浮気され離婚した大公の悪役後妻に憑依しました

もぁらす

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18話『触れてはいけない温もり』

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胸の奥が痛くてたまらない。
触れているのに、どこか遠い。

手を伸ばしても、いつかは届かなくなる気がした。

もう――これ以上は。

「……だめ」

掠れた声が、夜の静寂に溶けた。
私は震える指先で、レオニスの胸を押し返す。
けれど、まるで力が入らない。

離れたいのに、離れられない。
身体が、彼のぬくもりを覚えてしまっている。

「セレーネ……」

名を呼ばれただけで、胸の奥が熱を帯びた。
その声が優しすぎて、拒む言葉が喉の奥で溶ける。

それでも――言わなきゃ。

「もう……これ以上は、だめです」

震える声が、自分のものじゃないみたいだった。
押し返した手のひらから、彼の鼓動が伝わってくる。
その熱が、指先から私を溶かしてしまいそうで。

「……わかった」

低く落ちた声に、胸の奥がさらに締めつけられる。
灯火がゆらりと揺れて、二人の影を遠ざけた。

どうして、こんなに苦しいんだろう。



そのまま沈黙が落ちた。
私も彼も、言葉を探せずにいた。

しばらくして、レオニスがふと視線を伏せる。

月光に照らされた睫毛が長く影を落とし、
その横顔が、どうしようもなく寂しそうに見えた。


「……もう、寝ましょう」


絞り出すように言うと、彼はゆっくりと頷いた。
けれどその動きさえ、どこか痛々しいほど静かだった。


灯火の光が二人の間を隔てる。
何も言えないまま、時間だけが過ぎていく。


そして、沈黙を破るように、低い声が落ちた。


「……抱きしめて寝てもいいか?」


その一言が、空気を震わせた。
息を呑む音が、自分のものだと気づけない。

どうして、そんなふうに聞くの。
前は強引だったくせに――。

胸の奥がじんわり熱くなって、
返事をする代わりに、私はそっと目を閉じた。


「……もう、寝ました」


小さくそう呟く。

しばらくして、布団がふわりと動いた。
背後に気配を感じ、ぬくもりがそっと触れる。
ゆっくりと、私を包み込む腕。

背中に感じる体温が、あまりにもはっきりしていて。

息をするたび、彼の胸の鼓動が伝わってくる。
一定のリズムなのに、なぜか心が落ち着かない。

少しでも動けば、触れてしまいそう。
動かなくても、すでに包まれてしまっている。

「……セレーネ」

耳元で囁かれた名に、全身が跳ねた。
声は低く、けれどどこか切なげに聞こえる。

そのすぐあと、吐息が首筋にかかった。

微かに触れるだけなのに、ぞくりと背筋をなぞるような熱が走る。



思考が霞む。

逃げようと首を引いたのに、彼の腕がそれを許さない。

背中に押しあてられる鼓動が、いっそう速くなる。


息を呑むたび、肌が彼の呼吸を覚えてしまう。
温もりも、香りも、全部。

まるで――刻みつけられているみたいに。





しばらく、また沈黙が続いた。
部屋の中に響くのは、灯火のかすかな音と、二人の呼吸だけ。

やがて、低く掠れた声が落ちる。

「……すまない」

思わず目を開けた。

何が、と言いかけた瞬間、彼の腕の力がほんのわずかに強まる。

「我慢が、できそうにない」


その言葉に、心臓が跳ねた。


何を、とは聞けない。

息を詰めたまま、胸の奥が熱を帯びていく。




「……迷惑はかけない」

そう言って、レオニスはそっと身体を離した。


え、ち、ちょっと待っ……?


背後から、荒い吐息だけが聞こえてくる。
押し殺したような呼吸が、夜の静けさの中でやけに響いた。

(……こ、これは)

背中越しに伝わる熱が、波のように寄せては返す。
呼吸のたびに、空気が震えているのがわかる。

思考が一瞬で真っ白になった。

動くのも、声を出すのも怖い。
息を潜めたまま、ただ時間が過ぎていくのを待つしかない。

けれど、荒々しい呼吸の合間に聞こえる微かな呻きが、耳の奥で離れない。

息を詰めたまま、私は布団の中で硬直した。

心臓がうるさい。耳の奥で脈打って、今にも聞こえてしまいそう。

しばらくのあいだ、彼の荒い呼吸が続いていたが――
ふいに、ぴたりと動きが止まった。

静寂が戻った、と思ったその時。
コツン、と。

レオニスの額が、そっと私の肩にあたった。

(……っ)

息を飲む音が、布団の中でやけに大きく響いた。

肩越しに伝わる微かな震えと、まだ整いきらない呼吸。

彼の額から伝わる熱が、皮膚の奥に滲んでいく。


肩に触れた彼の額。
その一瞬の衝撃が、胸の奥を甘く震わせた。

……だめ。落ち着くんだ私。

息を整えようとしても、逆に苦しい。
背中にかかる吐息が、肌をなぞるたびに体温が上がっていく。

静寂のはずの夜が、耳鳴りと鼓動の音でいっぱいになった。

私の身体が彼の呼吸に合わせて熱を帯びている。


胸の奥がざわついて、落ち着かない。
息をするたび、背中にかかる彼の熱が肌に染み込んでいく。

まるで、心の内側まで掴まれてしまったみたいで――苦しい。

(……あれ?)

腰のあたりに、微かな湿り気を感じる。

寝返りを打ったわけでもないのに、布の感触がやけに温かい。

気になって、そっと指先を動かす。

いや、それが何かはわかっていた。

胸の奥がどくりと跳ねる。


「すまない……」
 
申し訳なさそうに言ったそれは、私を汚したからの謝罪なのか、それとも、それでもなおそそり立つこのーー。

私は確かめるように、ぬるりと指先についた精子を絡ませて握って……

って、


「あ……」


無意識だった。

いえ、わざとです。


その瞬間、手を掴まれた。

「……あ、ご、ごめんなさ——」

言葉の続きを探すより早く、唇が塞がれる。
驚きと戸惑いが一度に胸へと押し寄せ、呼吸が止まった。

頭がキーンとなって、何も考えられない。
世界が一瞬、遠のいたように頭の中が静まり返った。


気がついたときには、
私はレオニスの背に腕を回していた。


そしてレオニスな唇が首筋へ、胸元へ、と降りてゆく。

触れた場所から、鼓動のような熱が伝わってくる。
考えるより先に、身体が求めてしまった。

彼の指先が、まるで祈るように肌をなぞった。

それは熱を与えるでも、奪うでもなく——確かめるような触れ方だった。

触れられた場所から、心がほどけていく。
呼吸が重なり、空気の境がわからなくなる。


もう、何も考えられない。

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