浮気され離婚した大公の悪役後妻に憑依しました

もぁらす

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22話『触れた記憶の残る朝に』

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 ベッドの中。
 肌に触れる布の感触だけで昨夜の熱が思い出のように蘇る。

 足元には、乱れたままの掛け布。
 少し動くだけで、身体の奥に残る火照りがじわりと疼いた。

 レオニスはすでに身支度を整え、ベッド脇で上着の留め具を留めていた。
 静かな仕草なのに、視線を向けると胸がきゅっと縮まる。

 「……少し、打ち合わせをしてくる」

 低く落ち着いた声。
 昨夜あれほど乱れていた同じ声とは思えない。

 私は咄嗟にシーツを握りしめ、顔を上げた。

 「……はい」

 自分でも驚くほど、小さな声だった。

 レオニスは一度だけ振り返る。
 ほんの一瞬——視線が触れた。
 まるで何かを確かめるような、やさしい温度。

 扉が閉まる音が、静けさの中に沈んでいった。

 残された空気が、かえって落ち着かない。

 ……無理。何ごともなかった顔なんてできない。

 そっとシーツをめくって足を床に下ろすと、肌に空気が触れるだけで、まだ微かに痛むところがあった。

 恥ずかしさと反省と、昨夜の記憶の余韻がごちゃ混ぜになって、胸の奥がざわざわする。

 (……とりあえず、湯浴みしないと)

 熱をお湯で流せば、少しは頭が冷えるかもしれない。
 そう自分に言い聞かせながら、私はそっと寝台を離れた。
  




湯殿に入る前、衣をほどく。
昨夜の熱がまだ体の奥に残っているようで、布が肌を離れるたびにじんわりと火照りが蘇る。

ふと、鏡の前を通りかかった瞬間──目が吸い寄せられた。

「……えっ……?」

思わず声が漏れる。

そこに映っていたのは、見慣れたはずの自分の身体ではなかった。

鎖骨のあたりから胸元、脇腹にかけて、赤い痕がびっしりと連なっている。

近づいて見れば見るほどひどい。
かすかに噛み跡のようなものまで混ざっていて、まるで昨夜の熱が刻印になって残っているみたいだった。

「ちょ、ちょっと待って……これ、なに……?」

いや、何かはわかる。
わかるけれど──

昨夜はただ流されて、必死で呼吸をすることしか考えられなかったけれど、冷静になってみるとこれはひどい。

「……病的すぎる……」

思わず全身を腕で抱きしめるように隠す。
隠しきれないけれど。

このまま湯に浸かったら、痕がじわりと浮き上がってもっと目立ちそうで、鏡を見るのすら嫌になってくる。

「……はぁ」

湯面が静かに揺れる。
そこへ身体を沈めた瞬間、全身にじわりと熱が沁み込んできた。

目を閉じれば、昨夜の息づかいも、声も、手の温かさも、
すぐそこに蘇ってしまう。

「…………」

湯の中で膝を抱える。
考えれば考えるほど、胸の奥がざわついて落ち着かない。

拒むことも、止めることもできなかった。
むしろ──求めてしまった。

波に呑まれるように、流れに身を任せたまま沈んでいったあの瞬間。
気持ちが、身体より先に溶けていって。

あああっ……恥ずかしい……っ。

頬を湯に沈め、息だけを静かに押し殺す。

水中の無音のなか、自分の心音だけがなぜかはっきり聞こえた。

触れられるたびに崩れていく自分を、まるで他人事のように思い出す。

肩にそっと視線を落とせば、湯の中でも隠しきれない淡い赤。
湯の温度でじんわりと浮かび上がっている。

……なにしてるの、本当に……。

湯の中で、髪がふわりと揺れる。
熱が体の芯に染みていくのに、羞恥の熱だけはまるで冷めない。

どこまでが自分の気持ちで、どこからが彼の手に溺れたせいなのか、判別もつかなくなる。

「……落ち着け、私……」

湯から顔をあげると、額を縁に預け長く息を吐いた。

静かな湯の中、ただひとり反省と現実逃避の狭間で揺れ続ける。 


* 


湯から上がり、肌を拭う。
温まった身体に空気が触れた瞬間、鏡に映った痕の数々を思い出して胸の奥がきゅっと縮む。

(……これ、本当にどうすれば……)

化粧台の前で、私は衣装箱をひっくり返す勢いで漁った。

首元まで隠れるドレスがない。

問題は、胸元や鎖骨だけじゃなかった。

昨夜の痕は肩のつけ根や脇腹、背中の方にまで点々としていて、動けばどこかが覗いてしまう。

「……なんでこんなところにまで……」

思わず頬を押さえてしまう。
恥ずかしさで顔が火照る。

結局、大判のストールを取り出し、覆うようにぐるりと巻きつけた。

(これなら……多分、見えない……はず……)

