女神なのに命取られそうです。

羽鳥紘

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1巻

1-1

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   一 通勤→超絶美形の腕の中!?


「わたしは大天使。神より命じられ、あなたのもとに参りました」


 突然降ってきた声に、私は驚いて顔を上げた。
 そこにいたのは、純白の翼を背負った金髪きんぱつ碧眼へきがんの天使。声はずっしりと響くような、それでいてとても甘い私好みのバリトンボイス。一日中でも聞いていたいぐらいの美声だ。

「ここは現世とあの世の狭間の世界。あなたは一度死んだのです」
「うそでしょっ!?」

 突然すぎる死の宣告に、私は悲鳴じみた声を上げる。
 でも、パニックになったのはごく一瞬。だって私はこの展開を、とてもんだもの。

「あのー……もしかしてこの後、転生とかありますか!?」
「ええ、もちろんです。生前のあなたの頑張りを、主は高く評価しておられます」

 天使様の返事に、私は満面の笑みで歓声を上げた。
 ああ、苦節二十三年。何をしても人並みか人並み以下。何の取り柄もなく、彼氏の一人もいないつまんない人生だったけど、生きてて良かった! あっ、死んだんだっけ。

「さて第二の人生は、王宮モテモテ逆ハーレムコースと、チート能力でイケメン勇者と世界救済コースがお選びいただけます。どちらがよろしいですか?」

 魅力的なコース名を挙げながら、神々こうごうしい天使様は両手を掲げた。するとその手の上に、もやもやと映像が現れる。
 右には、素敵なお城でゴージャスなドレスをまとい、たくさんのイケメンに取り合われて困っている私が。
 左には、勇ましく杖を振るい、そこからほとばしる派手な魔法で、イケメン剣士と共に次々と魔物を倒している私がいた。
 おまけにどちらの私も、目がぱっちりとして肌も白くツルツルで、実際よりかなり美人!

「さあ、どちらが良いですか? 王宮でモテモテ逆ハー生活か、それともチート能力でイケメン勇者と世界救済か」
「ちょっと待って下さい、どっちも魅力的すぎて選べないですよ~!」

 両手で頬を覆って身悶みもだえながら、私は嬉しさのあまり悲鳴を上げる。そんな私を見ても天使様はドン引きしたりせず、相変わらず優しい笑顔のままで左手を差し出した。

「それなら、体験版はいかがですか?」

 すると天使様の左手から光が溢れ、私を包みこむ。
 あっと思う間もなく、気が付いたら私は長い白のローブをまとい、豪華な杖を手にしていた。選ぶ前に体験できるんだ、なんて親切設計なんだろう!
 足元には大理石の床、目の前にはった細工の柵。その向こうには緑なす美しい景色が広がっていた。
 どうやらここは、お城のテラスのようだ。柵に近付いて下を見下ろすと、そこにはたくさんの人々がいて、みんな一様にこちらを見上げていた。そして私が顔を出した瞬間に、地面を揺るがすような歓声がどっと湧き上がる。

「女神様!」

 人々は口ぐちにそう叫んだ。最初はバラバラだった声もそのうち一体となって、女神様コールが始まる。大人も子供も、男性も女性も、みんながうっとりとして私一人を見つめ、女神様とたたえているのだ。当たり前だけどこんな経験は生まれて初めて。ちょっと恥ずかしいけど……でもなんだかいい気分!
 調子に乗って、微笑みながら手を振ってみたら、歓声がひときわ大きくなる。感極まって泣き崩れる人まで現れて、私は有頂天で手を振り続けた。
 しかし、良かったのはそこまでだった。
 突然、悲鳴が歓声を引き裂く。かと思うと、いい天気だった空が暗くなり、雷鳴がとどろいた。
 そしてその稲光の向こうから、真っ赤なドラゴンが大きな翼を羽ばたかせながら……わ、私に向かってくるうう!?

