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三章
諦めたかった 5
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「ん……?」
庭園に続く廊下を歩いている時、自分とよく似た銀髪の青年が向こう側からこちらにやってくるのが見えた。
「兄さん」
相手もミハルドに気付いたのか青年──レオンハルトが、やや駆け足でやってくる。
少し衣服が薄汚れているが、遠目からでもレオンハルトが戻ってきたと分かり、心の底から安堵する。
己の切実な願いが届いたと思いこそすれ、予定よりもずっと早く帰城しただけだろう。
最低でも戻るには二週間ほど掛かるかと思っていて、本来ならば一週間は滞在する予定だったのだ。
それが一週間で戻ってきてしまい、この分では隣国の滞在は数日ほどなのだろう。
せっかくライアンの代理で行ったというのに、失礼になっていないか心配になる。
昔から親交があると言っても隣国のグランテーレ王国は戦火が収まって久しく、まだ山間部や郊外の復興が満足に進んでいない地域もある。
王国へ援助をすると言ったのは他でもないライアンで、けれど最後に隣国へ足を踏み入れたのは十年も前だ。
以降はミハルドが定期的に出向き、両国の橋渡し役になっている。
「今戻ったのか」
ミハルドはレオンハルトに向け、労るように笑みを浮かべた。
「はい、殿下が早く王配殿下に会いたいと言うので。これでも粘った方なのですが……」
やや眉間に皺を寄せ、はぁと溜め息を吐く。
レオンハルトの心情を思えば気苦労が絶えないと同情する反面、エルの自由さには時々呆れてしまう。
愛する者に会いたいというのは悪いことではないが、成すべきことを疎かにしては本末転倒だ。
(殿下のことだから上手くやったのだろうが……それにしても)
ミハルドはじっとレオンハルトを見つめた。
己よりも鮮やかな赤い瞳は、日の光を浴びて輝いている。
けれどミハルドに比べればまだ可愛らしいもので、宝石のような輝きを美しいと思いさえするだろう。
自身と同じく腰ほどまである長い髪は高い位置で結い上げ、動く度に揺れるさまはどこか無邪気さを感じさせる。
もっとも昨年三十を超えたばかりのため、本人に無邪気さはほとんど無いと思うが。
「そうか。殿下はアルト様のところか」
廊下からエルがやってくる様子はなく、予想通りと言えるだろう。
「はい。まずは身奇麗にして陛下に報告を、と言ったのですが……一目散に王配殿下のお部屋へ向かわれました」
困ったものです、とレオンハルトがあまり感情を出さないまま続ける。
兄としてはこれでも十分分かりやすいのだが、他の者から見ると無表情らしかった。
確かにあまり笑みを見せないものの、よく観察しているとはっきりと感情の起伏がある。
幼い時分から共に手を取り合って生きてきたからかもしれないが、成長を間近で見ているライアンから言わせても『無表情』と言うのだから、間違ってはいないのかもしれない。
「……間に合っていればいいが」
ミハルドは未だ何も知らずに『準備』をしているであろう、アルトに向けて祈る。
アルトの帰城は昨日の夕方で、エルは最低でもあと一週間は不在だと聞かされていたのだ。
あれでも余裕を持って帰ったらしいが、深夜になってノアが顔を見せた。
『殿下をあっと驚かせてやるんだ、と意気込んでおられました』
詳細について聞くのは野暮だと思ったため、アルトがどんなサプライズを計画しているのかは知らない。
ただ、唐突に戻ってきたエルを無事に出迎えていると思いたかった。
「本当にあの方は、っ……」
