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2章 魔女 未来に向かって

83 魔女と愛する人 3

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「……で? 君一人がそんなに幸せそうにしてるって訳だね?」
 王太子レストレイは、市長室の横に整えられた部屋でギディオンに対峙していた。
 彼はいささか、いや非常に疲労している様子である。髪の輝きがやや薄れ、華やかな美貌がやや陰っていた。
 王太子がアントリュースの街に講和使節代表としてやってきてから、すでに五日が経っている。
「いたって普通にしておりますが?」
 ギディオンは簡潔に答えた。
「そうかな? 今までの仏頂面を見慣れている者からしたら、まるで別人と対面しているようだけどねぇ」
「お言葉そっくりそのまま、お返しいたします」
 ギディオンの言葉に嘘偽りはない。レストレイは目の下に隈を作っているのだ。
「ふん、やっと認めたか」
 彼の皮肉にも少しも動じないギディオンに、レストレイは面白くなさそうにそっぽを向いた。
「やってられないね」
 王太子はうんざりしたように、金髪をかき上げた。
「御意。私のことはともかく、殿下には大層なご活躍でございます。さすがパージェスの後継、王太子殿下だと感服仕りました。無論私だけではございません」
「そうだろう? ただね、私は満足している訳ではないんだ」
 レストレイは実際の戦闘には参加していない。
 この街に来てからの五日間、普段の王太子を知っている人から見れば、それこそ別人のような働きだった。
 普段の飄々ひょうひょうとした態度は仮面であると、ギディオンはもちろん知っている。しかし、これほど勤勉で真摯な働き者だとは思っていなかったのだ。
 最初の援軍が西からアントリュースに向かったとき、彼はお飾りの将軍でも構わないから出陣すると言ったのだが、パージェス唯一の嫡子として、その訴えは国王にも、参議達にも認められなかった。
 それは予想された事だったので、レストレイも引き下がったが、その代わり直ちに戦後処理の準備に取り掛かった。独自の情報網やギディオンからの報告により、街の様子や戦況を逐一分析する。
 さすがに最終決戦の状況まではわからなかったので、講和の条件の草案を三通り作成したところでアントリュース勝利の一報が入った。
 そこで待機させていた、千の国軍と近衞を率いて、レストレイは怒涛のようにアントリュースに入場したのだ。
 それから五日。
 彼は捕虜となっていたチャンドラの司令官タレンはじめ、主だった将官と会見し、チャンドラ国使節との丁々発止ちょうちょうはっしの駆け引きを繰り広げ、停戦及び講和条約を取り付けた。
 不眠不休で駆けつけたチャンドラ使節代表は、現太守の甥であったが、太守ターレーンの親書を携えてきた。
 それを踏まえてパージェスの出した講和の条件は、ほぼレストレイが考えたものだ。彼は長い間、散発的に続いていた、チャンドラとの争いに終止符を打とうとしていた。

 一つ、破壊された城門城壁、市街の補修費用、及び死傷者の家族に対する補償。
 一つ、今後、武力を持ってパージェスの国境を侵犯するのならば、平原諸国連合の総意を持って対抗措置をとる。
 一つ、チャンドラ船のアントリュース川の付属の運河の通行を許可する。許可船舶は中型以下とし、当面一日に三隻から五隻とする。運河使用量に対しては国際基準の定めたものを支払うこと。

 厳しすぎず、緩すぎない、そして恒久性を持つ。
 これがレストレイの考える講和の主旨だった。
 細かい部分は文官で詰めて、国際的な条文に直されたが、チャンドラはそのすべての無条件で呑んだ。捕虜は全て武装を解き、死者は弔われ、負傷したものには手当てを施した。
 そして終に昨日、市庁舎の大ホールで講和条約締結の儀が厳粛に行われたのだ。
 それは、レストレイに少々辛辣気味なギディオンから見ても、堂々とした国王の名代だった。
 怜悧な美貌と、パージェスの第二正装を優雅に着こなしたレストレイは、勝利者の奢りも見せず、終始威厳と至誠を持って儀式を終えた。

「お疲れ様でございました」
「本当によく働いたよ。すっかりくたびれた」
 講和締結後の様々な行事や、書類仕事からようやく解放され、部屋着に着替えたレストレイは行儀悪く長椅子に寝そべった。
「一杯飲みますか?」
 ギディオンは琥珀色の強い酒を小さな杯に満たす。
「ああ、ありがとう。だけど君さ、要領よく立ち回っていたよね。主君がこんなに働いているのに」
「心外な。ほとんどいつもお側におりましたぞ」
「公式の場ではね。だけど、終わったらいつの間にか、いなくなっていたじゃないか」
「殿下には優秀な近衞がいるではありませんか。それに私は今回、護衛の任務を仰せつかってはおりませぬ」
「ま、どこに行ったか、何をしていたか、想像はつくけどね」
 レストレイはにやにやしながら肩を肩を竦め、酒に口をつけた。
「それも心外でございます。私は負傷者や街の様子を見て回っていたのです」
「負傷者を手当てする娘の様子、だろうに」
「……っ」
 これは図星だったと見えて、ギディオンの視線が揺らぐ。もちろんレストレイはそれを見逃さなかった。
「あの子は働き者だからねぇ。今回ウェンダルを伴ってきて良かったよ」
 レストレイは負傷者の救護のために、王都から大勢の医者と薬師を連れてきていた。ザザもすぐさまウェンダルのもとで働いている。ほとんど休んでいないはずだ。
「ご配慮感謝いたします」
「ザザの活躍のことも、エーリンク殿やホルバイン殿からあらましは聞いている。だが、実際はそんなもんじゃなかったんだろうね」
 レストレイは感慨深げに言った。
「……」
「伝説の大魔女か。王都でフェリアに仕掛けてきた時から、その者のことを調べたけれど……昔の記録がいくつか残っていたよ。あまりに恐ろしくて、ほとんど破棄されていたけれど」
「ええ……恐ろしい魔女でした」
「今回のことで、魔女がまだ生きていたことが皆に知れ渡ったね。悪い魔女は死んだけれど、君の小さな魔女はどうするかい?」
「すでに手は打っております。小さな魔女は魔力を使い果たし、普通の娘に戻ったと、俺の部下たちに噂を流させました。市長や守備隊長殿にも協力を得て、今のところ市民に魔女を糾弾する動きはありません」
 それは強ち嘘ではなかった。魔鉱石モルアツァイトを失った今、ザザはただの繋ぎの印を持つ、に戻ってしまったのだから。
「俺はザザをもう危険に晒したくない。今回俺は守られてばかりだった……だがこれからは、あの娘を守るのは俺でありたいのです……」
 ギディオンの声と顔つきから、レストレイは察するところがあったのだろう、それ以上は言及しなかった。
「……いつか全部話してくれるかい?」
「そうですね、いつか……ザザと一緒に」

 邪悪で残酷な大魔女スーリカと、彼の小さな魔女は死闘を演じた。
 今でも思い出すと拳に汗がにじむ。しかし、恐怖と嫌悪だけでは説明できない感情も、ギディオンの中に確かにあった。妄執の奥に秘めていたものは、大叔父グレンディルに対する報われない愛だった。そしてそれが、自分とザザの絆を確かなものにしたのだ。

 今は、あの北の洞窟で安らかに眠れとしか思えない。
 ザザもそう願っている。俺たちの想いは一つになったのだから。

「……ディオン、ギディオン!」
 呆れたようなレストレイの声で、ギディオンは我にかえった。
「は! ご無礼いたしました。なんでしょうか?」
 咄嗟に気をつけの姿勢をとった彼に、レストレイはもう一度大袈裟に肩を竦めた。
「やれやれ。私の騎士がそんな顔ではもう仕事にならないね。行っておいでよ、お前の行きたいところにさ」
「は。それではお言葉に甘えさせていただきます」
「おいおい、そんなにさっさと言うことを聞くなよ。これを」
 素直に頭を下げて背中を見せた男を、レストレイは呼び止める。
「疲れているだろうからね。これを持っていっておやり。お前にはこれだ」
 そう言って差し出されたのは、小さな箱に入った菓子と、レストレイが今飲んでいる酒の小瓶だった。どちらも滅多にない高価なものだ。
「お心遣いに感謝を。では!」
 それらを受け取ると、深く一礼してギディオンは部屋を出ていった。
「やれやれ。あの男があんなに素直になるなんてねぇ。人にとっては戦よりも恋の方が厄介なのかもしれないな」
 レストレイはそう呟いて、杯の酒を飲み干した。


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