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二章
叶わぬ想い 3
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「……どうしたんだ」
ミハルドがきょろきょろと落ち着きなく目線を動かしている間に、ライアンがこちらに近付いてくる気配があった。
恐々とだがそちらへ顔を向けるとゆっくりと目を瞬かせ、子供のように丸くしている瞳と視線がぶつかる。
こうしたライアンの表情は珍しいがすぐに口角を上げ、何事もなかったかのように微笑んだ。
「あまり寝ていないんだろう。今日はもう休みなさい」
言いながらゆっくりと肩を叩かれ、その仕草が先程のキスを誤魔化されたような気がして、きりりと胸の奥が痛んだ。
「な、ぜ……ですか」
ライアンの言葉に半ば被せるように、ミハルドは口を開く。
「ミハルド?」
薄目の向こう側、ライアンが軽く目を見開いているのが視界に入った。
普段ならば名を呼ばれて嬉しいはずなのに、今ばかりは呼んでほしくないという感情でいっぱいになる。
同性にしては長い睫毛がゆっくりと瞬き、何を言われたのか分からないといった表情だ。
(どうして)
何故自分に『結婚した方がいい』と言うのか、あまりに唐突な事ですぐには理解できなかった。
今の今までライアンが己の色恋に口を挟んだ事も、主従としても恩人とその少年としても、必要以上の距離を詰めてこなかった。
よもや数えきれないほど『貴方のことが好きです』と匂わせてきた弊害か、とも思ったが即座に違うと思い直す。
(この人はそんなに器用じゃない。それくらい、俺の方が知っている)
この三十年、どれほどの時間を共に過ごしたと思っているのか。
それでも尚のこと、ライアンの次の言葉を待っている自分が居るのも事実だった。
「なぜ、何も……答えてくださらないのですか」
唇から紡ぎ出した言葉は自分でも驚くほど震えており、しかしミハルドは知らないふりをする。
手の平をきつくきつく握り締めていないと、自分でも何をしでかすか分からないのだ。
「なぜそんな、私が……俺が、嫌がることを仰るのですか」
自分の方が少し高い身長は、時として嫌な気持ちにもなった。
何もここまで伸びなくてもいいのに、と思った頃もあったが、しばらくして『側近になって欲しい』と言われた時は心の底から驚いたと同時に、嬉しかったのを昨日の事ように思い出せる。
ライアンをこの手で守れるのであれば、傍に居られるのであれば、と──拾って育ててくれた恩返しが出来るなら、と一も二もなく引き受けたのだ。
その言葉はずっと一緒に居てもいい、と言われている気がして、ミハルドとしては願ってもない事だった。
嬉しくて泣きそうになってしまった事もいい思い出で、なのに今は別の意味で視界の先が涙で滲んでいる。
「──ミハルド」
先程よりも殊更ゆっくりと名を呼ばれ、しかしライアンの目を見れなかった。
海のように深い瞳に見つめられれば最後、すべてを曝け出してしまうと分かっているから。
どんな言葉を掛けられたとしても、頷けないのは目に見えているから。
「顔を上げなさい。そのままではろくに話せない」
「っ……!」
肩に置かれた手の平が頬に触れ、半強制的に目を合わせられる。
やや下にあるライアンは心配そうに柳眉を寄せ、自分から一方的に口付けたというのに申し訳なくなった。
「……いい子だな」
形のいい唇が動く度に、どくどくと心臓がうるさいほど音を立てているのが嫌でも分かる。
それがなぜなのか理解しているから、余計に自分の犯してしまった行為が惨めで、何よりも短絡的だったのだと思い知らされた。
(貴方が俺をどんな目で見ているのか、ずっと前から知ってる……はずだったのに)
真正面から思いを伝えるつもりはもちろん、口付けるつもりなど一切なかった。
何があろうと『いち従者』で『国王の側近』として、ライアンの傍に居ると誓ったというのに。
