヴェーグが声を落とした。その言葉に、息を呑む。
「あの方は心の強い女性です。ラクアツィアでも我々に頼ることなく、迷いなくあの晩孤児院に留まる事を選ばれた。彼女はきちんと自身の問題と向き合える方ですよ」
とつとつと、ソルヴェーグが言葉を紡いでいく。
分かっている。リチェルが弱くないことは。あの境遇で、あの環境で、あの優しさを捨てずに生きてこれたことが、何より彼女の強さを証明している。
「貴方が今まで侯爵家に捧げてきた時間を、努力を、私達はみな知っています。
ライヒェンバッハに仕える人間で、貴方の為に動かぬ人間などおりません。いたとしても、私とフォルトナーがさせませんよ。それが貴方が今まで積み上げてきた物です。だから一つくらい、ご自身のために望んでも良いのではないのでしょうか」
少なくとも、私は貴方に望んでほしい。とソルヴェーグは静かに続ける。
「リチェル殿を守るのは貴方一人ではありません。
ヴィクトル様がそばにいられない時は誰かが必ず助けます。私にそう言う覚悟がある事を、貴方に知って欲しかった。家を継ぐと言うことは、貴方自身の望みを全て捨てろと言うことではありません。貴方の望みを叶えたいと思う人間が、周りには沢山いることを分かってほしい。……本当はもっと早く言いたかったのです。貴方が自身の望みこそ切り離して考える方だと分かっていたのに、覚悟が決まらなかった私の弱さをどうかお許しください」
「……頭を上げてくれ。お前に謝られるようなことは何もない」
ソルヴェーグに謝罪されるといつも落ち着かなくなる。ソルヴェーグはヴィオにとって育ての親のようなものだ。父から習う以上のことを、この元執事から教わった。
その、と歯切れ悪くヴィオは続ける。
「少し、頭を冷やしたい……」
望んだことを通す。
それが家のためならば、幾らでも考えただろう。
だけど自分一人の為に何かを強く望んだことは、ヴィオの人生においてそんなに多くはない。そもそもそこまで強く何かを望んだこと自体がないのだ。返事のしようもなく、そう伝えるとソルヴェーグは『もちろんです』と笑う。
「それに大前提になるのですが、リチェル殿が頷いてくれるかどうかは私共にも何とも言えませんので、そこはヴィクトル様の腕の見せ所かと思いますよ」
「……お前な」
場の空気を和ませるようにそう言われて、ヴィオは息をついた。それで話は全てのようだったから、いくら何でもそろそろ寝ないと明日に差し支えるだろうとソルヴェーグを下がらせた。
だが──。
ほとんど溶け落ちた蝋燭の火がゆらゆらと揺れている。椅子の背に体重を預けたまま、その火をじっと見ていた。
リチェルをそばに置くという選択肢は、ヴィオの中では一度完全にナシになった事だった。
実現するための可能性を考えた時にネックとなる要素はすぐに並んだし、大体潰せることも知っていた。だが一度考えた時に母の事がすぐに思い当たって、それ以上考えるのをやめてしまった。
(幸せになって欲しいから……)
その気持ちは、教会での出来事で一層強くなった。だけど同じくらい本当は──。
まとまらない考えの中で一つだけ確かなことがあった。今までの人生で、ここまで誰かを強く望んだことはない。
(君を、幸せに出来るのだろうか?)