「きゃあああああ!?」

 お試しだとわかってはいても、あまりの迫力に私は頭を抱えてうずくまってしまった。
 だが、何者かにグイッと腕を掴まれて、無理やり立たされる。

「おい、早くあいつを倒すぞ! 魔法を使え!」
「……へ?」

 そんなこと言われても、魔法の使い方なんて説明受けてない! 
 何をどうしていいのかオロオロしている間にも、ドラゴンはぐんぐんこちらに近付いてくる。

「む、無理! 助けて!」

 腕を掴むその人にすがりつく。
 すると彼は美しい銀髪をなびかせながら、黒いローブをひるがえし、紫の瞳で見下すように私を見た。
 もしかして、この人が勇者様なのだろうか? 確かにとても綺麗な顔立ちで、文句のつけようのない美青年。
 だけど目つきがあまりにも冷たくて、近寄りがたい雰囲気を放っていた。真っ黒な衣装を着ていることもあって、正義の勇者様というよりは、まるで悪の魔法使い。
 しかも彼は、私の手を振り払って言い放つ。

「は? お前が人々を助けるんだろうが、女神。さあ、早く戦え」

 その言葉を聞いて、私は絶望に打ちひしがれた。
 わーん、やっぱりこの人、悪の魔法使いだ!! っていうか、これは違う、何かが違う、こんな展開、『読んだことない』!
 ドン! と重い音がして、私の目の前にドラゴンが降り立ち、「キシャアアァァァァ!!」と咆哮ほうこうを上げる!

「待って待って! 天使様、もういい、お試しもう終わり!! 王宮逆ハーレムの方でお願いしますうう!!」

 泣きながら空に向かって叫ぶと、どこからともなく声が降ってくる。

「お試しの時間は、アラームが鳴るまでですよ~」

 その言葉と共に、「ピピピピピ!」とけたたましいアラーム音が響き渡った。
 ああ、良かった、終了だ……


 ピピピ。ピピピ。ピピピピピピピ――


 ガバリ。
 鳴り響くアラーム音に、私はベッドから跳ね起きた。
 良かった……夢かぁ。
 重い頭をなんとか起こして、寝ぼけまなこをごしごしこする。その瞬間、マスカラで黒く汚れた人差し指が視界に飛び込んできて、一気に眠気が醒めた。

「ああっ、またやっちゃったー!」

 大きな独り言を言いながら、急いでスマホのアラームを止める。アラーム表示の後ろには、昨日眠る寸前まで読んでいた小説の文字が並んでいた。


     * * *


 私の名前は水瀬夏月みなせなつき、二十三歳。駅前のデパートでアパレル系の仕事をしている、ピカピカの社会人一年生。趣味はネット小説を読むこと。
 おしゃれになりたいなーなんて軽い気持ちで洋服屋さんに勤めてみたけど、早くも少し後悔している。素敵な服に囲まれて、可愛い服を着て、おしゃれなお客さんと楽しくファッション話で盛り上がって~……なーんて考えていたのがはるか昔のよう。当然、現実はそんな甘いものじゃなくて、仕事はめちゃくちゃキツかった。
 朝は掃除から始まり、昼はお得意様にセールスの電話。小一時間冷やかしのお客の相手をし、ようやく売れても返品され、あげくの果てには休みの日まで仕事の電話が鳴りっぱなし。心の休まる時間なんて全くない。会社にこきつかわれるなんて絶対にいやって思ってたのに、立派な社畜しゃちくの完成です。
 ……でも、そんな私にも、一つだけ楽しみがある。それはネット小説を読むこと。その時間だけが、私の心のオアシスだった。
 最初は、何気なく読み始めただけなのに、気が付けばどっぷりとハマりこんでいた。仕事をはじめてからこっち、忙しくてなかなか本を広げる暇がなかったけれど、これなら通勤中でも気軽に読める。職場まで四駅という私の微妙な通勤時間にちょうど一章読み切れるというところも魅力だった。
 そうやってちまちま読んでた小説も最新の章まで読み終わると、今度はその作家のオススメ作品にも手をつけた。結果、朝の小さな趣味は昼休みや寝る前にも及んでいった。何せ膨大な数の話が無料で読み放題なのだ。ちょっと面白そう、って思ってブックマークしているうちに、気が付けば相当な数の〝お気に入り〟ができていた。
 うっかり読み始めた話が面白くてやめどきを見失い……なんてことは日常茶飯事。昨夜も例に漏れず時間を忘れて読み進め、やがてメイクも落とさず寝てしまったというわけだ。

「あ~あ。これじゃお肌ボロボロになっちゃう」

 急いでシャワーを浴びてクレンジング、体を拭いたらすぐまたメイク。明らかにお肌に悪いけど、ノーメイクで出勤するわけにもいかない。
 メイクが済んだら部屋に引き返し、今度は服選び。毎朝これがなければ、その分寝坊できるんだけどなぁ。そうしたら、もう少し小説読む時間もできるんだけどなぁ……

「ナツキ~、朝ごはんできてるわよ!」

 クローゼットの前で仁王立ちし、腕組みしつつ服を吟味していると、リビングからお母さんのれたような声が飛んでくる。私はそちらに向かって「はーい!」と返事をし、いくつか適当にハンガーを掴んでベッドの上に放り投げた。そして、鏡に向かって一つ一つ体に合わせてみる。

「ナツキってば、遅刻するわよ!?」
「もう、わかってるってば!」

 遅刻は駄目だけど、職業柄、変な格好してお店に行ったら怒られちゃう。とはいえやっぱり遅刻も駄目なので、私は慌てて目についたワンピースを着用した。うん、これなら色も今年の流行はやりだし、季節にも合ってる。
 カーディガンとバッグを持ってリビングに急ぐと、テーブルの上にはフレンチトーストとサラダが用意されていた。

「こんなに食べてる暇ないよ~」

 立ったまま、一口大にカットされてるフレンチトーストにフォークを刺すと、お母さんが「行儀悪い」と顔をしかめる。

「前の日に着るものを決めておけば朝慌てないんじゃない?」
「いつもそうしてるよ。昨日は疲れてていつの間にか寝ちゃったの」

 正論を言われると、つい言い返したくなるものである。私は冷蔵庫からミルクを出してコップに注ぎ、口の中のトーストを流し込む。それからその足で玄関へと向かった。

「いってきまーす!」
「こらナツキ、サラダもちゃんと食べなさい!」

 お小言を背中に聞きながら、私は家を飛び出した。

「さて、今日は何を読もうかな~」

 スマホを開くと、お気に入り小説の更新通知がいくつも来ていて、うきうきと心が弾む。ネット小説に出会わなければ、通勤時間なんてこの世の終わりってぐらい憂鬱ゆううつなものだったに違いない。ほんとネット小説様々さまさまだ。
 徒歩三分の最寄り駅に辿りつくと、朝のラッシュでごった返す人の波に乗り、改札機に乗車カードをかざす。さあ、電車に乗ったら、朝のささやかなお楽しみタイムの始まりだ!
 勇んで足を踏み出した――その瞬間、だった。
 ばっと黒いカーテンを引いたように、視界一面が黒に塗り変えられる。

「えっ停電!?」

 いや、自分で叫んでおいて何だけど、それはおかしい。
 停電も何も、今は朝だ。それに、こんな異常事態なのに人のざわめきもない。手探りで周囲を探ってみるけど、改札機も人も見つけられない。
 一体何が起こったというのだろう。手にしていたかばんを抱え直し、私は目をらしてもう一度周囲を見回した。
 すると、真っ黒な視界の中に、一つ白い点が見えた。――光だ。
 それは最初は点だったけど、やがて小さな丸になった。そこからは見る間に大きくなり、光はトンネルの出口のように広がって私に迫ってくる。

