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LAPD! フリーズ! 1
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新学期(ウィンター・クオーター)が始まって間もない日、オレはダニエルのピックアップ・トラックを借りて、UCLA沿いの道路を北へ向かっていた。あ、もうパートタイムの仕事はしてないけどね。
キャンパスの東側を走るこの道は、市バスも一般車両も通るアヴェニューなんだ。アヴェニューったって、片側二車線ずつと、真ん中にターンレーンがあるだけの道。けれど各車線の幅が広くとってあるので、まあ結構アヴェニューっぽいんじゃないかな。
この国の道幅ってのは、すごく広い。外国からの留学生とかが最初に驚くことのひとつが、それ。LAはダウンタウンやビバリーヒルズやウエストウッドなど、それぞれの街の中心地以外は、あんまり高層ビルが密集してるわけじゃないんだ。だからこの辺って、ほんと空が大きく感じるよね、あいにく今日は曇り空だけど。
オレが今走ってる付近、ヒルガードとワイトン・ドライブの交差点には、2番と302番のバス停がある……。
ふと目を向けると、そのバス停のベンチに、本を読んでる女の子がひとり座っていた。そんなに日差しもないのにハニーブロンドが光を集めて、彼女の髪だけ明るく見える。
あれ……?
ピックアップ・トラックを道の端に止めたオレは、窓を開ける。
「ヘイ、シャーリーン!」
「あ、キャメロン」
「君ってバス通学だっけ?」
「ううん」
彼女は首を横にふる。
「パパのオフィスの通り道だから、いつもは乗せてってもらってるけど。今日はめずらしく出張だから」
そうなんだ。昔から車社会と言われていたこの国も、地球温暖化(グローバル・ウォーミング)のための対策を、ちゃんとしてる……、まあそういう州もある。だから、誰かの車に同乗するのも――カープールっていうんだけど――ごく普通に実行されてることだ。もちろんUCLAでも、公共交通機関などの利用を強く勧められる。大学構内の駐車場は数が限られていて、自分のために一台分パーキングスペースを確保するのって簡単にはいかないんだよ。申し込もうとすると、今言ったような交通機関や、自転車や徒歩を奨励される。駐車場の申請に行くとさ、特別な事情のない人にはいろいろ説明されるんだよね。
「歩くとシェイプアップにもいいんですよ」とか、「公共交通機関を利用すると、体重が平均して十パーセントも減らせたと言うデータが出ていて……」
とかなんとか。それに駐車料金が、すっげえ高い。まあアート専攻のダニエルなんかは、抱えられないくらい大きな作品を運んだり、教授に頼まれた材料の買い出しをしたりする必要があるっていうんで、借りてるんだけどさ。
というわけで、アメリカ人全員が地球温暖化対策に後ろ向きなわけじゃない。特にこの州は、ずっと昔からそういう環境問題に厳しい条例を敷いて取り組んできた。それで最近のUCLAも、車通勤や通学を減らそうと頑張ってるわけ。カリフォルニアの空は、七〇年代の大気汚染の頃に比べればずいぶんきれいになったって事実は、授業でも教わるし、みんな誇りに思ってるよ。
だからシャーリーンがパパと一緒に通学してるのはしごく普通のことだ。パパと一緒に帰れないんなら、バスに乗ろうって思ったのもわかる。ここから彼女の家のあるウエスト・ハリウッドまで、十分ちょっとですむもん。でもさ、公共交通機関なんかより前に、思い出して欲しかったな。もう一つあるよね、うちに帰る方法。
「それなら送ってくから、もっと早く言ってくれればよかったのに。乗れよ」
「でも、どこかに行くところなんでしょ? 大丈夫よ、もうすぐバスも来るはずだし……」
彼女はまだ何か言おうとして、言葉を捜していた。
「……だって、いつでもキャメロンにわがまま言っていいわけじゃないと思うの。あなたはトランペットの練習で忙しいんだし」
いやいやそんな遠慮、よそよそしいじゃないか。
「いいから乗れよ。雨が降ってくるかもしれないし、オレはホーム・ディポ――アメリカ最大の建築資材小売りチェーン――に買い物に行くだけ。別に急いでなんかないんだ。君の家は、まさにその通り道じゃん」
「それじゃあ……」
シャーリーンは読んでた教科書をバックパックに片付け、助手席に乗りこんだ。彼女に会うのは、ちょっと久しぶりだった。
あれ? バックパック以外に、もうひとつ長い包みを抱えてるね。
「あ、これ? ル・パン・コティディエンのバゲット。ウエストウッドで、今日買ってきたの。パパが夜遅く帰ってくるから、食事作っといてあげないと」
持ち運びやすいように、パン屋の名前が印刷された包装ごと別の袋に入れたらしい。大きな袋に、いったいなにが入ってるんだろって感じで抱えてる。
「キャメロン、ヴェネツイア・コンテストの予選通過おめでとう」
そういえば、メッセージはもらってたけど、面と向かっては言われてなかったっけ?
