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暖炉で弾けるチェスナッツ
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「え~、本日のお届け先は……」
メルローズ・アヴェニューが南西に方向転換するところにある、枝分かれした小さな通り――全長ほんの三ブロックぐらいだから、そんな小さな通りのことを知らない人もいるかもしれない――街の中なのにまるで閑静な住宅街にいるみたいな雰囲気のところだ。通称「メルローズ・プレイス」
ちらっと見た届け先の名前は、なんかイタリア人っぽかった。
「お! ここだ」
車を止めた通り沿いの家には、どこも緑豊かな庭がある。だけど完全に宅地エリアというわけでもなくて、ところどころにおしゃれなアンティーク・ショップやカフェテリアが点在してるんだ。
その日オレが大きなツリーを届けた家は、前庭にクリスマスのイルミネーションがいっぱい飾ってあった。といっても全然けばけばしくなくて、洗練されたメルローズ・プレイスに似合った装飾の家だった。もちろん昼間だったから、まだ点灯してなかったけどね。
ドアベルを鳴らす。
出てきたのは三十代前半ぐらいの若いスレンダーな女の人と、おそらく彼女の娘だろう、幼稚園くらいの幼い女の子。両腕で猫を抱っこしていた。上半身を女の子に抱えられた猫は、今にも床に届きそうなくらい体が伸びてた。とはいえそんなに大きい猫でもないんだけど、女の子がまだ小さいからさ。それにしても猫の体ってどうしてあんなに伸びるんだろう。ほぼ自由自在に伸縮できるよね、ほんと。
「マリー・ルー、トビーを外に出さないでね」
グレイの猫トビーが、マリー・ルーの腕からすり抜けそうなくらいストレッチしてたので、ママは優しく声をかけた。
そして玄関の扉を押さえ、オレをリビングルームに案内してくれる。
部屋に流れていた曲は「ザ・クリスマス・ソング」だった。フランク・シナトラの甘い声で「チェスナッツ・ロースティング、タラ~ラララ~」って語りかけるようなオープニングが、特にいいんだよね。まあ今どき暖炉で栗なんかローストする人なんて、いないっちゃいないんだけどさ。殻にしっかり切り込みを入れとかないと、爆発しちゃって大変なんだよね。あ、別にオレのせいでそういう事態が起きたってわけじゃないからね。言っとくけどオレがこっそり栗を焼こうとして、壁に乱反射して弾けたやつが、親父の尻に命中してめっちゃ怒られた、なんていう事件は過去に一度も起きたことがないんだから。
とにかく配達したツリーは結構でかかったから、その女性は両開きの玄関ドアを両方とも開けなくちゃならなかったんだ。オレがギリギリ抱えられるサイズ。
あ、ちなみにマッチョじゃないけどわりと背も高いし、ちゃんと体も鍛えてるよ。これでもサッカーの選手だったんだからさ。いや、全国大会に出たとかいう、晴れ舞台に立ったことはないんだけどね。高校までずっとサッカー部のメンバーで、ローカルな大会に出てただけ。でも今だって、体がなまらない程度にスケートボードとかやっている。
ま、話をもどすと、たまに大き過ぎるクリスマス・ツリーを買ってしまうお客がいるんだよね。でも、ここん家(ち)はそうでもなかったよ。戸建ての家にふさわしくリビングも大きかった。部屋にはグランドピアノがどっしりと置いてあって、オレの音楽への好奇心をくすぐってくる。
ふつうさ、ロスアンジェルスでは北西へ行くほど高級住宅地で、ハリウッド・ヒルズの上には街を見下ろせる豪邸が建っているんだ。ここメルローズ・プレイスは、この間ツリーを届けた女の子の家よりは南だけど、あっちはコンドミニアムでこの辺は一戸建ての家が多い。んで、どちらも気合いを入れれば、ビバリーヒルズに歩いて行ける距離。
