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5話『却下された願い』
しおりを挟む昼下がり、陽光が差し込む食堂。
昨夜の記憶が霞むような穏やかな光景――のはずだった。
銀の食器が触れ合う音だけが響く。
向かいに座るセレーネは、いつになく大人しい。
ナイフを持つ指が震えていて、目線も合わない。
どうにも落ち着かず、俺は咳払いをした。
「……体の具合でも悪いのか」
「え!?問題ありません」
少し間があって、彼女は唇を噛みしめるように言葉を続けた。
「ただ――その、お願いがありまして」
俺はカトラリーを置き、視線を上げる。
セレーネは両手を膝の上でぎゅっと握り、顔を上げた。
「寝室を……別にしていただけないでしょうか」
場の空気が、ひときわ静まり返った。
侍女がポットを傾けかけたまま、手を止めるほどに。
俺は短く息を吐いた。
「……駄目だ」
*S*
「駄目だ」
その一言が、氷のように落ちた。
あまりに即答だったせいで、心の準備も何もできなかった。
なんでよおおおおおおお!!
私は思わず姿勢を正し、唇を震わせる。
「……な、なぜですか」
声が上擦る。
彼はただ、ナイフとフォークを静かに置いただけだった。
「理由が必要か?」
その目がこちらを射抜く。
どこまでも冷たいのに、どこかで哀しそうでもあった。
わたしは言葉を失う。
そして昨夜の出来事を思い出す。
ハイ、無理です。
「……私は、もう、同じ部屋には……」
レオニスは静かに席を立ち、背を向けた。
最後まで言えなかった。
そんなぁああああああああ!!
仕方なく1人で食べる。
何なの!?
昼食を終え、席を立ったあとも、胸の奥のざらつきが消えなかった。
昨夜のことを思い出すたびに、喉の奥が詰まる。
お股が痛いよう……。
昨日、最初に感じたあの痛み、それは初めてした時の痛みに似ている。
そう、レオニスが今までマグロ野朗だったせいで、セレーネは貫通できてなかったのだ。
なんてやつだ!!
毎晩レオニスにまたがるものの、実際セレーネもよくわかってなくて、結局ご奉仕して終わりだったとは。
……はぁ、私そんな事出来ないよおおおお。
私は肩を落とし、早々に部屋へ戻った。
はあ、なんだか身体がべとついて気持ち悪い。
「湯浴みするから、準備してくれる?」
湯浴みの香を焚かせ、侍女に髪をほどいてもらう。
鏡に映った肌を見て、思わず息を呑んだ。
「……っ」
白い肩から鎖骨、胸元にかけて――
まるで、咲き誇るように紅が散っている。
レオニスの唇が落とした跡だと思うと不思議でならない。
先程見た時より濃くなってる……?
(どうにかして……夜の部屋を、別に……)
湯につかり考えるうちに、恥ずかしさが助長していく。
頬が熱く、心臓がやけに早い。
(あ、お湯につかってるからか、いやそうじゃない)
どうにかせねばならぬ。
侍女が背後で静かに布を畳む気配。
あ。
ふと、思いつきのように口を開いた。
「ねえ」
侍女が姿勢を正す。
「……今夜、貴女の部屋で……寝かせてもらえない?」
驚いたように目を瞬かせた侍女が、少しだけ困った顔で微笑んだ。
「お体の具合が悪いのですか、奥さま」
「ち、違うの。そうじゃなくて……」
なんて説明すればいいの。
声がどんどん小さくなる。
「……その、少し、ひとりになりたいだけよ」
侍女は一瞬、何かを察したような表情をしたが、すぐに恭しく頷いた。
「かしこまりました。では……殿下にお伝えしておきますか……?」
「……言わなくていいわ」
小さく笑ってごまかす。
湯の表面に浮かぶ紅い痕をそっと撫でながら、私は息を整えた。
このまま離婚まで逃げ切ってみせるッ!!