どこからライアンを見る目が変わってしまったのかもう思い出せないが、好意を抱いてしまったのは自分の落ち度だ。
好いた男は一国の王で、身分問わず民達のためにと日夜奮闘している。
そんな人となりだからこそ、己の想いを伝えたら迷惑を掛けてしまうと思ったのだ。
けれど実際は伝える過程がどうあれ、ライアンは何も変わらなかった。
まるでこちらの事など眼中にない、と言われている気がしたほどだ。
だからか余計にライアンの態度が心に突き刺さり、ともすれば死んでしまった方が楽な気さえしてしまう。
ぎゅうと手の平を握り締め、ミハルドは意を決して眼前の男を見つめる。
幼い頃とほとんど変わらない、むしろ年を重ねてより一層精悍さが増した肉体や顔立ちは、見る者を虜にするのは必至と言える。
なのにライアン本人は色恋にとんと執着が無いようで、やはりミィシャのことを今でも愛しているのか、と邪推してしまうのも無理からぬ事だろう。
(ごめんなさい)
次の言葉を待つ間に、ミハルドは心の中で謝罪する。
次にライアンが口を開いた時には静かに怒られるか、もしくは軽蔑の言葉を浴びせられると分かりきっているからだ。
無論、目の前の男が身内に対して大きく感情を顕にしたところなどあまり見た事がないのだが。
それでも気持ちを抑えられなかったのは、孤児院で話した事をつい先程まで何度も思い出してしまったからだろうか。
「っ」
すると頬に触れていた手が遠慮がちに目元を掠め、図らずも小さく声が漏れる。
無意識に反らしていた目を向けると、ライアンは普段と何ら変わらない表情のまま言った。
「隈が酷い。……最近眠っていないのか」
「い、え。しっかり寝ております、が……」
まさかこちらの体調面を指摘されるとは思わず、震えそうになる声を叱咤ながら口を開いた。
ただ、ライアンの指摘はもっともだ。
眠ってもすぐに目が覚める時があるのは事実だが、すべてを話してしまえばあらぬ気を揉ませてしまうのが目に見える。
ミハルドは今一度目を伏せ、ぽそりと呟く。
「大丈夫です。陛下が心配されるようなことは何もありませんので」
だから離してくれ、と言外に言葉に滲ませる。
自分から離れようものなら、それこそ怪しんで更に言葉を重ねられてしまうだろう。
一度ならず二度までも、今の己の不安定極まりない心境で詰められるのは避けたい。
「……そうか」
ふっと温かい手が離れると同時に、ライアンは短く頷いた。
「今はお前の言葉を信じるが、何かあれば教えなさい。……ただ、俺が言ったことは覚えておいて欲しい」
ぴく、と握り締めていた手の平がかすかに震える。
その言葉が意味するところは自身の結婚についてで、ライアンは本気なのだと嫌でも理解してしまった。
「……分かり、ました」
今度こそはっきりとした拒否の言葉が出そうになったが、ぎりりと奥歯を噛み締めてそれだけを口にする。
嫌だと言ってしまえば最後、感情が爆発してしまいそうなのだ。
かすかに震えた声音に気付いていない訳ではないだろうに、言葉を重ねてくれない事実が少しばかり悲しい。
(何を期待しているんだ、俺は)
自嘲してもし足りないのはこういう事を言うのか、とミハルドは人知れず身体の力を抜いた。
ライアンには面と向かって言葉にしなければ伝わらない、というのは今に始まった事ではない。
けれど今だけはそれがもどかしく、なのに否定の言葉一つあげられない自分が嫌でならなかった。
すると、ぽんともう一度肩を叩かれ、それを合図にライアンが今度こそ離れていく。
「おやすみ、ミハルド」
扉の前で一度立ち止まり、ライアンは背中越しに振り向くとにこりと微笑んで深みのある声で言った。
「おや、すみ……なさい、ませ」
最後の最後で語尾がやや尻すぼみしてしまったが、ふっと淡く微笑みを浮かべるとライアンは退室していった。
「っ……!」
静かな足音が聞こえなくなってしばらくして、なけなしの意地で保っていた身体の力がそこで抜ける。
すんでのところで椅子の背凭れを摑んだため大事になることはなかったが、ライアンが来る時よりもどっと疲れた気がした。
