その麗人、拗らせ系受けにつき。

月城雪華

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二章

叶わぬ想い 1

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 ──名前はなんというんだい?

 幼いミハルドを刺激しないようにか、目の前の青年は小動物にするように目線を合わせて言ってきた。

 風呂場を出てから少しして、レオンハルトはたらふくミルクを飲んだため青年の腕の中で眠ってしまった。

 その後、レオンハルトを世話役に抜擢されたらしいメイドに任せた。

 ミハルドと青年だけで、客間らしき部屋のテーブルに向かい合わせに座ってからしばらく。

 男は柔和な笑みを浮かべてこちらの反応を見ていたものの、ミハルドが何も言わないのをどう思ったか、こちらの傍にやってきて同じ言葉をもう一度囁いた。

「俺はライアン。ライアン・リストニアという。……君の名前は?」

 その声は深く、はっきりとミハルドの耳に届く。

「っ」

 優しげな声音は青年の人となりを表しているかのようで、加えて間近で見上げられるとは思わず、反射的に瞳を開いてしまった。

(また、また嫌なことを言われる……!)

 己の瞳の色が奇異で不吉なのは、周囲の反応からよく分かっている。

 だから普段はほとんど目を開いておらず、閉じているも同然なのだ。

 慌てて瞼を下げようとするも、ややあって驚きに満ちた声が聞こえた。

「──綺麗だな」

「っ、え……?」

 他の人間達と同じように『気味が悪い』だとか『怖い』だとか言われると思っていたため、ミハルドは呆気に取られてしてしまった。

 ぱっちりと大きく目を開いているのも忘れ、じっと青年──ライアンを見つめ返す。

 間近で交わった深い青の色彩にはただただ驚き、しかし困惑したような己が映っている。

(きれい……? おれ、が……?)

 その言葉は生まれてからずっと母以外に言われた事がなく、ミハルドは自分の耳がおかしくなったのかと思った。

 たった数十分前に出会ったばかりの人間が抱く感想とは思えず、ふるふると小さく首を振る。

「ちがう、おれ……きれいなんか、じゃ」

「──俺が出会った人間の中で、君は一番綺麗だ」

 その言葉が聞こえると同時に、ライアンがこちらに手を伸ばしてくる気配を感じた。

「っ」

 図らずも大きく肩が揺れ、しかしミハルドは逃げなかった。

 この男は大丈夫、という信頼にも似た感情が、既に胸の奥に芽生えていたからだ。

 長くやや骨張った指先が艶を帯びた銀色の髪に伸ばされ、柔らかな感触を確かめるように何度もくように撫でられる。

 その手つきがあまりにも優しくて、ともすれば母に撫でられているのかという錯覚すら覚えた。

「汚れていたが、輝いていた。弟の方も……いや、君は弟よりもずっと綺麗だった」

 ライアンの静かで落ち着いた声音が響く。

 聞いていて心地よくなるのは初めてで、ミハルドは頭を撫でている手に無意識に擦り寄った。

 同時に、言い聞かせるように『綺麗』と言われるのは母以外にはいない。

 ミハルドの容姿の奇怪さを母が一番知っていたため、しかし自信を持たせようとしてくれたのか、しきりに『綺麗』や『美しい』と言ってくれたのだ。

 ただ、まだ乳飲み子のレオンハルトだけならばいざ知らず、身内以外に己の容姿を褒められるとは思っていなかった。

 待ち行く人々はレオンハルトを見ると微笑み掛ける者が居たが、ミハルドを見ればすぐに目を逸らす。

 そのため、幼心に自分は『気持ちが悪い』という事実を受け入れるしかなかった。

 だからライアンの言葉や仕草に次第に鼻の奥がツンと痛み、しかしミハルドはきゅうと唇を噛んで耐える。

 それでもライアンの放った質問には応えたくて、なのにまだ撫でてくる指先があまりにも優しかった。

「……ミハ、ルド」

 けれどそんな自身を叱咤し、ミハルドはそっと唇を開く。

 蚊の鳴くような声で名を紡ぐだけで精一杯で、もっと言いたいことや聞きたいことがあるのに、それきり唇は縫い付けられたかのように動かなくなった。

「ミハルド、です」

 目の前の青年に聞こえたのか不安になり、ぽつりともう一度その名を舌に乗せる。

 自分でも驚くほど小さな声量で、ともすれば先程よりも吐息に掻き消されそうなほどだった。

(これじゃあ、だめだ)

