浮気され離婚した大公の悪役後妻に憑依しました

もぁらす

文字の大きさ
6 / 63

5話『却下された願い』

しおりを挟む

昼下がり、陽光が差し込む食堂。



昨夜の記憶が霞むような穏やかな光景――のはずだった。





銀の食器が触れ合う音だけが響く。

向かいに座るセレーネは、いつになく大人しい。



ナイフを持つ指が震えていて、目線も合わない。



どうにも落ち着かず、俺は咳払いをした。







「……体の具合でも悪いのか」



「え!?問題ありません」





少し間があって、彼女は唇を噛みしめるように言葉を続けた。







「ただ――その、お願いがありまして」





俺はカトラリーを置き、視線を上げる。



セレーネは両手を膝の上でぎゅっと握り、顔を上げた。









「寝室を……別にしていただけないでしょうか」







場の空気が、ひときわ静まり返った。

侍女がポットを傾けかけたまま、手を止めるほどに。



俺は短く息を吐いた。







「……駄目だ」





*S*









「駄目だ」



その一言が、氷のように落ちた。



あまりに即答だったせいで、心の準備も何もできなかった。



なんでよおおおおおおお!!



私は思わず姿勢を正し、唇を震わせる。





「……な、なぜですか」





声が上擦る。

彼はただ、ナイフとフォークを静かに置いただけだった。





「理由が必要か?」





その目がこちらを射抜く。

どこまでも冷たいのに、どこかで哀しそうでもあった。





わたしは言葉を失う。  





そして昨夜の出来事を思い出す。





ハイ、無理です。







「……私は、もう、同じ部屋には……」



レオニスは静かに席を立ち、背を向けた。



最後まで言えなかった。



そんなぁああああああああ!!









仕方なく1人で食べる。



何なの!?







昼食を終え、席を立ったあとも、胸の奥のざらつきが消えなかった。



昨夜のことを思い出すたびに、喉の奥が詰まる。







お股が痛いよう……。



昨日、最初に感じたあの痛み、それは初めてした時の痛みに似ている。



そう、レオニスが今までマグロ野朗だったせいで、セレーネは貫通できてなかったのだ。



なんてやつだ!!



毎晩レオニスにまたがるものの、実際セレーネもよくわかってなくて、結局ご奉仕して終わりだったとは。



……はぁ、私そんな事出来ないよおおおお。





私は肩を落とし、早々に部屋へ戻った。



はあ、なんだか身体がべとついて気持ち悪い。





「湯浴みするから、準備してくれる?」





湯浴みの香を焚かせ、侍女に髪をほどいてもらう。

鏡に映った肌を見て、思わず息を呑んだ。



「……っ」



白い肩から鎖骨、胸元にかけて――

まるで、咲き誇るように紅が散っている。

レオニスの唇が落とした跡だと思うと不思議でならない。



先程見た時より濃くなってる……?







(どうにかして……夜の部屋を、別に……) 









湯につかり考えるうちに、恥ずかしさが助長していく。



頬が熱く、心臓がやけに早い。



(あ、お湯につかってるからか、いやそうじゃない)





どうにかせねばならぬ。





侍女が背後で静かに布を畳む気配。



あ。



ふと、思いつきのように口を開いた。



「ねえ」



侍女が姿勢を正す。







「……今夜、貴女の部屋で……寝かせてもらえない?」





驚いたように目を瞬かせた侍女が、少しだけ困った顔で微笑んだ。





「お体の具合が悪いのですか、奥さま」



「ち、違うの。そうじゃなくて……」





なんて説明すればいいの。

声がどんどん小さくなる。





「……その、少し、ひとりになりたいだけよ」





侍女は一瞬、何かを察したような表情をしたが、すぐに恭しく頷いた。







「かしこまりました。では……殿下にお伝えしておきますか……?」



「……言わなくていいわ」







小さく笑ってごまかす。





湯の表面に浮かぶ紅い痕をそっと撫でながら、私は息を整えた。





このまま離婚まで逃げ切ってみせるッ!!



