その麗人、拗らせ系受けにつき。

月城雪華

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四章

もう二度と 1

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「は、い……?」

 思いもよらなかったライアンの言葉に、ここが大勢の人がひしめく広間ということも忘れて軽く目を瞠った。

 しかし幸いにもこちらを見るような視線や気配はなく、ライアンが咎めるような素振りもない。

「それは、どういう……?」

 ミハルドは信じられない気持ちのまま、小さく問い掛ける。

「言葉通りだ」

 短い返答が続き、やがてライアンがゆっくりと一歩踏み出した。

 ミハルドの目線を合わせるように軽く片膝を突くと、形のいい唇が動く。

「本当なら改めて正式な場を設けて、紹介するつもりだったんだ。……でもその様子だと仲良くなったみたいだな」

 安心したよ、とライアンがほっとしたように続ける。

 穏やかな声音に嘘はなく、心から言っているのだと分かる。

(正式……? 紹介って、何を言っているんだ)

 いよいよ耳がおかしくなってしまったのかと思った。

 同時にライアンが本気で言っているのを嫌でも感じてしまい、もう逃げられないのだと。

 現にアイリスの顔を知っていて、この分では己と顔を合わせる前に多少話しているのだろう。

 今でこそ酔いが回って眠っているが、もしも素面しらふであればライアンの口から互いの紹介をされるに違いない。

 深く青い瞳は澄んでいて、嫌になるほど美しかった。

 幼い頃からずっと見てきたそれは、年齢を重ねても尚輝いている。

 だからか、その瞳に映る自分が信じられない。

 どす黒い血に似た瞳を隠すことなく、まっすぐにライアンを見つめていることなど。

 今にも涙が零れそうで、年甲斐もなく懸命に堪えていることなど。

 もしも目の前に居る男に恋愛感情を抱いていなければ、喜んで『先に挨拶を済ませました』とでも言うだろう。

 もしくは『正式な場を設けてくれずとも大丈夫です』と、真っ先に言うかもしれない。

 なのに唇は糸で縫い付けられてしまったかのように少しも動かず、ただただ黙っているしかできない。

 ライアンの様子はアイリスとの結婚を了承しているも同義で、だから尚の事理解できず悲しかった。

(違う、俺が先に言ったんだ)

 ── 先日の結婚の件、私のようなもので良ければ喜んでお受けさせて頂きます。

 無意識にライアンに口付けてしまった時、感情の流れるままにそう言った。

 自身が放った言葉を忘れた訳ではないが、それほど本気なのだとは思っていなかった。

 否、思いたくなかったという方が正しい。

 あの日、不意打ちで口付けた意味も、ここ最近よそよそしかった態度も、ライアンには終ぞ響いていなかったのだ。

 それに気付かないふりをして、顔も見ないようにして、意図的に目を逸らそうとしたが、現実はミハルドが思っていたよりも甘くないらしかった。

(分かっていて、知らないふりをしたのは俺だ)

 己のしでかした事を改めて自覚してしまうと、突発的にこの場から逃げたい衝動に駆られる。

 しかし目の前にはライアンがおり、未だにアイリスが起きる気配はない。

 加えてライアンのことだから、きっと『アイリス嬢を休ませてやれ』と言って広間の隣りにある部屋に通そうとするだろう。

 そこは招待客の休憩場所にもなっていて、ソファはもちろんベッドも完備している。

 このままアイリスが起きないという保証はなく、なにより柔らかそうな身体に触れたくなかった。

 昨今、貴族や庶民の間で狼藉ろうぜきを働く者がおり、中には裁判に発展したものまであると聞く。

 もちろんアイリスのことだから勘違いなどないと思うが、そんなものは言い訳だ。

 自分が触れたくて堪らないのはこの世に一人だけで、その人は目の前に居るのだ。

「……すみません」

 何に対しての謝罪なのか自分でも分からず、しかしライアンは不思議そうに目を丸くしたものの、それ以上は尋ねてこなかった。

「少し酔ってしまったので、退室しようかと」

 そう言うと、ミハルドはちらりと周囲に素早く視線を走らせる。

 給仕している使用人は近くにはおらず、他に手の空いている者もいそうにない。

 このまま自分だけが退室して、アイリスを一人にすると不自然になる。

 かといって、己の手で広間から隣りの部屋まで抱きかかえる気にはとてもなれず、ミハルドは懸命に頭を働かせた。

「──あれ、ミハルドさん?」

「っ」

 不意に柔らかく落ち着いた声が聞こえ、ミハルドは小さく息を呑む。

 声のした方を見ると、金髪の青年がきょとんとした表情のままこちらにやってくるのが見えた。

「陛下も……それに、その人は」

 青年──アルトはライアンを見つめ、ミハルドの肩に凭れているアイリスを見る。

「どうしたんだ。何か足りないものでもあったのかい」

 ミハルドが何も言えずにいると、それまでこちらをじっと見上げていたライアンが立ち上がり、アルトに向き直った。

 無意識に息を詰めていたのか、自身を見つめる瞳がなくなったことで少し呼吸が楽になる。

 けれど次はわずかに早い心臓の動きを嫌でも感じ、アイリスが起きやしないかということに意識が向けられた。

「や、食事も甘いものも十分あります。エルが陛下を呼んでました。というかレオンさんが陛下に怒ってるから、かな」

 はは、とアルトは頬を掻きつつ苦笑する。

 アルトは片手にグラスを持っており、中身はシャンパンのようだ。

 度数はそれほど高くないが、何杯か飲んだのかシャンデリアの下でも分かるほど頬がかすかに赤くなっている。

「……ばれるのが早いな」

 アルトの言葉にライアンが珍しく眉間に皺を寄せ、小さく呟いた。

「何をしたんですか」

 レオンハルトが怒る姿はあまり見た事がないのか、アルトが疑問符を浮かべたまま尋ねる。

「なに、君が心配することはない。ただ……気付かないうちに少し酒を飲み過ぎてしまったようでな。テーブルの下に空いた瓶を隠したんだ」

「十分心配しますけど!?」

 間髪入れずにアルトが悲鳴じみた声を上げる。

「酒は怖いんですよ、病気になって最悪死にますから」

「っ……!」

 図らずも耳に届いたアルトの言葉に、反射的に肩が揺れる。

「う、ん……」

 その拍子にアイリスがむにゃりと唇を動かし、しかしまだ起きる気配はない。

(どっちを心配したらいいんだ……!?)

