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二章
叶わぬ想い 4
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◆◆◆
「さま……ミハ、さま……ミハルド様!」
「っ!」
不意に耳元に自身の名を叫ぶ声が聞こえ、ミハルドは半ば飛び起きるようにして顔を上げた。
「うわっ!?」
唐突な反応にびっくりしたのか、その人物は二歩ほどたたらを踏む。
「す、ま……ない。私は」
右手を額に添え、ゆっくりとした動きで声がした方に顔を向ける。
ずきずきと痛むこめかみを反射的に抑えながら、常よりもややぼんやりとした視界には、黒髪を耳の下で切り揃えて襟足を刈り上げた青年が心配そうにこちらを見つめていた。
「俺こそすみません、声を掛けても反応がなかったので。あの、大丈夫……ですか?」
おずおずとした声音で言うのは、王配付きの侍従であるノアだ。
普段はアルトの傍におり、何かあれば馳せ参じるという覚悟だ、という王宮に勤める使用人いち責任感のある若者だった。
けれど今は主がいないためミハルドの仕事を手伝ってもらっているのだが、どこか消極的なところがあった。
年長者として、また上司という立場で普段ならば諫めるべきところだが、そんな気力は今の己には無い。
「大丈夫、とは……言えませんね。最近ずっと寝ていないから」
はは、と自嘲地味た声で笑う。
その言葉にノアはますます眉を寄せ、可哀想なほど顔を歪めてくる。
「そうなのですか? ……もしや、お身体が悪いのでは」
「いえ、さすがにそこまでは。少し寝たら楽になった……と、思います」
数分だがうたた寝をしていた事実は、自分が一番よく分かっている。
けれどノアに心配を掛けてしまったことが申し訳なくて、歯切れ悪くなってしまうのは仕方がないだろう。
現に机の上にはきっちりと分類していた紙の束が崩れており、ノアの手には床に落ちてしまったらしい書類があった。
すぐ側に置いていたインクの壺を零していないのは幸いだったが、使っていたペンがどこにも見当たらない。
(落としたか)
ミハルドは机の下を探しながら、ノアの言葉に耳を傾ける。
青年は未だ心配の色が消えないのか、おろおろとしているのが顔を見ずとも感じ取れた。
「み、ミハルド様さえよろしければ、お薬を買ってきましょうか。丁度街へ向かおうと思っているので」
「街へ……?」
書類の確認がある程度終われば今日は休んでいい、と事前に言っているが何か用事でもあるのだろうか。
「はい! アルト様から頼まれたものがあるので、色々と調達へ。あと……これは言っていないのですが、お迎えに行こうと思ってるんです」
不在になられて今日で一週間ですし、とノアが続ける。
「ミハルド様のお話では、本日戻られると仰っていたので。殿下のお言葉を借りる訳ではありませんが、びっくりさせようと思いまして」
迎えはいらないと言われそうですが、という言葉に反してノアは嬉しそうに頬を染め、その姿はまるで恋する乙女のようだ。
元はエルの従者として、時としてレオンハルトの補佐をするように充てがわれたが、結婚すると同時にエルの提案でアルト付きになった。
『私がいない間、誰か一人でもアルトの傍に居た方がいいだろう』
それは結婚式を終えてから程なくして行われた人員整理で、アルトの周囲を固める人間について順次取り決めていた時の事だ。
見た目こそ中性的だが、その実ノアは剣技に長けている。
王太子の右に出る者はいない、と国内外で言われているエルほどとはいかないながらも、実力はその次点とされるミハルドに匹敵するほどだった。
無論、アルトはノアが剣を持っている姿をただの一度も見ていないようで、しかしアルトの中ではノアは従者ではなく『友達』という枠組みらしい。
(アルト様が何か言ったんだろうが、引き受けるノアもノアと言うべきか)
喉元まで出かかっている言葉を、すんでのところで飲み込む。
アルト付きになった使用人らは、王太子自らが身辺調査をして身元をはっきりとさせているため、何かしらの危害を企てる恐れは無い。