「ありがとう」
でもそのおかげで、最近シャーリーンと会えなくなってしまった。授業の後は練習ばっかだし。コンテストの課題曲で、何回挑戦しても指がもつれてしまってうまく演奏できないところがあるから、ちょっと行き詰まってる。まあそんなことは、彼女に話しても解決するわけじゃないんで、今は緑の並木道に集中しようっと。
サンセット・ブルバードに出たところで、右へ曲がる。このあたりのサンセット通りは、右にロスアンジェルス・カントリークラブのゴルフ場、左にベルエアの丘まで広がる超高級住宅街の中を突っ切っているので、たくさんの緑に包まれている。
道が曲りくねり始める頃、ベルエア地区の入り口を告げるゲートが見えてきた。
ノース・ベルエア・ロードとサンセットの交差点の近く、北側をのぞき込むと、白い壁に「Bel Air」という文字が鋳造された、キャストアイアン製のアーチがかかっているのが目に止まる。それはベルエアの東ゲートという名のエントランスだ。西ゲートはこれよりさらに重厚な作りで、UCLA沿いの北側のサンセット・ブルバードにでんと構えている。
別に、ここから先のベルエア地区に足を踏み入れるのに検査があるとかそういうことはなく、誰でも自由に出入りできるんだよ。ただし「この地区は厳しく警察が見回ってますから、犯罪なんて計画してもすぐ捕まっちゃいますよ」って意味らしい。今日はベルエア方向には行かないんだけどね。
サンセットをさらに走り続けると、まもなく中央分離帯で区切られ通りの幅が広がってきた頃、背の高いパームツリーの並木が姿を見せた。
やっぱさっきシャーリーンが遠慮がちだったのは、まだウィリアムに裏切られたことを気にしてるんじゃないだろうか。いや、あいつのことをまだ好きだとか、そういう風には考えたくないけど。
確かにシャーリーンは、普段から控えめだ。特にこういう時は、躊躇している。だって電話が原因で、向こうの裏切りを知っちゃったんだし。そりゃ相当なトラウマなんだろうな。
君の心は……まだ傷ついてるんだね、そんなにも。
悪いのは、向こうのほうなのに。だってシャーリーンがしつこくしたなんて思えないんだよね、まったく。これまで彼女がわがままを言って、オレに面倒をかけたことなんてないし。むしろ、もっと甘えて欲しいって思ってるくらいだから。
ヤシの並木を眺めつつ、さりげなく彼女に話しかける。
「家族旅行楽しかった?」
「うん、すごく。でも、ちょっと寒かった。ホテルにモンゴメリの住んでた家みたいな田舎風の暖炉があって、物語にちなんだ料理のメニューが、すごくおいしかった」
「あ、そうか、プリンスエドワード島って、『赤毛のアン』の舞台だっけ。寒い冬に、暖かい部屋で家族とくつろぐのってなんかいいよね」
「うん。だけど私、カントリーサイドより都会が好き……かな」
「うん、オレも。他の州からカリフォルニアに帰ってくると、まるでヘヴンに来たみたいに感じる……、中でもLAの女性ってさ、なんか特別だよね。みんなエンジェルか、……もしくはデビル?」
彼女は可愛い声で笑った。ああ、やっといつもの笑顔になってくれたよ。
うわあぉっと!