そこまで言い掛けると瞳の奥が痛み、あまりの痛さに身体が傾ぐ。
「兄さん!」
慌てたレオンハルトの声が聞こえたかと思えば、ぐいと力強い腕に支えられた。
「どうなさったのです、突然。……もしや体調が優れないのですか」
身体を支えてくれただけでなく、肩を貸そうとしてくる実弟に苦笑し、ミハルドは安心させるようにレオンハルトの胸を押した。
「大丈夫だ。それより、今のうちにお前だけでも身体を洗ってきたらどうだ。きっと報告は夜になるだろう」
それでも心配なのか、半ば無理矢理レオンハルトの肩に腕を回される。
過保護さは王宮の中では一番であろう弟に、格好悪い姿を見せてしまって申し訳なくなった。
「……すまない」
ミハルドはぽつりと力なく謝罪する。
実際、自分で思っていたよりも身体はとうに限界なようで、それ以前に一度感覚が狂ってしまったからか目眩までしてくる。
「……こんな俺が言えたことじゃないが、少しは休んだ方がいい。殿下のことだから、多少眠っても咎めない──」
「本当ですよ」
ミハルドが最後まで言い終わる前に、レオンハルトが一切の呆れを隠さず溜め息を吐く。
そしてこちらをきっと睨み付け、冷静な口調で続けた。
「陛下と何かあったのでしょう。貴方が無理をされる時は、陛下か王家に関係する事ばかりですから」
「っ、それ……は」
図星を突かれ、ミハルドはかすかに瞳を開く。
確かにライアン絡みの気苦労が絶えず、特に今の時期はごたごたとしていて憂鬱な日も少なくない。
しかし本当に悩んでいるのは自分が他の者と結婚する、ということなのだ。
顔を見るまでは聞いてほしくて堪らなかったのに、レオンハルトに言ったものか悩んでしまう。
この弟のことだから、ライアンに直談判しに行くだろう。
いつからかライアンの気持ちを自覚し、それとなく二人きりにさせてくれたり、言外に突っ込む時もあった。
その時はありがたいと思っていたが、今の心情のまま二人にされると困る。
「……合っておられるのですね」
段々と驚きで大きく目を開いたミハルドに、レオンハルトは緩く唇を歪ませた。
その表情は、内心では不毛な恋だと思っているに違いなくて、それでも口に出さないでくれることをありがたく思う。
「何を弱気になっているんです、貴方らしくもない」
幼い頃から兄の目を見ているからか、レオンハルトは少しも動揺することなく見つめ返してきた。
間近で絡んだ視線は真剣で、このままでは自分の知らないところで倒れてしまうとでも思ったのだろうか。
「今からどこへ向かうつもりか知りませんが、せめてお休みになってください。休息を取ってからでも遅くはありません」
そこまで言い終わると、方向を転換させようとレオンハルトが腕に力を込める気配がする。
「……に」
「はい?」
あまりに小さい兄の声に、レオンハルトが訝しげな視線を寄越す。
その瞳を真横で受けながら、ミハルドはもう一度同じ言葉を口にした。
「この時間、陛下は庭園に居る。……部屋で休むと言わないと」
しかしその言葉が聞き入れられることなく、また溜め息を吐かれると、返答のないまま強制的に自室へ向かわされた。
「帰城の報告も兼ねて私が向かいますから、まずはお休みください。いいですね?」
半ば強引にベッドへ横たえさせられ、首元まで柔らかな毛布を掛けられる。
「いや、お前の手を煩わせる訳には……」
尚も言い募ろうとすると、見下ろしてきたレオンハルトの瞳がすっと細められた。
同時に部屋の中が冷気を帯び、寒さともつかない震えが背筋に走る。
「……いいですね?」
レオンハルトは同じ言葉を繰り返し、にっこりと笑みを浮かべた。
◆◆◆
窓の外にはしんしんと雪が降り、時折冷たい風が吹いている。
