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第二章 北の大地 アルシラ
第五十二話 晩ごはんが待ってる
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走る馬車内で夜を明かし、サラさんの故郷の村に到着したのは、翌日の正午頃のことでした。
以前は無人だった村も、真昼の太陽の元では当たり前のように賑わっています。
突如乗り入れた馬車に、不思議そうな視線を投げかけられました。
しかし誰よりも早く私たちの元へ駆け寄って来られたのは、他でもない村長さんでした。
「皆さま!」
馬車の音を聞きつけて、息急き切って駆けつけられたのが一目でわかります。
期待と不安が入り混じった眼差し。
一刻も早く安心させてあげたくて、私は急いで馬車の扉を開け、地面に降り立ちました。
「村長さん」
私の表情から、良い知らせを察せられたのか、扉の開いた馬車に目線をずらされます。
そこからおずおずとヘレンさんが顔を覗かせました。
「えっと……初めまして、お祖父さま?」
* * *
「アサト、あまり無理をするなよ」
アサトの運んでいた水桶をひょいと取り上げ、ホルガーは脇に薪を挟み、両腕に水桶をぶら下げた。
「昨晩は一睡もしていないだろう」
「それは大将も同じでしょう」
アサトは残された一つの桶を両腕で抱え直す。
この重量の桶を二つに、薪をこんもり抱えるホルガーの方がよほど無茶であったが、当の本人はケロリとしている。
何だかんだで、この大将は部下に甘いのだ。
「今頃ルコットさんとヘレンさんは夕食の支度ですかね」
「二人も車内で微睡んだ程度だろうし、できればゆっくりしていてほしいが……」
二人の性格上、十中八九立ち働いているに違いない。
「まぁまぁ、いいじゃないですか。奥さんの手料理が食べれますよ。あ、いつも食べてるんでしたっけ?」
「いや、いつものはばあや殿の手料理だ」
「そうだったんですか!」
「仮眠室で凝った愛妻弁当を広げる大将」はもはや陸軍本部の名物であったのに。
皆の羨望と祝福を一身に受けるあの弁当風景が、まさか愛妻弁当ではなかったなんて。
「まぁ、でもそれなら、今晩は余計に楽しみですね」
「……あぁ、とても楽しみだ。先ほどから頭と胸がふわふわする」
「それは寝不足だからじゃないですか?」
まさかこんな所で新婚上司の奥さんの初手料理をいただくことになろうとは。
アサトは少し複雑だったが、幸せそうな二人を間近で見れるこの場所は、何だかとても居心地が良かった。
「晩ごはん、何でしょうね」
「何でも嬉しい。殿下の作られるものなら、何でも」
傾きかけた日を背に、二人は帰路を急いだ。
* * *
「ルコット、あなたお姫さまなのに、どうして料理なんてできるわけ?」
ヘレンさんの訝しげな問いかけは、尤もでした。
普通のお姫さまはきっと炊事なんてしないでしょう。
「私は食べるのが好きなので、食べたいものを作っているうちに……」
要するに、ただの趣味でした。
呆れられるかとも思いましたが、ヘレンさんはただただ「すごいのね……手際が良いわ……」と感心されるばかりです。
「ルコットさん、芋の皮を剥き終えましたよ」
テーブルに腰掛け、皮剥き係に徹していた村長さんが、ぴかぴかに皮の剥かれた品を持ってきてくださいます。
すると、ヘレンさんはすぐに「次は豆のヘタ取りね」と言いつけられていました。
「こういうテキパキしたところはあの子にそっくりだ」
「もう、しんみりするのは晩ごはんが完成してからにしてよね。二人が帰ってきちゃうじゃない」
親しみやすいヘレンさんの言いように、村長さんは「はいはい」とどこか嬉しそうに笑われます。
「夕飯のときにでも、あの子の話をたくさんしよう」