そのとき白いヴァンが、ものすごい勢いで追い越して行ったんで、我に返った。車線を変更しようとしていたオレは、慌ててハンドルを戻す。なに今の? 後部に窓のない、フォード2700。窓だけじゃなくて店の名前も、何のマークもなかったな。でもけっこう大きいヴァンだから商業用だよね、たぶん。
気を取り直して、運転を続けよう。
空がいっそう暗くなってきたような気がしてきたのは、オレの運転するシルバー・メタリックのトラックが、パームツリーの並木道にさしかかった頃だ。そうそう、ここ。サンセット・ブルバードとビバリー・ドライブ、そしてクレッセント・ドライブの三本が交差する北側に、ビバリーヒルズ・ホテルがある。
「ウェルカム・トゥ・ザ・ホテル・カリフォルニア……」
知らず知らずのうちにオレは、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」を口ずさんでいた。そのブロックの終わるあたりで、例の北東角にある大きな壁が見えてきたからだ。ほらあのイーグルスが、LPジャケットに、右肩上がりで「Hotel California」って手書きっぽい筆記体で書いてたロゴと同じ書体の、「Beverly Hills Hotel」って書かれた北東の壁のことだよ。
ほんとはさ、ホテル・カリフォルニアって言う名前のホテルは実在しない。それに歌詞には、ビバリーヒルズ・ホテルって言葉は出てこないんだ。だけど、イーグルスのアルバムにはビバリーヒルズ・ホテルの写真が使われた。もちろんあの歌は、旅人がホテルに泊まり不思議な世界に入って行く、ものすごく抽象的な歌詞だ。作曲したドン・ヘンリー自身も、ビバリーヒルズ・ホテルがモデルだとは公言していない。カリフォルニアまでドライブしてきた旅人が、泊まったホテルで「ここはヘヴン? それともヘル?」って考えてると、「ウェルカム・トゥ・ザ・ホテル・カリフォルニア」って女の人に迎えられるっていうのが導入部。オレはイーグルスが、このホテルでインスピレーションを得たんじゃないかと密かに信じている。
もっともビバリーヒルズ・ホテルは超高級ホテルで、あの歌に漂う退廃的なイメージは、曲が作られた一九七六年当時も、今も全然ないけどね。ただ車で乗りつけてチェックインっていうのは、確かにイメージにあってるな。駐車場も広いし。ほらオレが先月リロイと演奏してたあたりの、市街地のホテルだったら、地下駐車場のダンジョン奥底まで降りていかなきゃならないしさ。ま、実際には一か月先まで予約で埋まってる人気ホテルだから、歌のようにふらりと訪れて泊まるってわけにはいかないんだけど。
おっと……、今度こそ左レーンに変更、再チャレンジっと。
うぅ、ウエイト(wait)! その瞬間、バックミラーが後方の車を捉えた。
ブラックのアウディっ! こらぁ、こらこら、こらぁあ……とオレ一人だったら思わず叫びたくなるくらい、またもや暴走車がすごい勢いで走り抜けていった。まるで、何かを追いかけているかのように。
「もう、なんだよ今の?」
シャーリーンは肩をすくめて、オレに同意してくれた。
上空にヘリコプターが一機、パラパラパラパラ、プロペラを唸らせて飛んでいる。
その時は、オレもあんまし気に留めてなかったよ。さっき言ったように、ベルエアの警備のためのパトロールかなんかだろうと思っていたから。