湯から上がり、髪を拭きながら衣装部屋の扉を開けた瞬間――思わず、固まった。
「……あー」
ずらりと並ぶのは、金糸や宝石を縫い込んだドレスの山。
鮮やかな赤、紫、真紅、瑠璃――
どれも“これでもか”というほど派手だ。
鏡の中の自分が、ため息をつく。
「セレーネって……本当に、こういうの好きだったのね」
スパンコールがぎっしり刺繍されたナイトガウンを手に取り、思わず顔をしかめる。
軽く持ち上げただけで肩が凝りそうだ。
「わたし、こういうの苦手なのよ……」
ぼそりと呟き、ハンガーに戻す。
その時、控えていた侍女が不安げに首を傾げた。
「奥さま? お召し物をお手伝いいたしましょうか?」
「ううん、いいの。……というか、ちょっと相談」
鏡越しに侍女を見て、軽く微笑む。
「夕食までに、仕立て屋を呼んでくれる?」
侍女が驚いたように目を瞬かせた。
「仕立て屋、でございますか?」
「ええ。この服、ちょっと……派手すぎて」
言いながら、自分でも笑ってしまう。
“派手すぎて”なんて、前のセレーネなら絶対に言わない言葉だ。
「あと――」と続ける。
「香水屋も呼んで。ここの香り、ちょっと強すぎて……酔うの」
侍女は口元を押さえ、こっそり笑った。
「かしこまりました。……奥さまがそう仰るの、なんだか新鮮ですね」
「でしょ?」
冗談めかして返すが、心の奥では少しだけ苦笑いが滲む。
“新鮮”――つまり、やっぱり“彼女とは違う”ってことだ。
「私は私であって、セレーネとは違う」
鏡の前でそう口にした瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。
ここでは誰も、私の正体を知らない。
だからこそ、過去に縛られずに生きていける気がした。
人の目を気にし、空気を読み、自分を殺してきた人生はもう歩みたくない。
幸か不幸か、セレーネの実家は太い。レオニスだけに固執する必要なんてない。
だから、レオニスに媚びることも、もうしない。
私が着たい服を着て、私がしたい香りを纏う。
誰のためでもなく、自分のために。
――この世界で、“セレーネ”として生きるしかないとしても、
私は“私”として生きる。
そして、ありのままの私を愛してくれる優しい夫と再婚するんだ!!
*
夕暮れ。
この世界での今後の計画を練っていたらいつの間にかソファで居眠りをぶっこいてしまっていた。
扉の外から控えめなノックが響く。
「奥さま、仕立て屋と香水屋がお揃いです」
「通して」
侍女が頭を下げ、慌ただしく部屋の外へ下がる。
そのすぐ後、二人の職人が緊張した面持ちで入ってきた。
一人は布見本を抱えた仕立て屋の婦人。
もう一人は小瓶をずらりと並べた香水商だ。
「お呼びいただき光栄でございます、奥さま」
「本日はどのようなご趣味で――」
私は軽く息を吸い、微笑んだ。
「まず、派手なのは全部下げてちょうだい」
「……派手、でございますか?」
仕立て屋が一瞬だけ目を曇らせる。
「ええ。もっと柔らかくて、軽い素材を。
肩の力が抜けるような服がいいの。
それと、香りも——強すぎるのは酔うから控えめにね」
香水商が慌てて数本の瓶を選び出す。
「では、こちらなど。花の香ではなく、雨上がりの草木の香りを再現したものです」
「……いいわね、それ」
瓶の口を近づけると、淡い青葉の匂いが鼻先をくすぐった。
胸の奥が少しだけ安らぐ。
(ああ……こういうの、私の世界にもあったな)
気づけば口元がほころんでいた。
仕立て屋が控えめに問いかける。
「奥さま……お召し替えの趣向が、ずいぶんお変わりで……?」
「そうかしら?」
笑って肩をすくめた。
「私は以前からこうよ」
仕立て屋と香水商は目を見合わせ、深く頭を下げた。
「承知いたしました、奥さま。では新しいお仕立てを――」
「お願いがあるの。急いで夕食までに好みの洋服を持って来てくれる?」
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