湯から上がり、髪を拭きながら衣装部屋の扉を開けた瞬間――思わず、固まった。



「……あー」



ずらりと並ぶのは、金糸や宝石を縫い込んだドレスの山。



鮮やかな赤、紫、真紅、瑠璃――

どれも“これでもか”というほど派手だ。



鏡の中の自分が、ため息をつく。



「セレーネって……本当に、こういうの好きだったのね」



スパンコールがぎっしり刺繍されたナイトガウンを手に取り、思わず顔をしかめる。



軽く持ち上げただけで肩が凝りそうだ。



「わたし、こういうの苦手なのよ……」



ぼそりと呟き、ハンガーに戻す。



その時、控えていた侍女が不安げに首を傾げた。



「奥さま? お召し物をお手伝いいたしましょうか?」



「ううん、いいの。……というか、ちょっと相談」



鏡越しに侍女を見て、軽く微笑む。



「夕食までに、仕立て屋を呼んでくれる?」



侍女が驚いたように目を瞬かせた。



「仕立て屋、でございますか?」



「ええ。この服、ちょっと……派手すぎて」



言いながら、自分でも笑ってしまう。



“派手すぎて”なんて、前のセレーネなら絶対に言わない言葉だ。



「あと――」と続ける。

「香水屋も呼んで。ここの香り、ちょっと強すぎて……酔うの」



侍女は口元を押さえ、こっそり笑った。



「かしこまりました。……奥さまがそう仰るの、なんだか新鮮ですね」



「でしょ?」



冗談めかして返すが、心の奥では少しだけ苦笑いが滲む。



“新鮮”――つまり、やっぱり“彼女とは違う”ってことだ。







「私は私であって、セレーネとは違う」







鏡の前でそう口にした瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。





ここでは誰も、私の正体を知らない。

だからこそ、過去に縛られずに生きていける気がした。



人の目を気にし、空気を読み、自分を殺してきた人生はもう歩みたくない。





幸か不幸か、セレーネの実家は太い。レオニスだけに固執する必要なんてない。





だから、レオニスに媚びることも、もうしない。





私が着たい服を着て、私がしたい香りを纏う。

誰のためでもなく、自分のために。

 



――この世界で、“セレーネ”として生きるしかないとしても、





私は“私”として生きる。





そして、ありのままの私を愛してくれる優しい夫と再婚するんだ!!





* 





夕暮れ。



この世界での今後の計画を練っていたらいつの間にかソファで居眠りをぶっこいてしまっていた。



扉の外から控えめなノックが響く。







「奥さま、仕立て屋と香水屋がお揃いです」



「通して」





侍女が頭を下げ、慌ただしく部屋の外へ下がる。

そのすぐ後、二人の職人が緊張した面持ちで入ってきた。



一人は布見本を抱えた仕立て屋の婦人。

もう一人は小瓶をずらりと並べた香水商だ。





「お呼びいただき光栄でございます、奥さま」

「本日はどのようなご趣味で――」



私は軽く息を吸い、微笑んだ。







「まず、派手なのは全部下げてちょうだい」



「……派手、でございますか?」 



仕立て屋が一瞬だけ目を曇らせる。





「ええ。もっと柔らかくて、軽い素材を。

 肩の力が抜けるような服がいいの。

 それと、香りも——強すぎるのは酔うから控えめにね」





香水商が慌てて数本の瓶を選び出す。



「では、こちらなど。花の香ではなく、雨上がりの草木の香りを再現したものです」



「……いいわね、それ」



瓶の口を近づけると、淡い青葉の匂いが鼻先をくすぐった。

胸の奥が少しだけ安らぐ。



(ああ……こういうの、私の世界にもあったな)



気づけば口元がほころんでいた。



仕立て屋が控えめに問いかける。



「奥さま……お召し替えの趣向が、ずいぶんお変わりで……?」



「そうかしら?」



笑って肩をすくめた。







「私は以前からこうよ」



仕立て屋と香水商は目を見合わせ、深く頭を下げた。



「承知いたしました、奥さま。では新しいお仕立てを――」



「お願いがあるの。急いで夕食までに好みの洋服を持って来てくれる?」





しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない

陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」 デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。 そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。 いつの間にかパトロンが大量発生していた。 ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

図書館でうたた寝してたらいつの間にか王子と結婚することになりました

鳥花風星
恋愛
限られた人間しか入ることのできない王立図書館中枢部で司書として働く公爵令嬢ベル・シュパルツがお気に入りの場所で昼寝をしていると、目の前に見知らぬ男性がいた。 素性のわからないその男性は、たびたびベルの元を訪れてベルとたわいもない話をしていく。本を貸したりお茶を飲んだり、ありきたりな日々を何度か共に過ごしていたとある日、その男性から期間限定の婚約者になってほしいと懇願される。 とりあえず婚約を受けてはみたものの、その相手は実はこの国の第二王子、アーロンだった。 「俺は欲しいと思ったら何としてでも絶対に手に入れる人間なんだ」

うっかり結婚を承諾したら……。

翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」 なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。 相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。 白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。 実際は思った感じではなくて──?

「一晩一緒に過ごしただけで彼女面とかやめてくれないか」とあなたが言うから

キムラましゅろう
恋愛
長い間片想いをしていた相手、同期のディランが同じ部署の女性に「一晩共にすごしただけで彼女面とかやめてくれないか」と言っているのを聞いてしまったステラ。 「はいぃ勘違いしてごめんなさいぃ!」と思わず心の中で謝るステラ。 何故なら彼女も一週間前にディランと熱い夜をすごした後だったから……。 一話完結の読み切りです。 ご都合主義というか中身はありません。 軽い気持ちでサクッとお読み下さいませ。 誤字脱字、ごめんなさい!←最初に謝っておく。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?

こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。 「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」 そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。 【毒を検知しました】 「え?」 私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。 ※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして

みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。 きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。 私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。 だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。 なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて? 全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです! ※「小説家になろう」様にも掲載しています。

処理中です...