けものとこいにおちまして

ゆきたな

文字の大きさ
上 下
28 / 41
けものはとおくへいきまして

26わ。

しおりを挟む
カナタが宿に戻った頃には髪から身体、足の先まで雨でびしょ濡れになっていた。

「戻ったのね、カナタ」

カナタの部屋の前で、マイラが腕を組んでカナタが帰ってくるのを待っていたようだ。

「さっきは、ごめんなさい。あなたの立場への配慮が…足りなくて…」

「もう、いいんだ…」

気まずそうに謝るマイラの声を、カナタの掠れた声が遮った。

「…カナタ、あなたそんなに濡れて、一体どうしたのよ…!」

「もういいよ…いいから」

カナタはマイラに喋らせようとはせず、同じ言葉で何度も遮って自分の部屋の中へと駆け込んだ。
明かりも点けずに、扉の鍵をかけてしまえば、扉を背にしてずり落ちるように座り込んだ。

「う…うっ…」

ずっと堪えていた涙が一気に溢れて、カナタはその場でうずくまるほかにできることはなかった。

「カナタ…一体何があったというの?」

カナタの部屋に向かってそう呟くマイラは、後ろから聞こえてきた足音に振り向いた。

「ルアン…」

「マイラ、部屋から出てきていたのか」

ルアンはもう一度宿に来たようで、不安そうな表情を見せるマイラに首を傾げた。

「ルアン、カナタが今、ただ事じゃない様子で帰って来たわ」

「…そうか…」

「あなたがあの子に、なにかしたの?」

そう言ってマイラはルアンをきつく睨み付けたが、ルアンは緩く首を横に振った。

「カナタが自分で決めたことなんだ」

「一体、何を決めたって言うのよ?」

「もうガルフたちとは会わないって、カナタは決めたんだよ」

それを聞いたマイラは、はっと息を呑んだがすぐにいつもの調子で答えた。

「そう。それなら話は簡単ね。アドルフ様に話をつけて、私がカナタを連れて街に帰るわ」

「それは無理な話だ。マイラには残ってもらうことが前提の話だからな」

「それこそ私には無理な話よ。ガルフに女性をあてがいたいと思っているのなら他をあたってちょうだい?私はもう寝るわ。明日起きたらカナタを連れてさっさとここから帰るわ」

そう言い残してマイラは一瞬の躊躇いも見せずに部屋に戻って扉を閉めた。

「あ、おい!マイラ!…くそっ!」

ルアンの舌を打つ音と、悔しそうな声だけが廊下に虚しく響いた。

……

いつの間にか眠ってしまっていたカナタは、朝陽が窓から差す眩しさで目を覚ました。

「もう朝か…」

知らない間に雨も上がっていて、雲ひとつない快晴の空になっていた。
しかし、カナタの身体は重い。
昨夜、雨に濡れたまま眠ってしまったせいか、寒気も感じていて気怠さに襲われていた。
けれど…

「伝えに、いかなきゃ…」

アドルフに、もうここを去ると決めたことを伝えねば…
そう決めたのに、足が外へ向こうとしない。
ベッドへ倒れ込んでは、カナタはもうこのまま何事も進むこともなく、時が止まってしまえばいいのにと思っていた。

……

それからカナタはまたしばらく眠っていただろうか。

「うわ!すごい熱!お医者さん呼ばなきゃ!」

「それまでに、とりあえず冷やしてあげなきゃいけないわ」

「それじゃ俺が宿のオーナーから冷水とタオルをもらってくるぜ」

ぼんやりとしたカナタの意識の中に、様々な声が聞こえてきた。

「(懐かしい声もいる…すごく、穏やかな気持ちだ)」

周囲の声からは明らかに、焦りや不安が伝わってくるのに恐ろしく反比例するようにカナタの心は楽になっていくような気がしていた。
ずっとこのまま時が止まってしまえばいいというカナタの願いを誰かが叶えてくれたのだろうか?
そんなことを考え、それからカナタは何時間も微睡まどろむ意識の中を揺蕩たゆたっていた。
それから程なくしてゆっくりと、カナタは目を開いた。
視界が青く染まっている?
いや、自分の目の前に青い球体が置いてある?
それも違う、この丸い青は…ずっとそばで見ていた…

「ル…ウ…?」

ルウの青い瞳が、カナタの顔を心配そうに覗きこんでいたのだ。

「…っ!カナタ!?目、覚めたの!?」

驚きと嬉しさ、そして不安からの解放で、ルウは瞳に涙を滲ませてカナタに抱きついた。

「よかった…よかったよ…」

泣いて喜ぶルウを、カナタも抱きしめようとしたのだが…関節が痛く、できなかった。

「っつ…あれ、身体が痛い…それに、喉も…頭も、ぼーっとしてる…」

今さらになって自分の身体が昨夜の雨に濡れたことが原因で発熱していると言うことにカナタは気づき始めた。

「ルウ、そろそろ離してやれ、一応病人なんだからな」

「うう…ごめんねカナタ…」

カナタはぼーっとする中でも聞こえてくる、ルウを制止する声の主へ視線を移した。
涙が溢れだしそうになった…

「ガルフ…」

「おいおい、すげえ顔になってんな?大丈夫かよ。って、答えなくていいぜ。声も出せそうにないみてえだしな」

そこに立っていたのは、人の姿をしたガルフだった。
カナタは夢を見ているようだった。
夢でもいいとさえ思った。
ガルフはゆっくりとカナタの側に寄って、そっと額に手を当てた。

「(ガルフの手…気持ちいい…)」

大きな手が額に触れるのを感じて、カナタは心地よさを感じていた。

「相当高熱だな。こりゃしばらくは動かない方がよさそうだな」

「兄ちゃん、さっきのお医者さんと同じ事言ってる!」

「お?そうだったか?」

そう言って笑い合うこの兄弟の笑顔をまた見たいと、カナタは何度思ったことだろうか。
触れることはできないし意識もはっきりしていないのに、一番自分が欲しくて守りたいものが目の前にたしかにあって、よかったと安堵の気持ちが深い眠りへとカナタをいざなった。

……

「ったく、なんで俺がそっち側に加担してるんだよ」

複雑な表情で髪をがしがしと掻いているルアンを見て、くすっとマイラが笑った。

「あなたが見るに耐えかねたからでしょう?なんだかんだ言って、あなたも好きなのよ」

「俺が?誰のことをだよ?」

「あの3人のこと。本当は雪山で会った時から、ガルフとルウの居場所はカナタの側なんだって、わかってたんじゃない?」

「知ったことを言うなよな、敵が弱すぎるのもつまらねえだけだ」

「また、強がっちゃって」

そう言ってマイラとルアンは、廊下でくすくすと笑い合っては扉の隙間から見えるあたたかく優しい光景を時間のある限り見つめていたのだった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

愛され奴隷の幸福論

BL / 連載中 24h.ポイント:3,873pt お気に入り:1,946

遊び人の恋

恋愛 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:122

ゼラニウム

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

巣ごもりオメガは後宮にひそむ

BL / 完結 24h.ポイント:6,669pt お気に入り:1,589

悪役令嬢は双子の淫魔と攻略対象者に溺愛される

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,995pt お気に入り:3,025

この結婚、ケリつけさせて頂きます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:5,149pt お気に入り:2,909

学校の人気者は陰キャくんが大好き 

BL / 連載中 24h.ポイント:35pt お気に入り:25

処理中です...