「……それともグレイストーン・マンションでなんか催しでもあるのかな? もしくはハリウッド・ボウルでコンサートでもやってるとか?」
「あれのこと?」
彼女は上空を指した。
「うん」
「ねえ、キャメロン。あの白いボディに黒いテイル……LAPDじゃない?」
「そりゃLAPDでしょ。政府の要人の警備とかパトロールだったらさ」
それからシャーリーンはスマホを取り出してインターネットにアクセスしてたけど、「なにも、催し物はないみたい」と答えた。
「もちろん政府の要人の集まりだったら、報道されないことも多々あるけどね。ねえ……キャメロン、なんかあれ、こっちに近づいてくるみたいな気がする」
「え、ヘリが? まさか、なんでさ?」
そんなばかなことなんて、起こるはずがない。軽く笑い返して気にしないでおこうと決めた――その時だった、オレが目の端でミラーに映る大惨事を見つけたのは。青く回転するランプと、赤と黄の非常を知らせるライトが点滅している……。あれは、あれがパトカーだ。
『ナインティシックス、フォーティワン、サンセット・ブルバード。白いヴァン、フォード。サンセット・ブルバードのイースト・バウンドを逃走中。現在LAPDが追走しています……。LAPDカーは覆面ブラック・アウディ』
『ラジャー。こちらセブン・フォーティスリー、現在地、フィフティーン、テン、レキシントン・ロード。ただちに急行します』
そのころ遥か上空とすぐ後ろのパトロールカーは、無線でそんなやり取りをしていた。
『こちらエイティトゥー、ビバリーヒルズ市警察、シックス・オー・ワン、ノース・カムデン・ドライブを北へ通行中。即刻アシストに向かいます』(※ビバリーヒルズは独立した市だが、緊急時にはもちろんLAPDの協力をする)
その後すぐ追跡中の覆面パトカー、黒のアウディからヘリに連絡が入った。
『こちらセブン・シックスティワン、容疑者の現在地、ナインティーファイブ・セブンティーセブン、イースト・バウンド、サンセット・ブルバード、助手席の男は銃を所持、茶色のジャケット、ブルージーンズ。運転席は白いTシャツの男、ブルージーンズ。フォード、ライセンスナンバーはエイトXMPフォー・セブン……』
無線で報告すると同時に、覆面パトカーの警察官は青いライトを点滅させた。
前を走るホワイト・ヴァンの助手席から、男が素早く頭を出し拳銃を発射してくる。
その射撃音はかすかに木霊して、あたりに響き渡った。
キャンパスの東側を走るこの道は、市バスも一般車両も通るアヴェニューなんだ。アヴェニューったって、片側二車線ずつと、真ん中にターンレーンがあるだけの道。けれど各車線の幅が広くとってあるので、まあ結構アヴェニューっぽいんじゃないかな。
この国の道幅ってのは、すごく広い。外国からの留学生とかが最初に驚くことのひとつが、それ。LAはダウンタウンやビバリーヒルズやウエストウッドなど、それぞれの街の中心地以外は、あんまり高層ビルが密集してるわけじゃないんだ。だからこの辺って、ほんと空が大きく感じるよね、あいにく今日は曇り空だけど。
オレが今走ってる付近、ヒルガードとワイトン・ドライブの交差点には、2番と302番のバス停がある……。
ふと目を向けると、そのバス停のベンチに、本を読んでる女の子がひとり座っていた。そんなに日差しもないのにハニーブロンドが光を集めて、彼女の髪だけ明るく見える。
あれ……?