「はぁ……」
背凭れを摑みながらミハルドは椅子に力なく座ると、腹の奥から深く息を吐いた。
違和感を持たれないように努めたものの、ライアンは勘の鋭いところがある。
それでも深く踏み入ってこなかった事にひとまず安堵したが、明日も普段と何ら変わらない日常を送れる、という保証はどこにもなくなった。
体調以外には何も言われなかったが、怪しまれる行動を取ったのは確実だろう。
気にしすぎだと思おうとしても、ライアンに対して猜疑心でいっぱいでまともにものを考えられない。
ライアンが応じてくれないのは分かりきっていたが、まさか自分の結婚の後押しをしようとしている、とは予想だにしていなかった。
正直なところ放っておいて欲しいが、せっかくの厚意を無下にしてはそれこそ嫌われるかもしれない。
(いや、あの方のことだから気に病むだろう)
幼い頃からライアンの傍に居ると、誰彼構わず手を差し伸べている気がする。
貧しい民がいれば食べ物を与え、幼い子が困っていれば出来る限りの手助けをする。
王宮へ領地や金銭面の嘆願をしてくる貴族らでも『困窮している』と一言でも言えば助けようとするため、側近である自分はもちろんのこと、こちら側に着く高官らもその言葉が確かか確認せねばならない時があった。
二度手間ではあるが、敵と見なした者には容赦がないから両極端とも言えるのだが。
ふた口分ほど残っている魚のソテーと、バスケットに入っている残りのパンとを何とはなしに眺める。
先程まではどれほど食べても足りなかったというのに、不思議と胸焼けがしてくるのは年だからだろうか。
「……本当に、どうして欲しかったんだか」
はっ、と自嘲地味た声が虚しく部屋に響く。
仮にライアンの持ってきた縁談通りに動くとして、この目を見れば心変わりする事は明白だ。
血よりも赤くて禍々しい瞳は、ひとたび見つめられれば病に罹ってしまう──そんな噂が幼い頃に囁かれていた。
悪魔だ、化け物だ、と石を投げられる事も多かったため、ライアンに拾われてから一時期は人に会うことも怖かったのだ。
今でこそあまり気にしなくなったものの、ミハルドと見合うのが異性であれば可哀想で、同性であっても気まずくなるだけだろう。
誰とは言わないのは引っ掛かったが、きっと家柄のいい人間なのは確実だ。
それでもライアン以外の人間を好きになるなど、無理な話だと思うのだが。
「……片付けないと」
既に食欲はなく、あるのは胸を埋め尽くす痛みと得体の知れない苛立ちだけだ。
それが自分になのか、はたまたライアンに向けてなのかはっきりとは分からない。
ただ、ミハルドとて年を重ねたのは事実で、これもライアンなりの『お節介』なのだと思うと、どこへこの感情をぶつければいいのかと思う。
本当は己の気持ちに気付いていて先手を打たれたか、もしくは側近へ幸せになって欲しいという願いからか。
どちらであっても余計な世話だが、ライアンの目を見て言えなかった事が悔やまれる。
(ライアン様にとって、俺は子供のままなんだろう。側近にしてくれたのも俺を守るためで、この地位であれば誰も何も言わなくなるから)
国王の側近という肩書きは、それだけで有利だ。
ほとんど王の背後に控えている事が多いが、ミハルドは違う。
二十年ほど前、たっての希望で衛兵になりたいと直談判した。
ライアンは最初こそ驚いていたものの、自分にも出来る事があるのなら、と真摯に言葉を重ねると最終的には了承してくれた。
『せっかく俺の傍に置いているのに、お前は離れていくんだな』
困ったような、しかし嬉しそうに笑っていたライアンの表情は、昨日の事のように思い出せる。
その言葉の意味がどんなものであれ、あれはライアンなりの独占欲だったと思うのは考え過ぎだろうか。
「……貴方が」
ぽそりと呟いた声はあまりにも震えており、重ねて笑いそうになる。
けれどこれは自分に対しての戒めでもあり、また誓いでもあった。
「貴方が、好きだと……気付いてくれたらいいのに」