王宮主催のパーティーは、程度にもよるが爵位が高くなるにつれて招待客が多い。
あくまで披露の場を貸しているだけに過ぎないが、公爵家の当主や主役である次男は広い交友関係があるらしかった。
優に百人以上の老若男女が一堂に会して、思い思いに談笑していた。
その中にはアルトの姿もあり、現当主となった弟のウィリアムの姿もある。
ウィリアムの隣りには可愛らしい令嬢が腕を絡めており、結婚したという事が容易に伺えた。
「──ご歓談の中ではありますが、我が次男の婚約披露を始めさせて頂きたいと思います」
ミハルドがすべての招待客の取り次ぎと、王宮内外の警備や飲食の不備はないか確認を終えた頃になると、主催者の次男と令嬢が婚約指輪を交換しているところだった。
(良かった、無事に終わりそうで)
心の底からほっとしたと同時に、自分もひと息つきたくなる。
特に今回はライアンと自分の結婚と、周囲への気配りと考えることが多過ぎたため、普段よりも疲れが溜まっていた。
(甘いものが欲しい)
広間の隅にあるワゴンにはワインや軽食があるが、おおかたのものが無くなっており、新たに補充しなければと頭の片隅で思う。
けれど甘いものはアルトが結構な数を食べるため、エルが前もって大量に作らせたと言うから、余分だと思うほど余っていた。
ミハルドは季節の果物をふんだんに使ったムースと、紅茶の香りが漂うスコーンを数個、生クリームがたっぷりと乗ったケーキを貰った。
「──これはシュヴァルツ公爵」
国王の側近であるとはいえ、自分の立場は半分ほど使用人には変わりない。
広間の隅で食べようとしていると背後から声を掛けられ、ミハルドは慌ててそちらを振り返った。
「っ、貴方は……」
やや行儀悪くムースを持ち上げたまま、ミハルドは軽く眉を跳ねさせる。
かっちりとした黒のウエストコートには、胸元に主催者の証である赤い薔薇をかたどったブローチが留めてある。
白い髭をたくわえた口元は、にこにこと人好きのする笑みを浮かべていた。
「……ご無沙汰しております、アルベル卿」
ミハルドは老紳士に向け、ぺこりと頭を下げた。
甘いものを食べようとしていた思考が、瞬時に王の従者としての口調に切り替わる。
「その呼び方は堅苦しいな。名前で呼んでくれても構わないんだぞ?」
ははは、とミハルドの肩を叩き快活に笑う。
「……ご冗談を」
ふふ、とミハルドも当たり障りない程度に笑みを浮かべる。
アルベル卿──ノーヴィン・アルベルは、王宮の中でも特に力を持っている公爵位を有する男だ。
時として国王にも意見し、王宮所属の騎士団をも従わせる剣の使い手でもあった。
ただし、珍しくミハルドのことを『シュヴァルツ公爵』と頑なに敬称を付けて呼ぶ。
その呼び方には慣れたものだが、時々自分が公爵であると嫌でも自覚させられている気がして、ノーヴィンと話す時は緊張してしまう時があった。
(ノーヴィン様、なんて呼べる訳がないだろう。何を言っているんだ、この方は……!)
そう言ってしまいたいのを、頬の内側を噛んで耐える。
こちらは今すぐにでも甘味を味わいたくて、なのにお預けを食らっているも同然なのだ。
「こういう場ですから、見識を広めることも一興かと。あちらで学者の方が歓談されていますが、公爵のご友人でしょうか?」
丁度ミハルドの視線の先には五、六人ほどの男女が楽しそうにお喋りに花を咲かせていた。
事前に確認した招待客リストには貴族だけでなく学者も数多くおり、一人くらいならば博識な者が居るだろう。
何を話しているのかは分からないが、そこに混ざってきてはどうか──と言外に含ませる。
「ああ、あの中には友人が居るんだ。あとで仲間に入れてもらおう」
(今じゃないのか……!?)