ん~ロデオ・ドライブの高級店街にはここからのほうが近いかな。まぁ要するに、このくらい南じゃないと一軒分の広さの地値が高すぎるから、サンタモニカ・ブルバードより北では集合住宅になってるってわけなんだ。どっちも高級住宅街だよ。だってウエスト・ハリウッドと呼ばれるこの辺りでは、ロスアンジェルスで最もファッショナブルな場所(だとオレが信じてる)「サンセット・ストリップ」がすごく近くにあるんだから。こっちはビバリーヒルズと違って、気合いなんか入れなくても歩いて行ちゃう、お散歩圏内さ。
ミャアオ
玄関ホールの横にあるダイニングルームへ猫のトビーが走り転がっていくと、マリー・ルーも小走りに追いかける。その後ろ側、キッチンの対面には天井の高いリビングルームが広がっていた。そしてキッチンの脇には、朝食用のテーブルが置いてある。
マリー・ルーはその席にちょこんと腰かけて、お絵描きを始めた。
「ママン、これブラックジーンズのお兄ちゃんに、あげていい?」
そう言ってキッチンで料理をしていたママに、描いたばかりの紙を見せる。
「いいわよ。おじゃまにならないようにね」
ところで、ママンが準備してるのは、きっと昼食だ。十二時前までには終わらせて、退散しようっと。
マリー・ルーは、お絵描きした紙とテーブルの上にあったクッキーを一枚ペーパー・ナプキンに乗せて、オレのとこまで渡しにきてくれた。
「えっと、これね、わたしがアイシングで飾り付けしたの」
一生懸命な口調なのは、照れてるんだろうか。このくらいの年の女の子って、ほんと何やってもあどけないよね。
「わぁ、君が? すごいな、ありがとう」
オレは工具を床に置き、感謝をこめて受け取った。
紙は普通のコピー用紙だけど、クレヨン・タッチのペン(?)でジンジャーブレッド・クッキーの絵が描いてあった。そして手のひらに乗せてくれた本物のクッキーのほうは、スマイルなはずの口のアイシングが「O」になっててさ、なんかムンクの「叫び」みたいなんだよね。いやネタじゃないと思うんだけど。可愛いのに笑いもこみ上げてきて、咬み殺すのに苦労しちゃったぜ。
ミャオォォォ……ごろごろごろ。
トビーは、マリー・ルーのジャンバースカートに両前脚を思いっきり伸ばしてストレッチしてる。うん、トビーもクッキーに劣らずキュートだよ。
「へえぇ、上手だね。クッキーのアイシングも、この絵も。なんていうか、ほら手足の長さや頭の大きさのバランスがいいじゃん。お絵描き得意なんだね、君」
「マリー・ルーよ」
「マリー・ルー」
この子のイメージにぴったりの、かわいい名前だ。
「……ん、あれ? この紙って……」
絵をじっと見てたら、ふと裏になんか印刷してあるのが目に飛び込んできた。
しかもそれらは、トランペットとかオーケストラとか、いろいろミュージック専攻の学生に馴染みのある単語だったから、たとえ反転した文字であってもすげえオレに主張してくるんだ。
「紙を裏返して読みたい」って気持ちがこみあげたけど、せっかくのマリー・ルーの作品であるジンジャーブレッドの絵よりそっちに注目すんのも失礼かなとは思うだろ? だから裏返せないでいた。本人の見てる前では特にね。
オレがとまどってると、彼女のママがそれに気づいた。
「あら、それパパの大事なプリントアウト……、もうマリー・ルーったら、また勝手に書斎から持ち出したのね?」
叱っているのにちょっぴり優しい、愛情あふれるママの口調だ。
マリー・ルーがお絵描きした裏には――いや、もともとそっち側が表だったんだが――、「聖ヴィンセント・デ・ポール教会のトランペット・プレイヤー急募」と印刷してあった。
聖ヴィンセント・デ・ポール教会ってのは、ダウンタウンの南にあるカトリック教会だ。ヨーロッパから移住してきた人たちは、キリスト教の中でもプロテスタントじゃなくてカトリックがたくさんいるから、ここの信者になる人が多い。英語の「ザ」はイタリア語で「デ」って言う。