ヘレンさんもまた、微かに口元が緩んでいました。
「えぇ、話したいことがたくさんあるわ」
私は芋をふかしながら、お二人のぽつりぽつりと響く会話に耳を澄ませていました。
初めて会うはずなのに、その会話はもう、家族のものでした。
(私とホルガーさまと、一体何が違うんでしょう)
悲観するわけではなくぼんやりと、そんな考えが浮かんできます。
夫婦になってまだひと月ほどとはいえ、私たちは家族という形からは随分遠い気がしました。
(やはり血の繋がりなのでしょうか)
台所の小さな窓から、ぼんやりと外の様子を眺めます。
こうして料理をしながらホルガーさまの帰りを待つなんて、初めてのことでした。
胸のあたりがくすぐったくなり、意味もなく鍋の中をぐるぐるかき混ぜます。
浮いたり沈んだりする芋をじっと見つめました。
(これから、私たちはどうなっていくんでしょう)
いつ彼の前に運命の女性が現れるか。
考えるだけで心臓が嫌な音を立てました。
私たちはただの政略結婚。
たとえ誠情や信頼があったとしても、本物の愛の前にはきっと敵いません。
そのとき、私は、二人を引き裂く邪魔者以外の何者でもないのです。
離れなければと思ったり、離れたくないと願ったり、定まらないこの心に思わず苦笑してしまいます。
しかしいずれにしても、一人で生きていく準備をしておいて、損をすることはないでしょう。
(そうよ、とりあえず行動しないと。前向きに、自立して生きていくことを考えましょう)
お湯を捨てると、ふかした芋と小麦を混ぜ合わせて、こねて丸め、フライパンに並べました。
ジュージューと食欲をかきたてる音と、香ばしい匂いが漂います。
「ルコット、この人参はどうするの?」
「クリームチーズと和えてクラッカーに乗せましょう」
きのこのポタージュ、山菜の香辛料和え、羊肉の煮込み。
たくさんのごちそうがテーブルに並んでいきます。
「二人とも、喜んでくれるといいわね」
「そうですね」
お二人が戻られたら、晩ごはんです。
積もる話と美味しいごはんがあれば、きっと楽しい一夜になることでしょう。
以前は無人だった村も、真昼の太陽の元では当たり前のように賑わっています。
突如乗り入れた馬車に、不思議そうな視線を投げかけられました。
しかし誰よりも早く私たちの元へ駆け寄って来られたのは、他でもない村長さんでした。
「皆さま!」
馬車の音を聞きつけて、息急き切って駆けつけられたのが一目でわかります。
期待と不安が入り混じった眼差し。
一刻も早く安心させてあげたくて、私は急いで馬車の扉を開け、地面に降り立ちました。
「村長さん」
私の表情から、良い知らせを察せられたのか、扉の開いた馬車に目線をずらされます。
そこからおずおずとヘレンさんが顔を覗かせました。
「えっと……初めまして、お祖父さま?」
* * *
「アサト、あまり無理をするなよ」
アサトの運んでいた水桶をひょいと取り上げ、ホルガーは脇に薪を挟み、両腕に水桶をぶら下げた。
「昨晩は一睡もしていないだろう」
「それは大将も同じでしょう」
アサトは残された一つの桶を両腕で抱え直す。
この重量の桶を二つに、薪をこんもり抱えるホルガーの方がよほど無茶であったが、当の本人はケロリとしている。
何だかんだで、この大将は部下に甘いのだ。
「今頃ルコットさんとヘレンさんは夕食の支度ですかね」
「二人も車内で微睡んだ程度だろうし、できればゆっくりしていてほしいが……」
二人の性格上、十中八九立ち働いているに違いない。
「まぁまぁ、いいじゃないですか。奥さんの手料理が食べれますよ。あ、いつも食べてるんでしたっけ?」
「いや、いつものはばあや殿の手料理だ」
「そうだったんですか!」
「仮眠室で凝った愛妻弁当を広げる大将」はもはや陸軍本部の名物であったのに。
皆の羨望と祝福を一身に受けるあの弁当風景が、まさか愛妻弁当ではなかったなんて。