ひくりと頬が引き攣りそうになりながら、ミハルドは無意識にスイーツを持つ手に力を込める。
このままでは粉砕してしまいそうな勢いで、なんとか平静を取り戻そうと身体に力を込めた。
「それよりもどうですか、うちの末娘は」
「……はい?」
ノーヴィンの意図していることが分からず、ミハルドが軽く尋ね返す。
「おや、まだ顔を合わせておられないとは。──丁度いい、アイリス」
ノーヴィンはきょろきょろと視線を動かし、目的の人物を見つけると穏やかな声で呼び寄せる。
その声に気付いたのか、柔らかな金髪を耳の後ろで束ねた女性がすぐさまこちらにやってきた。
「お初にお目に掛かります、ミハルド・シュヴァルツ公爵。アイリス・アルベルと申します」
控えめなレースに淡い紫のドレスを纏ったその人は、ミハルドを見つけると腰を折って淑女の礼をする。
ゆっくりと顔を上げたアイリスは、照れ臭そうに微笑んだ。
庭園に続く廊下を歩いている時、自分とよく似た銀髪の青年が向こう側からこちらにやってくるのが見えた。
「兄さん」
相手もミハルドに気付いたのか青年──レオンハルトが、やや駆け足でやってくる。
少し衣服が薄汚れているが、遠目からでもレオンハルトが戻ってきたと分かり、心の底から安堵する。
己の切実な願いが届いたと思いこそすれ、予定よりもずっと早く帰城しただけだろう。
最低でも戻るには二週間ほど掛かるかと思っていて、本来ならば一週間は滞在する予定だったのだ。
それが一週間で戻ってきてしまい、この分では隣国の滞在は数日ほどなのだろう。
せっかくライアンの代理で行ったというのに、失礼になっていないか心配になる。
昔から親交があると言っても隣国のグランテーレ王国は戦火が収まって久しく、まだ山間部や郊外の復興が満足に進んでいない地域もある。
王国へ援助をすると言ったのは他でもないライアンで、けれど最後に隣国へ足を踏み入れたのは十年も前だ。
以降はミハルドが定期的に出向き、両国の橋渡し役になっている。
「今戻ったのか」
ミハルドはレオンハルトに向け、労るように笑みを浮かべた。
「はい、殿下が早く王配殿下に会いたいと言うので。これでも粘った方なのですが……」
やや眉間に皺を寄せ、はぁと溜め息を吐く。
レオンハルトの心情を思えば気苦労が絶えないと同情する反面、エルの自由さには時々呆れてしまう。
愛する者に会いたいというのは悪いことではないが、成すべきことを疎かにしては本末転倒だ。
(殿下のことだから上手くやったのだろうが……それにしても)
ミハルドはじっとレオンハルトを見つめた。
己よりも鮮やかな赤い瞳は、日の光を浴びて輝いている。
けれどミハルドに比べればまだ可愛らしいもので、宝石のような輝きを美しいと思いさえするだろう。
自身と同じく腰ほどまである長い髪は高い位置で結い上げ、動く度に揺れるさまはどこか無邪気さを感じさせる。
もっとも昨年三十を超えたばかりのため、本人に無邪気さはほとんど無いと思うが。
「そうか。殿下はアルト様のところか」
廊下からエルがやってくる様子はなく、予想通りと言えるだろう。
「はい。まずは身奇麗にして陛下に報告を、と言ったのですが……一目散に王配殿下のお部屋へ向かわれました」
困ったものです、とレオンハルトがあまり感情を出さないまま続ける。
兄としてはこれでも十分分かりやすいのだが、他の者から見ると無表情らしかった。
確かにあまり笑みを見せないものの、よく観察しているとはっきりと感情の起伏がある。
幼い時分から共に手を取り合って生きてきたからかもしれないが、成長を間近で見ているライアンから言わせても『無表情』と言うのだから、間違ってはいないのかもしれない。
「……間に合っていればいいが」
ミハルドは未だ何も知らずに『準備』をしているであろう、アルトに向けて祈る。
アルトの帰城は昨日の夕方で、エルは最低でもあと一週間は不在だと聞かされていたのだ。
あれでも余裕を持って帰ったらしいが、深夜になってノアが顔を見せた。
『殿下をあっと驚かせてやるんだ、と意気込んでおられました』
詳細について聞くのは野暮だと思ったため、アルトがどんなサプライズを計画しているのかは知らない。
