その麗人、拗らせ系受けにつき。

月城雪華

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三章

諦めたかった 1

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 ライアンに拾われてから五年が過ぎ、ミハルドは今年の春で十一になった。

 レオンハルトも兄と同様すくすくと育ち、この初夏で無事に五歳になった。

 まだ遊びたい盛りで甘えたい盛りなのか、ミハルドの後を着いて回っては『にいさま』と呼んでくる。

 可愛らしいと心から思うが、己とは違って両親を知らずに育ったのだ。

 母の温もりを知らないレオンハルトが可哀想で、せめて母にだけは会わせてやりたいと思うが、生きているか死んでいるかすら分からないのだ。

 そもそも一人ではもちろん、レオンハルトを連れて王宮を出た事はない。

 一人で街へ繰り出したくとも『まだ幼いから』と、ライアンが必ずと言っていいほど護衛を着けてくれる。

 こちらとしては申し訳ないと思うが、見慣れつつある街を時々護衛の男と話しながら見て回るのは楽しい。

 その男は二十歳になったばかりで、名をシルヴィンという。

 無口な男で、あまり感情を荒げないのに加えて常に無表情だからか、影では畏怖されているらしい。

 けれどミハルドはどうしてか、シルヴィンと己は似ている気が感じた。

 幼い頃の境遇や生い立ちを聞いた訳ではないが、漠然とそう思ったのだ。

 年齢こそライアンとそう変わらないものの、王宮で過ごすようになってから初めて出来た兄のような存在だからだろうか。

 ミハルドが問い掛ければ即座に応えてくれるのはもちろん、こちらの感情の機微を悟って優しく──ミハルドからすればだが──声を掛けてくれ、わずかではあるが笑ってくれる。

