浮気され離婚した大公の悪役後妻に憑依しました

もぁらす

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4話『触れられなかった恋』

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あの頃、俺ははまだ十九だった。



戦火の匂いが残る帝都の片隅で、リディアは春の光のように笑っていた。



幼い頃からリディアの儚さは変わらなかった。



誰もが彼女に救われた。

その微笑みは、祈りにも似て――ただ見ているだけで胸が痛むほどに、清らかだった。



「……リディア」



名を呼ぶだけで、罪を犯したような気がした。

彼女はあまりにも儚く、触れれば壊れてしまいそうだった。



剣を握り血に染まった手で、その白い頬に触れることなど、どうしてできよう。



愛していた。だが同時に――恐れていた。

彼女の美しさが、あまりに“生”から遠すぎたからだ。



夜ごと、灯火の下でリディアが読んでいた詩集を思い出す。





“触れられぬ月を恋うるなら、その光に焼かれて死ぬ覚悟をせよ”





それはまるで、自分のために書かれた言葉のようだった。



そして結婚し数年たったある夜、リディアが泣きながら「抱いて」と言ったとき――俺は何も言えず、ただその手を取って額に口づけた。







どうしてもそれ以上は、できなかった。



「おまえを穢けがしたくない」



その言葉は愛の証のつもりだった。





そして数日後、俺は知る。

彼女が、別の男に抱かれれていたことを。







「……レオニス」



呼ばれた名に、かすかに眉が動いた。

彼女――リディアは、震える手で腹部を押さえていた。





「私……子どもができたの」



時間が止まった。



暖炉の火が、音を立てて弾ける。

それがやけに遠くに感じた。



「……そうか」



声は驚くほど静かだった。

否定も、祝福も、なかった。



彼女の瞳が揺れる。

涙を堪えたような、痛みの混じった微笑。



「ごめんなさい……」



胸の奥で、何かが崩れる音がした。

リディアは気づかない。

俺の指先が、わずかに震えていることを。



「……そうか」



もう一度、同じ言葉を繰り返す。

それ以外の言葉が、どこにも見つからなかった。





愛していた。

誰よりも、誰よりも。

だが――抱かなかった。

穢したくなかった。

それが“愛”だと信じていた。





けれど今、彼女の中には“誰か”の命がある。

その現実が、信じてきたものすべてを壊していく。



「……おめでとう」



ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど他人のようだった。



リディアの唇が震える。



「……あなた、怒らないの?」



「怒る理由があるのか?」



自嘲にも似た微笑がこぼれる。



そのとき初めて、俺は悟った。

自分が守ったのは“彼女”ではなく――“自分の理想”だったのだと。















その日の夜、

屋敷には一晩中、雨の音が響いていた。





机上の書類が指先に貼りつく。

リディアの生家フェルン家の帳簿――粉飾、そして借財。

目を覆いたくなるほどの数字の羅列。



「……くだらん」



吐き捨てるように言って、俺は椅子にもたれた。



愛した女の家が、太公家を沈める。



これは何の罰なのだろうか。



神からのものか、それとも己の選んだ愛からのものか。



そこへ、執事が封書を携えて入ってくる。



「ローレンス侯爵家より書状が届いております」



受け取った封筒には、金の紋章。

その光沢が、妙に眩しく感じた。



ローレンス侯爵家――帝都でも屈指の財閥貴族。

領地には銀鉱と絹の交易路を抱え、毎月の納税だけで一国の歳費に匹敵すると噂される。



政に関しては何一つ興味を示さぬ代わりに、金と人脈で王都の半分を動かしてきた。



宴を開けば一夜で街が明るくなり、

新しい建築を始めれば職人たちが列を成す。

金貨の響きこそがこの家の“権威”だった。



――“太公家の名誉と存続のため、我が家は援助を惜しまぬ”

――“ただし、その証として、娘セレーネを閣下の正妃として迎え入れられたし”





乾いた笑いが漏れる。

なんと都合のいい提案だろう。



貴族たちは血と金でしか絆を結べぬことを、誰よりも知っているくせに。



「……皮肉だな」



かつて愛を選び、今、現実を選ぶ。















翌朝、評議会にて。



侍従長が報告を終えると、重苦しい沈黙が広がった。

フェルン家の没落は帝都中に知れ渡り、太公家の威信も揺らいでいる。



「閣下。――このままでは我が太公家も持ちません」



助けを乞う視線が集まる。

彼らの誰も、俺の心を案じてなどいない。

“太公”という器だけを見ている。



俺は、目を閉じた。



脳裏に浮かぶのは、あの夜。

リディアの震える声と、己の沈黙。



――彼女の罪を公にすれば、フェルン家は完全に潰える。



だが、それでは彼女の子まで地に落とすことになる。



“俺が守ったのは理想だった”