そもそも第二王妃による王配暗殺未遂の件があったため、どう足掻いても待っているのは文字通り破滅のみだと理解しているのだ。
アルトは人を疑うところが一切なく、むしろ純粋なきらいがある。
だからエルも心配で過保護になるのも分かるが、同時にお人好しで人の感情の機微に疎い時があった。
けれど持ち前の明るい性格のお陰か、老若男女問わず慕われているのも事実で、ミハルドとしては少し羨ましい。
嫌になるほど人の汚いところばかりを見てきたからかもしれないが、とてもアルトのようには振る舞えないと思う。
奇異な容姿を持っている限り、死ぬまで付き纏ってくる劣等感はおいそれと消えないものだ。
ノアとて、ミハルドの瞳の色を見れば顔を背けるだろう。
己を慕ってくれているらしいが、人というものは一瞬にして変わるも。
現に孤児院で昔話をした時は無意識に目を開けてしまったようで、話し終えると子供達を中心にどこかよそよそしかった。
しかしアルトやルシエラは何事もなかったように接してくれ、その優しさが申し訳なくなったものだ。
(八つ当たりしそうだ)
普通とは違う己の容姿も、ライアンが言っていた言葉にも。
ノアのことだから詮索してくることは無いだろうが、今は必要以上に声を掛けて欲しくないのが本音だった。
アルトが公爵邸に滞在するようになったのと同じくして、ライアンを避けてしまっている。
何かあればディアンを通してもらっているものの、それも今日で終わりだろう。
「……嫌だな」
「ミハルド様?」
無意識に本音を零すと、ノアが即座に反応する。
単に訊ねただけかもしれないが、ミハルドは不自然にならない程度に口角を上げた。
「いえ、申し訳ない。こちらの話です」
「そうですか……?」
かすかに疑問を持たれたのが分かり、しかしまだ何か言いたそうなノアの腕から書類を受け取る。
「本当に何もないのでお気になさらず。……それよりも、アルト様のお使いに行くんでしょう。ここは私に任せていいから、着替えてきなさい」
誤魔化すように笑みを深くし、ミハルドはノアの背中をぽんと叩いた。
「あっ、本当だ! すみません、ミハルド様。お先に失礼します!」
ノアが反転した先には時計があり、あまり時間が無いらしく最後の辺りは口早に捲し立てると、慌ただしく退室していった。
アルトから何を頼まれたのかは知らないが、エルに不意打ちでプレゼントをあげようとしているのだろう。
それも、エルが隣国から戻ったと同時に計画は遂行されると予想している。
誕生日当日に何も無かった、と気を落としていたところに愛する者が自分のために贈り物を選んでくれ、また考えてくれたと思うと誰であっても喜びでどうにかなってしまうのは必至だ。
昨年の今頃はまだ婚約すらしておらず、同時にアルトはまだエルに対して好意を抱いていなかったようで、祝う事すら無かったらしい。
『エルが戻ってきたら……なんて言うかな。喜んでくれたらいいけど』
ふふ、と照れと期待とが混じったアルトの表情が、脳裏に浮かんでは消える。
自分も好きな相手に対して愛おしいという感情を向け、また向けて欲しいと思うのは決まって心が不安定な時だ。
(おこがましいのは分かってる。分かってる、んだが)
他の人間との結婚を勧めてきたあの日から、いつも以上にライアンのこと考えてしまっている。
声音はもちろん、こちらに向けてくる優しい視線を鮮明に思い出す。
眠ろうとしても、少しも想像したくない悪夢を見る気がして満足に眠れず、浅い夢の中を行き来しては覚醒する日が続いていた。
無理に寝ても逆に目が冴えてしまうが、起きていても余計な事ばかりを考えてしまう、というこれ以上ないほどの悪循環に頭痛までしてくる。
この一週間でまともに眠った日など無いに等しく、正常に頭が働かない。
今も椅子に座っているだけだというのに船を漕ぎ、なのに理性は睡魔に抗おうとでもいうのか、ぎりりと奥歯や頬の内側を痛むほど噛んでやり過ごしている。
(ライアン様に報告をしたら、少しでも寝なければ)
さすがにどこかで睡眠を摂らなければ、倒れてしまうのは必至だ。
