浮気され離婚した大公の悪役後妻に憑依しました

もぁらす

文字の大きさ
25 / 63

24話『避けられぬ問い』

しおりを挟む

 耐えきれず、私は小さく咳払いをして、できるだけ「何も気づいていません」みたいな顔を作った。

「……あ、あの。なにか、私の顔についていますか?」

 声が震えたのが、自分でも分かる。
 けれど、これ以上あの沈黙には耐えられなかった。

 レオニスは一瞬だけ瞬きをして、こちらの言葉の意味をゆっくり噛みしめるように視線を細める。

 そして——

「……いや。何もついていない」

 それだけを静かに告げた。

(じゃあなんで見てるのよおおお!!怖いからやめて!!!)

 レオニスは相変わらず落ち着いた表情で、逃がす気がないみたいに視線を外そうとしない。

 そして、また沈黙。

 馬車の揺れだけが、二人のあいだをすべっていく。

(……なに?なんなのよこの空気……)

 レオニスから刺さるような熱だけがひしひしと伝わってくる。

(何がしたいの?)

 黙っているくせに、存在感だけはやたら強い。

 ああ、もう、ほんとに——

「……あの。言っておきますけど」

 意を決して口を開いた。

「元気そうだし、艶々の顔してますよね?だから、膝枕はもうしませんからね!?」

 レオニスは視線を落として小さく息をついた。

「……そうか」

 そして——また沈黙。

 気まずいのに、どこか落ち着かない、不思議な空気が馬車いっぱいに広がる。

 そんな時だった。

「……寒いのか?」

 不意に、レオニスが低い声で尋ねてきた。

「いえ?」

 条件反射みたいに答えてしまった。

(……あんたが身体に印をいっぱいつけるからでしょうが……!!)

 喉まで出かかった言葉を、どうにか飲み込む。

 こういう唐突な優しさを向けてくるのは反則だ。

 レオニスはまだじっと私を見ている。
 その目は、まるで「理由を言え」と言っているよう。

(……言うわけないでしょ!!)

 頬がどんどん熱くなっていくのに、彼は気づいているのかいないのか、ほんのわずかに首を傾けて私を見つめ続けていた。

 しばらく私の顔を眺めていたレオニスは、ふいに視線を落とし、静かに口を開いた。



「……隣に行ってもいいか?」

「なんで?」

 反射的に聞き返してしまった。

 でも、理由もなく急に距離を詰められて、警戒するなという方が無理だ。

 即答した私を見て、彼は微かに眉を寄せた。
 まるで「また拒絶された」とでも言いたげな表情で——

 やめて、その顔は罪悪感がすごい。

 レオニスはさらに小さく息を吐き、俯いた声でぽつりと付け加えた。


「……離れていると、落ち着かない」

「…………は?」

 思考が一瞬止まる。

 目の前の大公様は、まるで自覚のないまま爆弾を投げている。

 その言葉が胸の奥で変なふうに跳ねる。

「……あ、あの。私は大丈夫なので」

 言葉を絞り出すように答えると、私は窓際いっぱいに身体を寄せた。

 に、逃げ場がなさすぎる!!

 レオニスはわずかに瞬きをし、しばし迷うように視線を揺らしたあと——静かに口を開いた。


「……何か、気に障るようなことをしてしまっただろうか?」

 低く、ひどく丁寧で、まるでガラス細工を扱うみたいな声音。

「い、いえ?別に……」

 ごまかそうとした声が裏返りそうになって、さらに顔が熱くなる。

 レオニスはまだじっとこちらを見ている。
 責めるでもなく、疑うでもなく、ただ不安げに——


(だからその目やめて……こっちが悪いみたいになるじゃない……!!)


 馬車の揺れと沈黙だけが、二人の間に落ちた。

 レオニスは一拍、言葉を選ぶように黙り込む。
 そして——逃げ道のない声音で問いかけてきた。


「……では、なぜそんなに離れる?」

(……ッッッ!!)