ならば、最後までその理想を演じよう。





「……フェルン家とは離縁する」



低い声が会議室に落ちた。





「代わりに、ローレンス侯爵家との縁談を進めよ」



どよめきが走る。





何度か夜会で目にした事のあったその娘は、派手な装いでリディアとは似ても似つかなかった。



リディアよりも若いが、身体は成熟していて、痩せ細った儚いリディアとは正反対の女がセレーネだった。





だが私はリディアを守るため、己を矢面に立たせた。





「私はセリーヌを愛している、リディアのことはもう眼中になくなった」





口にした瞬間、胸の奥で何かが軋んだ。

それが嘘であることは、誰よりも自分が知っていたから。







それでも、言わなければならなかった。



彼女を、リディアを、守りたかった。









俺の言葉をそのまま真に受けたセレーネが執拗にまとわりついて来た。









人の目を盗んでは、裾を引き止めてくる。







「……少しだけでいいの。あなたの声を聞かせて」



香り立つ香水の匂いが近づくたび、俺の胸に冷たい汗が滲んだ。





「あなたは、あの人のことなんてもう忘れたのでしょう?」



無邪気な声音でそう問われるたび、心のどこかに沈んでいた罪悪感が、鈍く疼いた。







セレーネは、あの言葉を信じている。





――“私はセレーネを愛している。リディアのことはもう眼中にない”





その一言が、彼女を狂わせた。



贈り物が毎朝、机の上に並んでいる。

花束、手紙、果ては俺の好む銘酒まで。



時に侍女の手を借りて、屋敷中で俺の名を呼びながら探し回ることもあった。







「私を愛しているのなら、どうして避けるの?」





泣きそうな顔でそう言われたとき、俺はようやく悟った。



この女を愛せない、と。







それからの日々、俺は意図的にセレーネを避けた。

執務室に籠もり、夜会の誘いも断り、

彼女の姿を見かければ、別の廊下へと足を向けた。



それでも、逃げ切れはしなかった。



ある夜。

執務室の扉が、勢いよく開かれる。



「……殿下」



金糸の夜衣をまとったセレーネが立っていた。

頬は紅潮し、瞳は冷たく光っている。



「もう、我慢の限界です」



「何の話だ」



「ご存じでしょう?」



彼女は一歩ずつ近づき、机の上に一枚の書類を置いた。



それは――契約書だった。



『太公家との婚姻に関する取り決め』





そこに記された条項を、俺は一読して息を呑んだ。





“婚姻より一年以内に後継を設けること。さもなくば、ローレンス侯爵家は一切の資金援助を撤回する”





……つまり、子を作れということだ。





「あなたが私に触れない限り、太公家は滅びますわ」





セレーネは静かに言った。

その声音には、脅しではなく――哀願が混じっていた。



「こんなにもあなたを愛しているのに、どうして私では駄目なの」



その一言に、胸の奥が焼けるように痛んだ。

それはリディアに対しかつて己も抱いた感情だったからだ。



だが、愛ではなく義務のために触れることなど、俺には出来なかった。





幼少から知るリディアを、俺の手で穢すことなど出来なかったんだ。





「……くだらない」



契約書を破り捨てようとした俺の手を、セレーネが細い指で掴む。



「破っても無駄ですわ。すでに父が評議会に提出しております」



息が止まった。

政治が、愛をも呪縛に変える。



「ねえ、レオニス」





彼女は顔を寄せ、微笑んだ。

涙を浮かべながら――美しく、残酷に。







「せめて“あなたの妻”として、私を見てください」









契約書を握り潰した手が、震えていた。

怒りか、情けなさか、自分でもわからなかった。





「……そこまでして何が得れる」





低く絞り出すように言うと、セレーネは怯むどころか、微笑んだ。



その唇は、勝ち誇ったように震えている。

 



