軍事大国のおっとり姫

江馬 百合子

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第五章 南国 エメラルド

第百八話 心を知るとき

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「よい……しょっと」

 何本目になるだろう。リュクは黙々と薪を割り続けている。
 家の影に隠れながら、サーリはその様子をじっと見つめていた。

 そろそろ暖炉に火を入れるらしい。
 各室の患者と、村の年取りにも分けて回るため、あんな量になるのだと、入院中の男が言っていた。

「……お人好しめ」

 サーリは呟くと、赤くなった両手に息を吹きかけるリュクの方へ近づいていった。
 サーリの足音に気づいたリュクは、顔を上げ、慌てたように駆け寄ってくる。

「サーリ、そんな格好で出てきたらダメだよ。君は怪我人なんだから」

 サーリは「問題ない。もう完治した」と答えると、持っていたマフラーをリュクの首に巻きつけた。
 それから、背を押して彼を室内に入れようとする。

「部屋で休んでいろ。薪なら私が割っておく」

 するとリュクは「とんでもない!」と抵抗した。

「完治って、そんなはずないだろう? 薪なんか割ったらまた傷口が開いてしまう。それに……」

 向かい合うリュクとサーリ。
 次の瞬間、サーリは無表情のまま、おもむろにブラウスのボタンを外し始めた。
 驚いたリュクは、顔を真っ赤にしながら止めるも、サーリの手はビクともしない。
 ブラウスを脱ぎ終えると、彼女は上半身に巻かれた包帯をほどき始めた。

「サーリ! 何をしてるんだ……!」
「見ればわかる」

 徐々に彼女の白い肌が露わになる。
 そしてそこには、あるはずの傷がなかった。
 一片のくすみもないなめらかな肌。
 リュクは息を呑み、言葉を失った。

 寒空の下で、その肌は赤くなることもない。
 どこまでも白く、作り物のように精巧だ。

「傷は、一日で消える。力もある。何の心配もいらない」 

 リュクは暫し呆然としていたが、彼女が斧を拾おうとすると、その手を押しとどめた。
 はだけた彼女のブラウスを戻していく。
 それから、自身のマフラーを外すと、サーリの首にしっかりと巻きつけた。
 その上、コートまで脱いで、彼女の肩にかける。

「……それでも、君は女の子なんだから」

 驚きに固まるサーリの手を、リュクはしっかりと引く。

「とりあえず、うちに帰ろう。ちょうど毛織の生地があるから、今から君の外套を仕立てるよ」

 サーリは後に続きながら、おずおずと問いかける。

「ここは診療所だろう? 傷が治ったら、出なければならないのではないのか?」

 リュクは一瞬足を止めると、振り返った。

「……出たいのかい?」

 頷かねばならない。戦女神としての役割を果たすために。
 しかしどうしても、サーリはここを離れる気になれなかった。
 結局「そういうわけではないが……」とお茶を濁す。
 するとリュクは、遠慮がちに「君さえよければ」と口を開いた。

「……ずっといてくれると、嬉しいんだけど」

 思えば、彼の望みを聞くのは初めてのことだった。
 そしてサーリは何故かそれが、とても嬉しかったのだ。
 
「いる。ずっとここにいる」

 思わず勢い込んで頷くと、彼はまるで花が咲くように笑った。


* * *


 それから、魔術医と戦女神の、奇妙な共同生活が始まった。

 リュクの朝は早い。
 日が昇りきる前に起床し、皆の朝食の準備を行う。
 井戸から水を汲み、畑の世話をし、皆の起き出す気配がし始めると、ようやく朝の問診が始まる。

「おはようございます。アルさん、今日は調子が良さそうですね」

 彼が話しかけると、各部屋の住人は、一様に笑顔になった。
 それから、食卓に皿を並べ、食事の世話を行い、息つく間もなく出張診療へと向かう。

 サーリは初めのうち、それを隠れて遠くから見守っていたが、数週間もすると隣であれこれ口を挟むようになった。

「リュク、お前の朝食は?」

 村への道すがら問い詰められたリュクは、困ったように頬をかきながら、「もう食べたよ」と誤魔化す。
 サーリは不満げに口を尖らせたが、それ以上何も言わなかった。

「リュク、お前の湯殿は?」
「僕は丈夫だから水でも大丈夫だよ」
「お前の夜間着は……」
「これかい? 少し古いけど、まだ着れるよ」
「……おい、もう寝た方が」
「この調薬が終わったら寝るよ。君は先に休んで」

 ある日とうとう、サーリは「もういい!」と足音荒くその場を立ち去った。
 ベッドに潜り込み、暗闇の中で、彼が仕立ててくれた外套を見つめる。

(……あいつは、与えるばっかりだ)

 彼に与える者はいない。
 それが無性に気に食わなかった。切なかった。

(あれではあいつの体がもたない)

 人間とは脆い生き物だ。
 驚くほど簡単に病に罹り、小さな傷口一つでさえ致命傷になる。

(誰かが、あいつを助けなければ……誰かが……)

 そのとき、サーリの頭にある考えが浮かんだ。

(……そうだ)
 
 誰も彼を顧みないのなら。
 皆がそれに気づかないのなら。

(――私が、あやつを助ければ良い)

 女神たる自分なら、彼に何なりと与えることができる。
 それならば、自分が与える側に回ればいい。

(……私だけは、彼を『助ける』)

 そう決めると、サーリは満足げに目を閉じた。
 それが戦女神らしからぬ願いだとは、彼女自身気づいていなかった。

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