 シルヴィンからすれば王太子が自ら拾ってきた子供で、また『丁重に扱え』と何度も確認をされているため、何があろうと従うしかない。

 ただ、シルヴィンと知り合ってからというもの、ミハルドの世界は急激に広がった。

 本来ならば同年代の子供と遊ぶものだと分かっているが、この容姿があるからかミハルドは目立つ。

 王宮には同じくらいの子供がいないため、ミハルドはほとんどをレオンハルトと共に過ごしている。

 そんなミハルドにに何を思ったか、シルヴィンは定期的に馬に乗せてくれ、街の外れにある小高い丘へ連れて行ってくれるのだ。

 そこで剣を学び、字の読み書きを始めとした様々な教養を教えてくれた。

 ここなら誰の目もないからと、シルヴィンもわずかに相好を崩してくれたのは嬉しかった。

 ミシェルはライアンとの間に新たな命を宿し、順調にいけば秋頃には子が産まれる。

 男子であれば王太子に、女子であれば王女として王宮だけに留まらず、民達から愛されるだろう。

 それほど現王太子夫妻は好感度が高く、ミハルドとしても誇らしい気持ちになっていた。

 もし叶うならば、産まれてくる子を己の手で守りたい。

 シルヴィンに剣の稽古をつけてもらうにつれ、ミハルドの中に小さな覚悟が芽生えるのはすぐだったように思う。
 



 ◆◆◆



 
 季節の流れというものは早いもので、蒸し暑い夏が過ぎて秋のきざしを感じるようになったある日。

 ミシェルがメイドを伴って庭先で日光浴をしている時、同じく傍で控えていたミハルドを見つめ、ふと言ったのだ。

「この子が産まれたら、お兄様として導いてあげて欲しいの」

 その時はただ純粋に、敬愛する王太子妃からそう言われたのが嬉しかった。

 まだ性別は分からなかったが、ミシェルは男の子だと断言した。

「きっと強くて、美しい子になる。……そんな予感がする」

 親馬鹿かしら、と淑やかに笑ったミシェルは、ミハルドの目から見てもずっと美しかった。

 順調に大きくなり、確かな命が宿っている腹を愛おしそうに撫でる指先も、そこに注がれる柔らかな視線も、何もかもが神聖だった。

 そんな自分をじっと見つめている事に気付いたのか、ミシェルがくすりと小さく笑う。

「触ってごらんなさい。……大丈夫、貴方には優しいお兄様が居るのよ」

 最後の方は腹の子に語り掛ける口調で、けれどミハルドには別な意味に聞こえた。

 ──だから早く顔を見せて、と言っているような。

 実際、ミシェルの出産は予定日から十日ほど過ぎていた。

 王宮専属の医師が言うには、よく動きよく食べてすこやかに過ごすと良いらしい。

 けれど医師の通りにしても、腹の赤子は中々産まれてこない。

 既に持てる手は尽くし切っており、あとは月日が流れるのを待つばかりで、王宮内はここ数日空気が張り詰めていた。

 愛する妻と子が無事であるようにと、ライアンはここのところ毎日のように街へ出ては教会へ出向いている。

 王宮へ呼び寄せる事も出来たというのに、頑として『来てもらうのは申し訳ない』と言って譲らなかったのだ。

 リネスト国──正式にはリネスト王国という──は、諸外国には珍しく無宗教を貫いている。

 ただ、人というものは時として何かにすがりたくなるものだ。

 教会は形ばかりのものだが、人種や宗教に関係なく信者を受け入れているため連日繁盛していた。

 王宮のある街を中心としていくつか点在しており、ライアンはいつも一番近くにある教会へ向かう。

 王族、それも王太子が来ていると知られては大事になるのは必至だ。

 簡素な服装で民の中に混じって、ミシェルと生まれてくる子のために祈りを捧げているのだという。

『これが中々気付かれないんだ。お前が思ってるよりも、俺の変装は上手いのかもしれない』

 一人で街へ出向く事を心配した側近──ディアンへ笑い混じりに言っていたところを、偶然にも最近聞いてしまった。

 ディアンの言う通り本来ならば誰かが供をするべきところだが、どんなに進言してもライアンは一人で行くと言って聞かない。

 幼い自分が言っても相手にされないのが関の山で、むしろ黙って見ているしかできない自分が歯痒くてならない。

 次期国王という立場上、たとえお忍びであっても一人は護衛が必要だ──そう教えてくれたのは、他でもないライアンなのだ。

 その言葉を忘れた訳ではないと思うが、あまり勝手をしては王宮につどう高官らが黙っていないのは明白だった。

 というのも、王宮から街へ向かう時貴族を始めとした高官の屋敷がある。

 特に年嵩の者がライアンの行動に渋面を作り、ディアンにそれとなく進言しているらしい。

 ただしディアンはどちらの味方でもないらしく、至って中立な立場として主であり、また幼馴染みでもあるライアンを心配している。

 そんな周囲の空気感や人々の反応を間近で見ているからか、幼心に緊張が走るのも無理からぬ事だろう。

 ミハルドが王宮へ住まうようになった時と今とでは、年月が過ぎるうちに更に窮屈になってきているように思う。

 五年も経てば人はもちろん、時としてその性格さえ変化する。

 その中でも一番変わったのはミシェルで、おっとりとした雰囲気の中には何事にも動じない意志の強さを見せるようになった。