「あなたの傍に永遠にいれます」





その瞳。

まるで正義を語る子供のような、歪んだ純粋さ。



俺の胸の奥に、冷たい怒りが噴き上がる。





「そんな事をしなくても心配はいらない、離れることなどしない」



そう吐き捨てても、セレーネは顔をしかめることもせず、

指先で俺の胸元をなぞった。その指先が、ベルトへとのびる。



「あなたとの世継ぎが欲しいのです」



……その言葉が、決定的だった。



リディアを失ったときでさえ、

ここまで醜い感情を抱いたことはなかった。



嫌悪。

怒り。

そして、恐怖。



この女は、理性を持たぬ“愛”を信じている。

そのためなら家も誇りさえも平然と差し出す。





「やめろ」



冷たく言い放つ声が、震えていた。

彼女にではなく――自分自身に向けた怒りで。



セレーネは一瞬、何かを理解したように瞳を見開き、それでも笑った。









「私の中に、あなたの血を残せるのなら」







ベルトを外し、下衣をずらす。



そして晒された下腹部に顔を埋め、セレーネが卑猥な音をたてる。



心は嫌悪感でいっぱいなのに、セレーネの口元から目がそらせない。



己の汚い部分に下を這わすその姿に、体の芯は意志とは反して熱くなる。





これがリディアだったと思うと、余計に悪寒が走った。





執拗に絡まる舌先が動くたびに体がのけぞる。



この女になど情のひとつもない。だからだろうか、波打つ快楽に身を委ねてしまう。







おぞましい、自分が。



汚らしい、この行為が。







だが、リディアではなく、セレーネだからこそ、背徳を感じなかった。



そして俺は初めてのその快感に、すぐに果ててしまった。





「……美味ですわ」



ごくりとそれを呑み込み、セレーネはまた卑しく俺を頬張りはじめた。







「もっ……やめろ」



「いいえ?これでは子を孕めませんもの」





その晩から、寝室を共にしセレーネは毎日俺に跨り続けた。



侯爵家の援助が続く限り、俺には拒む権利などない。



それを理解した上で、彼女は決して“誘う”ことをやめなかった。





――彼女は、毎晩同じ手を伸ばしてくる。

まるで、俺の沈黙を“承諾”と信じているかのように。





最初は快楽に負け、セレーネの言いなりでもいいかと思えた。



だが、日を追うごとに、彼女に触れられるたびに心が冷えていった。







香水の匂いも、笑い声も、すべてが虚ろに響く。

最初に感じた快楽も、もうさほど感じない。



ただ、内から外へと出すための行為。







その自分の香りと彼女の香りを嗅ぐだけで吐き気がした。





――気づけば、嫌っていたのはセレーネだけではなく、それでもなおこの行為に反応する自分自身だった。







なのに、だ。



気を引こうと泥だらけで目の前に現れたかと思えば、突然人が変わったように「愛しません」などと口走り、挙句の果てにベッドの端で大人しく――いや、不気味なほどブツブツと独り言を呟いている。