ピックアップ・トラックを道の端に止めたオレは、窓を開ける。
「ヘイ、シャーリーン!」
「あ、キャメロン」
「君ってバス通学だっけ?」
「ううん」
彼女は首を横にふる。
「パパのオフィスの通り道だから、いつもは乗せてってもらってるけど。今日はめずらしく出張だから」
そうなんだ。昔から車社会と言われていたこの国も、地球温暖化(グローバル・ウォーミング)のための対策を、ちゃんとしてる……、まあそういう州もある。だから、誰かの車に同乗するのも――カープールっていうんだけど――ごく普通に実行されてることだ。もちろんUCLAでも、公共交通機関などの利用を強く勧められる。大学構内の駐車場は数が限られていて、自分のために一台分パーキングスペースを確保するのって簡単にはいかないんだよ。申し込もうとすると、今言ったような交通機関や、自転車や徒歩を奨励される。駐車場の申請に行くとさ、特別な事情のない人にはいろいろ説明されるんだよね。
「歩くとシェイプアップにもいいんですよ」とか、「公共交通機関を利用すると、体重が平均して十パーセントも減らせたと言うデータが出ていて……」
とかなんとか。それに駐車料金が、すっげえ高い。まあアート専攻のダニエルなんかは、抱えられないくらい大きな作品を運んだり、教授に頼まれた材料の買い出しをしたりする必要があるっていうんで、借りてるんだけどさ。
というわけで、アメリカ人全員が地球温暖化対策に後ろ向きなわけじゃない。特にこの州は、ずっと昔からそういう環境問題に厳しい条例を敷いて取り組んできた。それで最近のUCLAも、車通勤や通学を減らそうと頑張ってるわけ。カリフォルニアの空は、七〇年代の大気汚染の頃に比べればずいぶんきれいになったって事実は、授業でも教わるし、みんな誇りに思ってるよ。
だからシャーリーンがパパと一緒に通学してるのはしごく普通のことだ。パパと一緒に帰れないんなら、バスに乗ろうって思ったのもわかる。ここから彼女の家のあるウエスト・ハリウッドまで、十分ちょっとですむもん。でもさ、公共交通機関なんかより前に、思い出して欲しかったな。もう一つあるよね、うちに帰る方法。
「それなら送ってくから、もっと早く言ってくれればよかったのに。乗れよ」
「でも、どこかに行くところなんでしょ? 大丈夫よ、もうすぐバスも来るはずだし……」
彼女はまだ何か言おうとして、言葉を捜していた。
「……だって、いつでもキャメロンにわがまま言っていいわけじゃないと思うの。あなたはトランペットの練習で忙しいんだし」
いやいやそんな遠慮、よそよそしいじゃないか。
「いいから乗れよ。雨が降ってくるかもしれないし、オレはホーム・ディポ――アメリカ最大の建築資材小売りチェーン――に買い物に行くだけ。別に急いでなんかないんだ。君の家は、まさにその通り道じゃん」
「それじゃあ……」
シャーリーンは読んでた教科書をバックパックに片付け、助手席に乗りこんだ。彼女に会うのは、ちょっと久しぶりだった。
あれ? バックパック以外に、もうひとつ長い包みを抱えてるね。
「あ、これ? ル・パン・コティディエンのバゲット。ウエストウッドで、今日買ってきたの。パパが夜遅く帰ってくるから、食事作っといてあげないと」
持ち運びやすいように、パン屋の名前が印刷された包装ごと別の袋に入れたらしい。大きな袋に、いったいなにが入ってるんだろって感じで抱えてる。
「キャメロン、ヴェネツイア・コンテストの予選通過おめでとう」
そういえば、メッセージはもらってたけど、面と向かっては言われてなかったっけ?
