その麗人、拗らせ系受けにつき。

月城雪華

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一章

美しい人 2

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 ◆◆◆




「っ!」

 ザバァ、と温かい湯がミハルドの身体を濡らしていく。

 次に来る衝撃に備えるように、反射的に身体を硬くさせた。

「──よし、次は頭だな」

 しかし降ってきたのは優しい声とやや濡れた頭を撫でてくる大きな手で、ミハルドは次第に睡魔のただ中を揺蕩たゆたっていく。

(きれいなのは、からだをあらってもらった……から)

 ミハルドは猫脚の浴槽の中で膝を抱え、小さくなった。

 ぽかぽかと温かい室温は睡魔を呼び寄せるには十分で、なのにすぐには眠れない。

 警戒していないと言えば嘘になるが、ここまでしてくれる青年は聖人君子だと思う。

 建物に入るとまっすぐに浴室に連れられ、用意してあった浴槽の湯をすくうと始めにレオンハルトを洗ってくれた。

 青年自ら腕捲りをして、幼い弟を洗ってくれたのは有難い。

 その間、レオンハルトは一度も起きることなく細い呼吸を繰り返していたが、今では少し安定したようだ。

 その事実が何よりも嬉しく、しかしレオンハルトが終わればミハルドの番だった。

 幼いうちは親にだけ許されたであろう裸体を、青年の前で晒している。

 どれだけ貧相であっても羞恥心は募り、目線をどこへ向ければいいのか分からなかった。

 しかし青年は気にせずミハルドの身体を泡立てたスポンジで洗ってくれ、今は汚れた髪を洗ってくれている最中だ。

 湯の温度か青年の体温か分からないが、じんわりと広がる温かさが眠くならなかったといえば嘘になる。

(終わったら……どうするんだろう)

 このまま一日置いてくれるのか、それともほんの少し居てもいいのか青年に問い掛けねばならない。

 けれどミハルドの意思に反して唇は動かず、緩やかな睡魔に身体をゆだねさせた。

 ぼんやりとした思考の中、思い出すのはつい数十分前の事だ。

 その時はまだ自身だけでなく、レオンハルトからも耐え難い悪臭を放っていた。

 外で青年とすれ違う者は、遠巻きにこちらを見るか即座に目を逸らすかしていたのだ。

『またか』

『あれで次期国王が務まるのか』

『お顔はいいのに……変わっているわよね』

 聞こえてくる声はミハルドとレオンハルトを抱えてくれていた男に向けられるもので、そのどれもが憐憫れんびんや嫌悪で満ちていた。

 なのに青年は何食わぬ顔でミハルドに『大丈夫だ』『もうすぐ着くから』と何度も声を掛けてくれ、時折こちらを見て微笑んでくれた。

 向けられた笑みは母と同じくらい優しげで、ともすれば儚い印象を抱いたほどだ。

 自分に向けられる悪意を感じていない訳ではないだろうに、ミハルドのような『目に見えて異質な容姿』の子供を抱いていること自体、普通ならば嫌なはずだ。

 あまり目を開いていないため己の瞳の色は見えていないはずだが、長い髪は薄汚れていても隠しきれない輝きがあった。

 レオンハルトはまだ毛量が少ないため目立たないが、それでも起きている時は鮮やかな赤眼が姿を現す。

 自分までとはいかないながらも、きっとこの先レオンハルトがが生きていく上で苦労するだろう事は明白だ。

 それでも青年は己に向けられる視線や声をなんら気にしたふうなく、ただただミハルドと細い呼吸を繰り返す赤子を、レオンハルトを気遣ってくれた。

 先程より呼吸は頼りないながらも、ミハルドにとってたった一人の弟を生かしてくれる事実が嬉しくて申し訳なく思う。

『必ず君と赤ん坊を助ける。だからもう少しだけ頑張ってくれ』

 ぽつりと独り言のように紡がれた言葉はミハルドに向けられたというよりも、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。