セレーネの様子がおかしい。



いつもなら、俺が一言でも高圧的に出れば、必ず理不尽なことを返してきたはずだ。



なのに今日は、睫毛を伏せたまま、肩をすくめて「すみません」と――謝った。





……セレーネが謝るなど、今の今まで一度もなかった。





不信と戸惑いが、奇妙な熱とともに胸の奥で混ざり合う。



毎夜の“習慣”のせいか、身体は条件反射のように熱を帯びていく。



試すように、俺はその華奢な身体を胸の中に閉じ込めた。







――これは、彼女が何を企んでいるのか確かめるためだ。







そうだ、これは確認だ。



そして違和感はセレーネの行動だけではなかった。







いつもなら息をするのも苦しいほど濃い香水の匂いが、今夜はほとんどしない。



代わりに――彼女自身の肌から、微かに甘い香りがした。



気のせいかもしれない。だが、その“違い”が妙に胸に引っかかる。







やはり、何かがおかしい。



腕の中に閉じ込めた身体は、かすかに震えていた。



怯えているような、あるいは拒まれているような――それなのに、その震えがやけに柔らかくて、俺は一瞬、錯覚した。







まるで、知らない女を抱いているようだと。





指先を肌の上に滑らせるたび、びくんと小さく跳ねる。



そして悪戯心で、柔らかな膨らみに触れた。





「っ——!」





俺の手に確かに反応し、ビクンと体を跳ねさせる。



その反応が、これまでのセレーネとはまるで違っていた。



だからだろうか、くすりとつい笑をこぼしてしまった。





「……まあ、たまにはこういうのも悪くない」





これまでと何も変わらない。



この女と寝ることなど、今に始まった事ではないのだから。









いつもなら、セレーネが勝手に馬乗りになり、挑発的に腰を揺らす。



乾きが濡れることはなく、セレーネはいつも決まって諦め奉仕につとめる。



それを見下ろしながら、俺はため息まじりに諦め、短い夜を終わらせてきた。





もはやそれは、愛でも情でもない。



退屈な義務――形式だけの儀式に成り果てていて、時折その滑稽さに失笑してしまうほどだった。





擦り切れた関係の中で、それでもどこか安心している自分がいた。



惰性に甘んじることは、考えることをやめるには都合がよかったのだ。





「……本当に、もうこういうことは」



吐息に紛れ、セレーネの言葉が掠れる。





「俺が要らぬと言っても、いつも執拗に求めてくるのはいつも――お前の方だろう」





だが、今夜の彼女は違う。



俺の腕から必死に逃れようとしているのに、触れた指先が蜜に濡れている。



矛盾するその反応が、理性を削るように俺の神経を刺した。





「レオニス、やめて」



「俺もそう何度も言っただろう?」





だが、お前はやめなかった。





だからこれはし返しであって、決して俺の意図するところではない。





セレーネの身体は俺の指先に確かに応えているのに、声は出ていない。



吐息だけが荒く漏れ、掌の下で小刻みに震える。



彼女の反論を封じ、その目が戸惑いに揺れるのを見た瞬間、胸の奥に小さな火がともった。



言葉でも、態度でもなく、ただ彼女の呼吸を奪うだけで、俺の方が上にいると、はっきり分かる。



そして、掌の熱が頂点に達した瞬間――



「……やめて」



その本気で嫌がる言葉を聞いた瞬間、全身の血が一気に熱くなった。







おかしい。



こう何度もセレーネが“やめて”などと言うはずがない。



あの女は、いつも求める側だった。

欲に飢え、支配することで自分の存在を確かめていた。







なのに、今、腕の中にいるこの女は――誰だ?



少なくとも、私の知るセレーネではない。







「いっ、今までのことはナシで!!」





掠れた声と共にか細い腕が俺を押し返した。





「心配しなくても、リディアはあなたの元に戻って来ますから!」





「とんだ嫌がらせだな、その名前を出すとは」





俺の中に残る最大の後悔。その象徴であるその名を今ここで出すなど。





「……嫌がらせなんて、そんなつもりじゃ」





頭に血が昇って、理性が効かなくなるのがわかった。



おまえに何がわかる。そんな怒りの感情に支配された。







「お前で憂さ晴らしするのは悪くはないからな」







逃げようとしたセレーネの身体を、反射的に引き寄せた。



その瞬間、腕の中で彼女が小さく息を呑む。

かすかな震えが伝わってきて、俺は思わず息を止めた。



捕まえた身体に舌を這わす。





その度に唇を噛み締め身体をよじらせるセレーネは、息を止め頑なに唇を開かない。



どうしても鳴く声が聞きたくなって、その柔らかな唇をこじ開けようと指を捩じ込んだ。







どうせ、この女がどうなろうと構わない。





情もなければ、慈悲もない。







拒まれても、何度も引き寄せた。



逃げようとするその腕を掴むたび、理性が遠のいていくのがわかる。





次第に閉じていた唇も抗うことを諦めたのか、突き上げるたびに泣きながら嘆願する。





これまで押さえつけられていた何かが、ゆっくりと体の奥で解けていく。



この優越感は、とても甘い。





やめるものか、と。



その嫌がる姿が鳴かなくなるまで執拗に身体を弄んだ。



彼女は涙に濡れていた。





――なぜ、泣く。

なぜ、そんな顔を見せる?



求めていたのではないのか?





問いかけることすらできず、ただ闇に溶けていく時間。



互いの体液が絡み合う卑猥な音に、セレーネの声が高らかに響く。







やがて空が白みはじめ、腕の中の彼女がぐったりと力を失ったとき、





俺はようやく我に返った。



「……セレーネ?」



呼びかけても、返事はなかった。







慌てて、何度も名を呼んだ。



かすかな息遣いに気づいたとき、胸の奥から安堵がこぼれた。





気がつけば彼女の白い肌に、無数の痕を残してしまった自分を見下ろし、思わず失笑した。





――何をしている。

理性を失っていた。



まるで、取り返しのつかない夢の中にいたような感覚だった。





セレーネの目元に、うっすらと涙の跡がある。



その一筋を指でなぞると、ひどく冷たかった。







何故か胸が締めつけられるように痛んだ。





そっと、その身体を引き寄せる。



微かな呼吸が首筋をかすめ、かすかに肩が震えた。



セレーネの香りに混じって自分の香りがする。



かつてはそれが不快で仕方なかったのに、今はそれがなぜか心を落ち着かせる。







理由の分からない安堵に包まれながら、気づけばまぶたが重くなっていた。



最後に見たのは、彼女の長いまつげが震えた瞬間。



闇がすべてを覆った。









 * * *









目を覚ますと、窓辺から太陽が差し込んでいた。



そして、隣にセレーネの姿はなかった。



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