それに……、しかも何と、その連絡先のところに、聖歌隊ディレクターとしてガブリエレ・アンドレイニって名前が書いてあったんだよ。だってそれ、UCLAの音楽科の教授の名前だもん。しかもベテランの。
「……じゃあここ、アンドレイニ先生のお宅なんですか?」
「え? ええ、主人のお知り合い?」
「オ……、いや僕、UCLAの生徒なんです。っていうか、まだ先生の授業取れない中級クラスなんですけど」
イタリア人の先生は三十代後半という若さで、ヨーロッパにおける経験からディーンさえも一目置いている。もちろん生徒の間でも憧れの的だった。なにしろイタリアへの留学とか国際コンクールのことでは、その国出身の先生に、めっちゃお世話になるからね。かくいうオレも、ヴェネツィア・カルナヴァーレ・コンクールにチャレンジしてる件もあって、かねてからなんとかお近づきになりたいと思っていたわけだ。
「聖ヴィンセント・デ・ポールってあの? 壁の彫刻の綺麗な建物で有名な教会? この募集の案内……、僕でも応募できますか? トランペット吹けます! オーディションか何かあるんですよね?」
「え、あなたが? すごい偶然ね。オーディションってほどたいしたこともないと思うけど、でもただのボランティアだし、ほんと何も払えないのよ。軽食ぐらいはあるでしょうけど……」
いえ、先生の指揮下で演奏できるって名誉だけで十分です。あ、あの教会もすげえ威厳があるし。
「じゃあ、そこの連絡先に、あなたのお名前とメールアドレスを送ってくれる? 電話番号もお願い」
「はいっ!」
オレは三秒で全部書いてビュインと送ったぜ。
ミセス・アンドレイニがクスッと笑ってた。
あとで送ってくれって意味だったのはわかってるけど、オレはそんなの、とても待ってられる状態じゃなかった。
こんな風にひょんなことからメアドを手に入れられることもあるんだな、――ってこの前配達した家の女の子のことがちらっと頭をよぎった。
着信音がするとすぐに、ミセス・アンドレイニはメールを開けて確認してくれる。
「えっと、キャメロン・コールドウエルさん」
「はい、キャメロンって呼んでください」
オレは勢いよく返事した後、さっきもらったクッキーを紙の上に置いてすぐさま仕事に戻った。マリー・ルーと話しながらもそれまでにツリースタンドの組み立てをすませていたんで、木をセットするのに取り掛かる。ツリーを真ん中に立てて、スタンドのネジを締め終える。
よし、これで倒れないっ……と。
「ねえ、キャメロン」
振り向いたら、そこにはマリー・ルーがレゴ・ブロックのオブジェを持って立っていた。
「ん、なに?」
「これ、トビーが近づかないように……」
レゴのデュプロを――デュプロって細かいピースじゃなくて中くらいのサイズのやつの名称ね――二十個ぐらい組み合わせて作った高さ十センチほどの物体だった。
「え……っと、なんだろ?」
よくわからんが、どう見ても壁にしか見えない。
「バリアーよ。魔法のパワーを発して、あらゆるものからツリーを守るシールドなの」
「はは」
まいっちゃうよね。なんでこんなアイデアが湧いてくるんだろ? マリー・ルーはほんとに小さくて愛くるしかった。茶色の髪が、北イタリア出身のアンドレイニ先生の髪と同じ色、んで同じようなくせ毛で。
「じゃあ、その作品は、ここに置いておこう。スタンドにカバーをかける前にお水を入れないとね」
ミセス・アンドレイニが持ってきてくれた水さしで、マリー・ルーと二人でツリーに水をやる。ママはそれを後ろで見ていた。
「それは、トビーが水を飲まないようにするためのカバーかしら?」
「ええ、そうです」
ミセス・アンドレイニにカバーの取り外し方を見せながら、オレは念のため猫とクリスマス・ツリーに関する注意事項を伝えた。