その夜は、そんな答えの出ない事をずっと考えていた。
翌朝リチェルと顔を合わせると、リチェルは変わらない笑顔で『おはよう』とふわりと笑った。その声も、姿も。彼女の事がどうしようもない程愛おしいことはもう知っていて──。
(望んでいいのだろうか)
そんな欲が顔を出す。
(君にずっと、そばにいてほしいと)
一日ずっとそんな事を考え続けて、コトリと心が傾いたのは多分ドナートの工房へリチェルを迎えに行った時だ。職人と話していたリチェルは、ヴィオの姿に気付くとぱっと顔をほころばせた。
「ヴィオ」
それはまるで花が開く瞬間のようだった。その姿を見た時、急に悩んでいることが全て馬鹿馬鹿しくなった。
顔を出した職人達に丁寧に挨拶をするリチェルは随分可愛がられていたようで、何度も頭を下げて、別れを惜しんでいた。だけどもリチェルはヴィオの所へ戻ることを少しも躊躇いはしないのだ。
(多分もう──)
手放せと言われても、手放したくない。
「ソルヴェーグ」
翌朝、カスタニェーレに出発するヴィオとリチェルを見送りにきたソルヴェーグに声をかけた。
「多分また、負担をかける事になるが構わないだろうか?」
リチェルに気付かれないようにチラリと彼女に視線をやって告げると、ソルヴェーグは嬉しそうに笑った。えぇ、もちろん。とソルヴェーグが応じる。
「私達はその為にいるのですから」
0
あなたにおすすめの小説
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~
馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」
入社した会社の社長に
息子と結婚するように言われて
「ま、なぶくん……」
指示された家で出迎えてくれたのは
ずっとずっと好きだった初恋相手だった。
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
ちょっぴり照れ屋な新人保険師
鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno-
×
俺様なイケメン副社長
遊佐 学 -Manabu Yusa-
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
「これからよろくね、ちとせ」
ずっと人生を諦めてたちとせにとって
これは好きな人と幸せになれる
大大大チャンス到来!
「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」
この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。
「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」
自分の立場しか考えてなくて
いつだってそこに愛はないんだと
覚悟して臨んだ結婚生活
「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」
「あいつと仲良くするのはやめろ」
「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」
好きじゃないって言うくせに
いつだって、強引で、惑わせてくる。
「かわいい、ちとせ」
溺れる日はすぐそこかもしれない
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
俺様なイケメン副社長と
そんな彼がずっとすきなウブな女の子
愛が本物になる日は……
拾われ子のスイ
蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】
記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。
幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。
老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。
――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。
スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。
出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。
清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。
これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。
※週2回(木・日)更新。
※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。
※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載)
※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
転生『悪役』公爵令嬢はやり直し人生で楽隠居を目指す
RINFAM
ファンタジー
なんの罰ゲームだ、これ!!!!
あああああ!!!
本当ならあと数年で年金ライフが送れたはずなのに!!
そのために国民年金の他に利率のいい個人年金も掛け、さらに少ない給料の中からちまちまと老後の生活費を貯めてきたと言うのに!!!!
一銭も貰えないまま人生終わるだなんて、あんまりです神様仏様あああ!!
かくなる上はこのやり直し転生人生で、前世以上に楽して暮らせる隠居生活を手に入れなければ。
年金受給前に死んでしまった『心は常に18歳』な享年62歳の初老女『成瀬裕子』はある日突然死しファンタジー世界で公爵令嬢に転生!!しかし、数年後に待っていた年金生活を夢見ていた彼女は、やり直し人生で再び若いままでの楽隠居生活を目指すことに。
4コマ漫画版もあります。
課長と私のほのぼの婚
藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。
舘林陽一35歳。
仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。
ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。
※他サイトにも投稿。
※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。
婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!
みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。
幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、
いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。
そして――年末の舞踏会の夜。
「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」
エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、
王国の均衡は揺らぎ始める。
誇りを捨てず、誠実を貫く娘。
政の闇に挑む父。
陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。
そして――再び立ち上がる若き王女。
――沈黙は逃げではなく、力の証。
公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。
――荘厳で静謐な政略ロマンス。
(本作品は小説家になろうにも掲載中です)
公爵家の秘密の愛娘
ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。
過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。
そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。
「パパ……私はあなたの娘です」
名乗り出るアンジェラ。
◇
アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。
この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。
初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。
母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞
🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞
🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇♀️
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる