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83 夜明け 3

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「エルランド様、お疲れさまでした」
 嵐のように始まった一日だったが、夜は静かにけようとしている。
「確かに少し疲れたかな? 二日間飲まず食わずで戻ってきたし」
 リザはさっきコルに渡された酒の盆をエルランドに持っていった。ガラスの杯が二つ載っている。
「お酒をどうぞ」
 エルランドの部屋に入ったのはこれが初めてだ。リザの部屋よりも大きいが殺風景で、目立つのは壁にかけられた大きなイストラーダの地図くらいである。
「ありがとう。リザも飲むか? この酒は甘い。それに薬草が浸してるあるから疲労回復にもなる。ここに」
 エルランドは自分が座っている大きな長椅子の座面を叩いた。座れということである。
「じゃあ、ほんの少し……あ、美味しい」
「そうだろう。少しだけなら大丈夫だ」
「さっきは随分怖い顔をしていたわ。悪い人とお話をしていたのでしょう?」
 エルランドはちょこんと腰を下ろしたリザの肩を、大きな上着でくるんでやる。
「まぁそうだ。だが、今日のところはもう終わった」
 エルランドは主だった略奪者の尋問をついさっきまでやっていたのだが、大まかなところは聞き出せたので、ようやく汗を流して一息ついたところだった。
「怖い顔をしているわ……もう休んだら?」
「俺の顔が怖い?」
「顔じゃなくて、表情が……きっと、嫌なお仕事だったのね」
「……まったく俺のリザは凄い」
 エルランドは手を伸ばして小さな頭を引き寄せた。無骨な指先が黒髪を梳く。
「伸びたな」
「ええ、髪が伸びるのは早いの。離宮ではいつもニーケに切ってもらってた」
「もう、好きなだけ伸ばせばいい。こんなに綺麗なのだから……ん?」
 リザはエルランドの胸に鼻先を寄せて何やらしている。
「なに?」
「血の匂いがする。どこかに怪我を? 痛む?」
「……いや。かすり傷程度なら山ほどあるが」
 血の匂いがするとしたら、さっきまで尋問していた男たちのものだ。彼は優しい尋問官ではなかったからだ。
「湯を浴びて綺麗にしてきたつもりだったんだが……」
 リザには言えないが、彼の尋問はかなり荒っぽいものだった。

 賊の首謀者の一人、バルトロは利き手の指先と耳たぶをエルランドに切り落とされて。もはや彼に対して恐怖しか感じていないようだった。
「こ、殺さないでくれ! 頼む! 殺さないでくれ!」
「お前は俺の妻を二度までも犯そうとしたな」
 憎悪をたっぷり塗り込めた静かな声に、バルトロは壁際まで追い詰められている。もうそれ以上は逃げられないと言うのに、男の靴はエルランドから少しでも遠ざかろうと縮み上がっている。
「し、知らなかったんだ! あの女があんたの妻だったなんて! げぇっ!」
 バルトロは体を丸めて転がった。エルランドの爪先が鳩尾みぞおちにめり込んだのだ。胃の中のものをき散らして這いずる男を、腐ったものを見る目つきで見下ろしたエルランドは、背後のランディーに合図をした。記録をとれと言うのだ。

「悪かった! 俺が悪かった! なんでも話すから!」
「お前を牢から出したのはメノムか?」
「い、いや。その時は知らなかった。ただ……ある日、急に牢から出ろと言われて、連れていかれたところに仲間が集められていたんだ」
「……それで?」
「そっからまた、馬車に乗せられて別の場所に行った。多分、王都に近いどっかの場所だったと思う。そこにはもっと大勢の男達がいた……全部俺たちのような盗賊か、食い詰めた傭兵崩ようへいくずれみたいだった」
「何人くらいだ?」
「ひゃ……百人以上はいたと思う」
「結構な数だな。それで、そいつら全部に指令を出したのがメノムか?」
「……違う」
 エルランドはうなずいた。王宮の筆頭侍従がそんなところに顔を出す訳がないからだ。
「そいつはヤーリスと名乗っていた。俺たちにたっぷり金を渡して、自分の指示通りに動けば、もっともうかかると言うんだ。そいつが俺たちをいくつかの隊に分けて作戦を伝えた」
「ヤーリス? 知らない名だな。お前はなぜメノムという名前を知っている?」
 メノムの性格からして、こんな男の前に姿を現すとは思えない。
 エルランドは彼が今まで筆頭侍従の立場を利用し、王室との繋がりを目論もくろむ貴族や商人たちから多額の賄賂わいろを得ていた事を知っている。しかし、彼はいつも用心深く、そして狡猾こうかつだった。
「ぐ、偶然だ! 偶然知ったんだ……俺たちは、王都郊外の森で野営させられていた。飯は悪くなかったが夜は寒くて、俺にはこの森にアジトの一つがあったんで、そこで休もうと思って夜になってから抜け出した」
「一人でか」
「そうだ。朝になって皆が起きる前に戻ろうと思ってたんだ。だが、驚いたが俺の丸太小屋には灯りがついていた。近くには真っ黒な馬車が止まっていて窓もふさがっていた。俺はいいネタになるかもしれないと思って、こっそり小屋の中を伺った。中にはヤーリスと、妙に身なりのいい覆面の男が床に掘った炉を囲んで対面していた。そいつはヤーリスに色々指示を出していた」
「その指示を詳しく話せ」
「イストラーダの領主が留守になる時期とか、手練てだれの守備隊を分散させる手段なんかを説明してた。最後に自分が領主になったら、ヤーリスを執事にしてやるとも」
「……」
「ヤーリスはその男のことを、名前で呼ばないように気を付けていたようだったが、一度だけ炉にかけていた薬缶やかんから湯が吹き出てその男の手に掛かった」
「……ほう」
「手袋が熱湯で張り付いて男は叫び声をあげた。その時にヤーリスがメノム様と叫んだんだ。手近に水がなくてかなりの火傷になったようだ」
「なるほど、それで名前がわかったという事か。その男は中背のやせ形で、人をいらいらさせるような滑らかな話し方をしていたか?」
「その通りだ! 嫌な声だった……あと火傷をした拍子に覆面がずれて、眼鏡と、後ろで結わえた褐色の髪と目が見えた」
「メノムだ。間違いない。他には?」
「こ、これで全部だ! 俺たちは言われたとおりにやっただけだ! あいつらは鉄樹が豊かに取れるイストラーダを欲しがっていたんだ!」
「……」
 エルランドはしばらく考え込んでいた。バルトロの話を信用するとしたら、メノムの後ろには国王ヴェセルがいるかもしれないのだ。
 国王までが関わっているという確信はないが、今まで捨て地とされ、傭兵上がりのエルランドに恩着せがましく与えたつもりが、にわかに富を生み出す土地と知って、政権側は取り戻したくなったのだろう。
 もしかしたら斥候が城の外からエルランドの動向を探っていたのかもしれない。
 彼の留守中に野盗に城と村を襲い、王都に納めるはずの鉄樹を奪って失態とすれば、管理不行き届きで領地を取り上げる根拠になる。

 少し話を盛れば、奴らには十分な口実に仕立て上げることができるだろうな。

「なるほど……なるほどな」
 エルランドの瞳はぞっとするほど暗かった。
「ところでお前は自分の言葉が真実だと、どうやって証明する? 俺はそれを確かめねばならんが、もし偽りだったら命はないと思え。それも数日は続く拷問の末のむごたらしい死だ」
「ひぃいいい! 嘘じゃない! 誓って嘘じゃない! 俺はメノムに義理立てする義理なんてない! 助けてくれ! 殺さないでくれ!」
 バルトロは顔中を体液でどろどろにしながら喚いた。
「そうか、それならいいがな。当面の傷の手当てくらいはしてやる。しばらくは地下でゆっくりするんだな。だが、お前の汚らしい陰部が、我が妻を蹂躙じゅうりんしようとした事を俺が忘れると思うなよ。まぁ、命は取らないまでも、は切り取ってもいいかな」
「……っ!」
 バルトロの目が限界まで見開かれる。
 エルランドは恐怖にまみれた悲鳴を背中に聞きながら、地下から去った。

「ほらまた、眉間にしわ!」
 柔らかな掌がエルランドの額をこする。それが心地良くて、エルランドはしばらくリザの好きなようにさせていた。
 そうされる事で汚れた自分が浄化されるような気さえする。さっきまでいた凄惨な現場の風景が次第に遠ざかっていった。
「俺のリザはやっぱり凄いな」
「また? さっきからおんなじことばっかりよ」
「そうか……リザ。もう少し酒が飲みたいんだが」
「ええ。どうぞ」
 エルランドに応じてリザは杯に酒を注いでやった。たっぷり注ぎすぎて指が濡れてしまったのを舌で舐めとる。
「……やっぱり甘い」
 リザは、ちゅると自分の指先を吸って笑った。それが疲れた男の本能に火をつけるとは知りもしないで。
「俺はもっと甘いものを知っている」
 エルランドは一気に酒を飲み干すと、杯を押しやってリザを引き寄せた。

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