「この水は、仮に猫が飲んでしまっても毒ではありません。でも水量は、毎日チェックしてあげてください。壊れやすいプラスチックやガラスのオーナメント、それに光るものは、猫の届く範囲に飾るのをできるだけ避けてください」
それからオレは、マリー・ルーの作った作品――レゴの壁を、十分に離れたところまで移動させた。あまり近過ぎると、トビーの注意をツリーに惹き付けちゃうからね。まあ今のところ子猫のトビーはものすごく大きなツリーを警戒しながら遠巻きに見ていたけどさ。最後に枝の向きを整えて、道具箱を閉じる。
マリー・ルーがトビーを抱きかかえた。
「マリー・ルー、ほんとにありがとう」
彼女がくれたクッキーと絵を袋に入れてから、大切にバックパックにしまう。
「さよなら」
「それじゃ」
「もしまだ決まってなかったら、主人からすぐに連絡が行くと思うわ、キャメロン」
「よろしくお願いします」
オレは通りに止めておいた、ダニエルのピックアップ・トラックに乗り込んだ。
マリー・ルーに手を振ってドアを閉める。
今から急げば、午後の授業の前に昼メシのサンドイッチかなんかを買う時間くらいはあるだろう。
カーラジオをオン。えっと、ここからだとメルローズ・アヴェニューに下って、サンタモニカ・ブルバードを通ったほうが早いかな。期末試験まであと数日、この仕事も試験が始まる前までで終わりになる。
お、ラッキー! 道が渋滞してなくてよかった。
交差点で信号待ちをしてたら、ラジオからクリスマス・キャロルを替え歌にしたスーパーのCMが流れてきた。「トゥエルブ・デイズ・オブ・クリスマス」をダジャレいっぱいにもじった歌で、クリスマス前のセールを宣伝している。サビの部分で「五つの金の指輪」の代わりに店の目玉商品が出てくる歌だ。そいつをアニメの声優が、キャラの犬の声で歌って吠える――けっこう笑えるクリスマス・キャロルだった。
次の信号を右折っと。そうそう、ガソリンスタンドに寄らないと。お、運良く昼休み前で、スタンドも混んでない。
迫ってくる灰色の雲に向かって「雨が降り出しませんように」と念じながら、オレはアクセルを踏んだ。
メルローズ・アヴェニューが南西に方向転換するところにある、枝分かれした小さな通り――全長ほんの三ブロックぐらいだから、そんな小さな通りのことを知らない人もいるかもしれない――街の中なのにまるで閑静な住宅街にいるみたいな雰囲気のところだ。通称「メルローズ・プレイス」
ちらっと見た届け先の名前は、なんかイタリア人っぽかった。
「お! ここだ」
車を止めた通り沿いの家には、どこも緑豊かな庭がある。だけど完全に宅地エリアというわけでもなくて、ところどころにおしゃれなアンティーク・ショップやカフェテリアが点在してるんだ。
その日オレが大きなツリーを届けた家は、前庭にクリスマスのイルミネーションがいっぱい飾ってあった。といっても全然けばけばしくなくて、洗練されたメルローズ・プレイスに似合った装飾の家だった。もちろん昼間だったから、まだ点灯してなかったけどね。
ドアベルを鳴らす。
出てきたのは三十代前半ぐらいの若いスレンダーな女の人と、おそらく彼女の娘だろう、幼稚園くらいの幼い女の子。両腕で猫を抱っこしていた。上半身を女の子に抱えられた猫は、今にも床に届きそうなくらい体が伸びてた。とはいえそんなに大きい猫でもないんだけど、女の子がまだ小さいからさ。それにしても猫の体ってどうしてあんなに伸びるんだろう。ほぼ自由自在に伸縮できるよね、ほんと。
「マリー・ルー、トビーを外に出さないでね」
グレイの猫トビーが、マリー・ルーの腕からすり抜けそうなくらいストレッチしてたので、ママは優しく声をかけた。
そして玄関の扉を押さえ、オレをリビングルームに案内してくれる。