ただ、唐突に戻ってきたエルを無事に出迎えていると思いたかった。
「本当にあの方は、っ……」
そこまで言い掛けると瞳の奥が痛み、あまりの痛さに身体が傾ぐ。
「兄さん!」
慌てたレオンハルトの声が聞こえたかと思えば、ぐいと力強い腕に支えられた。
「どうなさったのです、突然。……もしや体調が優れないのですか」
身体を支えてくれただけでなく、肩を貸そうとしてくる実弟に苦笑し、ミハルドは安心させるようにレオンハルトの胸を押した。
「大丈夫だ。それより、今のうちにお前だけでも身体を洗ってきたらどうだ。きっと報告は夜になるだろう」
それでも心配なのか、半ば無理矢理レオンハルトの肩に腕を回される。
過保護さは王宮の中では一番であろう弟に、格好悪い姿を見せてしまって申し訳なくなった。
「……すまない」
ミハルドはぽつりと力なく謝罪する。
実際、自分で思っていたよりも身体はとうに限界なようで、それ以前に一度感覚が狂ってしまったからか目眩までしてくる。
「……こんな俺が言えたことじゃないが、少しは休んだ方がいい。殿下のことだから、多少眠っても咎めない──」
「本当ですよ」
ミハルドが最後まで言い終わる前に、レオンハルトが一切の呆れを隠さず溜め息を吐く。
そしてこちらをきっと睨み付け、冷静な口調で続けた。
「陛下と何かあったのでしょう。貴方が無理をされる時は、陛下か王家に関係する事ばかりですから」
「っ、それ……は」
図星を突かれ、ミハルドはかすかに瞳を開く。
確かにライアン絡みの気苦労が絶えず、特に今の時期はごたごたとしていて憂鬱な日も少なくない。
しかし本当に悩んでいるのは自分が他の者と結婚する、ということなのだ。
顔を見るまでは聞いてほしくて堪らなかったのに、レオンハルトに言ったものか悩んでしまう。
この弟のことだから、ライアンに直談判しに行くだろう。
いつからかライアンの気持ちを自覚し、それとなく二人きりにさせてくれたり、言外に突っ込む時もあった。
その時はありがたいと思っていたが、今の心情のまま二人にされると困る。
「……合っておられるのですね」
段々と驚きで大きく目を開いたミハルドに、レオンハルトは緩く唇を歪ませた。
その表情は、内心では不毛な恋だと思っているに違いなくて、それでも口に出さないでくれることをありがたく思う。
「何を弱気になっているんです、貴方らしくもない」
幼い頃から兄の目を見ているからか、レオンハルトは少しも動揺することなく見つめ返してきた。
間近で絡んだ視線は真剣で、このままでは自分の知らないところで倒れてしまうとでも思ったのだろうか。
「今からどこへ向かうつもりか知りませんが、せめてお休みになってください。休息を取ってからでも遅くはありません」
そこまで言い終わると、方向を転換させようとレオンハルトが腕に力を込める気配がする。
「……に」
「はい?」
あまりに小さい兄の声に、レオンハルトが訝しげな視線を寄越す。
その瞳を真横で受けながら、ミハルドはもう一度同じ言葉を口にした。
「この時間、陛下は庭園に居る。……部屋で休むと言わないと」
しかしその言葉が聞き入れられることなく、また溜め息を吐かれると、返答のないまま強制的に自室へ向かわされた。
「帰城の報告も兼ねて私が向かいますから、まずはお休みください。いいですね?」
半ば強引にベッドへ横たえさせられ、首元まで柔らかな毛布を掛けられる。
「いや、お前の手を煩わせる訳には……」
尚も言い募ろうとすると、見下ろしてきたレオンハルトの瞳がすっと細められた。
同時に部屋の中が冷気を帯び、寒さともつかない震えが背筋に走る。
「……いいですね?」
レオンハルトは同じ言葉を繰り返し、にっこりと笑みを浮かべた。
◆◆◆
窓の外にはしんしんと雪が降り、時折冷たい風が吹いている。
王宮主催のパーティーは、程度にもよるが爵位が高くなるにつれて招待客が多い。
あくまで披露の場を貸しているだけに過ぎないが、公爵家の当主や主役である次男は広い交友関係があるらしかった。
優に百人以上の老若男女が一堂に会して、思い思いに談笑していた。
その中にはアルトの姿もあり、現当主となった弟のウィリアムの姿もある。