「まぁ、でもそれなら、今晩は余計に楽しみですね」
「……あぁ、とても楽しみだ。先ほどから頭と胸がふわふわする」
「それは寝不足だからじゃないですか?」
まさかこんな所で新婚上司の奥さんの初手料理をいただくことになろうとは。
アサトは少し複雑だったが、幸せそうな二人を間近で見れるこの場所は、何だかとても居心地が良かった。
「晩ごはん、何でしょうね」
「何でも嬉しい。殿下の作られるものなら、何でも」
傾きかけた日を背に、二人は帰路を急いだ。
* * *
「ルコット、あなたお姫さまなのに、どうして料理なんてできるわけ?」
ヘレンさんの訝しげな問いかけは、尤もでした。
普通のお姫さまはきっと炊事なんてしないでしょう。
「私は食べるのが好きなので、食べたいものを作っているうちに……」
要するに、ただの趣味でした。
呆れられるかとも思いましたが、ヘレンさんはただただ「すごいのね……手際が良いわ……」と感心されるばかりです。
「ルコットさん、芋の皮を剥き終えましたよ」
テーブルに腰掛け、皮剥き係に徹していた村長さんが、ぴかぴかに皮の剥かれた品を持ってきてくださいます。
すると、ヘレンさんはすぐに「次は豆のヘタ取りね」と言いつけられていました。
「こういうテキパキしたところはあの子にそっくりだ」
「もう、しんみりするのは晩ごはんが完成してからにしてよね。二人が帰ってきちゃうじゃない」
親しみやすいヘレンさんの言いように、村長さんは「はいはい」とどこか嬉しそうに笑われます。
「夕飯のときにでも、あの子の話をたくさんしよう」
ヘレンさんもまた、微かに口元が緩んでいました。
「えぇ、話したいことがたくさんあるわ」
私は芋をふかしながら、お二人のぽつりぽつりと響く会話に耳を澄ませていました。
初めて会うはずなのに、その会話はもう、家族のものでした。
(私とホルガーさまと、一体何が違うんでしょう)
悲観するわけではなくぼんやりと、そんな考えが浮かんできます。
夫婦になってまだひと月ほどとはいえ、私たちは家族という形からは随分遠い気がしました。
(やはり血の繋がりなのでしょうか)
台所の小さな窓から、ぼんやりと外の様子を眺めます。
こうして料理をしながらホルガーさまの帰りを待つなんて、初めてのことでした。
胸のあたりがくすぐったくなり、意味もなく鍋の中をぐるぐるかき混ぜます。
浮いたり沈んだりする芋をじっと見つめました。
(これから、私たちはどうなっていくんでしょう)
いつ彼の前に運命の女性が現れるか。
考えるだけで心臓が嫌な音を立てました。
私たちはただの政略結婚。
たとえ誠情や信頼があったとしても、本物の愛の前にはきっと敵いません。
そのとき、私は、二人を引き裂く邪魔者以外の何者でもないのです。
離れなければと思ったり、離れたくないと願ったり、定まらないこの心に思わず苦笑してしまいます。
しかしいずれにしても、一人で生きていく準備をしておいて、損をすることはないでしょう。
(そうよ、とりあえず行動しないと。前向きに、自立して生きていくことを考えましょう)
お湯を捨てると、ふかした芋と小麦を混ぜ合わせて、こねて丸め、フライパンに並べました。
ジュージューと食欲をかきたてる音と、香ばしい匂いが漂います。
「ルコット、この人参はどうするの?」
「クリームチーズと和えてクラッカーに乗せましょう」
きのこのポタージュ、山菜の香辛料和え、羊肉の煮込み。
たくさんのごちそうがテーブルに並んでいきます。
「二人とも、喜んでくれるといいわね」
「そうですね」
お二人が戻られたら、晩ごはんです。
積もる話と美味しいごはんがあれば、きっと楽しい一夜になることでしょう。
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