隠遁薬師は山に在り

あつき

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明くる朝

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 琉璃をじっと見据える。
 胸の中がぐちゃぐちゃとして、心臓がいやに速く鳴っていて、上手く息ができない。
 それでも、深く息を吸って、大きく吐き出す。
 身を乗り出しそうな琉璃の胸を撫でて、乱されたままの頭の中から、今聞いたことを必死になって追い出した。
「……朝になったらゆっくり話してくれ。お前のことは捨て置かぬ。生かすと言ったからには」
 琉璃は不満そうに眉をしかめたが、やがてゆっくりと身体の力を抜いた。
「――好きにしろ。お前に言うべきことは、みんな言った」
 目を閉じた。
 しばらく見守ると、すう、すう、とかすかな寝息が聞こえる。
 囲炉裏の火を少し大きくして、部屋を暖める。
 腰を下ろした板張りの床は、夜が更けるごとにじわじわと冷たくなってきて、ぶるりと震えた。
 底冷えと共に、琉璃の言葉がひんやりとよみがえる。
 ――俺とこの男は、父親が同じなのか。
 まるで、そのように思えなかった。
 琉璃は自分で、母親似だと言っていた。俺もアキも、父親に似ていると言われたことはない。ただ、体が丈夫なことは間違いがなかった。
 ふと、自分の耳を触る。
 しかしそれが証になるのか、わからなかった。
 静かに眠る琉璃の鼻先に、時折耳を近づける。息を吸い、吐く音が聞こえて、ほっと胸を撫で下ろす。
 この男は、彼が言うことが確かなら、自分の腹違いの兄だ。アキの、でもある。
 そう思って寝顔を眺めても、やはり琉璃は琉璃にしか見えなかった。
 自分にとっては、変わり者で人嫌いで、しかし仕事は真面目に遂げる、一人の薬師だった。
「……ぅ、う……」
 琉璃が顔をゆがませる。
 頬に触れると、冷たかった。寒いのだ。
 身体が冷えると、傷は痛む。
 急いで荷物の中から、彼に渡すはずだった毛皮を何枚も引っ張り出す。ウサギの皮がほとんどで、どれも小さい。それを、布団の上に重ねた羽織の中へと、せっせと詰めていく。
 全ての毛皮を使っても、琉璃の身体は震えていた。自分の身体から熱を生めないようだった。
 囲炉裏の火に石を入れて焼き、温石を用意してやりたかったが、すぐに焼けるものでもない。
 彼の身体をできるだけ動かさないようにして、寝床の隣へともぐり込んだ。布団の中はちっとも暖かくない。探し当てた彼の細いくるぶしは、恐ろしいほど冷たかった。
 傷に触らないように、彼の身体に腕を回して、抱きしめる。足を絡めて、指先も温かくなるように、じっと待つ。
 夜の寒さと隣り合った者の冷たさで、自分まで歯の根が合わなくなってきたが、それでも食いしばってこらえた。
 息をひそめると、耳元で彼の呼吸が聞こえる。
 抱きしめた手を胸元に当てると、彼の鼓動が小さく響く。
 この腕の中に、命がある。
 力を込めぬよう、しかし離さぬよう、きゅうと抱きしめた。
 細い身体が次第にぬるくなり、やがて血の通う温かさが戻ってきた。


 空が白み、囲炉裏の火が細くなるころ、琉璃はぱちりとまぶたを開けた。
 鋭い目つきも寝ぼけていると、ただの寝起きの男だった。
 見えているのが天井だとわかると、琉璃は大きくため息をついた。
「……死に損なった」
 その物言いに、あんまりだと思いながら、いつもの通りの彼が嬉しくて、怪我のない肩口に顔をうずめた。
「命拾いしたと言うんだ」
 彼はまだ上手く体を動かせぬようだったが、十分に身体は温まっている。そっと寝床を出て、囲炉裏の火が消えかかっているのを、吹いて大きくし、炭を足した。
 琉璃はぼんやりとこちらの動きを見ていたが、何を咎めることもなく、世話を焼くのをやめろとも言わなかった。頬には赤みがあり、今にも死にそうな蒼白の色はない。
 冷めきった鍋を火にかけて、ひとまず湯を沸かすことにする。
 白湯を飲ませて、それから食べられそうなものがあれば用意するが、荷物の中には衰えた者にちょうどいい食べ物は入っていない。庵の中も薬草と食べ物の区別のつかないものが溢れていて、栗の実でも拾ってきた方が早そうだと思った。
 湯が沸くまで、琉璃に背を向けているのもつまらず、振り返った。彼はまだ、ぼんやりとこちらを見ている。
「……なあ、昨日お前が話したこと、覚えているか?」
 生死の境をさまようとき、嘘も真もわからないことを口走る者もいるという。しかし琉璃は、しっかりと頷いて、ああ、と答えた。
「なぜ話してくれた」
 知らせずにいても、彼は何も困らない。家族を求めるような性質にも、思えなかった。何より、話した上で、捨て置けと言った。
 琉璃は、目を細める。
 そして、頭を戻して天井へと向けた。
 話す気がないのだろう。それなら、それで良い。自分は今までと変わらず、彼と付き合うだけだ。
 そう決めると、ぼそりと琉璃が口を開く。
「……おれは人が嫌いだ」
 その言葉に苦笑する。
「ああ、知っている」
 細いため息が、彼の口から漏れた。
「しかし、おれも人だ」
 それも知っている。だが、彼が言うと、なぜか不思議な響きに聞こえた。
 自分を人だという男は、小さい声で続けた。
「……重荷は好きになれぬ」
 それきり、何も言わなくなった。
 呆気にとられて彼を見つめる。
 父親を殺したことを打ち明けた時は、蛇のように笑っていた。
 今はただ、黙って寄る辺ない視線を空に向けている。
 鍋の中で、ぐつぐつと煮える音が立ち始めた。
「……そうだな、お前も人だものな」
 同じだ。
 呟いた言葉が、彼まで届いたかはわからなかった。
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