 ライアンが答えてくれるまで、黙っていられる気がしない。

 何より、青い瞳がまっすぐにこちらを見つめてくる気配に耐えられなくて、精一杯の勇気を掻き集めて再度唇を開こうとした。

「……ミハルドというのか、君の名前は」

 するとライアンは感慨深げに目を細め、ややあって頭を撫でていた温もりが離れていく。

 ミハルドは恐る恐る顔を上げ、そして息を呑んだ。

「これからよろしく、ミハルド」

 その言葉の意味が分からないほど世間知らずではなく、かといって何も考えずに喜べるほど、子供らしさの欠片も無いのだと自分なりに理解している。

 けれど、文字通りミハルドの唇が今度こそ歪んだ。

「っ、う……っ」

 赤くやや黒みのかった瞳から大粒の涙がひと筋、またひと筋と流れ落ちる。

 ライアンの静かで落ち着いた声が、はっきりと言葉にしていないものの『ここに居てもいい』と言っている気がした。

 何も言っていないのに、この男はミハルドが生家を追い出されたと分かっているらしい。

 無論、薄汚れた子供が赤子を抱いていれば理由を説明せずとも察せるのだろうが。

「……こんなに小さいのに、よく頑張った。お前は偉い子だ」

 ライアンは静かに啜り泣くミハルドを抱き寄せ、ゆっくりとした声で言った。

 肌触りのいいシャツが頬に触れ、やがてじんわりとした温もりに包み込まれた。

「ぅ……あ」

 大きな手の平がまた頭を撫でてきて、先程と同じ手つきにとうとうミハルドの涙腺は決壊してしまったようだ。

 熱い雫が後から後から溢れ、止めたいのにそのすべが分からなかった。

 唇から零れるのは嗚咽だけで、息を吸い込もうとする度に喉がきゅうと引き絞られる。

 無意識にライアンの服に顔を押し付けても、何も言わずにただ頭を撫でていてくれる。

 こちらに非があれば叱責するか、無理に引き剥がすのが普通で──現に父がそうだったのだ。

 ミハルドが物心ついた時には目も合わせてくれず、心底煩わしいというような冷たい瞳を向けてきた。

 母以外の優しさを知らなかった己にとって、少し落ち着いた頃ライアンの行動に初めての感情を抱いた。

(おれ……この人がすき、だ)

 その『すき』がどういうものなのか、まだ漠然としていて本当の意味では分からない。

 けれど母に向ける感情とはどこか違う気がして、なのにどう言ったものか言語化できないのが少し悔しかった。

 やがてミハルドが泣き止んだのに気付くと、ライアンは涙で濡れた丸い頬をそろりと撫でてくる。

「……落ち着いたかな?」

 ふっと淡く片頬を上げて微笑む表情は、どこまでも優しかった。

 頭の中にはいくつも言いたいことがあるのに、ミハルドはこくこくと何度も頷くしかできない。

 その仕草がおかしかったのか、ライアンは堪えきれず破顔した。

「──いや、すまない。使用人に食事を作らせているから、一緒に食べよう」

 不思議そうに目の前の男を見つめていると、くすくすとまだかすかに笑いを含んだ声でライアンが言う。

 そっと差し出された手の平は大きく、小さなマメがいくつもあるのが見て取れた。

「……ん」

 小さく頷いてから控えめに己のそれを重ねると、ぐいと強い力で引き寄せられる。

「わ、っ……!?」

「この方が早い」

 急激に視界が高くなり、すぐにライアンに抱き上げられたのだと気付いた。

「じ、自分で──っ」

「うん? どうした」

 唐突な浮遊感に慌てて口を開くも、同じ目線には美しい顔がある。

 路地からここまでずっと抱き上げられていたが、その時はしっかりと顔を見ていなかった。

 己を抱えるがっしりとした腕はもちろん、話す度に上下する喉仏は紛れもない男のそれだ。

 けれど長い睫毛に縁取られた瞳は澄んでいて、柔らかく弧を描く柳眉りゅうびに赤い唇、なによりすっと通った鼻梁は女性的だった。

 だから混乱してしまうのだ。

 これほどまでに美しい男が、ミハルドの前にいて話している事に。

「や、なに……も」

 間近で向けられる瞳に小さく唇が震え、ふいとそっぽを向く。

「……そうか」

 酷い態度を取ってしまったかと思ったが、ライアンはふっと小さく笑うとそのまま歩き出した。

 どうやら本当に食事を用意してくれているようで、部屋から一歩廊下に出るとふんわりと食欲をそそる匂いが鼻腔を掠める。

 その間、こちらに気付いては慌てたように反対側へ歩いていく使用人らしき人間も居たが、ほとんどの者はライアンの姿を見ると立ち止まり、ぺこりとお辞儀をしていく。

(偉い人……なのかな)

 幼心にもこの男は自分に酷い事をしない、むしろ守ってくれているのだと確信した。

 事実、子供というのを抜きにしても己の奇異な容姿は目立つのだろう。

 紛れもない事実だが少し悲しく、けれどそれ以上にライアンに抱き上げらていると胸が苦しくて堪らない。

 先程は何もなかったのに、なぜなのかと思う。

 触れられている箇所が段々と熱くなり、しかし嫌な体温ではないと思った。

(……母様みたい)

 母は──サナーシャは、よくミハルドを抱き締めてくれたのだ。

 その体温が呼び起こされるくらいライアンの腕の中は温かく、また優しかった。

 時折こちらへ視線を向けてくるのに気付いていながらも、ミハルドは知らないふりをした。

 海のように深い瞳と一瞬でも目を合わせてしまえば最後、何度目とも分からない涙が溢れてしまうから。

(おれ、は……レオンハルトと、ここで生きていくんだ)

 ぎゅうと瞼を強く閉じ、ライアンに気付かれない程度に細く息を吐く。

『──手出しはするなよ』

 建物へ入る前、前後はよく分からなかったが確かにライアンはそう言ったのだ。

 その言葉が本当ならば、ミハルドはもちろんレオンハルトも栄養が足りなくて死ぬ事は無い。

 ただ、文字通りこの生活をするにあたって何があるのか、ほとんど予想できなかった。

 けれどそんな時は必ずライアンが傍に居て、守ってくれるのだろうと思う。

 漠然とした不安と小さな胸の痛みごと抱え込むように、ミハルドはきゅうとライアンの首筋に抱き着いた。

「すまないな、すぐに着くから。……大丈夫だよ」

 ほどなくしてぽんぽんと背中を摩られ、続けるように優しい声が降る。

 どうやら抱き上げられることが嫌だと勘違いしたようで、しかしなぜかライアンの言葉を訂正する気にはなれなかった。
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