 それでも青年が嘘を言っていないと分かったのはすぐで、ほどなくして黒光りした門を挟んで大きく煌びやかな建物が姿を現した。

 遠目から見ても生家よりずっと広大な敷地があると分かり、幼心ながら神々しさを感じる。

 門の前には屈強な男が何人も立っており、青年の姿を見つけると全員が大仰な所作で顔の前に手をやった。

『お帰りなさいませ!』

『いちいち声が大きい。一人くらい子供を抱いているのが見えないのか。……衛兵が聞いて呆れるな』

 ミハルドやレオンハルトを刺激しないようにか小さな声で言ったが、青年は軽蔑を隠すことなく吐き捨てる。

 まるで存在そのものがいとわしいとでもいうかのようで、しかしミハルドが自身を見ているのに気付くと淡く微笑んだ。

『寒いだろう。すぐに湯を用意させるから』

 男らに向けられた低く冷たい声音はなりをひそめ、どこまでも優しく愛おしげな声で青年が言った。

 衛兵の一人の合図でおごそかな音を立てて門が開き、やがて青年が足を踏み出した。

 生家にはない大きく黒光りした門を潜ると、ミハルドがどれほど背伸びしても届かなそうな建物が姿を現す。

 同時に甘い花の香りが漂い、建物に近付く度に匂いが強くなった。

 色とりどりの鮮やかな花が植えられた花壇やアーチが目に入り、その中でも一際目立つのが赤い薔薇だ。

 自身の瞳の色というよりも、レオンハルトのそれに似ているな、と頭の片隅で思う。

(お花、母様が好きだったな)