ウィリアムの隣りには可愛らしい令嬢が腕を絡めており、結婚したという事が容易に伺えた。
「──ご歓談の中ではありますが、我が次男の婚約披露を始めさせて頂きたいと思います」
ミハルドがすべての招待客の取り次ぎと、王宮内外の警備や飲食の不備はないか確認を終えた頃になると、主催者の次男と令嬢が婚約指輪を交換しているところだった。
(良かった、無事に終わりそうで)
心の底からほっとしたと同時に、自分もひと息つきたくなる。
特に今回はライアンと自分の結婚と、周囲への気配りと考えることが多過ぎたため、普段よりも疲れが溜まっていた。
(甘いものが欲しい)
広間の隅にあるワゴンにはワインや軽食があるが、おおかたのものが無くなっており、新たに補充しなければと頭の片隅で思う。
けれど甘いものはアルトが結構な数を食べるため、エルが前もって大量に作らせたと言うから、余分だと思うほど余っていた。
ミハルドは季節の果物をふんだんに使ったムースと、紅茶の香りが漂うスコーンを数個、生クリームがたっぷりと乗ったケーキを貰った。
「──これはシュヴァルツ公爵」
国王の側近であるとはいえ、自分の立場は半分ほど使用人には変わりない。
広間の隅で食べようとしていると背後から声を掛けられ、ミハルドは慌ててそちらを振り返った。
「っ、貴方は……」
やや行儀悪くムースを持ち上げたまま、ミハルドは軽く眉を跳ねさせる。
かっちりとした黒のウエストコートには、胸元に主催者の証である赤い薔薇をかたどったブローチが留めてある。
白い髭をたくわえた口元は、にこにこと人好きのする笑みを浮かべていた。
「……ご無沙汰しております、アルベル卿」
ミハルドは老紳士に向け、ぺこりと頭を下げた。
甘いものを食べようとしていた思考が、瞬時に王の従者としての口調に切り替わる。
「その呼び方は堅苦しいな。名前で呼んでくれても構わないんだぞ?」
ははは、とミハルドの肩を叩き快活に笑う。
「……ご冗談を」
ふふ、とミハルドも当たり障りない程度に笑みを浮かべる。
アルベル卿──ノーヴィン・アルベルは、王宮の中でも特に力を持っている公爵位を有する男だ。
時として国王にも意見し、王宮所属の騎士団をも従わせる剣の使い手でもあった。
ただし、珍しくミハルドのことを『シュヴァルツ公爵』と頑なに敬称を付けて呼ぶ。
その呼び方には慣れたものだが、時々自分が公爵であると嫌でも自覚させられている気がして、ノーヴィンと話す時は緊張してしまう時があった。
(ノーヴィン様、なんて呼べる訳がないだろう。何を言っているんだ、この方は……!)
そう言ってしまいたいのを、頬の内側を噛んで耐える。
こちらは今すぐにでも甘味を味わいたくて、なのにお預けを食らっているも同然なのだ。
「こういう場ですから、見識を広めることも一興かと。あちらで学者の方が歓談されていますが、公爵のご友人でしょうか?」
丁度ミハルドの視線の先には五、六人ほどの男女が楽しそうにお喋りに花を咲かせていた。
事前に確認した招待客リストには貴族だけでなく学者も数多くおり、一人くらいならば博識な者が居るだろう。
何を話しているのかは分からないが、そこに混ざってきてはどうか──と言外に含ませる。
「ああ、あの中には友人が居るんだ。あとで仲間に入れてもらおう」
(今じゃないのか……!?)
ひくりと頬が引き攣りそうになりながら、ミハルドは無意識にスイーツを持つ手に力を込める。
このままでは粉砕してしまいそうな勢いで、なんとか平静を取り戻そうと身体に力を込めた。
「それよりもどうですか、うちの末娘は」
「……はい?」
ノーヴィンの意図していることが分からず、ミハルドが軽く尋ね返す。
「おや、まだ顔を合わせておられないとは。──丁度いい、アイリス」
ノーヴィンはきょろきょろと視線を動かし、目的の人物を見つけると穏やかな声で呼び寄せる。
その声に気付いたのか、柔らかな金髪を耳の後ろで束ねた女性がすぐさまこちらにやってきた。
「お初にお目に掛かります、ミハルド・シュヴァルツ公爵。アイリス・アルベルと申します」
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