浮気され離婚した大公の悪役後妻に憑依しました

もぁらす

文字の大きさ
52 / 63

51話『感情の決壊』

しおりを挟む



 レオニスは、父母が同時に振り向いたその刹那――靴音すら立てずに、石床へ膝をついた。

 乾いた音が、石造りのエントランスに静かに響く。



「……全ての責任は、私 にあります」


 これまでどれだけ傲慢でも、偉そうでも、こんな風に頭を垂れたレオニスを、私は一度も見たことがない。


 やめてよ……そんなの、見たくない……。


 胸がぎゅっと締めつけられる。

 これは――本来、私が望んできた“自由を得る”絶好のチャンスのはずだった。

 大公家から出ていけるのだ。
 私を苦しめていた“未来”から逃げ出せるのだ。

 なのに。

 なのに――ぽた、ぽた、と頬から大粒の涙が勝手に落ち始める。


「せっ、セレーネ!?」

 お父様が驚愕の声を上げた。

「ちょ、ちょっと……あなた、大丈夫!?」

 お母様までうろたえている。


 私は泣きたくて泣いてるわけじゃない。
 なのに涙は止まってくれない。


「だ、だいじょぶだっていっでるのにぃぃぃ……!!」


 私は感情のまま言葉を吐き出した。

 レオニスは頭を床に押し付けたまま、ピクリとも動かない。



 高圧的で、誰よりも強くて、誰に対しても感情がなかったはずなのに、今のレオニスは私のことになると、なりふり構わなくなる。


 そして今、私のために――床に頭をつけている。


「わ、私にどうしろっでいうのおおお……!!」

 叫んだ瞬間、自分でもどうにもできない感情が込み上げてくる。

 父母は完全に固まり、従者たちは気まずそうに視線を逸らし、レオニスだけが、動かずに言った。



「……セレーネを……連れていかないでください」


 その言葉は胸の奥に突き刺さった。


「みんな大嫌い!!」


 胸の奥で何かがぷつん、と切れた音がした。

 私はその場から逃げるように走り出した。
 視界は涙でぐしゃぐしゃで、どこに向かって走っているのかもわからない。
 ただ、足が勝手に動いた。


 なんで……なんでこうなるの……!?


 ――レオニスの、膝をついた姿。

 あんなのを見たかったわけじゃない。


「セレーネ!! 待ちなさい!!」

 お母様の声が、いつになく切迫して響く。



 足は止まらない。
 涙はもっと止まらない。


「うぅ……やだ……やだよぉ……!」

 息が苦しい。胸が痛い。
 さっきまで“家に帰れる”なんて思ってたのが馬鹿みたいだ。

 どうしてうまくいかないんだろう。

 なにが正解なの……?



 *



「セレーネ!!」

 お母様のヒールの音がすぐそこに迫る。

 ぐちゃぐちゃになった思考のまま、私は角を曲がろうとして――足がもつれ、よろめいた。

「……っ!」

「セレーネ!?」

 母の声が背後から聞こえる。

 私はその場にしゃがみ込んでしまった。

「……どうして……」

 泣きながら、私は自分でも意味がわからない言葉を繰り返していた。

 私は崩れ落ちるように廊下にしゃがみ込んで、涙で濡れた手のひらをぎゅっと握りしめた。

 胸の奥が、こんなにも痛むなんて知らなかった。

「セレーネ!」

 お母様の声がすぐ近くに聞こえる。

「もうやだ……」

 自分でも驚くほど弱い声が漏れた。


 レオニスが頭の中から消えてくれない。

 夜会の会場の中を私を抱えて歩くレオニスの拗ねた顔。月の下でみた綺麗な横顔。花を欲しいと不器用に笑った顔。高台の空の下、ソースが甘いと言った悪戯な顔。私を抱く時の、狂ったあの瞳。

 大きな手で包帯を巻いてくれた時の熱。


「……レオニス……」

 呟いた途端、胸がぎゅっと締めつけられた。

 ……どうして。


 ――エルバーン家を出ると思った途端、心臓が抜け落ちていきそうな感覚になった。

「……やだ……」


 どうして嫌なのかわからなかった。


「……離れたくない……」

 自分で言った言葉に、自分がいちばん驚いた。

 でも、それはもう誤魔化しようのない本音だった。

 父に連れて帰られると思った瞬間、もう二度と私がレオニスの側に戻ることはないだろうと悟った。


――嫌だ。
――離れたくない。
――彼のそばにいたい。


 理由なんてわからない。
 恋とか愛とか、そんな言葉で説明できない。

 ただ、ここにいたいと思った。


「……セレーネ!」

 お母様が追いつき、私の肩を抱きしめた。


 その温もりの中で、私は自分の心の叫びをひた隠しにして、泣きじゃくるしかできなかった。


 どうしよう……。

 ……私、レオニスのこと……。


 違う。
 認めたくない。
 

 なのに、息が苦しくなるほどに、胸が苦しい。


――気づかないようにしていたのに。


 私は、レオニスの事が好きだ。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない

陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」 デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。 そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。 いつの間にかパトロンが大量発生していた。 ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

図書館でうたた寝してたらいつの間にか王子と結婚することになりました

鳥花風星
恋愛
限られた人間しか入ることのできない王立図書館中枢部で司書として働く公爵令嬢ベル・シュパルツがお気に入りの場所で昼寝をしていると、目の前に見知らぬ男性がいた。 素性のわからないその男性は、たびたびベルの元を訪れてベルとたわいもない話をしていく。本を貸したりお茶を飲んだり、ありきたりな日々を何度か共に過ごしていたとある日、その男性から期間限定の婚約者になってほしいと懇願される。 とりあえず婚約を受けてはみたものの、その相手は実はこの国の第二王子、アーロンだった。 「俺は欲しいと思ったら何としてでも絶対に手に入れる人間なんだ」

うっかり結婚を承諾したら……。

翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」 なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。 相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。 白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。 実際は思った感じではなくて──?

「一晩一緒に過ごしただけで彼女面とかやめてくれないか」とあなたが言うから

キムラましゅろう
恋愛
長い間片想いをしていた相手、同期のディランが同じ部署の女性に「一晩共にすごしただけで彼女面とかやめてくれないか」と言っているのを聞いてしまったステラ。 「はいぃ勘違いしてごめんなさいぃ!」と思わず心の中で謝るステラ。 何故なら彼女も一週間前にディランと熱い夜をすごした後だったから……。 一話完結の読み切りです。 ご都合主義というか中身はありません。 軽い気持ちでサクッとお読み下さいませ。 誤字脱字、ごめんなさい!←最初に謝っておく。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?

こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。 「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」 そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。 【毒を検知しました】 「え?」 私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。 ※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして

みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。 きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。 私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。 だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。 なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて? 全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです! ※「小説家になろう」様にも掲載しています。

処理中です...