誰にともなく紡いだそれは空気に溶けて消え、やがて部屋の中がゆっくりと静まり返る。
(そうしたら俺は、面と向かって好きだと言える)
ミハルドがきょろきょろと落ち着きなく目線を動かしている間に、ライアンがこちらに近付いてくる気配があった。
恐々とだがそちらへ顔を向けるとゆっくりと目を瞬かせ、子供のように丸くしている瞳と視線がぶつかる。
こうしたライアンの表情は珍しいがすぐに口角を上げ、何事もなかったかのように微笑んだ。
「あまり寝ていないんだろう。今日はもう休みなさい」
言いながらゆっくりと肩を叩かれ、その仕草が先程のキスを誤魔化されたような気がして、きりりと胸の奥が痛んだ。
「な、ぜ……ですか」
ライアンの言葉に半ば被せるように、ミハルドは口を開く。
「ミハルド?」
薄目の向こう側、ライアンが軽く目を見開いているのが視界に入った。
普段ならば名を呼ばれて嬉しいはずなのに、今ばかりは呼んでほしくないという感情でいっぱいになる。
同性にしては長い睫毛がゆっくりと瞬き、何を言われたのか分からないといった表情だ。
(どうして)
何故自分に『結婚した方がいい』と言うのか、あまりに唐突な事ですぐには理解できなかった。
今の今までライアンが己の色恋に口を挟んだ事も、主従としても恩人とその少年としても、必要以上の距離を詰めてこなかった。
よもや数えきれないほど『貴方のことが好きです』と匂わせてきた弊害か、とも思ったが即座に違うと思い直す。
(この人はそんなに器用じゃない。それくらい、俺の方が知っている)
この三十年、どれほどの時間を共に過ごしたと思っているのか。
それでも尚のこと、ライアンの次の言葉を待っている自分が居るのも事実だった。
「なぜ、何も……答えてくださらないのですか」
唇から紡ぎ出した言葉は自分でも驚くほど震えており、しかしミハルドは知らないふりをする。
手の平をきつくきつく握り締めていないと、自分でも何をしでかすか分からないのだ。
「なぜそんな、私が……俺が、嫌がることを仰るのですか」
自分の方が少し高い身長は、時として嫌な気持ちにもなった。
何もここまで伸びなくてもいいのに、と思った頃もあったが、しばらくして『側近になって欲しい』と言われた時は心の底から驚いたと同時に、嬉しかったのを昨日の事ように思い出せる。
ライアンをこの手で守れるのであれば、傍に居られるのであれば、と──拾って育ててくれた恩返しが出来るなら、と一も二もなく引き受けたのだ。
その言葉はずっと一緒に居てもいい、と言われている気がして、ミハルドとしては願ってもない事だった。
嬉しくて泣きそうになってしまった事もいい思い出で、なのに今は別の意味で視界の先が涙で滲んでいる。
「──ミハルド」
先程よりも殊更ゆっくりと名を呼ばれ、しかしライアンの目を見れなかった。
海のように深い瞳に見つめられれば最後、すべてを曝け出してしまうと分かっているから。
どんな言葉を掛けられたとしても、頷けないのは目に見えているから。
「顔を上げなさい。そのままではろくに話せない」
「っ……!」
肩に置かれた手の平が頬に触れ、半強制的に目を合わせられる。
やや下にあるライアンは心配そうに柳眉を寄せ、自分から一方的に口付けたというのに申し訳なくなった。
「……いい子だな」
形のいい唇が動く度に、どくどくと心臓がうるさいほど音を立てているのが嫌でも分かる。
それがなぜなのか理解しているから、余計に自分の犯してしまった行為が惨めで、何よりも短絡的だったのだと思い知らされた。
(貴方が俺をどんな目で見ているのか、ずっと前から知ってる……はずだったのに)
真正面から思いを伝えるつもりはもちろん、口付けるつもりなど一切なかった。
何があろうと『いち従者』で『国王の側近』として、ライアンの傍に居ると誓ったというのに。
どこからライアンを見る目が変わってしまったのかもう思い出せないが、好意を抱いてしまったのは自分の落ち度だ。