「――っ!?」

 あっという間に、その光は私を呑み込んだ。視界いっぱいの黒が一気にがれ、青と緑に塗りかえられる。
 澄み渡った空の青と、どこまでも広がる草原の緑。そんなアルプスを連想させる景色を、私は〝見下ろしていた〟。
 そう、宙に浮いて、見下ろしているのだ。それも、信じられない高さから。
 何が起こったのか全く理解できず、悲鳴は喉につっかえて出てこない。足元はふわふわ覚束おぼつかなくて、気を抜くとひっくり返ってしまいそうだ。
 必死にバランスを取ろうと手足をバタバタさせていたら、突然背後に気配を感じた。

「誰……?」

 振り向いた私の目に、真っ黒な衣服がはためく。
 そこにいたのは、全身黒ずくめの男の人だった。革っぽい黒のマントに、同じ材質の黒のブーツ。手には黒のグローブをはめ、頭にはフードを被っている。真冬でもここまでしないだろうという完全防備の中、フードからはみ出た銀色の髪が、漆黒によく映えている。
 こちらを見つめる瞳は紫色で、明らかに日本人ではない。そのせいか、そんな異様な格好でも見惚みとれるほど似合っていた。
 だけどその目はまるで見下すように私を睨んでいて、冷たい感じは否めない。
 あれ……つい最近、どこかでこんな人、見たような……


『我、ウィスタリアの清き血をもって、聖地に産まれざる者に命じる!』


 突然、彼がこちらに手をかざして、朗々ろうろうと叫ぶ。するとその手から銀色の光がほとばしり、リボンのような帯状になって幾重にも私を取り囲んだ。

「な、何……!?」

 ぐらり、と体が傾く。落ちる、と思う間もなく、私は銀色の光に囲まれたまま、ものすごい速度で落ちていった。
 光の帯の間から、ずうっと上の方に、さっきの人の姿が見える。
 まるで悪の魔法使いみたいな黒いシルエット。
 それを認めたのを最後に、私は気を失った。


 次に感じたのは、温かく、柔らかい感触。
 あ、ベッドの中……かな。ということは、さっきのはやっぱり夢だったのね。
 ここのところファンタジー小説ばっかり読んでいたから、こんな夢見ちゃうんだろうなぁ。さて、そろそろ起きないと。できれば、メイクしたまま寝ちゃったのも夢でありますように。
 ささやかな願いと共に、目を開ける。するとそこは、見慣れた私の部屋……

「……じゃない!?」

 思わず頓狂とんきょうな声を上げてしまった。
 視界に飛び込んできたのは、部屋の天井ではなく、雲一つない抜けるような青い空。そして、その空に届きそうなほどの大きな木、だった。
 ……何、これ。どうして私、寝起きなのに外にいるんだろう。
 事態を把握しようと頭をフル回転させていると、ふと私と青空の間を何かがさえぎった。
 ……それが人の顔だと理解できるまで少し時間がかかった。
 さらりと、金髪が私の頬をくすぐる。
 ここは私の部屋でもなければ、ベッドの上でもなくて。
 美術館の絵にえがかれた天使のような、超絶美形なお兄さんの……腕の中だった。




     * * *


 フル回転していた頭脳がピタリと止まる。
 そうして、どれくらいの間ぼんやりしていたのだろう。私はまばたきも忘れ、穴が開くんじゃないかというほどそのお兄さんをガン見していた。
 それは、あんまり彼が綺麗な顔をしていたから、というのもあるけど、何が起こったのかさっぱりわからず、動くことができなかった……というのが正解。

「ようこそウィスタリアへ。我が女神よ」

 呆然とする私の耳元に、美形のお兄さんが甘い声でささやきかける。その声が、昨夜夢で見た天使の声と重なった。
 中性的美貌に、低く響く美声、私の好みど真ん中! とか言ってる場合じゃない! あわわ、か、顔が……顔が近いいい!!