 頭の中で何かが爆ぜた。

 やめてほしい。
 

「ち、違います……! その、これは……ただ……」

 うまく言葉が繋がらず、喉の奥がひゅっと縮む。
 窓際まで逃げたつもりが、もう後ろには壁しかない。

 レオニスは少し困ったように眉を寄せた。
 責める気配はどこにもない。
 ただ、本気で不安そうに、まっすぐこちらを見ている。


「朝から……ずっと目を合わせてくれない」


 あまりにも誠実な言い方に、胸の奥がひどく痛む。

(だ、だからその言い方やめてってば……悪いのこっちな気分になるじゃない……!)

 逃げたくても逃げられない閉ざされた空間で、心臓の音ばかりが大きくなっていく——。

「そ、そんなことありませんよ?」

 震えないよう必死で声を整えながら答え、意を決してレオニスの方へ視線を向けた。

 その瞬間だった。

 ——じっと、熱い視線に捕まる。

 逃げようとしていた“理由”が、一息で思い出される。

 昨夜、あれほど私を乱した男の目。
 穏やかそうに見えるのに、その底では「触れたい」という衝動がまだ静かに燻っているような色を帯びていた。

 息が詰まる。

 馬車の揺れが、余計に心臓の鼓動を強調してくる。

 レオニスは動かない。
 ただ、私の反応を一つも逃すまいとするように、深海のような瞳をまっすぐ向けていた。

「……セレーネ」

 低く名前を呼ばれただけで、背筋が震える。

(やめて……名前呼ぶの反則……)

 それでも、もう視線は逸らせなかった。

 途端に、昨夜レオニスが言った「愛してる」の言葉が鮮やかによみがえる。

 耳元で落とされた、あの低くて深い声。
 触れられるたび、熱が溶けていくような抱きしめ方。
 まるで一瞬たりとも私を離したくないとでもいうような、
 あの必死な腕の力。

 ——「愛してる」。

 あの一言が胸の奥に触れた瞬間、何かがほどけて、そのまま流されて、抗えずに沈んでいった。

 そして今。
 向かい合った馬車の中で、その言葉の残響が、すぐ近くに戻ってくる。

 身体の芯がじわりと熱を帯び、視線を外せなくなる。

(……やめて……思い出したら余計に……)

 レオニスは黙ったまま真っ直ぐに見つめてくる。
 その目の奥に、昨夜と同じ色が微かに残っている気がして——
 
 心臓がまた跳ねた。

 どうしても確かめたい疑問が、喉の奥につかえて離れない。

(……いや、でも……もしかしたら……何かの間違いかもしれない……)

 覚悟を決めて、そっと口を開いた。

「……あの、まさかですが。私のことを好きなわけでは……ありませんよね?」

 沈黙。

 馬車の軋む音だけが、小さく響く。

 レオニスはゆっくりと瞬きをし——次の瞬間、迷いなく口を開いた。


「愛している」

「………………」
  

(やっぱり間違えてなかったああああ!!!)

 心の中で盛大に悲鳴を上げる。
 背筋に、汗がつうっと伝う。

 嘘でも冗談でもなく、真面目な顔をしている。
 視線もそらさない。
 むしろ、さっきより熱を帯びている。

 膝の上の手が震え、視界だけが妙に鮮明になる。

 ——逃げてはいけない。
 ここで曖昧にすれば、きっともう戻れなくなる。 


「わ、私は……そのお気持ちには、応えられません」


 必死に絞り出した声は、震えていた。

 レオニスの蒼い瞳が揺れ、静かに、深く私を見つめる。


「……お前は愛してもいない男に抱かれるのか」


 その問いかけが、鋭く心臓に刺さる。
 責めるようでいて、ただ真実を知りたがっている声。

 だからこそ、胸が痛んだ。

 私は喉の奥から、無理やり言葉を押し出した。


「——閣下こそ、愛していない私と夜伽をなさっていたではないですか」

 レオニスの動きが止まる。

 瞬間、車内の空気が冷たく張りつめた。

 怒鳴りもしないし、否定もしない。
 ただ、胸の奥を静かに刺された人のように、微かに息を飲んだ。

(なによ、図星じゃない。やっぱり) 