そうなってしまえばライアンはもちろん他の使用人らにも迷惑を掛け、そうでなくとも自分の不甲斐なさで寝込んでしまうだろう。
ミハルドが一方的に避けているため、側近でありながら普段よりもライアンと顔を合わせる機会は格段に減っている。
午前中は衛兵として、また国王への謁見などの取り次ぎも担っているためあまり負担はない。
今日のように衛兵としての務めは休みで、かと言って謁見を乞うてくるような客人はいなかった。
だからか、ただ報告するためにライアンが政務を執っているであろう執務室へ向かうのは憂鬱で、自然と脚が重くなる。
けれど確認したい事がいくつかあるため、嫌でも顔を合わせねばならないのだ。
「パーティーか……」
いつもよりややゆっくりとした足取りで廊下を歩きながら、ミハルドは口の中で呟く。
時々王宮主催で行われるパーティーは、貴族の子女の社交界デビューはもちろん、お喋り好きな婦人方の噂話の場にもなる。
皆に楽しんでもらうために、というライアンの発案だが今回ほどやる気の起きないものはなかった。
(気が重い)
その日は公爵家の次男が社交界デビューするという名目で、年頃の令嬢との婚約披露が主軸らしい。
昔からの親交がある貴族はもちろん、アルトの実家であるムーンバレイ家とも遠からず繋がりがあるようだ。
ただ、王配の縁戚ともなると警備を厳重にせざるを得ず──そもそもエルがそうしろと言う可能性が高く──、普段のパーティーに比べて粛々と執り行われるだろう。
隣国へ向かっているエルが帰城するまで早くても一週間、パーティーはそれからそう時を経たずに開催される。
メインである婚約披露が終われば、以降は思い思いに仲間内で歓談するのが常だ。
こうした催しがある度にミハルドは取り次ぎに回る事が多く、今回は数多の人間を招待したようで文字通り忙しくなるだろう。
早ければ一ヶ月前から準備に掛り切りになるため、ライアンとも顔を合わせなくて済む。
準備前の最終確認に、国王の許可を貰わねばならないのが少しばかり嫌なだけなのだ。
(ライアン様が悪くないのは分かってる。たとえ怒っていらしても、これは避け続けてる俺の責任だ)
すべては己の独りよがりで、ライアンにはなんの責任も無い。
ただ、あの目で射抜かれてしまえば最後、自分でも何を言ってしまうのか分からないのだ。
そうしているうちに執務室に着いたようで、無意識に喉が鳴った。
「……いつも通り。いつも通りなら……大丈夫」
ぶつぶつと『大丈夫』と繰り返すと、一度二度と深呼吸して扉を叩く。
「失礼、致します。本日分の資料と、招待客のリストを纏め終わったのですが……入ってもよろしいでしょうか」
もつれそうになる舌を懸命に動かし、扉一枚隔ててライアンからの応答を待つ。
けれど普段ならば数秒経った後に響く低い声音が聞こえてこず、ミハルドは小首を傾げた。
「陛下……?」
(いらっしゃらないのか……? 今日は街へ出る予定は無いはずだが)
ある程度の予定はディアンから聞いているため、ライアンが不在ならばこちらにも情報が渡るはずだ。
それが無いという事は自室か、王宮から離れた裏手の小屋に居るのがほとんどだった。
小屋と言っても庶民が優に暮らせるほどの大きさで、ライアンが国王として一息つける隠れ家のようなものなのだが。
どちらであってもライアンを探し出さねばならないのは変わらず、しかし顔を合わせなくて良かったと思っている自分がいる。
「って違う、まだいらっしゃるかどうかも分からないだろう」
ふるりと首を振って自分を律すると、ミハルドは細く長く息を吐き出す。
たとえライアンが不在であれ、己は『側近』として成すべき事をするだけなのだ。
「……失礼します」
短く言い置いて扉を開けると、そこにはライアンその人が居た。
休むことなくペンを走らせるでも、黙々と資料を読み込むでもなく、ただ腕を組んで顔を俯けているようだ。
「ライアン様……?」
あまり考えたくない事が頭の中を過り、足早に部屋に踏み入った。
しかしあと一歩、軽く手を伸ばせば触れられそうな距離でミハルドは脚を止めた。
(眠っておられるのか)
はぁ、と図らずも心から安堵の吐息が漏れる。