「あ……あの……!」

 唇が触れてしまいそうな距離に、顔から火が出る思いで、私は必死に彼の腕の中でもがいた。
 決して美形青年を拒絶したいわけじゃない。それどころか、ワケわかんないけどなんかラッキー! って感じ! 
 とはいえ、物事には心の準備というものが必要で。そんなもの微塵みじんもなかった私の、ただでさえ物わかりの良くない頭は、もうパンク寸前で。
 それを察してくれたのか、彼はすぐに私をそっと床に立たせてくれた。
 やっとまともに息ができる。それから、改めて彼を見た。
 細かい金刺繍きんししゅうの入った立襟のスーツ、シルクっぽいスカーフにベルベットのような生地の長マントという、高級感漂ういでたち。美しい金髪は、日本人が染めた時みたいな偽物っぽい金じゃなくて、外国人モデルのようなブロンド。青と緑の間のような、不思議な色の瞳は、そんな豪華な格好にやたらとよく似合っていた。髪や目の色といい、顔立ちといい、どう見ても日本人には見えないけど……今、すごく流暢りゅうちょうな日本語をしゃべったような。
 そう思ったのは、気のせいではなかったらしい。

「諸君、女神の召喚は成った! ウィスタリアにはこれからも永遠の平穏と繁栄が約束されるであろう!」

 突然、美形のお兄さんが剣を抜いて朗々ろうろううたい上げた。やっぱり日本語だ。
 彼の言葉に応えるように、周囲にいた人々が一斉に歓声を上げた。私一人が置き去りのまま、美形お兄さんの横に突っ立っている。どうしよう、言葉はわかるけど、全然ついていけないや。
 それにしても、ここはどこなんだろう。天井はないけど、周りには白い外壁があって、屋外……というよりは中庭みたいな感じだ。
 外壁のあちこちにはつたや根がっていて、木も壁も一体になっているような感じが神秘的。足元の石畳からは芝生が覗いている。
 ――ここまでなら、どこか知らないお宅のお庭に迷い込んだのかもって思う。
 でも、こちらを向いてひざまずくたくさんの人々、そして――私を取り巻く、光の魔法陣。
 これらのものは、そんなんじゃ説明がつかない。
 とはいえ、何が起こったのか聞こうにも、とてもそんな雰囲気じゃなかった。
 ただひたすら戸惑っていると、やがて美形のお兄さんは剣を収めて、その手で私の片手を取った。

「私はウィスタリアの王、サイアスだ。女神よ、名は何と言う?」

 触れ合う手にどぎまぎしつつ、私はきょろきょろと視線をめぐらせた。
 不思議な庭、淡く光る魔法陣。この上女神まで現れるのか……と思ったのだ。
 だけど、彼――サイアスさんの視線の先にいるのは私。
 私しか……いない。

「あの、もしかして、女神って……わ、私のこと、ですか?」

 まさかねー、と思いつつ、笑いながら冗談っぽく聞いてみる。しかしサイアスさんは、大真面目な顔で深く頷いた。
 あ……もしかして朝の夢の続き? だけどもう女神はこりごりだ。またドラゴンと戦わされるのは夢でも勘弁してほしい。

「何かの間違いじゃないですか? 私は女神なんかじゃ……」
「そんなことはあり得ない。我々の召喚の儀に応じた時点で、貴女あなたが女神であることは間違いない」

 サイアスさんがさっと手を振ると、突然私のすぐ目の前で、銀色の光が弾けた。私を取り巻く魔法陣と同じ、銀色の光。
 その光が収まると、そこには一人の青年が立っていた。真っ黒な服を着て、黒いフードからは銀の髪がこぼれている。
 間違いない。駅が真っ暗になったすぐ後に現れたひと。
 それから……そう、思い出した! どこかで見たと思ったら、今朝見た夢の、感じ悪い勇者様にそっくりだ!

「彼は我がウィスタリアの最高位術師、シエン。この世界へ貴女を召喚した者だ」

 サイアスさんがそう紹介してくれるけど、シエンという人はニコリともせず、それどころかこちらを見もしない。そんな横柄な態度も夢の中の人にそっくり。
 いや、それより今、「この世界へ召喚」って言った?