部屋に流れていた曲は「ザ・クリスマス・ソング」だった。フランク・シナトラの甘い声で「チェスナッツ・ロースティング、タラ~ラララ~」って語りかけるようなオープニングが、特にいいんだよね。まあ今どき暖炉で栗なんかローストする人なんて、いないっちゃいないんだけどさ。殻にしっかり切り込みを入れとかないと、爆発しちゃって大変なんだよね。あ、別にオレのせいでそういう事態が起きたってわけじゃないからね。言っとくけどオレがこっそり栗を焼こうとして、壁に乱反射して弾けたやつが、親父の尻に命中してめっちゃ怒られた、なんていう事件は過去に一度も起きたことがないんだから。
とにかく配達したツリーは結構でかかったから、その女性は両開きの玄関ドアを両方とも開けなくちゃならなかったんだ。オレがギリギリ抱えられるサイズ。
あ、ちなみにマッチョじゃないけどわりと背も高いし、ちゃんと体も鍛えてるよ。これでもサッカーの選手だったんだからさ。いや、全国大会に出たとかいう、晴れ舞台に立ったことはないんだけどね。高校までずっとサッカー部のメンバーで、ローカルな大会に出てただけ。でも今だって、体がなまらない程度にスケートボードとかやっている。
ま、話をもどすと、たまに大き過ぎるクリスマス・ツリーを買ってしまうお客がいるんだよね。でも、ここん家(ち)はそうでもなかったよ。戸建ての家にふさわしくリビングも大きかった。部屋にはグランドピアノがどっしりと置いてあって、オレの音楽への好奇心をくすぐってくる。
ふつうさ、ロスアンジェルスでは北西へ行くほど高級住宅地で、ハリウッド・ヒルズの上には街を見下ろせる豪邸が建っているんだ。ここメルローズ・プレイスは、この間ツリーを届けた女の子の家よりは南だけど、あっちはコンドミニアムでこの辺は一戸建ての家が多い。んで、どちらも気合いを入れれば、ビバリーヒルズに歩いて行ける距離。
ん~ロデオ・ドライブの高級店街にはここからのほうが近いかな。まぁ要するに、このくらい南じゃないと一軒分の広さの地値が高すぎるから、サンタモニカ・ブルバードより北では集合住宅になってるってわけなんだ。どっちも高級住宅街だよ。だってウエスト・ハリウッドと呼ばれるこの辺りでは、ロスアンジェルスで最もファッショナブルな場所(だとオレが信じてる)「サンセット・ストリップ」がすごく近くにあるんだから。こっちはビバリーヒルズと違って、気合いなんか入れなくても歩いて行ちゃう、お散歩圏内さ。
ミャアオ
玄関ホールの横にあるダイニングルームへ猫のトビーが走り転がっていくと、マリー・ルーも小走りに追いかける。その後ろ側、キッチンの対面には天井の高いリビングルームが広がっていた。そしてキッチンの脇には、朝食用のテーブルが置いてある。
マリー・ルーはその席にちょこんと腰かけて、お絵描きを始めた。
「ママン、これブラックジーンズのお兄ちゃんに、あげていい?」
そう言ってキッチンで料理をしていたママに、描いたばかりの紙を見せる。
「いいわよ。おじゃまにならないようにね」
ところで、ママンが準備してるのは、きっと昼食だ。十二時前までには終わらせて、退散しようっと。
マリー・ルーは、お絵描きした紙とテーブルの上にあったクッキーを一枚ペーパー・ナプキンに乗せて、オレのとこまで渡しにきてくれた。
「えっと、これね、わたしがアイシングで飾り付けしたの」
一生懸命な口調なのは、照れてるんだろうか。このくらいの年の女の子って、ほんと何やってもあどけないよね。
「わぁ、君が? すごいな、ありがとう」
オレは工具を床に置き、感謝をこめて受け取った。
紙は普通のコピー用紙だけど、クレヨン・タッチのペン(?)でジンジャーブレッド・クッキーの絵が描いてあった。そして手のひらに乗せてくれた本物のクッキーのほうは、スマイルなはずの口のアイシングが「O」になっててさ、なんかムンクの「叫び」みたいなんだよね。いやネタじゃないと思うんだけど。可愛いのに笑いもこみ上げてきて、咬み殺すのに苦労しちゃったぜ。