どうやら深く眠っているようで、時折かすかな寝息が聞こえてくる。
同時に脱力しそうになる身体を気合で持ち堪え、そっと一歩踏み出した。
「さま……ミハ、さま……ミハルド様!」
「っ!」
不意に耳元に自身の名を叫ぶ声が聞こえ、ミハルドは半ば飛び起きるようにして顔を上げた。
「うわっ!?」
唐突な反応にびっくりしたのか、その人物は二歩ほどたたらを踏む。
「す、ま……ない。私は」
右手を額に添え、ゆっくりとした動きで声がした方に顔を向ける。
ずきずきと痛むこめかみを反射的に抑えながら、常よりもややぼんやりとした視界には、黒髪を耳の下で切り揃えて襟足を刈り上げた青年が心配そうにこちらを見つめていた。
「俺こそすみません、声を掛けても反応がなかったので。あの、大丈夫……ですか?」
おずおずとした声音で言うのは、王配付きの侍従であるノアだ。
普段はアルトの傍におり、何かあれば馳せ参じるという覚悟だ、という王宮に勤める使用人いち責任感のある若者だった。
けれど今は主がいないためミハルドの仕事を手伝ってもらっているのだが、どこか消極的なところがあった。
年長者として、また上司という立場で普段ならば諫めるべきところだが、そんな気力は今の己には無い。
「大丈夫、とは……言えませんね。最近ずっと寝ていないから」
はは、と自嘲地味た声で笑う。
その言葉にノアはますます眉を寄せ、可哀想なほど顔を歪めてくる。
「そうなのですか? ……もしや、お身体が悪いのでは」
「いえ、さすがにそこまでは。少し寝たら楽になった……と、思います」
数分だがうたた寝をしていた事実は、自分が一番よく分かっている。
けれどノアに心配を掛けてしまったことが申し訳なくて、歯切れ悪くなってしまうのは仕方がないだろう。
現に机の上にはきっちりと分類していた紙の束が崩れており、ノアの手には床に落ちてしまったらしい書類があった。
すぐ側に置いていたインクの壺を零していないのは幸いだったが、使っていたペンがどこにも見当たらない。
(落としたか)
ミハルドは机の下を探しながら、ノアの言葉に耳を傾ける。
青年は未だ心配の色が消えないのか、おろおろとしているのが顔を見ずとも感じ取れた。
「み、ミハルド様さえよろしければ、お薬を買ってきましょうか。丁度街へ向かおうと思っているので」
「街へ……?」
書類の確認がある程度終われば今日は休んでいい、と事前に言っているが何か用事でもあるのだろうか。
「はい! アルト様から頼まれたものがあるので、色々と調達へ。あと……これは言っていないのですが、お迎えに行こうと思ってるんです」
不在になられて今日で一週間ですし、とノアが続ける。
「ミハルド様のお話では、本日戻られると仰っていたので。殿下のお言葉を借りる訳ではありませんが、びっくりさせようと思いまして」
迎えはいらないと言われそうですが、という言葉に反してノアは嬉しそうに頬を染め、その姿はまるで恋する乙女のようだ。
元はエルの従者として、時としてレオンハルトの補佐をするように充てがわれたが、結婚すると同時にエルの提案でアルト付きになった。
『私がいない間、誰か一人でもアルトの傍に居た方がいいだろう』
それは結婚式を終えてから程なくして行われた人員整理で、アルトの周囲を固める人間について順次取り決めていた時の事だ。
見た目こそ中性的だが、その実ノアは剣技に長けている。
王太子の右に出る者はいない、と国内外で言われているエルほどとはいかないながらも、実力はその次点とされるミハルドに匹敵するほどだった。
無論、アルトはノアが剣を持っている姿をただの一度も見ていないようで、しかしアルトの中ではノアは従者ではなく『友達』という枠組みらしい。
(アルト様が何か言ったんだろうが、引き受けるノアもノアと言うべきか)
喉元まで出かかっている言葉を、すんでのところで飲み込む。
アルト付きになった使用人らは、王太子自らが身辺調査をして身元をはっきりとさせているため、何かしらの危害を企てる恐れは無い。
そもそも第二王妃による王配暗殺未遂の件があったため、どう足掻いても待っているのは文字通り破滅のみだと理解しているのだ。