「えっと、つまり私は女神として、魔法で異世界に召喚されたっていうことでしょうか」

 私の質問に、サイアスさんは真面目な顔で頷いた。

「その通りだ。さすが、我らが女神は聡明でいらっしゃる」

 なんだぁ、やっぱり夢の続きかぁ。王様って言ってたし、きっと王宮逆ハーコースの体験版だね。
 それにしても、リアルな夢だなぁ。肌をでる風といい、日差しの暖かさといい、イケメンを前にしてドキドキする心臓の音といい、とても夢とは思えない。
 でもやっぱり夢だよね、こんなの夢でしかあり得ないもん。だからほっぺた引っ張っても全然痛くなんかないもんね! とぎゅうっと頬をつねってみる。……痛い。すごく痛い!!

「名を教えてもらえるだろうか?」

 じんじんするほっぺたをさすっていると、再びサイアスさんに声をかけられた。
 涙が出るほどリアルすぎる痛みに戸惑いながらも、私はなんとか自分の名を名乗る。

「ナツキです。水瀬夏月」
「ナツキ、と呼んで構わないだろうか」
「は、はい……!」

 答える声がかなり上ずった。だって、サイアスさんはあまりにも美形すぎる上に、話しかけてくる時いつも顔を近付けてくるんだもの。顔から火が出そう。

「あ、あの、これって夢ですよね?」

 混乱するあまり、私はサイアスさんにストレートに聞いてしまった。きょとんとするサイアスさん。その顔を見て、我ながら馬鹿な質問をしたと思った。けれど、感覚がどんなにリアルでも、状況にはまるでリアリティがないんだもの。
 一方、サイアスさんが不思議そうにしていたのはほんの一時いっときのこと。すぐに彼は穏やかな笑みを浮かべ、スッと手をこちらに伸ばした。

「突然のことだ、そう思うのも無理はないな。だがこれは現実だ、ナツキ。それとも、私のこの手の感覚も体温も、夢だとでも?」

 サイアスさんの手が頬に触れ、残っていた痛みも吹き飛ぶ。
 その代わり私の混乱はますます加速した。
 サイアスさんがささやく度に吐息が肌をでる。もう、頭の中はパニック状態。

「サササササイアスさん、いえ、サイアス様、あの、近――!」
「サイアスで構わない」
「で、でも……王様なんですよね?」
「確かに私は王だが、ナツキは女神だ。ナツキが気さくに接してくれなければ、私もナツキ様とお呼びせねばならなくなる」

 そんなことを言われても……。仮に王様っていうことを置いておいても、年上っぽい男の人を呼び捨てにするのは抵抗がある。
 困り果てていると、サイアスさんは手を離し、それからいきなり膝をついてうやうやしく頭を下げた。

「どうやら私の方が非礼だったようだ。それでは、私もナツキ様とお呼びしましょう」

 手が離れたことにほっとしているいとまもない。

「そっ、そんな! やめて下さい! ナツキで結構です!!」

 私は慌てて叫んでしまう。

「……それでは、サイアスと呼んでいただけますか?」

 彼は少し意地の悪い笑みで私を見上げた。
 年上のお兄さんにそんな対応されたら、従わないわけにいかない。……多分、それを見透かしていて、わざとこうしているんだろう。

「……わかりました。だから、立って普通に話して下さい。お願いします」
貴女あなたが私をサイアスと呼んでくれたら、そうしましょう」

 うう、意地悪。
 でも、ただの意地悪でこんなことしてるんじゃないのもわかる。彼の笑顔も、今はもう優しげなものに変わっていた。きっと私に気を遣わせないためなんだろう。だからそれに甘えることにした。

「サ……サイアス」
「ありがとう、ナツキ」

 ようやく立ち上がったサイアスさ……サイアスを見て、胸を撫で下ろす。なんか、やっとちゃんと息ができたって気がした。
 一度深呼吸をしてから、おずおずと切り出してみる。

「それで、その……夢じゃないなら、色々聞きたいことがあるんですけど」
「わかっている。詳しいことは彼女に聞くといい。アザリア!」

 サイアスがひざまずく人々に向かって呼びかけると、一人の少女が立ち上がった。そして私とサイアスのすぐ傍まで歩み出てくる。


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