 まさか自分が傍にいない間に酒を飲み過ぎているとは思わず、レオンハルトと一緒になっていさめたい気持ちになる。

 本来ならば側近である自分こそが真っ先に気付くべきで、しかしノーヴィンに呼び止められたのは迂闊うかつだったかもしれない。

 けれど今はアイリスが起きるか起きまいか、そちらにばかり意識が向けられているため、アルトとライアンの会話は断片的にしか分からなかった。

 ただ、周囲に居た人間も気付かないうちに、複数の使用人がライアンに給仕をし過ぎたようだ。

 後でくだんの使用人を呼び寄せ、厳重注意を言い渡そうと心に留める。

 しかし本人も飲み過ぎた事を自覚しているらしく、あまり責められなかった。

「……そうか、君もレオンハルトの味方か」

 何本飲んだかな、とライアンが明後日の方を向いてごく小さな声で言う。

「あの、早くレオンさんに謝った方がいいと思います。俺が呼んでくるって言って、エルが止めてくれてるんで」

 ね、とアルトが申し訳なさそうに微笑む。

 本音は年下に怒られるライアンが可哀想で、自分も味方をしたいと見受けられた。

 ただ、アルトも飲み過ぎているのかライアンまでとはいかないながらも、ところどころ呂律が怪しい部分がある。

 危ないと思ったらエルが退室させるだろうが、まだしばらくはパーティーがお開きになる気配はない。

「……分かった」

 やがてライアンが弱りきったように溜め息を吐く。

 どうやらレオンハルトの元へ向かうようだった。

「──ミハルド」

「っはい!」

 しかし背中越しにライアンから名を呼ばれるとは思わず、つい裏返った声が出る。

 よくよく聞けば不自然な返答だったにも関わらず、ライアンは唇をつぐんだ。

 普段ならば『何を緊張しているんだ』と笑い飛ばし、場合によっては肩を叩いてくるのだ。

 互いに昔から知っている身で、またライアンも自身のことを信頼してくれているのだと思う。

 けれど笑い声一つなく、逆にどこか不穏な気配を感じてミハルドはじっとライアンの背中を見つめる。

(ライアン様……?)

 今になって体調が悪くなったのか、と思ったがアイリスが居るため立ち上がって支える事もできない。

(早く彼女から離れるか、誰かを呼んだ方が良かったな)

 何もかもの行動が遅い自分に対して苛立ちを覚えていると、ライアンの低く落ち着いた声が響く。

「すべてが終わったら私の部屋に来なさい。……いいな?」

 すべて、とはアイリスを休ませることも入っているだろう。

 そうでなくとも王宮側がお披露目の場を設けている手前、側近として使用人の統括や事後処理に追われる事は必至だ。

 多少手伝う程度だが、あらゆる事が終わるのは早くとも日付けが変わった頃になるだろう。

「は、はい。承知、致しました」

 震えそうになるのを懸命に押し殺し、喉から声を絞り出す。

「アルト。すまないがレオンハルトの元まで案内してくれるかい」

「わかりましたぁ」

 アルトは先程よりもややふわふわとした口調ながら、ライアンを先導するようにして遠ざかっていく。

「じゃあまたな、ミハルドさん」

 すると今思い出したとでもいうように、アルトがこちらに向けてひらりと手を振った。

「……お気をつけて」

 ミハルドも控えめながら手を振り返す。

 やがて周囲に人がいなくなったのを見計らって、アイリスの頭をそっとソファの背凭れに凭せかけた。

(すみません、アイリス様)

 ここまで起きなかったのは幸いだが、早いところ他の者を呼ばなければいけない。

 どれほど考えても、自分にアイリスを抱き上げるなど無理なのだ。

 頭や身体の一部に触れるのはよくても、それ以上密着するのは到底できなかった。

「……と、どうするか」

 立ち上がり掛けて一瞬その場で固まる。

 ノーヴィンに呼び止められる前にスイーツを取り分けたが、あまり手を付けないまま手に持っているのだ。

 正直なところアイリスと二人になった時から食欲は消え失せており、今は喉を通りそうにない。

 このまま残すわけにもいかず、かといってせっかく取り分けたのに捨てるのは忍びなかった。

(後で食べよう)

 広間をくまなく探し、あらかた給仕を終えたらしい使用人にアイリスを別室へ連れていくよう任せ、スイーツの載った皿を持って厨房へ向かう。

 少しの間冷やしておいてもらい、改めて広間へ向かっていると、ふらふらと廊下を歩く男に気付く。

 その人は足下が覚束おぼつかず、今にも転びそうだった。

 よっぽど酒を飲んだようで、倒れ掛けたところを慌てて支える。

「大丈夫ですか」

「……は」

「はい?」

 酒気を帯びた吐息を耳元に感じながら、ミハルドは小さく尋ね返す。

「ウェルスタの、せがれ……か」

 その言葉を聞いた瞬間、ぞわりと背筋に怖気が走った。
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