アルトは人を疑うところが一切なく、むしろ純粋なきらいがある。
だからエルも心配で過保護になるのも分かるが、同時にお人好しで人の感情の機微に疎い時があった。
けれど持ち前の明るい性格のお陰か、老若男女問わず慕われているのも事実で、ミハルドとしては少し羨ましい。
嫌になるほど人の汚いところばかりを見てきたからかもしれないが、とてもアルトのようには振る舞えないと思う。
奇異な容姿を持っている限り、死ぬまで付き纏ってくる劣等感はおいそれと消えないものだ。
ノアとて、ミハルドの瞳の色を見れば顔を背けるだろう。
己を慕ってくれているらしいが、人というものは一瞬にして変わるも。
現に孤児院で昔話をした時は無意識に目を開けてしまったようで、話し終えると子供達を中心にどこかよそよそしかった。
しかしアルトやルシエラは何事もなかったように接してくれ、その優しさが申し訳なくなったものだ。
(八つ当たりしそうだ)
普通とは違う己の容姿も、ライアンが言っていた言葉にも。
ノアのことだから詮索してくることは無いだろうが、今は必要以上に声を掛けて欲しくないのが本音だった。
アルトが公爵邸に滞在するようになったのと同じくして、ライアンを避けてしまっている。
何かあればディアンを通してもらっているものの、それも今日で終わりだろう。
「……嫌だな」
「ミハルド様?」
無意識に本音を零すと、ノアが即座に反応する。
単に訊ねただけかもしれないが、ミハルドは不自然にならない程度に口角を上げた。
「いえ、申し訳ない。こちらの話です」
「そうですか……?」
かすかに疑問を持たれたのが分かり、しかしまだ何か言いたそうなノアの腕から書類を受け取る。
「本当に何もないのでお気になさらず。……それよりも、アルト様のお使いに行くんでしょう。ここは私に任せていいから、着替えてきなさい」
誤魔化すように笑みを深くし、ミハルドはノアの背中をぽんと叩いた。
「あっ、本当だ! すみません、ミハルド様。お先に失礼します!」
ノアが反転した先には時計があり、あまり時間が無いらしく最後の辺りは口早に捲し立てると、慌ただしく退室していった。
アルトから何を頼まれたのかは知らないが、エルに不意打ちでプレゼントをあげようとしているのだろう。
それも、エルが隣国から戻ったと同時に計画は遂行されると予想している。
誕生日当日に何も無かった、と気を落としていたところに愛する者が自分のために贈り物を選んでくれ、また考えてくれたと思うと誰であっても喜びでどうにかなってしまうのは必至だ。
昨年の今頃はまだ婚約すらしておらず、同時にアルトはまだエルに対して好意を抱いていなかったようで、祝う事すら無かったらしい。
『エルが戻ってきたら……なんて言うかな。喜んでくれたらいいけど』
ふふ、と照れと期待とが混じったアルトの表情が、脳裏に浮かんでは消える。
自分も好きな相手に対して愛おしいという感情を向け、また向けて欲しいと思うのは決まって心が不安定な時だ。
(おこがましいのは分かってる。分かってる、んだが)
他の人間との結婚を勧めてきたあの日から、いつも以上にライアンのこと考えてしまっている。
声音はもちろん、こちらに向けてくる優しい視線を鮮明に思い出す。
眠ろうとしても、少しも想像したくない悪夢を見る気がして満足に眠れず、浅い夢の中を行き来しては覚醒する日が続いていた。
無理に寝ても逆に目が冴えてしまうが、起きていても余計な事ばかりを考えてしまう、というこれ以上ないほどの悪循環に頭痛までしてくる。
この一週間でまともに眠った日など無いに等しく、正常に頭が働かない。
今も椅子に座っているだけだというのに船を漕ぎ、なのに理性は睡魔に抗おうとでもいうのか、ぎりりと奥歯や頬の内側を痛むほど噛んでやり過ごしている。
(ライアン様に報告をしたら、少しでも寝なければ)
さすがにどこかで睡眠を摂らなければ、倒れてしまうのは必至だ。
そうなってしまえばライアンはもちろん他の使用人らにも迷惑を掛け、そうでなくとも自分の不甲斐なさで寝込んでしまうだろう。