けれど、姿見に映る自分の姿はまるで寒がりか、体調の悪い貴婦人のようで、

「……これ以上はどうしようもない」

自分で自分にツッコミながら、顔がどんどん赤くなる。





 昼の光が、薄く開いたカーテンの隙間から静かに差し込み、テーブルの上の白い皿を淡く照らしていた。

 窓の外では潮風が吹き、港から届く鐘の音がかすかに響く。

 焼きたてのパンの香り、温かなスープの湯気──トルネアでの最後の食事なのに、胸の奥が妙にざわついて味がしない。

 「……いただきます」

 パンをちぎって口に運ぶが、喉が乾いて飲み込むのに時間がかかる。

 視界の端で、レオニスは静かにスープを口にしていた。

 昨夜のことなどなかったかのように、落ち着いた所作でナプキンを指先で整える姿が、逆に腹立たしい。

 昨夜のことを思い返してしまった瞬間、顔が一気に熱を帯びる。

 「……どうした」

 不意に声をかけられ、スプーンを落としそうになった。

 「い、いえ。なんでも」

 「そうか」

 短い返事。
 再び、静かに口へスープを運ぶ。

 その自然さが腹立たしいほど自然で、昨夜の事を意識しているのが自分だけみたいで、恥ずかしい。


 (なんでそんな平然としているの……!?)

 
 スープの湯気だけが、ゆらりと白く揺れていた。

 その時、扉の外で軽いノック音がした。

 「大公様、馬車の準備が整いました」

 グレイの声は、いつもより少し明るく、旅立ちを告げるようだ。

 レオニスは短く頷き、こちらを振り返る。

 「セレーネの準備ができたら出よう。……急がずに、ゆっくりしていいからな」

 朝の光を背に受けたその横顔は、昨夜の激しさとは似ても似つかない穏やかさを宿していた。

 レオニスが優しいと調子が狂う。

 私は「ありがとうございます」と返すとなかなか飲み込めそうにない食事を時間をかけて済ませた。

 う……。レオニスの視線が痛い。





 支度を終えて外に出ると、潮の香りがふわりと鼻をくすぐった。
 雲ひとつない空に、まぶしい陽光が降りそそいでいる。

 「……いい天気」

 思わず空を仰ぐと、潮風が髪をさらりと撫でていった。
 港の鐘の音が遠くで鳴り、青空の奥へ静かに吸い込まれていく。

 昨夜の熱も、昼食の気まずさも、風にさらわれて少し薄まっていくような気がした。

 「やはり、奥様にご同行いただいてよかった」

 馬の手綱を整えていたグレイが、優しく笑んでそう言った。

 「……何が?」

 問い返すと、彼はどこか含みのある微笑を浮かべる。

 「大公様がお元気になられて」

 その一言に、自然と視線がレオニスへ向かう。

 確かに——昨日とはまるで別人のように、肌の艶がよく、
 目の色にも疲れの影が薄い。

 つい頬が熱くなる。

 胸の奥が、微妙にむずがゆく、くすぐったい
 
 
 いやいやいや、そうじゃない。


 自分をごまかすように、私はふいに口を開いた。

 「あ、あの……グレイ」

 「はい、奥様」

 風に揺れるストールを握り直し、気づかれないように小さく息を吸う。

 「エルゼリアに着いたら……その……し、寝室は、別にしてね?」

 「別室のご用意……ですか?」

 グレイは驚くこともなく、淡々と確認してくる。
 その冷静さが逆に恥ずかしい。

 「そうです」

 声が消え入り、自分でも何を言っているのかわからなくなる。

 グレイは一瞬だけ目を伏せ、どこか察したような表情で静かに頷いた。

 「承知いたしました。奥様のお望みの通りに」


 胸の奥がくすぐったく、どうしようもなく落ち着かない。

 横目でレオニスを見ると、彼はなぜか、ほんのわずかに目を見開いていた。

 その表情は読み取れないけれど——ほんの一瞬、肩が揺れたように見えた。

 (気のせい、気のせい)

 グレイが馬の手綱を整え終え、扉を静かに開けた。

 レオニスが短く頷き、影のような静けさで一歩踏み出す。
 その無駄のない動きに、自然と私は後ろをついていこうとした——その時。

 視界の端に、差し出された大きな手が映った。

 「……」

 思わず足が止まる。

 顔を上げると、彼はいつも通りの冷静な表情で、ただ、ほんのわずかに指先だけが私を促すように揺れた。

 ためらいながらそっと自分の指を重ねると、包み込むような力強さで、けれど驚くほど丁寧に引き上げられた。

 「ありがとう……ございます」

 「当然のことだ」

 低い声でそう告げたレオニスは、馬車に乗り込む私の頭が天井に触れないよう、自然な仕草で手を添えて守った。

 それがあまりに当たり前のようで、胸の奥がきゅっとなる。

 中に腰を下ろすと、レオニスも向かいの席に座る。
 窓から差し込む光が揺れて、二人の影が淡く重なった。

 「……足は、もう平気か?」

 「え、あ、はい。もう大丈夫です」

 彼の視線が一瞬だけ私の足元に落ち、すぐに、そらされる。

 昨夜のやり取りを思い出して、また頬が熱くなる。

 馬車がゆっくりと進み始めた。

 潮風の香りを背に、エルゼリアへ続く街道が、柔らかな陽光の下に広がっていた。


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