 母の部屋にはもちろん、ミハルドとレオンハルトに与えられた子供部屋にも花があった。

 そのどれもが小さくて可愛らしい花をつけ、いつしかミハルドも花が好きになっていた事を思い出す。

 時折父の目を盗んで市場に向かい、ミハルドが選んだ花を飾ろう、と楽しそうに話してくれた。

『お父様には内緒よ。これは母様とミハルドだけの秘密』

 父は母の選ぶ花が好きだと知っていたから、よもや息子が選んだとは少しも考えなかったのだろう。

『……綺麗だな』

 そう呟いていた、とこっそりと母から伝えられた時は天にも昇る心地だった。

 奇異な容姿をしている自分が、唯一父から褒められた気がして嬉しかったのだ。

 いつしか父が不在の日は母と馬車に乗って、手を繋いで市場まで脚を伸ばすのがミハルドのひそかな楽しみになっていた。

 花だけに留まらず、雑貨や皿といった普段使い出来るものを母は選ばせてくれた。

  街へ行く時母は侍女を付けなかったため、誰にも邪魔されない時間はそれが唯一といってもよかったが、今となってはもうできないのだ。

 母の優しくて儚い笑顔が、柔らかく温かな手の平の感触が、浮かんでは消える。

 二度と生家へ戻ってはいけないと分かっていても尚、やはり離れ離れになってしまった事実が寂しくて堪らなかった。

『っ……う、っ』

 ミハルドは青年に気付かれないよう、血が滲むほど唇を強く噛み締めて耐える。

 それでも涙腺は意志に反して壊れてしまいそうで、青年が前を向いているのを幸いに、腕の中で細い息を繰り返しているレオンハルトを起こさない程度に抱き締めた。

 今となっては弟だけが生きるよすがで、なのに今にも消えそうな命の灯火を『助ける』と言ってくれた青年の優しさが嬉しくて、どうしたらいいのか感情がぐちゃぐちゃだ。

『ん……?』

 すると青年が立ち止まり、小さく小首を傾げた。

 それと同時に、建物の中から初老の男が足早にやってくるのが見える。

 青年の姿を捉えると文字通り仰天し、しわがれた声で言った。

『護衛よりもお帰りが遅いため、今の今まで心配していたというのに。どこで見つけたのですか、その小汚い子供らは……!』

 青年の腕に抱えられたミハルドを汚物を見るような瞳で見たあと、ふいと視線を逸らす。

『ああ気持ちが悪い。あの目、あの顔、すべてを見透かされているような……』

 男は顔を覆い、しかしミハルドを視界にも入れたくない様子で尚も続けた。

『貴方の性格は幼い頃から知っておりますが、如何いかんせん度が過ぎます。ご自分でも理解しているはずで』

『おい、声を落とせ。子供が起きるだろう。後でいくらでも小言は聞くし、気が済むまで殴ってもいい』

 ぶつぶつと何事かを呟く男に、護衛に投げ掛けたものよりも幾分か厳しい声音で青年が言い放つ。

『はっ、私が殿下に手を出すなど──』

『できない。お前が俺より位が高くない限りはな。……分かったら湯を張ってきてくれ』

 半ば遮るように男の言葉を引き継ぎ、青年が冷えた声で言った。

 やはりミハルドの容姿を気に留めないこの青年が特別で、それ以外は至って正常な反応なのだ。

 どんなに服が汚れていようと爛々と輝く赤い瞳が、たとえ幼子であっても恐怖を抱くと。

『あとは俺がやるから手出しはするなよ。その間に使用人を寄越したらどうなるか……この子の目の前で言わせる気か』

 ミハルドの背中に添えられている腕の力が、ほんのわずかに強くなる。

 痛みを感じるほどではないが、一瞬だけ青年の纏う雰囲気が鋭さを帯びた気がした。

(なんだろう)

 なぜなのか理由は分からなかったが、一つだけ理解出来たのは青年が嘘を言っていないということだけだ。

 ミハルドとレオンハルトを生かすつもりで、青年はここまで連れて来てくれたから。

 すぐ側で飛び交う言葉の意味はほとんど分からなかったが、幼心で理解出来たのはここまでだった。

『いい、え。……承知、致しました』

 男はぎりりと奥歯を噛み締め、腰までしっかりとお辞儀をして青年を見送る。

『──調子に乗るなよ、若造が』

 しかしすれ違いざまに青年に向けて吐き捨てたのが、ミハルドの耳にしっかりと届いた。

 己をさげすむ瞳や、侮蔑の言葉を向けられるのには慣れている。

 しかしレオンハルトを悪く言われるのは嫌で、青年が嫌悪を剥き出しにした感情に晒されるのは同じくらい嫌だと思った。

(……ここにいても、いいのかな)

 ミハルドはふっと閉じていた瞼を押し上げる。

 青年の口振りは、しばらくの間面倒を見てくれる者のそれだった。

 けれど奇異な容姿を持つ己がいれば、どんなに青年が『いい』と言ってもいつかは出ていかなければならない。

 それこそ父の息のかかった老女がしてきたように、当面食べるものに困らない金を握らされ、また路頭に迷うのも十分に有り得るだろう。

 その時は今すぐかもしれないし、まだ少し先かもしれない。

 もしそうなった時には働かなければならず、幼い子供というだけならばまだしも、異質な姿をした自分を雇う人間などそういないのは明白だ。

 そもそもレオンハルトがまだ幼いため、一人残していくなどできない。

 屋根がある場所を確保出来るのかも分からず、食べるものや着るもの、果てには心ない人間に目を付けられる場合もある。

 そうなってしまえば今度こそ生きられない可能性もあり、不安がミハルドの小さな心をさいなんでいく。

「──もう終わったから眠ってもいいんだぞ?」

「っ……!」

 汚れのなくなった丸い頬をそっと手の甲で撫でられ、ミハルドは反射的に肩を跳ねさせた。

 周囲には石鹸特有の匂いと、かすかな草木の香りが充満している。

 母以外から優しげに語り掛けられることも、頭や身体を洗ってもらうこともなくて、戸惑っているうちにすべて終わったらしい。

 青年の腕にはレオンハルトが抱かれ、どうやらミハルドが一人で悶々としている間に白く清潔なタオルに包んでくれたようだった。

 呼吸も先程に比べて安定しており、あとは栄養のある柔らかい食べ物をたくさん食べるだけだろう。

 そんなレオンハルトを見て心の底からほっとしたと同時に、青年の澄んだ瞳と視線が交わる。

「あ、えっ……と、あの」

 堪らずミハルドは顔を伏せた。

 思い出せば裸を見られ、それだけでなく美しい人に淡く微笑まれている状況なのだ。

「あとは服を着るだけだな」

 それでも青年は少しも気にした様子はなく、レオンハルトを包むものよりも大きなタオルで丁寧に身体や頭を拭いてくれた。

 わしわしとやや雑な手つきだったが、痛みや羞恥よりも優しさが嬉しくてミハルドは何度目とも分からない涙を一筋流した。
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