ミャオォォォ……ごろごろごろ。
トビーは、マリー・ルーのジャンバースカートに両前脚を思いっきり伸ばしてストレッチしてる。うん、トビーもクッキーに劣らずキュートだよ。
「へえぇ、上手だね。クッキーのアイシングも、この絵も。なんていうか、ほら手足の長さや頭の大きさのバランスがいいじゃん。お絵描き得意なんだね、君」
「マリー・ルーよ」
「マリー・ルー」
この子のイメージにぴったりの、かわいい名前だ。
「……ん、あれ? この紙って……」
絵をじっと見てたら、ふと裏になんか印刷してあるのが目に飛び込んできた。
しかもそれらは、トランペットとかオーケストラとか、いろいろミュージック専攻の学生に馴染みのある単語だったから、たとえ反転した文字であってもすげえオレに主張してくるんだ。
「紙を裏返して読みたい」って気持ちがこみあげたけど、せっかくのマリー・ルーの作品であるジンジャーブレッドの絵よりそっちに注目すんのも失礼かなとは思うだろ? だから裏返せないでいた。本人の見てる前では特にね。
オレがとまどってると、彼女のママがそれに気づいた。
「あら、それパパの大事なプリントアウト……、もうマリー・ルーったら、また勝手に書斎から持ち出したのね?」
叱っているのにちょっぴり優しい、愛情あふれるママの口調だ。
マリー・ルーがお絵描きした裏には――いや、もともとそっち側が表だったんだが――、「聖ヴィンセント・デ・ポール教会のトランペット・プレイヤー急募」と印刷してあった。
聖ヴィンセント・デ・ポール教会ってのは、ダウンタウンの南にあるカトリック教会だ。ヨーロッパから移住してきた人たちは、キリスト教の中でもプロテスタントじゃなくてカトリックがたくさんいるから、ここの信者になる人が多い。英語の「ザ」はイタリア語で「デ」って言う。
それに……、しかも何と、その連絡先のところに、聖歌隊ディレクターとしてガブリエレ・アンドレイニって名前が書いてあったんだよ。だってそれ、UCLAの音楽科の教授の名前だもん。しかもベテランの。
「……じゃあここ、アンドレイニ先生のお宅なんですか?」
「え? ええ、主人のお知り合い?」
「オ……、いや僕、UCLAの生徒なんです。っていうか、まだ先生の授業取れない中級クラスなんですけど」
イタリア人の先生は三十代後半という若さで、ヨーロッパにおける経験からディーンさえも一目置いている。もちろん生徒の間でも憧れの的だった。なにしろイタリアへの留学とか国際コンクールのことでは、その国出身の先生に、めっちゃお世話になるからね。かくいうオレも、ヴェネツィア・カルナヴァーレ・コンクールにチャレンジしてる件もあって、かねてからなんとかお近づきになりたいと思っていたわけだ。
「聖ヴィンセント・デ・ポールってあの? 壁の彫刻の綺麗な建物で有名な教会? この募集の案内……、僕でも応募できますか? トランペット吹けます! オーディションか何かあるんですよね?」
「え、あなたが? すごい偶然ね。オーディションってほどたいしたこともないと思うけど、でもただのボランティアだし、ほんと何も払えないのよ。軽食ぐらいはあるでしょうけど……」
いえ、先生の指揮下で演奏できるって名誉だけで十分です。あ、あの教会もすげえ威厳があるし。
「じゃあ、そこの連絡先に、あなたのお名前とメールアドレスを送ってくれる? 電話番号もお願い」
「はいっ!」
オレは三秒で全部書いてビュインと送ったぜ。
ミセス・アンドレイニがクスッと笑ってた。
あとで送ってくれって意味だったのはわかってるけど、オレはそんなの、とても待ってられる状態じゃなかった。
こんな風にひょんなことからメアドを手に入れられることもあるんだな、――ってこの前配達した家の女の子のことがちらっと頭をよぎった。
着信音がするとすぐに、ミセス・アンドレイニはメールを開けて確認してくれる。