「最低。快楽に負けただけでしょう? それなら他をお探しになってください」


 自分でも分かるほど棘のある言葉だった。

 しばしの沈黙ののち、レオニスが静かに口を開く。


「……それで、寝室を分けたいのか?」


 声音は穏やかだが、言葉の端にかすかな痛みが滲んでいた。

「そうです。ずっとそう言っているじゃないですか」

 視線を逸らさずに告げると、彼は一瞬だけ目を細める。

「——嫌いではない、と」

「え?」

「嫌いではないと言っただろう?」


 言ったっけ?(言った)

 言葉に詰まる私をじっと見つめながら、レオニスはさらに追い打ちをかけてくる。


「何が問題なのだ」

「ち、違います。嫌ってはいませんけど……」

 心臓が痛いほど鳴る。耳まで熱い。
 逃げ道が、ない。

「……愛しているとは、言っていません」

 やっと絞り出したその一言に、レオニスの長い睫毛がわずかに揺れた。

 沈黙。

 馬車の車輪の音が、妙に大きく響く。

 レオニスは、胸の奥の小さな痛みを押し殺すようにゆっくりと息を吐き——


「……どうすれば、愛してくれる?」

 静かに、けれど揺るぎなくそう言った。

 胸が痛い。
 言った自分の言葉が、そのまま自分の心臓に突き刺さっているみたいだった。

 それでも——言わなければならない。


「……そうなることは、ありません」

 空気が、ぴたりと止まる。

 言葉を発した直後、胸の奥がきゅっと縮んだ。
 自分で自分を締め上げるような、苦しい痛み。

 レオニスは動かない。
 ただ静かに目を伏せ、まるで深い水底で響くような低さで、ぽつりとつぶやいた。


「……そうか」

 その声音には怒りも失望もなかった。
 けれど——触れたら砕けてしまいそうな、薄氷のような静けさがあった。

 息が、うまく吸えない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない

陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」 デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。 そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。 いつの間にかパトロンが大量発生していた。 ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

図書館でうたた寝してたらいつの間にか王子と結婚することになりました

鳥花風星
恋愛
限られた人間しか入ることのできない王立図書館中枢部で司書として働く公爵令嬢ベル・シュパルツがお気に入りの場所で昼寝をしていると、目の前に見知らぬ男性がいた。 素性のわからないその男性は、たびたびベルの元を訪れてベルとたわいもない話をしていく。本を貸したりお茶を飲んだり、ありきたりな日々を何度か共に過ごしていたとある日、その男性から期間限定の婚約者になってほしいと懇願される。 とりあえず婚約を受けてはみたものの、その相手は実はこの国の第二王子、アーロンだった。 「俺は欲しいと思ったら何としてでも絶対に手に入れる人間なんだ」

うっかり結婚を承諾したら……。

翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」 なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。 相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。 白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。 実際は思った感じではなくて──?

「一晩一緒に過ごしただけで彼女面とかやめてくれないか」とあなたが言うから

キムラましゅろう
恋愛
長い間片想いをしていた相手、同期のディランが同じ部署の女性に「一晩共にすごしただけで彼女面とかやめてくれないか」と言っているのを聞いてしまったステラ。 「はいぃ勘違いしてごめんなさいぃ!」と思わず心の中で謝るステラ。 何故なら彼女も一週間前にディランと熱い夜をすごした後だったから……。 一話完結の読み切りです。 ご都合主義というか中身はありません。 軽い気持ちでサクッとお読み下さいませ。 誤字脱字、ごめんなさい!←最初に謝っておく。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?

こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。 「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」 そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。 【毒を検知しました】 「え?」 私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。 ※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして

みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。 きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。 私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。 だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。 なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて? 全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです! ※「小説家になろう」様にも掲載しています。

処理中です...