「ありがとう」
でもそのおかげで、最近シャーリーンと会えなくなってしまった。授業の後は練習ばっかだし。コンテストの課題曲で、何回挑戦しても指がもつれてしまってうまく演奏できないところがあるから、ちょっと行き詰まってる。まあそんなことは、彼女に話しても解決するわけじゃないんで、今は緑の並木道に集中しようっと。
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道が曲りくねり始める頃、ベルエア地区の入り口を告げるゲートが見えてきた。
ノース・ベルエア・ロードとサンセットの交差点の近く、北側をのぞき込むと、白い壁に「Bel Air」という文字が鋳造された、キャストアイアン製のアーチがかかっているのが目に止まる。それはベルエアの東ゲートという名のエントランスだ。西ゲートはこれよりさらに重厚な作りで、UCLA沿いの北側のサンセット・ブルバードにでんと構えている。
別に、ここから先のベルエア地区に足を踏み入れるのに検査があるとかそういうことはなく、誰でも自由に出入りできるんだよ。ただし「この地区は厳しく警察が見回ってますから、犯罪なんて計画してもすぐ捕まっちゃいますよ」って意味らしい。今日はベルエア方向には行かないんだけどね。
サンセットをさらに走り続けると、まもなく中央分離帯で区切られ通りの幅が広がってきた頃、背の高いパームツリーの並木が姿を見せた。
やっぱさっきシャーリーンが遠慮がちだったのは、まだウィリアムに裏切られたことを気にしてるんじゃないだろうか。いや、あいつのことをまだ好きだとか、そういう風には考えたくないけど。
確かにシャーリーンは、普段から控えめだ。特にこういう時は、躊躇している。だって電話が原因で、向こうの裏切りを知っちゃったんだし。そりゃ相当なトラウマなんだろうな。
君の心は……まだ傷ついてるんだね、そんなにも。
悪いのは、向こうのほうなのに。だってシャーリーンがしつこくしたなんて思えないんだよね、まったく。これまで彼女がわがままを言って、オレに面倒をかけたことなんてないし。むしろ、もっと甘えて欲しいって思ってるくらいだから。
ヤシの並木を眺めつつ、さりげなく彼女に話しかける。
「家族旅行楽しかった?」
「うん、すごく。でも、ちょっと寒かった。ホテルにモンゴメリの住んでた家みたいな田舎風の暖炉があって、物語にちなんだ料理のメニューが、すごくおいしかった」
「あ、そうか、プリンスエドワード島って、『赤毛のアン』の舞台だっけ。寒い冬に、暖かい部屋で家族とくつろぐのってなんかいいよね」
「うん。だけど私、カントリーサイドより都会が好き……かな」
「うん、オレも。他の州からカリフォルニアに帰ってくると、まるでヘヴンに来たみたいに感じる……、中でもLAの女性ってさ、なんか特別だよね。みんなエンジェルか、……もしくはデビル?」
彼女は可愛い声で笑った。ああ、やっといつもの笑顔になってくれたよ。
うわあぉっと!
そのとき白いヴァンが、ものすごい勢いで追い越して行ったんで、我に返った。車線を変更しようとしていたオレは、慌ててハンドルを戻す。なに今の? 後部に窓のない、フォード2700。窓だけじゃなくて店の名前も、何のマークもなかったな。でもけっこう大きいヴァンだから商業用だよね、たぶん。
気を取り直して、運転を続けよう。
空がいっそう暗くなってきたような気がしてきたのは、オレの運転するシルバー・メタリックのトラックが、パームツリーの並木道にさしかかった頃だ。そうそう、ここ。サンセット・ブルバードとビバリー・ドライブ、そしてクレッセント・ドライブの三本が交差する北側に、ビバリーヒルズ・ホテルがある。
「ウェルカム・トゥ・ザ・ホテル・カリフォルニア……」
知らず知らずのうちにオレは、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」を口ずさんでいた。そのブロックの終わるあたりで、例の北東角にある大きな壁が見えてきたからだ。ほらあのイーグルスが、LPジャケットに、右肩上がりで「Hotel California」って手書きっぽい筆記体で書いてたロゴと同じ書体の、「Beverly Hills Hotel」って書かれた北東の壁のことだよ。