好いた男は一国の王で、身分問わず民達のためにと日夜奮闘している。
そんな人となりだからこそ、己の想いを伝えたら迷惑を掛けてしまうと思ったのだ。
けれど実際は伝える過程がどうあれ、ライアンは何も変わらなかった。
まるでこちらの事など眼中にない、と言われている気がしたほどだ。
だからか余計にライアンの態度が心に突き刺さり、ともすれば死んでしまった方が楽な気さえしてしまう。
ぎゅうと手の平を握り締め、ミハルドは意を決して眼前の男を見つめる。
幼い頃とほとんど変わらない、むしろ年を重ねてより一層精悍さが増した肉体や顔立ちは、見る者を虜にするのは必至と言える。
なのにライアン本人は色恋にとんと執着が無いようで、やはりミィシャのことを今でも愛しているのか、と邪推してしまうのも無理からぬ事だろう。
(ごめんなさい)
次の言葉を待つ間に、ミハルドは心の中で謝罪する。
次にライアンが口を開いた時には静かに怒られるか、もしくは軽蔑の言葉を浴びせられると分かりきっているからだ。
無論、目の前の男が身内に対して大きく感情を顕にしたところなどあまり見た事がないのだが。
それでも気持ちを抑えられなかったのは、孤児院で話した事をつい先程まで何度も思い出してしまったからだろうか。
「っ」
すると頬に触れていた手が遠慮がちに目元を掠め、図らずも小さく声が漏れる。
無意識に反らしていた目を向けると、ライアンは普段と何ら変わらない表情のまま言った。
「隈が酷い。……最近眠っていないのか」
「い、え。しっかり寝ております、が……」
まさかこちらの体調面を指摘されるとは思わず、震えそうになる声を叱咤ながら口を開いた。
ただ、ライアンの指摘はもっともだ。
眠ってもすぐに目が覚める時があるのは事実だが、すべてを話してしまえばあらぬ気を揉ませてしまうのが目に見える。
ミハルドは今一度目を伏せ、ぽそりと呟く。
「大丈夫です。陛下が心配されるようなことは何もありませんので」
だから離してくれ、と言外に言葉に滲ませる。
自分から離れようものなら、それこそ怪しんで更に言葉を重ねられてしまうだろう。
一度ならず二度までも、今の己の不安定極まりない心境で詰められるのは避けたい。
「……そうか」
ふっと温かい手が離れると同時に、ライアンは短く頷いた。
「今はお前の言葉を信じるが、何かあれば教えなさい。……ただ、俺が言ったことは覚えておいて欲しい」
ぴく、と握り締めていた手の平がかすかに震える。
その言葉が意味するところは自身の結婚についてで、ライアンは本気なのだと嫌でも理解してしまった。
「……分かり、ました」
今度こそはっきりとした拒否の言葉が出そうになったが、ぎりりと奥歯を噛み締めてそれだけを口にする。
嫌だと言ってしまえば最後、感情が爆発してしまいそうなのだ。
かすかに震えた声音に気付いていない訳ではないだろうに、言葉を重ねてくれない事実が少しばかり悲しい。
(何を期待しているんだ、俺は)
自嘲してもし足りないのはこういう事を言うのか、とミハルドは人知れず身体の力を抜いた。
ライアンには面と向かって言葉にしなければ伝わらない、というのは今に始まった事ではない。
けれど今だけはそれがもどかしく、なのに否定の言葉一つあげられない自分が嫌でならなかった。
すると、ぽんともう一度肩を叩かれ、それを合図にライアンが今度こそ離れていく。
「おやすみ、ミハルド」
扉の前で一度立ち止まり、ライアンは背中越しに振り向くとにこりと微笑んで深みのある声で言った。
「おや、すみ……なさい、ませ」
最後の最後で語尾がやや尻すぼみしてしまったが、ふっと淡く微笑みを浮かべるとライアンは退室していった。
「っ……!」
静かな足音が聞こえなくなってしばらくして、なけなしの意地で保っていた身体の力がそこで抜ける。
すんでのところで椅子の背凭れを摑んだため大事になることはなかったが、ライアンが来る時よりもどっと疲れた気がした。
「はぁ……」
背凭れを摑みながらミハルドは椅子に力なく座ると、腹の奥から深く息を吐いた。