ミハルドが一方的に避けているため、側近でありながら普段よりもライアンと顔を合わせる機会は格段に減っている。
午前中は衛兵として、また国王への謁見などの取り次ぎも担っているためあまり負担はない。
今日のように衛兵としての務めは休みで、かと言って謁見を乞うてくるような客人はいなかった。
だからか、ただ報告するためにライアンが政務を執っているであろう執務室へ向かうのは憂鬱で、自然と脚が重くなる。
けれど確認したい事がいくつかあるため、嫌でも顔を合わせねばならないのだ。
「パーティーか……」
いつもよりややゆっくりとした足取りで廊下を歩きながら、ミハルドは口の中で呟く。
時々王宮主催で行われるパーティーは、貴族の子女の社交界デビューはもちろん、お喋り好きな婦人方の噂話の場にもなる。
皆に楽しんでもらうために、というライアンの発案だが今回ほどやる気の起きないものはなかった。
(気が重い)
その日は公爵家の次男が社交界デビューするという名目で、年頃の令嬢との婚約披露が主軸らしい。
昔からの親交がある貴族はもちろん、アルトの実家であるムーンバレイ家とも遠からず繋がりがあるようだ。
ただ、王配の縁戚ともなると警備を厳重にせざるを得ず──そもそもエルがそうしろと言う可能性が高く──、普段のパーティーに比べて粛々と執り行われるだろう。
隣国へ向かっているエルが帰城するまで早くても一週間、パーティーはそれからそう時を経たずに開催される。
メインである婚約披露が終われば、以降は思い思いに仲間内で歓談するのが常だ。
こうした催しがある度にミハルドは取り次ぎに回る事が多く、今回は数多の人間を招待したようで文字通り忙しくなるだろう。
早ければ一ヶ月前から準備に掛り切りになるため、ライアンとも顔を合わせなくて済む。
準備前の最終確認に、国王の許可を貰わねばならないのが少しばかり嫌なだけなのだ。
(ライアン様が悪くないのは分かってる。たとえ怒っていらしても、これは避け続けてる俺の責任だ)
すべては己の独りよがりで、ライアンにはなんの責任も無い。
ただ、あの目で射抜かれてしまえば最後、自分でも何を言ってしまうのか分からないのだ。
そうしているうちに執務室に着いたようで、無意識に喉が鳴った。
「……いつも通り。いつも通りなら……大丈夫」
ぶつぶつと『大丈夫』と繰り返すと、一度二度と深呼吸して扉を叩く。
「失礼、致します。本日分の資料と、招待客のリストを纏め終わったのですが……入ってもよろしいでしょうか」
もつれそうになる舌を懸命に動かし、扉一枚隔ててライアンからの応答を待つ。
けれど普段ならば数秒経った後に響く低い声音が聞こえてこず、ミハルドは小首を傾げた。
「陛下……?」
(いらっしゃらないのか……? 今日は街へ出る予定は無いはずだが)
ある程度の予定はディアンから聞いているため、ライアンが不在ならばこちらにも情報が渡るはずだ。
それが無いという事は自室か、王宮から離れた裏手の小屋に居るのがほとんどだった。
小屋と言っても庶民が優に暮らせるほどの大きさで、ライアンが国王として一息つける隠れ家のようなものなのだが。
どちらであってもライアンを探し出さねばならないのは変わらず、しかし顔を合わせなくて良かったと思っている自分がいる。
「って違う、まだいらっしゃるかどうかも分からないだろう」
ふるりと首を振って自分を律すると、ミハルドは細く長く息を吐き出す。
たとえライアンが不在であれ、己は『側近』として成すべき事をするだけなのだ。
「……失礼します」
短く言い置いて扉を開けると、そこにはライアンその人が居た。
休むことなくペンを走らせるでも、黙々と資料を読み込むでもなく、ただ腕を組んで顔を俯けているようだ。
「ライアン様……?」
あまり考えたくない事が頭の中を過り、足早に部屋に踏み入った。
しかしあと一歩、軽く手を伸ばせば触れられそうな距離でミハルドは脚を止めた。
(眠っておられるのか)
はぁ、と図らずも心から安堵の吐息が漏れる。
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