 腹の中で子供を育てるとなると母としての本能なのか、守るべき者が居るから自然と強くなるのだろうか。

 そもそも、王宮内でミシェルの味方は数少ない。

 夫であるライアンを除けば、心許せるのは生家から連れてきた侍女くらいだろう。

 そこに自分が入っていれば嬉しいが、恥ずかしくて面と向かって聞いた事はない。

 ただ、少なくともミハルドが知る限り、ミシェルは一日のほとんどを一人で過ごしているのだ。

 離れた場所には常に使用人が控えていて、しかしメイドを呼ぶ事はもちろん信頼しているであろう侍女にすら声を掛けない。

 まるで放っといてくれと言っているような気がして、それがなぜなのか知りたかった。

 自分が居るとミシェルはよく笑い、また様々なことを話してくれるため、時間が許す限りは話し相手になるようにしていた。

 子供ながらにミシェルのことが心配で、同時に王宮に居ると誰が敵味方か分からず不安だったからだと思う。

 自分とレオンハルトを初めて助けてくれた恩人で、無意識に母の面影を探しているというのもあるのかもしれない。

 芯の強さはもちろん、柔らかく優しい口調は母を彷彿とさせる。

 毎日のように父は母に対して暴力を奮い、罵詈雑言を浴びせているのを黙って見ているしかできなかった。

 大丈夫かと心配するミハルドの前では気丈に振る舞い、しかし夜更けになると母は声を殺して静かに泣いているのだ。

 隣りで眠る息子を起こさないように、自身の中で暴れ狂う感情を懸命に押し留めている。

 そんな母の姿を少なからず知っていても尚、ミハルドは父に追い出される最後の日まで寝たふりをしていた。

 何か一言でも、そうでなくても根気強く声を掛けていれば違ったのではないか、と今更ながら思う。

 けれど、そこはあの母の性格だ。

 にっこりと笑って『心配するな』と言いながら、抱き締めてくることだろう。

 すべてを己の胸の内に抱え込み、息子であっても決して弱音を見せない人だったから。

 結果的に父の逆鱗に触れ、生まれたばかりのレオンハルト共々、生家を追い出されて路頭に迷う事になったのだが。

 その時の母のかたきという訳ではないが、誰かがミシェルに害を成そうとするのであれば一番の味方になりたい。

 母にできなかった事をしてあげたい。

 もう父の住まう家には──母の元には戻れないと、とうに分かっているから。

 まだ甘えたい盛りの子供を自分の寝ているうちに追い出し、五年が経っているというのに母の遣いという使用人が現れないのが確たる証拠だ。

 だからミシェルに対して、無意識に母の面影を重ねているのかもしれない。

 あの頃は何もできず、ただ見ているしかすべがなかった。

 五年前と同様、己はまだ子供も同然だ。

 なんの力も無いが、叶う事ならミシェルのために命を賭ける事もいとわない覚悟だった。

 それはまだ産まれていない腹の子に対しても同様で、目の前に敵が立ちはだかる時があれば、喜んでこの手を汚す事も容易だ。

 この五年で丘の上でシルヴィンを相手にして剣を振るうのが日常になり、いつだったかミハルドにこう言った。

『もしこの手で守りたい者が居るのなら、貴方の思うまま行動しろ。何かあれば俺を頼ってくれていい』

 その時からだろうか、次第に目の前の女性や赤子を己の手で守ると誓ったのは。

(俺が……ミシェル様とこの子を守るんだ)

 改めて心の中で堅く決意をしたのとは裏腹に、ミシェルの腹に伸ばした手は小刻みに震えていた。

 しかしミハルドは小さく息を吐き、自身を落ち着けるとドレスの上からでも分かるほど膨らんだ腹に触れる。

「っ……」

 こうして赤子の宿る腹に触れるのはレオンハルトが母の腹に居た時に次いで二度目だが、その時よりも鮮明に感情が湧き上がる。

 とくとく、とくとくと手の平から一定の感覚で感じる脈動は、腹の子がしっかりと生きている証だ。

 同時に生命の神秘をこの手ではっきりと体感し、細めている目尻からじわりと涙が滲む。

 まだ母の腹が薄かった時から、数え切れないほど『早く赤ちゃんに会いたい』『元気に産まれてきて』と思っていたのに、どうしてかミシェルの時は嫌な予感がした。

(なんでだろう)

 ミハルドは緩く顔を上げ、慈愛に満ちた瞳でこちらの行動を見守っているミシェルを見つめた。

「どうしたの?」

 穏やかな声は普段となんら変わらず、むしろその中に母としての強さが見え隠れしている。

 数日前、腰ほどまであった黒髪は『お産の時邪魔になるだろうから』と侍女の静止も聞かず、自身の手で顎ほどまで切ったと言っていた。

 席を外していた侍女が戻ってくると文字通り阿鼻叫喚され、泣きながら怒られたらしい。

 その一部始終を、身振り手振りを混じえて面白おかしく話してくれた、つい数分前のミシェルとは別人だ。

 今は母の顔をしていて、けれど出会った頃と同様、ミシェルはまだ子供の己とは違って大人の女性なのだと実感する。

「……いえ。なんでも、ありません」

 にこりとミハルドは常から細めている瞳を更に細め、笑みを浮かべる。

(ミシェル様も、お腹の子も元気なんだ。俺の思い過ごしだ)

 そう心の中で思い込もうとしても、この胸のざわつきがどうか杞憂であればいいと願うばかりだった。
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