「えっと、キャメロン・コールドウエルさん」
「はい、キャメロンって呼んでください」
オレは勢いよく返事した後、さっきもらったクッキーを紙の上に置いてすぐさま仕事に戻った。マリー・ルーと話しながらもそれまでにツリースタンドの組み立てをすませていたんで、木をセットするのに取り掛かる。ツリーを真ん中に立てて、スタンドのネジを締め終える。
よし、これで倒れないっ……と。
「ねえ、キャメロン」
振り向いたら、そこにはマリー・ルーがレゴ・ブロックのオブジェを持って立っていた。
「ん、なに?」
「これ、トビーが近づかないように……」
レゴのデュプロを――デュプロって細かいピースじゃなくて中くらいのサイズのやつの名称ね――二十個ぐらい組み合わせて作った高さ十センチほどの物体だった。
「え……っと、なんだろ?」
よくわからんが、どう見ても壁にしか見えない。
「バリアーよ。魔法のパワーを発して、あらゆるものからツリーを守るシールドなの」
「はは」
まいっちゃうよね。なんでこんなアイデアが湧いてくるんだろ? マリー・ルーはほんとに小さくて愛くるしかった。茶色の髪が、北イタリア出身のアンドレイニ先生の髪と同じ色、んで同じようなくせ毛で。
「じゃあ、その作品は、ここに置いておこう。スタンドにカバーをかける前にお水を入れないとね」
ミセス・アンドレイニが持ってきてくれた水さしで、マリー・ルーと二人でツリーに水をやる。ママはそれを後ろで見ていた。
「それは、トビーが水を飲まないようにするためのカバーかしら?」
「ええ、そうです」
ミセス・アンドレイニにカバーの取り外し方を見せながら、オレは念のため猫とクリスマス・ツリーに関する注意事項を伝えた。
「この水は、仮に猫が飲んでしまっても毒ではありません。でも水量は、毎日チェックしてあげてください。壊れやすいプラスチックやガラスのオーナメント、それに光るものは、猫の届く範囲に飾るのをできるだけ避けてください」
それからオレは、マリー・ルーの作った作品――レゴの壁を、十分に離れたところまで移動させた。あまり近過ぎると、トビーの注意をツリーに惹き付けちゃうからね。まあ今のところ子猫のトビーはものすごく大きなツリーを警戒しながら遠巻きに見ていたけどさ。最後に枝の向きを整えて、道具箱を閉じる。
マリー・ルーがトビーを抱きかかえた。
「マリー・ルー、ほんとにありがとう」
彼女がくれたクッキーと絵を袋に入れてから、大切にバックパックにしまう。
「さよなら」
「それじゃ」
「もしまだ決まってなかったら、主人からすぐに連絡が行くと思うわ、キャメロン」
「よろしくお願いします」
オレは通りに止めておいた、ダニエルのピックアップ・トラックに乗り込んだ。
マリー・ルーに手を振ってドアを閉める。
今から急げば、午後の授業の前に昼メシのサンドイッチかなんかを買う時間くらいはあるだろう。
カーラジオをオン。えっと、ここからだとメルローズ・アヴェニューに下って、サンタモニカ・ブルバードを通ったほうが早いかな。期末試験まであと数日、この仕事も試験が始まる前までで終わりになる。
お、ラッキー! 道が渋滞してなくてよかった。
交差点で信号待ちをしてたら、ラジオからクリスマス・キャロルを替え歌にしたスーパーのCMが流れてきた。「トゥエルブ・デイズ・オブ・クリスマス」をダジャレいっぱいにもじった歌で、クリスマス前のセールを宣伝している。サビの部分で「五つの金の指輪」の代わりに店の目玉商品が出てくる歌だ。そいつをアニメの声優が、キャラの犬の声で歌って吠える――けっこう笑えるクリスマス・キャロルだった。
次の信号を右折っと。そうそう、ガソリンスタンドに寄らないと。お、運良く昼休み前で、スタンドも混んでない。
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