違和感を持たれないように努めたものの、ライアンは勘の鋭いところがある。
それでも深く踏み入ってこなかった事にひとまず安堵したが、明日も普段と何ら変わらない日常を送れる、という保証はどこにもなくなった。
体調以外には何も言われなかったが、怪しまれる行動を取ったのは確実だろう。
気にしすぎだと思おうとしても、ライアンに対して猜疑心でいっぱいでまともにものを考えられない。
ライアンが応じてくれないのは分かりきっていたが、まさか自分の結婚の後押しをしようとしている、とは予想だにしていなかった。
正直なところ放っておいて欲しいが、せっかくの厚意を無下にしてはそれこそ嫌われるかもしれない。
(いや、あの方のことだから気に病むだろう)
幼い頃からライアンの傍に居ると、誰彼構わず手を差し伸べている気がする。
貧しい民がいれば食べ物を与え、幼い子が困っていれば出来る限りの手助けをする。
王宮へ領地や金銭面の嘆願をしてくる貴族らでも『困窮している』と一言でも言えば助けようとするため、側近である自分はもちろんのこと、こちら側に着く高官らもその言葉が確かか確認せねばならない時があった。
二度手間ではあるが、敵と見なした者には容赦がないから両極端とも言えるのだが。
ふた口分ほど残っている魚のソテーと、バスケットに入っている残りのパンとを何とはなしに眺める。
先程まではどれほど食べても足りなかったというのに、不思議と胸焼けがしてくるのは年だからだろうか。
「……本当に、どうして欲しかったんだか」
はっ、と自嘲地味た声が虚しく部屋に響く。
仮にライアンの持ってきた縁談通りに動くとして、この目を見れば心変わりする事は明白だ。
血よりも赤くて禍々しい瞳は、ひとたび見つめられれば病に罹ってしまう──そんな噂が幼い頃に囁かれていた。
悪魔だ、化け物だ、と石を投げられる事も多かったため、ライアンに拾われてから一時期は人に会うことも怖かったのだ。
今でこそあまり気にしなくなったものの、ミハルドと見合うのが異性であれば可哀想で、同性であっても気まずくなるだけだろう。
誰とは言わないのは引っ掛かったが、きっと家柄のいい人間なのは確実だ。
それでもライアン以外の人間を好きになるなど、無理な話だと思うのだが。
「……片付けないと」
既に食欲はなく、あるのは胸を埋め尽くす痛みと得体の知れない苛立ちだけだ。
それが自分になのか、はたまたライアンに向けてなのかはっきりとは分からない。
ただ、ミハルドとて年を重ねたのは事実で、これもライアンなりの『お節介』なのだと思うと、どこへこの感情をぶつければいいのかと思う。
本当は己の気持ちに気付いていて先手を打たれたか、もしくは側近へ幸せになって欲しいという願いからか。
どちらであっても余計な世話だが、ライアンの目を見て言えなかった事が悔やまれる。
(ライアン様にとって、俺は子供のままなんだろう。側近にしてくれたのも俺を守るためで、この地位であれば誰も何も言わなくなるから)
国王の側近という肩書きは、それだけで有利だ。
ほとんど王の背後に控えている事が多いが、ミハルドは違う。
二十年ほど前、たっての希望で衛兵になりたいと直談判した。
ライアンは最初こそ驚いていたものの、自分にも出来る事があるのなら、と真摯に言葉を重ねると最終的には了承してくれた。
『せっかく俺の傍に置いているのに、お前は離れていくんだな』
困ったような、しかし嬉しそうに笑っていたライアンの表情は、昨日の事のように思い出せる。
その言葉の意味がどんなものであれ、あれはライアンなりの独占欲だったと思うのは考え過ぎだろうか。
「……貴方が」
ぽそりと呟いた声はあまりにも震えており、重ねて笑いそうになる。
けれどこれは自分に対しての戒めでもあり、また誓いでもあった。
「貴方が、好きだと……気付いてくれたらいいのに」
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