ほんとはさ、ホテル・カリフォルニアって言う名前のホテルは実在しない。それに歌詞には、ビバリーヒルズ・ホテルって言葉は出てこないんだ。だけど、イーグルスのアルバムにはビバリーヒルズ・ホテルの写真が使われた。もちろんあの歌は、旅人がホテルに泊まり不思議な世界に入って行く、ものすごく抽象的な歌詞だ。作曲したドン・ヘンリー自身も、ビバリーヒルズ・ホテルがモデルだとは公言していない。カリフォルニアまでドライブしてきた旅人が、泊まったホテルで「ここはヘヴン? それともヘル?」って考えてると、「ウェルカム・トゥ・ザ・ホテル・カリフォルニア」って女の人に迎えられるっていうのが導入部。オレはイーグルスが、このホテルでインスピレーションを得たんじゃないかと密かに信じている。
もっともビバリーヒルズ・ホテルは超高級ホテルで、あの歌に漂う退廃的なイメージは、曲が作られた一九七六年当時も、今も全然ないけどね。ただ車で乗りつけてチェックインっていうのは、確かにイメージにあってるな。駐車場も広いし。ほらオレが先月リロイと演奏してたあたりの、市街地のホテルだったら、地下駐車場のダンジョン奥底まで降りていかなきゃならないしさ。ま、実際には一か月先まで予約で埋まってる人気ホテルだから、歌のようにふらりと訪れて泊まるってわけにはいかないんだけど。
おっと……、今度こそ左レーンに変更、再チャレンジっと。
うぅ、ウエイト(wait)! その瞬間、バックミラーが後方の車を捉えた。
ブラックのアウディっ! こらぁ、こらこら、こらぁあ……とオレ一人だったら思わず叫びたくなるくらい、またもや暴走車がすごい勢いで走り抜けていった。まるで、何かを追いかけているかのように。
「もう、なんだよ今の?」
シャーリーンは肩をすくめて、オレに同意してくれた。
上空にヘリコプターが一機、パラパラパラパラ、プロペラを唸らせて飛んでいる。
その時は、オレもあんまし気に留めてなかったよ。さっき言ったように、ベルエアの警備のためのパトロールかなんかだろうと思っていたから。
「……それともグレイストーン・マンションでなんか催しでもあるのかな? もしくはハリウッド・ボウルでコンサートでもやってるとか?」
「あれのこと?」
彼女は上空を指した。
「うん」
「ねえ、キャメロン。あの白いボディに黒いテイル……LAPDじゃない?」
「そりゃLAPDでしょ。政府の要人の警備とかパトロールだったらさ」
それからシャーリーンはスマホを取り出してインターネットにアクセスしてたけど、「なにも、催し物はないみたい」と答えた。
「もちろん政府の要人の集まりだったら、報道されないことも多々あるけどね。ねえ……キャメロン、なんかあれ、こっちに近づいてくるみたいな気がする」
「え、ヘリが? まさか、なんでさ?」
そんなばかなことなんて、起こるはずがない。軽く笑い返して気にしないでおこうと決めた――その時だった、オレが目の端でミラーに映る大惨事を見つけたのは。青く回転するランプと、赤と黄の非常を知らせるライトが点滅している……。あれは、あれがパトカーだ。
『ナインティシックス、フォーティワン、サンセット・ブルバード。白いヴァン、フォード。サンセット・ブルバードのイースト・バウンドを逃走中。現在LAPDが追走しています……。LAPDカーは覆面ブラック・アウディ』
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その後すぐ追跡中の覆面パトカー、黒のアウディからヘリに連絡が入った。
『こちらセブン・シックスティワン、容疑者の現在地、ナインティーファイブ・セブンティーセブン、イースト・バウンド、サンセット・ブルバード、助手席の男は銃を所持、茶色のジャケット、ブルージーンズ。運転席は白いTシャツの男、ブルージーンズ。フォード、ライセンスナンバーはエイトXMPフォー・セブン……』
無線で報告すると同時に、覆面パトカーの警察官は青いライトを点滅させた。
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